朝の十分〜友達よりも大切な彼〜

 それから一週間が経ったが、俺の乗る電車に香山が乗ってくることはなかった。
「はぁ……もう、補習終わってまうわ」
 補習が終わるのは嬉しいはずなのに、何とも言えない気持ちで教室を出る。
「なぁなぁ、奏多。今日カラオケ寄って帰らへん?」
 後ろから友人が声をかけて来たことにも気付かない。
「なぁ、奏多。聞いてるん?」
「はぁ……」
「奏多!」
 その声で我に返る。
「え、何? 呼んだ?」
「『呼んだ?』やないって。何回も声かけてるやん。この後、カラオケ行かへん?」
「うーん……やめとくわ」
「最近付き合い悪いなぁ。彼女でも出来たん?」
「彼女……」
 俺が女の子だったら良かったのだろうか。そうしたら、ドラマの展開のように香山の心を癒すヒロインになれたのだろうか。
 考え事をしていると、彼は勘違いし始めた。
「え、マジで!? あの奏多に彼女出来たん!?」
「は? あ、ちゃうちゃう! 出来てへんで!」
 そう言うと、安心したように胸を撫で下ろしていた。失礼な友人だ。
 しかし、香山には、こんな何気ない話をする相手もいないのかと思うと悲しくなってくる。
「あ、副会長や」
 彼の一声で顔がカバッと上がる。
「どこや!?」
「え、どないしたん?」
「香山、どこ!?」
「あそこやけど」
 指のその先を見れば、中庭のベンチに一人で座る香山の姿があった。最近はつけていなかった伊達メガネもしていた。
 物憂げにどこか遠くを見るその姿は、まさに恋する乙女……ではなく、確実に俺のことを考えている。そう直感した。自意識過剰と笑われそうだが、多分、絶対そうな気がする。
「ちょこっと俺、行ってくるわ」
「行くってどこへや?」
「副会長に相談したいことあってん」
「は?」
 ——友人を置いて、俺は中庭に向かった。
 廊下を走って、階段を駆けおり、中庭に続く扉を思い切り開けた。
「香山!」
「え、冴島?」
 パッと顔を上げた香山は、俺を見た瞬間に表情が明るくなった。かと思えば、プイッとそっぽを向いてその場を立ち去ろうとする。
「副会長に! 副会長に相談があるんやって。香山やのうて副会長に、学校についての相談。それなら……ええやろ?」
 香山はその場に立ち止まり、素っ気なく聞いてきた。
「何? 今、一応まだ夏休み中なんだけど」
「せやな。手短にすませるから。えっと、えっとやな……」
 考える間も、香山は静かに待ってくれた。
「えっと……何時の電車に乗ったら遅刻せーへんのやろか?」
「それは……」
「俺、よう遅刻するんやって。副会長は、何時のに乗ってきてんの?」
「僕は……七時四十二分」
 通勤・通学ラッシュに巻き込まれる時間帯だ。
「でも、座れないよ」
「座れへんでもええよ」
 香山に会えるなら、何でも良い。それくらい、香山は俺にとって大きな存在になっている。
「それから、香山……俺、将来の夢、決まったわ」
「えっと……何か聞いても……良い?」
「看護師」
「え……」
 香山が振り返った。
 メガネが反射して表情は読めないが、迷惑だと言われても、俺は香山と違って自由だから——。
「香山が親のレールから逃れられへんのやったら、俺がそれに飛び乗るわ」
「飛び乗るって……」
「ほんまは医者って言いたいねんけど、医者は無理かなぁって……でも、看護師なら、頑張れば俺でもなれるかもしれへんやろ?」
「冴島……」
 香山は天を仰いでから、再びこちらに向き直る。
「今のままじゃ、どこも無理だよ」
「だから、頑張る言うてるやん」
「そっか……じゃあ、君でも入れそうな看護学校、ピックアップしておくよ」
「サンキュー。けど、出来れば香山と同じ大学の看護学部で頼むわ。一緒の電車……乗りたない?」
 伊達メガネを外した香山は、ふわりと笑った。
「乗りたい……かも」

               ——おしまい——