起点と終焉の駅 ―生きるか死ぬか、あなたはどちらの駅を選びますか?―

 
 神崎さんの手を掴み一歩を踏み出すと、一瞬自分の周りの風景がグニャリと歪んだ気がした。
 怖くなった私がギュッと目を瞑ると、神崎さんの穏やかな声が頭上から聞こえてくる。


「さぁ、着きましたよ」


 一体どこに着いたのだろう? と恐る恐る目を開くと、そこは古びたプラットホームだった。


「え? なんで?」


 私が振り返ると、そこに校舎は存在していない。
(ここはどこよ……)
 急に強い不安に襲われた。


 そのプラットホームは、恐ろしいほど静かな空間だった。
 駅員はおろか、会社員や学生、旅人の姿も皆無だ。まるで時間が止まったかのように、照明だけが静かにプラットホームを照らしている。


 そして――。
 私の視線の先には二台の電車が、プラットホームを挟んで静かに停車していた。


 一番線には、鮮烈な情熱を思わせる深紅の電車。
 二番線には、理知的な静けさを纏う青い電車が止まっている。


 どちらの電車にも、乗客はいないようだ。
 その二つの色彩はあまりにも対照的で、私の心に巣食う葛藤をそのまま映し出しているようだった。
 私は、目を離すことができない不思議な思いで、その動かない二つの選択肢を見つめた。





「あの電車たちが気になりますか?」
「……はい。赤と青の電車なんて、随分と対照的な色だなって……」
「ふふっ。そうですね。あの電車は色だけでなく、向かう駅も対照的なのです」
「向かう駅?」
「はい」


 神崎さんは私ににっこりと微笑む。こんな風に好意的な表情を向けられると、これまで異性との会話経験がほとんどない私は、緊張や動揺からドキドキしてしまう。
 更に彼は、まるで芸能人のようにイケメンだ。そんな人を、意識せずにはいられない。


「まぁ、そんなに緊張なさらないで。ちょっと車内を覗いてみませんか?」
「あ、はい」
 神崎さんに促され、赤い電車の中を覗き込むと、温かい空気と、古びた革の匂いが私を包み込む。
 しかし、この安堵感とは裏腹に、胸の奥では激しい波が押し寄せていた。


 この空間は、外の世界から切り離されたシェルターであると同時に、私の『未来』をどうすべきか? という指針についての答えを、自分自身で導き出さなければならない場所だと、直感的に悟ったのだ。
 私の視線は宙を彷徨い、その静かなプラットホームで繰り返し自分に問いかける。


「ちなみにですが、今いる駅に名前はありません」
「名前のない、駅……?」
「そう。ここは全てが始まる神聖な場所。ここから、お嬢様は新しい人生をスタートさせることができるのです。ですから、この駅には名前がありません。お嬢様が素敵なお名前を付けてくださってもいいですからね」
「新しい人生のスタートか……」
 私は神崎さんに言われた言葉を、自分に言い聞かせるかのように呟く。


 そしてなんとなく浮かんだ駅の名前は『絶望の駅』などという、全くネーミングセンスのないものだった。
 でも仕方がないでしょう? 今の私の気持ちそのものなんだから。


「そして、あなたには選択権があります」
「……選択権?」
「あの二台の電車のどちらにご乗車するのか、という選択権です」
「え?」
 私は、咄嗟に電車についている方向幕に視線を移す。


 すると、赤い電車には『起点の駅行き』。青い電車には『終焉の駅行き』と書かれていた。


 その文字を見ただけで、いくら勉強ができない私でも、電車の行き先がなんとなくわかってしまう。
 心臓が徐々に速くなり、冷たい汗が背中を流れていく。呼吸は浅くなり、過呼吸になってしまいそうだ。


「大体お分かりかと思いますが、赤い電車は『起点の駅』という駅に向かいます。もし、お嬢様がこれから未来へと向かい、もう一度人生をやり直したいのであれば、どうぞ赤い電車にお乗りください」
「人生を、やり直す……」
「青い電車は『終焉の駅』という駅に向かいます。もう生きているのが辛くて、やはり自ら命を断ちたいというのであれば、どうぞ青い電車にお乗りください」
「え? つまり、それって……」
「はい。青い電車は『死』へと向かう電車です」


 私がはっとして顔を上げると、神崎さんが寂しげな顔をしながら私を見つめている。 
 その切ない表情に、胸が締め付けられるように痛んだ。


「ここから先は、お嬢様がお選びくださいませ」
 神崎さんが一歩後ずさり、深々と頭を下げる。
 

「困ったなぁ。どうしたらいいんだろう……」
 私は顔をしかめ、唇を噛み締める。どうしたらいいのかがわからず、思考回路が停止してしまう。


 私はどうしたいの?
 私には何ができる?
 私は生きたいの?
 それとも、死にたいの……?
 答えの出ない自問自答に、私はひどく混乱してしまった。


 『生きる』という選択肢は、きっといばらの道だろう。また差別や批判、イジメに耐える日々が始まる。でももしかしたら、あの赤い電車に乗ることで、新しい自分になれるかもしれない――、という期待もある。


 逆に、つい先ほどまで自分が望んでやまなかった『死』という選択肢。青い電車に乗れば、この苦しい人生を終わらせることができる。それは、私にとって、何よりも幸せな結末である。あの青い電車に乗れば、それを叶えることができるのだ。


 でも、私は思う。
 差別やイジメに耐えながら生きることも、死ぬことも、どちらも怖い。
 だからこそ、私は悩む。
 一体、私はどうしたらいいのだろうか? 生憎今ここに、相談できる相手もいない。自分で答えを導き出すしかないのだ。


 私は、苦しみながらも生きたいのだろうか?
 それとも、死んで楽になりたいのだろうか?
 一体どうしたら……。


 私が答えを出せずにいると、神崎さんがそっと肩に手を添えてくれる。その大きくて優しい手に、私は泣きたくなってしまった。


「途中で向かう駅を変更することもできます」
「本当ですか?」
「はい。見ての通り、この電車には線路がありません。ですので、途中で向かう駅を変えることは可能でございます」
「そうですか……」


 その言葉に、私の体から少しだけ力が抜けていく。
 向かう駅が変えられるのであれば、今はこの衝動に身を任せてしまえばいい。私はそう思った。


「ただし、どちらの駅に向かう途中でも、電車は各駅に停車いたします」
「途中に駅があるんですか?」
「はい。それはお嬢様が特に記憶に残っている、思い出の駅でございます。例えばお誕生日をお祝いした日や、小学校の入学式などがこれに当たります」
「それじゃあ……」
「そうですね。楽しい過去ばかりではなく、辛い過去を見ることになるかもしれません」
「そうですか……」
 私は唇を噛み締めて俯く。


 今まで生きてきた十七年間の中で、楽しかった思い出など、果たしてあったのだろうか? そう思うと悲しくなってしまう。


「各駅で降りると、お嬢様はその映像を見ているだけではありません。その時のお嬢様自身に戻られてしまいますので、心の準備をしておいてくださいね」
「え? どういうことですか?」
 私が神崎さんを見上げると、困ったように彼がクスッと笑った。


「説明が不十分で、ご理解できませんでしたか? 大変申し訳ございません。 例えば、小学校の入学式の駅で停車したとします。その時お嬢様は、小学校一年生に戻ってしまうのです」
「小学校一年生に戻っちゃうんですか?」
「はい。しかし、電車の発車時刻が決まっておりますので、それまでに電車に戻ってきていただければ、また元の姿に戻ることはできます。ご安心くださいね」
「そうですか」
「それから……」


 まだ何かあるのかしら? 私は眉を顰めながら大きく息を吐く。
 あまりお利口ではない私は、もうこれ以上何かを説明されても忘れてしまいそうだ。


「電車の発車時刻には、必ず電車にお戻りください」
「もし電車の発車時刻に間に合わなかったら、どうなるんですか?」
「そうですね……。この世のものとは思えない恐ろしい出来事が起こる、と言われています。でも実は、私も詳細なことはわからないのです」
「なんだか、怖いですね……」
「ですから、電車の発車時刻はきちんと守ってくださいね」
 神崎さんがいつものように私に向かって笑う。


 でもその硝子玉のような瞳の奥に、何かが隠されているような気がして……。必死にそれを探ってみようとしたけれど、穏やかな笑みに再び隠されてしまった。


「さぁ、お嬢様。電車が発車する時刻となりました。どちらの電車に乗るか、ご決断くださいませ」
「…………」


 私は唇を噛み締めて考える。
 今まで経験してきた辛い出来事が、走馬灯のように頭の中を駆け巡った。あの辛く、苦しかった日々。


 それでも、幸せな時間だってあった。私はアルビノとして生まれてきたけれど、家族にはたくさん愛してもらったから――。
 二つの思いが、天秤のように心の中で大きく揺れる。


「決めた」


 私はそっと目を開き、静かに顔を上げる。それから、その電車を指さした。


「神崎さん、私、あの電車に乗ります」
「承知致しました。ではこちらへ」
 神崎さんに、まるで本物のお嬢様のようにエスコトートされながら電車へと向かう。


「では、最後にもう一度確認致します。どちらの電車に乗られますか?」


1.どちらの電車にも乗らない。
  「承知致しました。このまま本を閉じて、気を付けてお帰りくださいませ」

2.『起点の駅行き』の赤い電車に乗る。
  「承知致しました。では、2ページへ飛んでください」

3.『終焉の駅行き』の青い電車に乗る。
  「承知致しました。では3ページへ飛んでください」

 
 私が電車に乗り込むと「では発車致します」という神崎さんの静かな声が聞こえてくる。


 この電車は三両編成にも関わらず、乗客はやっぱり私と神崎さんだけだ。
 一両目に乗ったけれど、運転席を見ても運転手はいなかった。
「噓でしょ……」
 不安を感じた私が電車から降りようとすると、扉が静かに閉まる。


(駄目だ、もうこれで逃げられない……) 


 私は言いようのない恐怖の大波に襲われる。
 もう頼れる人は神崎さんしかいない。すがるように彼を見つめると、そんな私の気持ちを察したのかにっこりと微笑む。


「駅に着くまで時間があるので、どうぞ椅子にお座りください」
「あ、すみません」
 神崎さんは座席をさっと手で払った後、高級そうなハンカチを敷いてくれる。これでは本物のお嬢様になったみたいだ。
 古い電車の座席は、座ると深く沈み込む。お世辞にも座り心地がいいとは言えないし、少し埃っぽい。


 発車の瞬間に、ゴトッという車輪が噛み合う鈍い振動が足に伝わり、電車はゆっくりと動き出した。


 窓の外のプラットホームは、スローモーションみたいに後方へと流れていく。それがまるで、新しい旅の始まりを告げているように見える。
 不安がじんわりと胸に広がる中、頼りの神崎さんの呼吸だけが、その空間の確かなリアリティだった。


 運転手もいないのに走り出す電車。
「不思議だなぁ」
 そう小さな声で呟く。


 私が勝手に名付けた『絶望の駅』が、どんどん小さくなっていくのを、ぼんやりと眺めた。


「では、また後程、貴方が選んだページでお会いしましょう。どうぞ素敵な旅を……」
 神崎さんが、もう一度深々と頭を下げた。


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