起点と終焉の駅 ―生きるか死ぬか、あなたはどちらの駅を選びますか?―


 今、私は、学校の屋上にいる――。
 屋上に設置されている異常に高いフェンスを乗り越え、ようやく目の前に障害物がなくなった。
 私が一歩足を踏み出せば、校舎の四階の屋上から飛び降りることができる。
 そう。私は今ここに、死ぬためにやってきたのだ。


 私の名前は椎名紬(しいなつむぎ)。十七歳の高校三年生。


 私は二万人に一人という難病をもって、この世に生を受けた。
 その病気の名前は『アルビノ』。
ほら、時々見かけるでしょう? 雪のように真っ白な毛に、真っ赤な目を持った兎やねずみを――。私は、彼らと同じ。


 蝋のように透き通った白い肌に、体中全ての毛が白色に近い金色。そして瞳はまるで透き通った空のように青い。
 私が立っていると、まるで日差しの中に溶け込んでしまったように、存在感がなくなってしまう。まるで雪のように白いから、「溶けちゃいそう」なんて言われたこともある。
 

 ここまで聞くと、外人のように美しい容姿を想像するでしょ? 色白で金髪なんて、女の子の理想の姿だもの。
 でもね、理想と現実は全く違う。


 特に日本人の性質的に「自分と違うものは排除せよ」という本能が働くみたい。
 小さい頃は「なんて可愛らしい子ね」と褒められたわ。でも成長するにつれ、私に対する見方は段々変わっていった。まるで真綿で首を絞めるかのように。
 真っ白で透き通った肌は死人のように見えて、自慢の金髪は非行少女に見られるようになった。


 だから私は、できるだけ存在を消して生きてきた。
 息を潜め、声を殺し……。
 椎名紬という人間を、この世界から抹消できるように。


 でも私は、中学校に入学してから、イジメのターゲットにされてしまう。
 陰湿なイジメは毎日毎日繰り返され、「ごめんなさい」って泣きながら謝っても許してなんてもらえなかった。


 「ごめんなさい」なんておかしいでしょう? だって、私は何も悪いことなんてしていないんだもの。でも、私はただ謝罪をして、許しを請うことしかできなかった。


 高校に入学してからは更にイジメが加速していく。
 中学校の頃は、陰口を言われたり、私物を盗られたくらいだった。でも高校生になると、イジメはどんどん陰湿になっていく。
 陰口や仲間外れなんて日常茶飯事だし、「キモイ!」と目の前で言われることもあった。
 隠し撮りをされてSNSに晒されたり……。


でも、今までで一番最悪な出来事が、その日起こった。
それは今まで受けたイジメの中で一番陰険で、悪質なものだった。


私の裸の写メを撮るために、所謂不良集団の男女に空き教室に連れ込まれてしまったの。不良集団たちは、口元を歪めながらこう言ったわ。


「ねぇ、お前下の毛も、髪の毛みたいに白いの?」
「え?」
「見せてよ」
「嫌だよ」


 私が恐怖から後退ると、不良集団が私を壁際まで追い込む。
 トンッと背中に冷たい壁が当たる感覚に、全身から血の気が引いた。指先は冷たくなり、体が小さく震える。助けを求めたいのに、恐怖から声を出すことさえできなかった。


「下の毛を写メで撮って、SNSにアップしようぜ?」
「いいね! 絶対伸びると思う!」
「えー! やめてあげなよ! かわいそうだよー! あははは!」
「早くセーラー服を脱げよ」
 そう言いながら、私の制服に手を伸ばしてきた。
 こいつらの中に、誰も私のことを庇ってくれる奴なんていない。
 私はただ、アルビノという病気をもって、この世に生を受けただけなのに――。


 なんで私の肌はこんなにも白いの?
 なんで私の髪は黒くないの?
 なんで私の瞳は茶色じゃないの?
 なんで? なんで?
 なんで、私だけこんな目に遭わなければならないの?


(SNSに裸の写真なんて載せられたら終わりだ)
 私は肩を落とし項垂れる。


 これが私の人生なのだろうか? もしそうだとしたら、神様はなんて試練を私に与えたのだろうか? 神様、私はあなたを恨みます。


「絶対に……嫌だ……」
「は?」
「いやだぁ……」


 私の呟いた言葉が聞き取れなかったのか、不良集団が一斉に私に視線を向ける。
(なんて醜い顔なのだろう)
 奴らの顔が、私には人の仮面を被った悪魔に見えた。


「絶対にSNSなんかに晒されたくない」
 私は手に爪が食い込むほど強く拳を握り締め、ギュッと唇を噛む。あまりにも強く唇を噛んだものだから、口内に血の味がじんわりと広がっていく。


「何をブツブツいってんだよ? ほら脱げよ」
「そうだよ。椎名、お前、見た目はいいんだからさ。お前の裸を見てみたいよ」
 ニヤニヤした奴らが私に向かって近づいてくる。その姿が、恐ろしい獣のように見えた。


「私に触らないで……」
「は? 聞こえないな?」
「私に触るな‼ クズ共が!?」
「なんだと!?」
 私の言葉が奴らの逆鱗に触れたのだろう。不良集団の顔色が一斉に変わる。


(もう嫌だ、こんなことばかり……)


 涙で視界が見えなくなったから、私は慌てて制服の袖で涙を拭う。
 その時、下校を知らせるチャイムが静かな校舎内に響き渡る。
 私には、それが天から聞こえてくる女神の声のように聞こえた。先ほどまで神をけなしていたけれど、最後の最後で神は私に情けをかけてくれたのかもしれない。
 チャイムの音で一瞬ひるんだ不良グループの間をすり抜け、私は空き教室から抜け出した。


「おい! 待てよ!」


 不良たちの声が聞こえてくるけれど、奴らを待つ気も、走るのを止めるつもりも、今の私にはない。


「はぁはぁはぁ……」
 バクバクと鳴り響く心臓の音と、乱れる自分の息遣いが鼓膜に響く。


 私は無我夢中で走った。
 でも私が向かったのは、教師に助けを求めるための職員室ではない。かと言って、自宅へ逃げ帰るための昇降口でもない。


 私は止まることなく、階段を駆け上がる。
 何度も転びそうになったし、疲れて足が上がらなくなってきた。


(よかった、誰も追いかけてきてはいないみたい)


 私は目的地へ辿り着くと、その扉の前で一瞬立ち止まる。それから深く息を吸って、乱れた呼吸を整えた。
 普段私は、こんな所にくることはない。それこそ、あいつら不良集団の溜まり場だから。


 冷たいドアノブに手をかけて、ゆっくり回すと、ガチャッという無機質な音と共に扉がゆっくりと開く。


 この重たい扉の向こう側は、屋上だ。


「わぁ、綺麗……」


 屋上へ続く扉を開けると、目の前に夕日が飛び込んでくる。
 もうすぐ冬休みを迎える今の時期は風が冷たく、火照った体を冷やしてくれて気持ちがいい。私が大嫌いな金色の髪が、サラサラと揺れる。
 真っ赤な夕日が、蝋のように白い私の肌を赤く染めた。


「あなた髪を染めてるの? 金髪なんて、学生らしくない……」
 今まで、何度もそう問いかけられてきた。その度に「いえ、生まれつきなんです」と俯くことしかできない。校則違反だって、何度も叱られたっけなぁ……。
 だから私は、できるだけ髪が目立たないよう短くしている。本当は、ずっとロングヘア―に憧れていたのに……。


 それにこの白い肌は、少し日光に当たるだけでスキントラブルを起こす厄介ものだ。
 青い瞳は外国人みたいだし。
 アルビノに生まれて良かったことなんて、一つもない。


「綺麗で羨ましい」
 そう何回か言われたこともある。でもその人は見た目だけを誉めて、私の苦しみなんてわかってもいない。


 今だって、こうやってイジメのターゲットにされてしまうのだから。
 私が他の人と違うだけで、私はこんなにも苦しい思いをしてきたんだ。


「それも、今日で終わる。ううん。終わらせるんだ」


 ようやく私の全身から力が抜けていく。立っているのがやっとになってしまい、屋上をグルッと囲んでいるフェンスに寄り掛かる。
 でも、まだこれで終わりじゃない。


(これで、全てを終わらせよう)


 私はフェンスに手を掛ける。
 夕日は相変わらず綺麗だし、一番星が輝いている。


「ごめんね、お父さん。お姉ちゃん」
 一瞬浮かぶ家族の顔。私はそれをなかったことにするために、頭を振って雑念を追い払う。


「よし、行こう」
 小さく呟いてから、フェンスを強く握った。


 私は人生に、自分自身に失望し、死ぬことしか望まないまま、フェンスに向かった。
 息が切れるほど急いで登り始め、その間、手には細かい傷が幾つもできた。
 フェンスの鉄管に触れる度に、その冷たさが伝わってくる。私が上に行くたびに『ガチャガチャ』という、重たい金属音が屋上に響き渡る。


(誰かに見つからないうちに……)
 私は必死でフェンスを登り続ける。


 そしてようやく、フェンスの頂上に辿り着いた。そのまま勢いよくフェンスから飛び降りる。
 着地した固いコンクリートのせいで、両足がジンジンと痛む。


「わぁ、真っ赤……」


 そこに広がったのは、燃えるような夕日と街並みだった。
 その美しい光景を見ても、私の心は全く何も感じない。
 セーラー服のスカートを、冷たい北風が揺らしていった。


 私がフェンスの向こう側で息を整えている間にも、空の色はこくこくと変わっていく。
 さっきまでは燃えるようなオレンジ色だった夕日が、今は青と紫色のグラデーションに飲み込まれようとしている。


 街の灯りが、まるで星のように一つ、また一つと輝き始め、世界全体が静かに息を潜めた夜の帳へと変わる瞬間だった。
 その変化は確かに美しいけれど、私の心を現実へと引き戻すことはもうない。
 

「さよなら」
 私が空中へ、一歩踏み出そうとした瞬間。思わず自分の目を疑ってしまった。


「なに、あれ……」
 目の前に現れたのは、空を飛ぶ電車だった――。


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