謎解きは友情を穿つ

 17

 相当に酷い顔をしている。
 鏡を見なくともそれがわかった。
 小雨が朝を濡らす7時頃。昨日解散した青山のカフェに来るまでの道中、すれ違う人からは怪訝そうな視線を向けられ、乗った電車ではコソコソと言う人が目につき、そして今、十時間ぶりに会った御影さんは明らかに心配そうな表情を浮かべていた。
「大丈夫……じゃないですよね、錦木さん」
「いえ、大丈夫です」
 説得力はゼロ。御影さんはさらに眉をひそめた。
 でも、今はそれどころじゃない。メッセージでおおよそのことは説明したが、これに至っては実際に見てもらうほうが早い。
「これ……手書きと手作りで恐縮ですが、メッセージで送った通りに謎を解いていって、完成したものです。ちょっと見にくいかもですが、光に透かして見てみてください」
「え、ええ……」
 言いたいことはありそうだったが、御影さんはおもむろに僕の作った五枚の謎を綴じた小冊子を受け取った。そしてそれを照明に透かすと、ハッと息を呑んだ。



「手を抜かない、実にアイツらしい大謎です。この五枚、全ての黒マスが重複しないように、かつ特定のマス以外は全て黒マスになるように調整されているみたいなんです。そして、黒マスになっていない特定のマス、すなわち残った白マスがメッセージになっている」
「『スマナイ ユルシテクレ』……ですか」
 僕は頷く。胸の辺りが、ひどく痛んだ。
「ええ。まさか謝罪だなんて思ってもみませんでした。事件に関係する内容とか、自分がいる場所とか、それかもっと……責めるような言葉とか……そんなものだとばかり。なんで、修真が謝るんですかね」
 こんな言葉が聞きたいわけではなかった。
 恨み言の末に、彼が自分のいる場所なり事件の真相なりを明らかにして、そこに僕が向かって、全てのケリをつけるつもりだった。
 けれど、実際謎を解いてあったのは、ただの謝罪の言葉のみ。
 僕はいったい、どうすればいいのか。
「錦木さんは、鳴海先生が藤枝さんを殺したと思ってますか?」
「まさか……そんなことあるはずない。だって僕は、僕は……」
「――鳴海先生には犯行が不可能だということを知っていたから、ですよね?」
 驚いて、僕は御影さんを見た。
 彼女はいつもと変わらない静かな眼差しのまま、僕を見返してきた。
「どうして」
「馬場さんに聞きました」
 その一言で、僕は全てを察する。
 そうか。あの眼鏡記者……御影さんに話したのか。
「錦木さん、鳴海先生と旅行していたんですね。藤枝さんが殺害された日に」
 冷静な口調で御影さんに問われて、僕は項垂れるように首肯した。
 そうだ。
 僕は、藤枝大雅さんが死んだという8月12日から13日にかけて、修真に誘われて旅行に行っていたのだ。
 ――航大~! いきなりだけど明日から旅行行こうぜ! 新幹線で!
 8月11日。いきなり僕のアパートに来たかと思えば、彼は唐突にそう提案してきた。僕は以前彼から、13日が原稿の〆切だからそれまでは連絡しないでくれと言われていた。なんならバイトのシフト交代まですることになっていた。
 だというのに、修真はいきなり僕のアパートに押しかけてきたかと思えば、関西にある有名な展望台に行きたいと言い出したのだ。なんでも、次々回の作品の舞台にしたいらしい。
 正直、身勝手だと思った。
 昔から、修真にはこういうところがあった。周囲への気配りや思いやりはあるものの、時折持ち前のマイペースさを前面に押し出して振り回してくる。特に僕には、そういう面を遠慮なく発揮してきた。
 もちろん、わかっている。
 修真は、僕に一番心を開いてくれているからだ。
 彼は僕に期待し、僕なら受け入れてくれると信じ、あまつさえ親友とまで言ってくれる。勉強もスポーツも苦手で他にこれといった特技もない凡人まっしぐらな僕に、唯一無二の信頼を向けてくれているのだ。
 だからこそ僕は、肩をすくめるに留めるしかなかった。
 ほんとに呆れて物も言えなかったが、僕自身も特に用事がなかったので了承した。バイト先の店長にはかなり迷惑をかけるが、そこは修真が上手くやってくれたようだった。電車に新幹線、バスと乗り継ぎ、僕らは二日間の旅行を満喫していた。
 ――ちょっと、弱気になってたから。でもこれで、覚悟が決まったよ。
 あの言葉も、その旅行の時に聞いた。帰り際になって、いきなり修真が悟ったように言った。ちょっと引っ掛かりはしたが、あまり深くは追及しなかった。完璧超人の修真ですら悩むこともあるんだな、くらいにしか思っていなかった。
 しかし。
 なんともいつも通り過ぎ去った旅行から僅か三日後。
 朝早く。僕のアパートに警察が訪ねてきた。
 強面の刑事は、僕に言った。
 成見修真が、従兄弟を殺害した容疑者になっていること。
 その彼が、従兄弟が死んだ日は僕と旅行に出かけていたと証言していること。
 それは本当なのか、ということ。
「錦木さん、教えてくれませんか。どうして警察に鳴海先生との旅行について訊かれた時に……『知らない』なんて、言ったんですか?」
 そうだ。
 僕は言った。
 はっきりと口にした。
 旅行? 知らないです。その日僕は、バイトしてましたから。
 僕はスマホの写真フォルダにあるシフト表を見せた。そこには、8月13日まで僕の名前が書かれていた。旅行に行く前、修真が店長に頼んで僕とシフトを入れ替えた時のシフト表だった。
 警察は何も疑うことなく、むしろ修真が嘘をついていたという事実のほうに気をとられ、一刻も早く修真に再度事情を訊かねばと立ち去って行った。
「どうして……ですか」
 どうして。
 それはきっと、修真が一番思っていることだろう。
 自分のアリバイを証明してくれるはずの親友が、そのアリバイを証言しなかったのだから。
 もちろん、すぐにバレる。
 バイト先に確認すれば僕がバイトに出ていないことはわかるし、旅行先である京都駅なんかの防犯カメラでも分析すればきっと修真と僕が一緒にいることが明らかになる。
 けれど、僕はそれを承知で嘘をついた。
「……」
 御影さんの問いに、僕は口をつぐんだ。
 言いたくなかった。
 こんな醜い感情。
 どこまでも自分勝手で、身勝手で、幼稚な、浅ましい気持ちを。
「……いえ、すみません。私が訊くことじゃないですね。それは、鳴海先生に伝えてあげてほしいです」
「いや、でも……どこにいるか……」
 それができれば苦労しない。
 僕は修真が投稿した謎を解けば修真の居場所がわかると思っていた。
 失踪し、それに伴って制限時間つきの謎解きまで出してきたのだから、可能性は高いだろうと予測していた。
 けれど実際あったのは、意味の分からない謝罪だけで……。
「ほんとに、錦木さんは詰めが甘いというか、あと一歩が足りませんね。馬場さんが言っていた通りです」
 御影さんは呆れたように首を振ると、僕が渡した小冊子を返してきた。
「この謎はほとんど解けてます。でも、まだ完全には解けていません」
「え? どういうことですか?」
「最後のアナグラムは、『五枚を綴じて透かし、交差を読む。』です。今錦木さんがしたことだけでは、不十分です」
「え?」
 首を傾げる。『スマナイ ユルシテクレ』が、読んだ結果じゃないんだろうか。
 御影さんは、ゆっくりと口を開いた。
「ちゃんと、最後まで向き合ってください。この謎は、紛れもなく鳴海先生が錦木さんに向けて作った謎です。謝罪のメッセージに動揺して、勝手に現実を決めつけて逃げるような真似をしないでください。これは、あなたが解かなければいけない最後の謎解きです」
「最後の、謎解き……」
 僕は手元を見つめる。
 手作りで作った、修真の五つの謎が綴られた小冊子。
 震える手で、僕はもう一度照明に透かしてみる。
 スマナイ
 ユルシテクレ
 間違いなく、そう書いてある。
 照明の光が通る白抜きで。
 このメッセージが、修真が謎解きの果てに伝えたかったことじゃないのか。
 彼が好きだった透かしの解法で、読ませたかった、文字……
「五枚を綴じて、透かし、交差を、読む……?」
 ふと、思う。
 僕は、照明の光にかざして白抜きのメッセージを見つけたが、『交差を読む。』の部分はどういう意味だろうか。
 もしかしたら、僕はまだ、『五枚を綴じて透かし、』までの部分しかしていない?
 慌てて、僕はクリアファイルから一枚の紙を取り出す。
 修真が作った謎解きで、唯一すべてに関わってきたベースの文章。
 修真に強引に協力を頼まれて、渋々引き受けて、でもいつの間にか僕も楽しくなっていて、一緒に結果待ちまでした、彼のデビュー作の改稿文に、目を通す。
 交差を読む。
 透かしてわかるが、この謎において重なっている黒マスはひとつもない。であれば、『交差』が差すのは黒マスの重なりなどではなく、素直に「線の交点」と読むのが無難だろうか。
「まさか……」
 僕は、いくつかのあるマスに丸をつけていく。
 スマナイ ユルシテクレ
 この文字列の中で、線が交わるところ。
 すなわち、「ス」の一画目と二画目の交点。
 ほかに、「マ」と「ナ」、「イ」、「ユ」、「ク」の一画目と二画目、「テ」の二画目と三角目の交点。
 これら、七つの交点に当たるマスに、印をつけていく。
 そして、幾度となく繰り返してきた、対応する文字の抜き出し。

 明 さ か う か る 四

 たった7文字だ。
 ひとつ前、19文字の並び替えに比べればすぐに終わった。
「『うる明かさか四』……『ウル赤坂』の『四』階ってことか?」
 驚きだった。
 ウル赤坂は修真が暮らしているアパートで、彼の部屋は一階にある。文人くんの話だと警察が任意捜索で一、二回来ただけとのことだったので、まさか同じ建物内の四階にも部屋を持っているとは思わなかったということか。
「これで、解けましたね」
 テーブルを挟んだ向かい側で、御影さんが小さく拍手をしていた。
 けれどすぐに表情を真剣なものに戻し、僕を見据えてくる。
「錦木さん、時間がありません。鳴海先生は無実とはいえ、きっと何か良からぬことを考えているものと思われます。そしてそれは、あなたと無関係ではないのでしょう」
「そう、ですね」
「それで、どうしますか?」
 そんなの、訊かれるまでもなかった。
「行きますよ。もちろん」
 ようやく、向き合う時が来たのだ。

 18

 アパートまで、御影さんがタクシーで送ってくれた。付き添いを確認すると、「私は前で待ってますので」と丁寧にお辞儀された。そこには、二人で戻ってこいとか、ちゃんと話すことを話してこいみたいな、いろんな想いが込められているように見えた。
 雨音が響く中、僕はアパートの階段を上っていく。
 ウル赤坂の四階は最上階だ。エレベーターがないのは難点だが、今の僕にとっては心の準備ができる分、ありがたかった。
 でもそれはあっという間に過ぎた。誰ともすれ違わず、気づけば階段が途切れていた。
 上り切ったところで、ふと部屋番号のことに思い至った。見れば、四階には部屋が五つあるらしい。
 いったいどの部屋なのか……なんて疑問も、部屋の前の扉に小さく貼られた真新しい展望台の記念シールで解決した。
 どうやら、405号室のようだ。
 僕は小さく深呼吸を繰り返してから、インターホンを鳴らした。
「開いてるよ」
 不用心な言葉が聞こえた。
 でもそんなことよりも、一週間ほど前に聞いたばかりの声がやけに懐かしく聞こえて、僕は思わずドアを開け放った。
 長く薄暗い廊下が、目の前に伸びている。
 一階にある修真の部屋と似ていた。
 僕は中に入り、そのまま中央にある扉を開ける。
「修真」
「よっ、航大。なんか、久しぶりだな」
 会うのを待ちわびていた親友が、そこにいた。
 簡素な部屋だった。
 壁際にはパソコンが置かれた机と椅子。中央には小さなダイニングテーブルとイスが二脚。
 他には、何もない。
 どこまでも殺風景で、実に生活感のない部屋だ。
 彼はイスに腰掛け、右手に湯気が立つコーヒーカップを持っていた。
「コーヒーでも飲むか?」
「いや、僕はいいよ。ありがとう」
 僕が断ると、彼はふっと小さく笑った。カップを置いておもむろに立ち上がると、日が差し込む窓際へ歩いていく。
「今の時刻は……9時32分。すごいな、6時間近くを残してゴールってわけか。完全に俺の負けだな」
「よく言うよ。思ってもないくせに」
「いや、本心だ。まさか解かれるなんて思ってなかったからな」
 無遠慮な返事が飛んできた。口調も声色も表情も、何もかもがいつも通りだった。つい、笑ってしまいそうになる。
 けれど、僕の中にくすぶる罪悪感が、それを押し留めた。
「修真……僕は」
「すまなかった。航大」
 彼は、僕の言葉に被せるようにして謝り、頭を下げてきた。
「俺は、気づけなかった。お前に疎まれていることに。お前を苦しめていることに。つい最近まで、まったく思ってもいなかった。本当に、ごめん……」
「なんで謝るんだよ。べつに、修真が悪いわけじゃないのに」
 そうだ。修真が悪いわけではない。
これは僕の問題だ。僕の、心の問題だ。
 けれど、彼はそれを良しとしない。頭を下げたまま、言葉を続ける。
「いや、そんなことはない。俺にも非はある。俺は、航大の優しさに甘えていた。俺の全てをさらけ出しても、航大なら受け入れてくれる。認めてくれる。そう信じて疑わなかった。そんな俺の独り善がりが……今回の事件を引き起こしたんだ。航大はもちろん、大雅兄ちゃんにも、本当に申し訳ないことをしたと思ってる」
「それは、どういう意味だ?」
 いきなり事件の話が出てきて、僕は思わず尋ねた。
 修真はゆっくりと頭を上げるも、視線は下を向いていた。
 何かを迷っているみたいだった。
 やがて、彼はためらいつつも口を開いた。
「…………今回の事件。……あれは、大雅兄ちゃんが俺に殺されたように見せかけた、自殺なんだ」
「え?」
 驚愕の事実に、僕は呆気にとられた。地面がぐらりと揺れたような錯覚に陥る。
「航大と旅行に行った前日に、メールが来たんだ。送信者は、藤枝大雅。そこには、こう書いてあった」
 言うと、彼はスマホを取り出して、メールの本文を読み上げた。

『修真
 お前は何もわかっちゃない。
 お前のせいで、どれだけ周りの人たちが苦しんでいるか、傷ついているか。
 その身勝手さは、本当に尊敬するよ。悪気がないのが、余計に性質が悪い。
 きっと、そういう図太さがないと、作家としても人としても上には行けないんだろうな。
 俺には、無理だ。
 お前が羨ましい。心の底から、妬ましい。
 お前の手が届かない遠くから、静かに眺めていることにするよ。
 せいぜい頑張れ。
 じゃあな』

 読み終えると、修真はスマホを僕に渡してきた。画面に映し出された送信者も日時も内容も、全く相違ない。紛れもない、事実だった。
「俺は、混乱したよ。意味が分からなかった。俺と大雅兄ちゃんは歳が離れていたけど仲が良くて、言いたいことはなんでも言い合えると思っていたから。すぐに電話したけど、繋がらなかった。ちょうど大雅兄ちゃんは資格の試験直前だったから、ナイーブになっているのかもしれないと思ってそれ以上は連絡しなかった。試験が終わる8月13日、ちょうど原稿締め日に会う約束をしてたから、その時に問い質そうと思っていた。旅行で気分転換をして、航大のおかげで気持ちの整理ができて、さあ会いに行くぞって家に行ったら……天井の梁からぶら下がってたんだよ」
「でも、椅子が転がっていたけど届かないって……」
 僕は御影さんや文人くんから聞いた現場の状況を説明した。藤枝さんは小柄で、足元に転がっていた椅子に乗っても梁から吊るされた荷締めベルトには届かなかった。だから警察も、自殺ではなく他殺だと判断したのではなかったか。
「ああ。あれは、氷を踏み台にしたんだよ。ブロック状に固めた氷をいくつも椅子の上に積み重ねて足りない分を足したんだ。融雪剤にもなっている塩をあらかじめ振っておいて、床暖房を最大温度に設定した状態にしておけば、蹴った拍子に倒れた氷は短時間で溶けてなくなるってわけ。大雅兄ちゃんの足裏や衣服、椅子なんかに塩がついていたのはそのためだ」
「でも、氷をいくつも積み重ねてって、安定しないんじゃないか? それに、そんなブロック状の氷をいくつもどうやって直前まで保管したんだよ?」
 思いついた疑問を尋ねると、修真は小さく肩をすくめた。
「単純だよ。アイスドリルで中央に穴を空けて、ステンレス製の突っ張り棒を通してブレを抑えたんだ。保管はクーラーボックスを使えばできる。大雅兄ちゃんは釣り好きだし、アイスドリルもクーラーボックスも家にあるよ。ほんと……古典的で使い古されたトリックだ」
 修真は悲痛な笑みを浮かべて、さらに推理を重ねていく。
「床に塩や残った水滴がなかったのは、ロボット掃除機を作動させたからだろうな。あの部屋にあったはずだ。そこのモップに塩が付着していれば証拠になる。あとは俺の指紋が、衣服や荷締めベルトについていたんだったか。どうりでこの前行ったとき珍しく洗濯やら整理やらを手伝わされたわけだよ。梁や脚立に俺の指紋をつけられなかったことといい、少しでも早く氷を溶かそうと夏なのに床暖房を設定したことといい、全体的にトリックとしては雑だ。極めつけはパソコンのデータの消し方。グートマン方式より劣る初期化とクリーニング処理だけじゃ不十分だよ。復元が可能だ。復元したら、きっといろんな証拠が出てくるだろうね」
 修真の推理を聞いていると、馬場さんが言っていたことが思い出された。
 ――藤枝大雅はミステリー作家になりたかったようなんです。
 ――ここ最近は全然で、話の軸も文体もブレブレ。トリックもどこかで見たようなものばかりで真新しさがない。とてもじゃないが、ミステリー作家にはなれない。
「大雅兄ちゃんも前はもっと、斬新なトリックと謎を作ってたんだよ。でも最近は…………って、俺が言っていいことじゃないよな。俺のせいで、大雅兄ちゃんは自殺したんだから……」
「修真……」
「しかも航大、俺はお前に対してもそうだった。大雅兄ちゃんのメールの通りだった。苦しめて、傷つけていた。警察から航大の証言を伝え聞くまで気づけなかった自分が情けなくて、腹立たしくて、悲しい。数日考えて、ようやく航大の気持ちが少しわかったなんて有り様だ。俺は、ほんと最低だ……」
 悔しそうに修真はつぶやく。
 そんなことを考えていたのか。
 僕の中で、また沸々と気持ちが昂り始める。
 けれど修真は構うことなく、先を続けた。
「時間が経てば、きっと警察も俺と同じ結論に辿り着く。だからその前に、俺はできる限りの方法で償いをしたいんだ。俺の周囲にいる人たちに、大雅兄ちゃんに、航大に……」
「おい、修真」
 親友の名を呼ぶ。でも、やはり彼は僕を見ていない。
「遠慮はいらない。俺の覚悟は、あの投稿の通りだ。偽の証拠で罪も被ろう。社会的死も肉体的死も甘んじて受け入れる。それが今の俺にできる、精一杯のこと」
「おい修真!」
 だから僕は、力任せにもう一度名前を呼び、その肩口を掴み上げた。
 驚き見開いた修真の瞳が、ようやく僕を捉えた。
「お前さ、ほんと自分勝手だよ。そういうところが回りを傷つけてるって、なんでわかんないんだよ!」
 そのまま後ろの壁に修真の背中を押し当てる。彼はやや苦しげに顔をしかめたが、力は緩めてやらない。
「お前が罪を被る? 自首や自殺を甘んじて受け入れる? そんなこと、僕はこれっぽっちも望んでない。反省はいい。自分を責めるのもお前の自由だ。でも、どうしてその償いでお前自身を傷つけようとするんだよ。それでお前に傷つけられた僕がさらに傷つくって……なんでわかんないんだよ」
「こう、だい……」
「そもそもさ、なんだ、あの謎解き。『スマナイ ユルシテクレ』って、誰がお前に一方的に謝ってほしいなんて言ったよ。僕はお前に裏切り者だと罵られ、責められる覚悟で解いていったってのに、何自分だけ謝って納得しようとしてんだよ。僕に何も言わせないつもりかよ。僕だって、お前に言ってやりたいことは山ほどあるんだよ」
 修真の綺麗な目を、睨みつける。
「僕は、僕はずっとお前の親友であることが嬉しくて、辛かった……。お前は完璧すぎるって、僕なんかがとても隣に並べるような存在じゃないって、釣り合うような存在じゃないって、思ってた」
「待て、航大。べつに友達はそういうもんじゃ」
「ないってか? 釣り合いがどうとか考えるのが間違ってるってか? 綺麗事だよ、そんなのは。そんな場を弁えた大人なセリフを吐けるなんて、余裕があるやつが言えることなんだよ。僕みたいな劣等感を抱えているやつは、ずっと考えてるんだよ。考えたくなくても、考えてるんだよ。こんなことを考えてる自分に嫌気が差して、また自分が嫌いになって、苦しくなるんだよ。でも、それでも消えてくれな……。お前から向けられる信頼と期待は、僕にとっては重くて、しんどくて……でも、嬉しくもあって……わけのわからないものなんだよ」
 唇を思い切り噛み締めた。血が出た。
「だから僕は……真っ新なお前に少しでも汚点が付いてくれれば、このしんどい気持ちは少し紛れるかもって思って……あの日、警察がアパートに来た時、アリバイの証言をしなかった。半ばやっつけだった。どうせ僕が証言しなくても、防犯カメラの映像とか乗車記録だとかを調べればわかる。それでも、どこまでも綺麗な親友関係を信じてるお前に一矢報いるつもりで、一言物申すつもりで、嘘をついた。
 でもそれは……やっぱり間違ってた。
 ここ数日、ほんとにしんどかった。罪悪感がまとわりついてきて、どうにかなりそうだった。
 お前の無実を信じてる御影さんにも、文人くんやお前の家族の人にも、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも僕一人じゃ謎はどうにもならなくて、頼るしかなかった。
 僕はどこまでも、自分勝手だった……」
 修真の服を掴んでいた手から、力が抜けていく。
「お前のことを責める資格なんて……ほんとはないんだよ、僕には。謝られる資格もない。謝らなければいけないのは、僕のほうだ。ほんとに、ごめん……修真」
「航大……」
 修真は僕の名前を呼んだきり、何も言わなかった。
 やっぱり、罵倒はしてくれないらしい。
 責めてくれたほうが楽だった。
 殴ってくれたほうが良かった。
 慰めの言葉なんていらない。
 僕はどこまでも自分勝手で、卑しい、最低の人間だから……。
「……ふはっ」
 けれど、長いとも短いともつかない沈黙は、ひとつの笑い声で破られた。
「ハハハ……そっか、アハハハハッ」
「ここで笑うか? 普通」
 僕が思わず抗議すると、修真は片手を上げて謝ってくる。
「ハハッ、いや、わりーわりー。なんかさ、結局俺たちって、お互いのことなーんにもわかってなかったんだなーって思ってさ」
「え?」
 壁に背中を預けたまま、修真は悲しいとも嬉しいともつかない複雑な表情で僕を見つめた。
「俺らが初めて話したの、保育園の時だったよな。あれ以来、十五年以上の付き合いだ。小中高と一緒にいて、大学は違っても頻繁に遊んでる。一時期ホモ疑惑が出たくらい、一緒にいたんだ。それでも、俺らはまだお互いに知らない一面を持ってる。それを実感したら、なんか、笑えてきた」
 そこで、今度は修真が僕の肩口を掴んできた。僕はなされるがまま、すぐ隣の壁に背中を打ち付けられる。
「じゃあ今度は俺のターンだ。お前だけ言いたいこと言ってんじゃねーぞ、航大」
 外からの光が修真に当たる。
 そこで初めて、綺麗なばかりだと思っていた修真の瞳が、涙に濡れていることに気づいた。
「誰が綺麗事ばっか信じ込んでるお花畑野郎だって? 誰が劣等感の抱えてない余裕綽々人間だって? そんなのは、お前が勝手にそう思い込んでるだけだ。
 俺だって、お前を羨ましいと思ったことくらい、腐るほどあるんだよ」
「……なに、を」
「俺は確かに、勉強もスポーツも小説も、わりとなんだってできる。外見も行動も気を遣ってるし、傍から見れば優れているほうだとも思ってる。
 でもだからこそ、しんどい。
 誰も彼もが俺のことを『なんでもできるやつ』、『なんでも持ってるやつ』だってレッテルを貼ってくる。俺は臆病だから、そのイメージを壊して幻滅されないよう、期待に応えられるようにいつも必死だ。他人なんてほとんど頼れなくて、どうにかこうにか独りで試行錯誤して、求められる結果を出してる。
 けれど、航大。お前は違う。
 敢えてお前の言葉を借りて言えば、お前は自分勝手に他人を頼ることができてる。
 羨ましいよ、ほんとに。
 人間、独りでできることなんてたかが知れてる。どれだけ優れた人間でも、独りでできることなんて僅かなんだよ。難しいことができてるように見えても、孤独で、しんどいんだよ。
 ちゃんと誰かを頼れるお前が羨ましい。
 周囲を頼って自分の能力以上の結果を出せるお前が憎らしい。
 すごいよ、お前。誰にでもできることじゃない。
 しかも、周りも悪い気はしてないと思うからな。お前の人柄だよ。
 だから俺も……他人に頼ることが苦手な俺も、初めて全力で頼ってみようって思えたんだ。そのおかげで、俺はこうしてミステリー作家になることができたんだ。
 航大がいたから、今の俺があるんだよ。
 ……でも。それでも、大雅兄ちゃんに死んでしまいたいと思わせてしまった。
 悔やんだよ、ほんとに。
 この謎解きだって……昔、大雅兄ちゃんと一緒に考えてたものがベースにあるんだ。
 二人でミステリー作家になったら、世間を沸かせるコラボイベントをやろうって、約束してたんだよ……。
 …………っ。
 だから……俺は……全てと決別する覚悟で、大雅兄ちゃんとの約束を果たしたいっていう自己満足もひっくるめて、この謎解きを企画した。俺の逃亡については、匿名でタレコミもした。
 自分勝手だよ、俺も。
 俺らは二人とも、最低なくらい、自分勝手だ」
 修真は手を離した。
 頬には涙が伝っていた。
 僕の頬にも熱い何かが流れていた。
 そうだ。
 僕らは二人とも、自分勝手だ。
 お互いのことをわかった気になって、勝手に自己都合で解釈して、勝手に行動して、思い通りにならないことに勝手に憤慨して、勝手に後悔して、勝手に悲しんでいる。
 なんだか、バカみたいだ。
「……ははは」
「おい、笑うとこじゃねーだろ」
「なんだよ。可笑しいから、笑ってもいいだろうが」
 僕らは泣きながら、静かに笑い合った。
 自分勝手だけど、それでいいと思えた。
 それが僕らなんだと。
 これが僕らの関係を繋いでいるのだと。
 そう、思えた。