謎解きは友情を穿つ

 16


 夜の九時。
 僕はようやく、アパートに帰ってきた。
「はあーあ……」
 昨日に引き続き、ベッドに寝転がりたい衝動に駆られる。身体は疲労困憊、頭も使いすぎて頭痛がしていた。にもかかわらず、肝心の謎解きの進捗は芳しくない。
 御影さんには、「とりあえず今日は休みましょう。明日の早朝にまた集合して、それから考え直しましょう」と言われた。
 けれど、それは彼女が疲れ切った僕を気遣ってのことだというのは明らかだった。おそらく彼女は、今も家か会社かどこかで考え続けているのだろう。どこまでも、申し訳なかった。
 直近六時間。休憩を挟みつつも、僕と御影さんはいろいろな解法を試していた。
 一番に考え付いたのは、地図上で対象箇所を線で結んでみることだった。場所が答えで、ぐるりと一周するタイプの謎解きではよくある型だと、御影さんが言っていた。地図上では、一応二か所で交わっているみたいだった。その二か所に何かあるかもしれないと、僕と御影さんは電車やタクシーを使って向かった。けれど、その辺りには並木道や神社なんかがあるばかりで、手がかりになりそうなものは何もなかった。
 次に、未だに使っていない「前」や「後」について考えてみることにした。もしかしたら、各場所と紐づけて考えることで情報が増え、解読の糸口がつかめるかもしれないと思ったからだ。最高裁判所の後ろ、明阪神宮球場の後ろ、東都ガーデンスクエアタワーの前、JPEタワーの後ろ、東城表参道原宿エスカレーターの前と、なかなかの距離を忙しなく移動し、調べてみた。何も見つけられなかった。
 道中もあれこれと仮説を立ててみたが、まるで取っ掛かりは見つけられなかった。文人くんや、どうにか御影さんを説得して馬場さんにも連絡してみたが、進展はしなかった。そもそも、文人くんのほうは何やら警察が訪ねてくる頻度が増えたらしく謎解きどころではないようだったし、馬場さんに至っては「今忙しい」と一分くらいで切られたのだが。
 そうして、夜の八時を回ったところで、御影さんから解散を提案されたのだ。
 仕方なかった。どうしようもなかった。ここに来て、修真がミステリー作家としての本気を出したような気がした。
 ただひとつ言い訳をするのであれば、常に冷静ではなかったと言える。修真があんな投稿をしたことで、僕にも御影さんにも焦りが生まれていた。
 ――残り24時間。制限時間の後、この物語と同じ最後を飾ろう
 そんな言葉とともに投稿された、ここ数日で一番見慣れた画像。
 そこにはここ数日で一番読み、さらに中二の時に何度も読まされたのと類似している文章が載っている。
『目には目を、復讐には復讐を』
 修真が斑鳩出版も共催していたとあるミステリー小説の新人賞で受賞した作品であり、彼のデビュー作だ。思い返してみても、僕の人生の中で一番読み込んだ小説だと思う。
 執筆テーマは、友情。
 高校時代に信頼し合っていた先輩と後輩が、数年後に半グレと弁護士という敵対関係で再会する。さらに、半グレ集団の周囲で連続殺人事件が発生。被疑者として疑われた半グレの先輩との関係に葛藤しつつも、弁護士の後輩が連続殺人事件の解決に尽力していく物語だ。
 この物語は最後、半グレの先輩の自首と、弁護士の後輩の自殺という結末で幕を閉じる。主犯でなくとも犯罪に加担してしまった先輩は後輩の説得を思い出し、凝り固まった矜持を捨てて自首。対して、変わり果ててしまった先輩を軽蔑し、犯人と決めつけていたことへの罪悪感と信じていた部下が実は主犯だったという絶望から後輩は自殺するのだ。
 もし修真の投稿がこの結末のことを指しているのだとすれば、制限時間が来た時、彼は先輩後輩のいずれかと同じ行動をとると考えられる。
 つまりそれは、自首か自殺かということであり、突き詰めれば自首なり自殺なりを考える立場、すなわち罪を抱えていることを意味する。
「修真……」
 僕は頭を抱えた。信じたくなかった。でも彼の立場を思えば、考えられなくはなかった。
 目を背けていたわけではない。僕はここ数日、ずっとそう言い聞かせてきた。それを証明するために、できることをすると決めた。実は事件後しばらくして現場に行ってみたりもした。もっとも、警察にすぐ追い返されてしまったけれど。
 どちらにしろ、今の僕にできるのは修真が投稿した謎を解くことだけだ。
 僕は重い身体を叱咤し、御影さんにコピーしてもらった謎解きが印刷されたA6用紙をローテーブルの上に並べる。
 今週は本当にこの謎たちに苦しめられた。御影さんに支えられ、文人くんの手を借り、馬場さんと手を組むことで、どうにか答えまで辿り着くことができた。
 僕一人ではどうにもならなかった。悔しいけれど、これは紛れもない事実だ。
 けれど、まだ最後の大謎が解けていない。
 1番の謎の答えは、『最高裁判所』
 2番の謎の答えは、『明阪神宮球場』
 3番の謎の答えは、『東都ガーデンスクエアタワー』
 4番の謎の答えは、『JPEタワー』
 5番の謎の答えは、『東城プラザ表参道原宿エスカレーター』
 これらが一体、何を意味しているのか。
「あとは、そう……5番の謎だけが、A6サイズで印刷しないと解けない謎だったんだよな」
 御影さんとも話していた。
 御影さんは最初、画像の背景が書籍と同じ淡いクリーム色であること、3番の謎に『文庫本』というワードがあること、謎解きのベースとなっている文章や各マス格子が17列×38行で構成されていることから、文庫本と同じ大きさでなければ解けないと推理し、印刷してきてくれた。おかげで、謎を考える時には大いに助かっていた。
 しかし、そのほとんどは画像そのものを加工して解くタイプの謎だった。1番の謎は反転加工、2番の謎は明度加工、3番の謎はトリミング加工、4番の謎はトリミング加工とSNSへの投稿だ。修真は自身の著書でもデジタル媒体を用いたデジタルトリックを独自カラーとして押し出していたので、実に彼らしさが出た解法だったわけだ。特段、文庫本と同じA6サイズに印刷する必要がなかった。
 ところが、5番の謎だけは違っていた。
 5番の謎だけは、むしろデジタルの画像では解けないようになっていた。A6サイズの文庫本サイズに印刷し、適切な帯を用いて隠すというデジタル技術を使わない解法だった。
 もちろん偶然かもしれない。1番から4番と同じ前提で考えていたのでは解けないという意味だったのかもしれない。
 でも、本当にそれだけだろうか。
 あの修真が、わざわざデジタルトリックを使わない謎を最後に持ってきたのには、何か別の意味がある気がしていた。
 ――謎を解く手がかり。それは、普段と違う違和感にある。
 修真が中二の時に言っていた言葉が思い出される。彼の言葉を借りるのであれば、これはまさしく違和感に相違ない。
「ヒントも、書き出してみるか」
 1番の謎の答えである『最高裁判所』は、『白黒をはっきりさせる』という2番の謎を解くヒントだった。ほかに灰色の縦線があり、これも2番の謎を解くヒントだった。
 2番の謎の答えである『明阪神宮球場』は『フレーミング』だ。いわゆる切り取り、トリミング加工を示すヒントになっていた。これは3番と、4番の謎を解くヒントになった。
 3番の謎の答えである『東都ガーデンスクエアタワー』は、4番の謎の解法の鍵であるSNSの運営会社が入居しているビルであり、そのSNSに投稿するという方法を連想させるヒントになっていた。
 4番の謎の答えである『JPEタワー』は『腰巻きビル』であり、腰巻という単語から本の帯を連想させるヒントになっていた。
 そして、5番の謎の答えである『東城プラザ表参道原宿エスカレーター』は、1番の謎を解くための反転を連想させる『鏡』がある場所だったわけだ。御影さんは「どの順番から解いても大丈夫だという鳴海先生の配慮なのかもしれません」とか言っていたが、僕らとしてはこれでヒントがぐるりと一周することになり、堂々巡りという混乱に陥ることとなった。
「本当に、そうなのか……?」
 確かに、どの番号からでも解けるようにというのはあるだろう。別に「番号通りに解け」なんて指示が出ているわけでもないし、この番号が順番を示しているという根拠もない。解く順番は、挑戦者に一任されている。
 でも、何かが引っ掛かっていた。それだけではない、何かがある気がした。
 修真なら、どう考えるだろう。
 修真なら、この謎をどうやって解こうとするだろう。
 修真なら、この謎をどうやって作るだろうか……?
「……修真」
 湧き上がりそうになる別の感情を押さえつけ、僕は考える。必死に、必死に、必死に。
 ――どん詰まりになったら、一度最初に立ち返って、前提を疑ってみるのも一つだな。
 また、中二の時に言われた言葉だ。あれは確か、修真が一度謎を解いてみてくれとかなんとか言ってきて、僕が頭を抱えて煮詰まってきたときに言ってくれた言葉で……
「あっ」
 そこで、唐突に閃いた。
 最初に立ち返り、前提を疑ってみる。
 僕は、1番の謎が印刷された紙を手に取った。
「反転だから、裏返して見ても同じだよな」
 僕は1番の謎を裏返し、裏映りしている輪郭線と黒マスを塗っていく。一応これで、簡易的には答えと同じマス格子ができた。
 あとは、反対側。答えである『最高裁判所』とは逆側の黒マスに対応する文字を抜き出していく。
「数が多いから、慎重にやらないとな」
 僕は見間違えしないように細心の注意を払いつつ、これまでと同じように文字を抜き出していく。

 手 に 像 ル こ に て が し て さ い ま い 明 日 午 十 時 無 。 が ろ し し か て よ に す は を と 見 た と っ い 。 ま を な 。 自 、

「45文字、か。多すぎだろ」
 でも、これで合っているはずだ。
 今まで、すべての謎において、読まない黒マスは隠されるか切り取られるか灰色基準で白に分類されるか、ともかくも完全に答えのマス格子の配列から削除されてきていた。
 しかし、1番の謎だけは別だ。左右反転させたところで、反対側には黒マスが残っている。僕と御影さんは指示にある『正しい黒富士を読め。』の『正しい』が、反転させた後中央から切って右側を読むと解釈し、『最高裁判所』という答えを導き出したが、これだけではおそらく不十分だ。
 5番の謎を解くことで得られるヒント、『鏡』。これには1番の謎を解法である反転に繋げる意味もあるだろうが、それだけじゃない。答えとは反対側、逆側の黒マスにも目を向けさせるためのヒントでもあるんじゃないだろうか。
 しかし、このままでは無理だ。46文字句読点や読点があるとはいえ、46文字を並べ替えて意味のある文字列にするなんて至難の業もいいところだ。
 で、あるならば、親切な鳴海冬海先生のことだから、どこかにヒントがあるはずだ。
「……手……に……十……もしかして?」
 まとまりのない抜き出した文字を眺めているうちに、またひとつ思い至る。今度は、ベースとなっている『目には目を、復讐には復讐を』を改変した文章が載っている紙を手に取った。

 手にした十枚には謎がある。
 指示に従って解いてみろ。

 これをひらがなに分解してから、抜き出した45文字と被る文字をひとつずつ消していく。
「足りない……? いや、これは、こっちも漢字をひらがなにするのか」
 足りない文字があるように思えたが、これは45文字のほうも漢字をひらがなに直し、『明日』や『像』を『あした』、『ぞう』にすることで解決した。僕はこれまでにない集中力を実感しながら、どんどん文字に取消線を入れていく。
「やっぱり、消えたな」
 思った通りだった。
 まったく気にも留めていなかったが、大元の画像にある指示にもちゃんと意味があった。

 う こ て さ ご む 。 し か よ す を と い ま を じ 、

 大元の指示をひらがなにすると27文字。45文字のうち、27文字はこれだったのだ。
そうしてメモには、18文字が残った。
 正直まだ多い。
 けれど、『。』や『、』はほぼないのと同じだ。
 それに僕は、御影さんたちの力を借りはしたが、五つの謎を解いてきた。
 その全てに文字のアナグラム、すなわち並び替えがあった。きっと今だけは誰よりも、並べ替えに対する耐性と技術と直感がある。
 口元が小さく綻ぶのがわかる。
 不謹慎だ。反省しないといけない。
 けれど、僕の手は止まらない。
「『よむ』はそのまま『読む』だろうな。ご……ま……ああ、なるほど。『ごまい』か。これまでの謎が関係している文章なのか。となると、二つある『を』はそれぞれ『五枚を』とか『を読む』になって…………」
 どのくらい時間が経ったか。
 気づけば、メモ用紙には黒く小汚い文字がたくさん走り書きされていたが、一番下にはちゃんと意味の通る文章が並んでいた。

 ごまいをとじてすかし、こうさをよむ。

「漢字にすると『五枚をとじて透かし、交差を読む。』……かな。『とじ』は……『綴じ』のほうか? ……って、ああ、なるほど、だからか」
 僕はそこでようやく、謎の右上や左上にある数字の意味を理解した。
 気づけば何のことはない。これは、いわゆるページ番号だ。
「だから右上や左上に小さく書かれてたわけね」
 全てが繋がっていく。
 ミステリー小説やミステリー映画で、賢い名探偵たちが得意顔で事件の謎を解いていく気持ちがなんとなくわかった気がした。
「だから修真も……あんなに謎解きが好きなんだな」
 わからないと切り捨てていた。
でも実際は、ただわかろうとしていなかっただけなのかもしれない。
修真の謎を解いた達成感に紛れて、寂しさが込み上げてきた。
「……って、まだ解けてないな。ページ番号と一緒にある『前』とか『後』はなんだ? 綴じるってことは文庫本みたいにするってことで……あ、謎を解く前と謎を解いた後の状態にして綴じるってことか」
 実際に綴じる作業を想像すると気づいた。
これらの謎は、解く前と解いた後で形が変わる。特に4番の謎なんかが顕著だろう。謎をどの状態にして綴じるのか、という疑問が生じたことで、『前』と『後』の意味も理解できた。
「つまりは謎を解いたバージョンの用紙も必要ってことね。作らないといけないじゃないか。こういうところはちょっと親切じゃないよな、修真のやつ」
 独りで悪態をつきつつも、悪い気はしていなかった。
 僕は御影さんが分けてくれたA6サイズの紙と謎解きが印刷された紙を重ね合わせて、裏映りした罫線をなぞっていく。
 懐かしかった。
 中学二年生の時も、似たようなことをしていた。
 デジタルトリックを作るために、アナログな作業をひたすらに繰り返していた。どこまでも泥臭くて地味で、爽快な推理劇を演じる探偵とは程遠い作業だった。
 ――俺さ。こういうコツコツと地道に積み重ねていくの、以外と嫌いじゃないんだよな。
 ――へえ。でも学校の課題とかは地道にやらないよね。
 ――それはそれ、これはこれだ。
 くだらない話もしながら、長い時間を費やしてトリックを作っていた。
 楽しかった。
 本当に、楽しかったんだ。
 罫線の外に、染みができる。
 いつの間にか、僕は泣いていた。
 泣きながら、作業していた。
 懐かしさと、楽しさと、悲しさと、悔しさと……罪悪感で、どうにかなりそうだった。
 そうして。
 ようやく1番から5番の謎の問題と答えの紙が完成した。
 あとはこれをページ番号順に綴じて、指示通り『透かし、交差を読む』だけだ。
「そういえば、あの頃もしたな、これ」
 よくあるタイプの解法。
 必殺、照明透かし。
 修真はデジタルトリックを強みにすると息巻いていたくせに、古典的なこの解法が大好きだった。こんなところも、本当にアイツらしい。
「わっと!?」
 そこで、唐突にポケットに入れていたスマホが振動した。思考の奥底に沈みかけていた意識が、無理やり浮上させられる。見ると、そこには「馬場」と表示されていた。
『どうも、錦木さん……って、え? 泣いてます?』
 開口一番、いきなり突かれたくないところを突いてきた。さすがゴシップ誌の記者だ。僕は大慌てで声を作り、反論する。
「な、泣いてないです! それより、何か用ですか?」
『ああ、そうだった。今日聞いたこと、勝手ながら念のため裏取りしました。管理会社にも伝手があったんで。それで、確認が取れました。どうやら警察のほうでも認識しているようだったので、一応そのこともお伝えしとこうかと思いまして』
「そうですか、それはご丁寧にありがとうございます」
『いえいえ。対価には安いですが、筋は通さないとね。ってか、マジだったんですね』
「ええ、そうです。マジです」
『ハハッ。最低ですが、オレは嫌いじゃないですけどね。それで、肝心の謎解きのほうはどうなんですか?』
 僕はちょうど今し方解けた内容を馬場さんに説明した。御影さんよりも先に伝えることになったのは不本意だが、電話で気掛かりだったことを教えてくれたお礼も兼ねてだと自分を納得させる。
『ほう〜〜なるほど。よく解けましたね、それ。てかすいません、正直錦木さんのこと舐めてました』
「いや、正しい評価だと思います。自分でもよく解けたなと思ってますんで」
 馬場さんからの電話でだいぶ冷静になっていた。そんな頭で思い返せば、やはり自分には過ぎたレベルの謎だ。この後はもうほぼやることが決まってるので大丈夫だが、同じレベルの謎を次出されても解ける気がしない。
『それで、今からクライマックスですか? どうせならそのまま最後まで解いて答え教えてください』
「答え聞いて僕より先に行動起こすつもりですか?」
『ちぇ、バレたか』
 ケタケタと意地悪く笑いながら、馬場さんは通話を切った。まったく、どこまでも抜け目ない。
 けれど、馬場さんじゃないが、答えがわかったらなるべく早く行動を起こさないといけないのは確かだ。いつの間にか既に始発は走り始めている時間だし、もう少し経ったら御影さんに連絡しよう。
 僕は残った体力を振り絞り、1番、2番、4番は謎解き後、3番と5番は謎解き前の紙を選んでホッチキスで綴じた。これで、簡易的な本が完成する。
 微かに緊張していた。
 いったい、修真はこの謎解きでいったい何を伝えたいのか。
「えっと、あとは綴じたこれを『透かし、交差を読む。』だから……照明に透かせたらきっと交わった何か…………――え?」
 光が差し示した文字に、僕は絶句した。