謎解きは友情を穿つ

 9


 僕らはとりあえず神宮球場を外れ、青山にあるカフェへと移動した。カフェに着くころにはかなり雨足が強くなっており、頭上には時々雷鳴が轟いていた。
「最初に言っておくけど、別に御影さんが大雅さんの家から出てくるのを見たとか、そういう証拠を持ってるわけじゃないよ。ただ、いくつか気になることがあって……」
 そして、暗雲は今僕の真向かいに座っている修真の弟、文人くんの顔にも立ち込めている。彼がここまで表情を曇らせるのも珍しい。僕は慎重に言葉を選びながら口を開く。
「気になることって?」
「一ヶ月くらい前の話なんだけど、御影さんと大雅さんが渋谷のカフェで二人で話しているのを見かけたんだ」
 直接的な目撃情報ではないと言いつつも予想外の内容に、僕は息を呑む。
「御影さんと藤枝さんって、面識あるの?」
「一応、兄ちゃんが一度だけ紹介したことがあるらしい。なんか、創作のアンケートだったか何かで」
「ああ、なるほど」
 身に覚えのある内容に僕は頷く。どうやら、あのインタビューは僕以外にもしていたらしい。
 しかし、後にも先にもインタビューは一度きりだった。その後は特に御影さんと連絡をしたこともないし、それこそこの事件が起こるまでは完全に縁は切れていたのだ。
 それが、どうやら藤枝さんについては違っていたらしい。
「それで、気になるって言うくらいだから、ただ話してたわけじゃないんだよね?」
「それはもう。なんか険悪というか、御影さんは相変わらず冷静沈着って感じだったんだけど、大雅さんの表情が必死でさ。窓際のテーブル席で話してるのを外から見かけた程度だったから内容まではわかんなかったけど、なんか揉めてて、お願いとかしてるみたいだった」
「お願い、か……修真にはそのこと言ったの?」
「もちろん。一番に訊いたよ。でも、兄ちゃんは何も知らないって言ってたし、普通に驚いてた。だから、兄ちゃんの小説とは別の件で、二人に繋がりがあったんじゃないかって俺は思ってるんだ」
 文人くんは眉をひそめて苦々しげに言った。
 もし文人くんの話と推測が真実だとすれば、それは藤枝さんが亡くなった事件と何かかかわりがある可能性は高い。しかも、一か月前という割と直近の話なのだ。
 それだけではない。
 僕はつい最近、というか今日の午前中に、まさに似たような話を耳にしていた。
「そういえば、馬場さんも似たようなこと言ってたような……」
「馬場さんって、週刊POAの? 兄ちゃんの失踪と事件関連の記事を書いた」
「そう。たまたま今日の午前中に、1番の謎の答えだった最高裁判所の前で会って、その時に馬場さんが御影さんに詰問してた。まあ、明確に何かつかんでるっていうよりは、必死に事件の調査をしたりこの謎解きをしている御影さんに探りを入れたって感じだったけど」
「その時、御影さんはどんな反応してた?」
「いや、別に……」
 言いかけて、ふと思い出す。
 そういえばあの時、御影さんは何かを我慢しているように見えた。てっきり僕は週刊誌記者の探りや挑発に乗らないようにしているものだと思ってたけど、もしかしたら違っていたのか?
 僕が感じた疑問を文人くんに説明すると、彼はさらに渋い顔をする。
「我慢……。俺の推測に都合のいい解釈をするなら、大雅さんとの関係を知られないように必死に表情を作っていたとか、馬場さんの追及に関係者として耐え忍んでいたとか、いずれにしても御影さんを疑うには充分だ」
「でも、その馬場さんも言うように御影さんは必死に事件の調査とか謎解きを進めてる。もし藤枝さんの事件の犯人だとするなら、むしろ謎は解かないほうがいいんじゃ……?」
 御影さんの謎解きや事件の真相を追う姿勢は本物だ。事実、1と2番の謎は御影さんが解いたし、3番の謎だって御影さんがいなければ解けなかったか、少なくともまだまだ時間がかかっていただろう。
 それに、事件の概要についてもあそこまで詳細に僕に教える必要がないし、むしろ事件にかかわる人間は少ないほうがいい。その意味でも、御影さんの行動は犯人らしからぬものだ。
「いや、そうとも限らないんじゃないかな」
 けれど、文人くんは僕の意見に納得はしなかった。そればかりか、さらに衝撃的な内容を口にした。
「そもそも前提が間違ってるかもしれない。兄ちゃんが失踪じゃなくて、連れ去られた可能性だってある」
「なっ!?」
 僕は驚きのあまり席から腰を浮かしかけた。
「だってそうでしょ? ちょっとフワフワしたところがあって、小説の仕事関係については一切を秘密にするような変人だけど、基本真面目な兄ちゃんが取り調べの前に失踪だなんて考えられない。その前までの取り調べには行ってたんだし。だからむしろ、誘拐されたってほうがしっくりくる」
「……修真の住んでたアパートの部屋が荒らされてたりとか、誘拐の形跡のあったの?」
「いや。ウル赤坂の部屋には行ったけど、多少散らかってるくらいで荒らされたってほどじゃなかった。一階だし、外部からの侵入もできそうだけど形跡らしいものもなかった。だから言ってもこれは極論だし、まだ俺の想像の範疇を出ない」
 でも……と文人くんは先を続ける。
「気を付けておく必要はあると思ってる。御影さんの謎を解くスピードだって、速すぎるってくらい速い。もしかしたらこの謎は自分で考えてて、謎の最終的に行き着く先には兄ちゃんの自白みたいなのを用意してあって、罪を兄ちゃんになすりつけようとしてるって可能性も……」
 そこまで言葉を述べてから、文人くんは一度区切った。そしてゆっくりと首を横に振る。
「まあ、わかってる。考えすぎ……なんだろうなって。兄ちゃんがいなくなった時、御影さんは真っ先に心配してこっちに連絡してくれた。あの時の口調とか言葉は、たぶん本物だった。俺が、先走ってるだけだね」
「文人くん……」
 気持ちはわからなくもない。話している時はいつも通りだったので安心していたが、身内が殺人事件の容疑者になっただけでなくいきなり失踪したとあってはどう考えたって平常心じゃいられない。あれこれと悪い想像が働くのも当然だ。
「ごめん、航大さん。今言ったことは忘れて」
「う、うん。でも、藤枝さんとのこととかは何か手がかりになるかもしれないし、頭の片隅に留めておくよ。御影さんのことも、少し気を配っておく。話してくれてありがとうね、文人くん」
 それから僕らは軽く世間話もしつつ、修真や事件のことについて情報交換をした。
 一応裏取りとして、御影さんから聞いた内容も一通り確認したが嘘はなく、全て事実だった。御影さんが無実の根拠として挙げていた目撃証言の不足や証拠のいくつかが不可解な点は警察も気にしており、まだ逮捕にまで踏み切る段階にはないと事情聴取の時に話していたらしい。行方不明についても、自発的な失踪と誘拐の両方の観点から捜査を進めてくれているようだ。
「ああ、それとここに来る前にも警察が家に来てたんだけど、なんか気になること言ってたんだよね。大雅さんの遺体とか、部屋にあるいくつかの物に塩が付いてたらしい」
「塩?」
「うん。えーっと、ちょっと待ってね……大雅さんの衣服の袖口や足裏、足元に転がっていた椅子、部屋の隅にあったステンレス製の突っ張り棒なんかに付いてたみたい」
 文人くんはスマホにメモしていたらしく、塩が付いていた物を列挙していく。ただ、名前を挙げられても僕にはまるで検討がつかない。
「兄ちゃんに関することで心当たりがあるか聞かれたけど、まああるはずないよね。あと不可解な証拠って意味では、ご丁寧に初期化とクリーニング処理までされたパソコンとか、夏なのに最大設定温度で最近稼働した形跡のある床暖房とかもあったって。大雅さんのお母さんは息子が死んだってのに捜査に非協力的だとかで、それでよく俺らのところに来るんだよな。ほんと、つくづく意味わかんないよ」
 文人くんが訝しがるのも無理なかった。どれも明らかに異質すぎる。
 どうして遺体や部屋の物に塩が付いていたのか?
 自殺に見せかける偽装工作が雑なわりにパソコンの情報消去が丁寧なのはなぜか?
 夏に床暖房が最大設定温度で稼働していたのはどうしてか?
 藤枝大雅さんの母親が捜査に非協力的な理由は何か?
 まるで修真の書くミステリー小説みたいだった。けれど僕は頭が切れる主人公でも名探偵でもないので、まったく繋がりが見えてこない。
 あれこれと文人くんと仮説なんかも立ててみたりしたが、結局納得のいく結論は出なかった。
「まっ、俺らは兄ちゃんや御影さんみたいにはなれないってことか。事件は大人しく警察に任せておくしかないね。はあーあ、やってられねー」
 カフェに来て三杯目のコーヒーを片手に、文人くんは深いため息をついた。
 なんとなく、似た感情が僕の中にもあった。
「とりあえず、謎についてはもう少し考えてみよう。本当に修真が出したものかもしれないし」
 明日、文人くんは一日中部活らしいので協力を仰げない。御影さんはわからないが、最悪僕一人になりそうだ。
 ――錦木? ああ、いつも修真と一緒にいるやつね。
 それでも僕は、この謎解きをやめるつもりはない。


 10


 今日一番の雨量が降り注ぐ中、僕はどうにかこうにか借りているアパートの自室に帰ってきた。
「あー……疲れた」
 湿った上着を脱いでから、ベッドの上へ倒れ込む。慣れない謎解きと街歩きをしたせいで全身が疲れ切っていた。少し休憩してからでないと次の行動に移れそうもない。
 いや、今日だけじゃない。
 ここ数日、僕はあまり寝ることができていなかった。修真が疑われている事件然り、謎解きでの調べもの然り、ベッドに入ってもあまり気が休まらず、寝たか寝ていないのかわからない微睡の中で朝を迎える。そんな日々を繰り返していた。ツケが回ってきたのか、どうにも四肢が重い。
 寝返りを打ち、僕はうつ伏せから仰向けになる。薄暗い天井に取り付けられた光の灯っていないシーリングが、僕を見下ろしていた。
「はあーあ……どうしようかな……」
 帰宅する途中、御影さんから電話があった。打ち合わせである程度方向性は定まったものの、各社との調整や話し合いがあって明日はまだ謎解きに合流することができないらしい。
 しかし、証拠不十分とは言え行方不明というより逃走した可能性が高い現在の状況ではいつ逮捕の方向へと動いてもおかしくない。なるべく早く謎を解けるように、出社前に3番の謎の答えである『東都ガーデンスクエアタワー』近くのカフェで一度情報共有と整理をしようということになった。
 文人くんとの話し合いはあったが、電話で話している感じではやはり何かを隠しているような雰囲気や企んでいる様子はない。むしろ修真のことを案じてなんとか状況を打開しようとしている。出版社の人間としてこれ以上この件には関わりたくないと言われても仕方ないはずなのに、御影さんは修真を信じて行動してくれているのだ。もしこれで腹の中では悪辣な画策が進行しているのだとしたら、僕は人間不信になってしまうかもしれない。
 それに、僕は彼女からの申し出を断る立場にない。御影さんがいなければ4番や5番の謎を解くことはおそらく不可能だろう。悔しいことこの上ないが、僕一人では修真が作った謎は手に余る。加えてもしこの謎に御影さんが絡んでいるのであれば、むしろ一緒にいたほうがいい。「……どうしても、無理か?」
 僕はポケットからスマホを取り出し、画面に4番の謎を表示させた。ほとんど黒マス一色かつ、指示が『黒を読め。』という超シンプルな形ときた。今までのパターンが違いそうな謎だ。しかも4には枝番がついた謎がさらに4枚付随しており、その難易度はこれまでの比ではない。
 続いて、5番の謎を見てみる。3番の謎に近い、黒マスと白マスの位置が偏っているタイプだ。4番よりはどことなく解けそうな気もしてくるが、4番を解かずに5番を解くということはノーヒントで探らないといけないことを意味する。ヒントがあっても無理なのに、ノーヒントとはどうすればいいのか。『10以下を見上げ、其の下を見下ろせ。』という指示もまるで意味不明だ。見上げる部分と見下ろす部分を読むというのはなんとなくわかるが、その前にある『10以下』とか『其の下』ってなんだ。なんでどっちも「下」なんだ。10ってなんの数字なんだ。行なのか列なのか、はたまた2番の謎みたいにまったく別の意味を含むものなのか。
「……あー、ダメだ」
 目をギュッと瞑り、小さく頭を振る。なんだかどんどんズレている気がしてきた。やはり、僕一人では……。
「っ……なんで、修真を……」
 外で雷鳴が轟く。どこか近く、海岸の辺りにでも雷が落ちたらしい。つい先週行ったばかりの時は晴れていたが、今は海も大荒れに違いない。
 今、修真はどうしているんだろうか。
 素朴な疑問が、脳裏を衝いた。
 この嵐の中、彼は何を思っているのか。
 冷静になって考えれば、修真は仲の良かった従兄弟を失っているのだ。悲しくないはずがない。
 しかもその嫌疑が自分に向けられているときた。理不尽極まりないし、反発と苛立ちで正気を保つのも大変なのは容易に想像できる。
 ……そこからの失踪、突然の十枚の謎が記された画像の投稿。
 人間不信になっても、不思議はない。
「楽しかった、はずなんだけどな……」
 雨音が、次第に潮騒の音に変わっていく。
 僕はいつの間にか、電車に揺られていた。
 修真は旅行が好きだった。
 行ったことのない未知の場所に辿り着くと、自分のレベルが跳ね上がるのが感じられて嬉しいのだとか言っていた。僕にはまるでわからない感覚だったが、新鮮さを感じられるという部分だけは共感できたのでよく付き合っていた。
「いや~マジで急な誘いだったのにありがとな! 航大様様だわ~」
「次からはもっと早く言ってくれよ。僕にだって予定ってものがあるんだし」
 心地良い電車の揺れは、僕の口から零れる不満とは相容れない。優勢は電車の揺れで、不満なんて微々たるものだった。
 車窓からの景色が流れていく。
 明るい。日差しが眩しい。少し開いた窓から流れ込んでくる海風と、潮の香りと、微かな熱気が夏を色濃く感じさせてくる。
 と思う間もなく、僕らは電車を降りていた。目の前には、瞳を輝かせた修真の横顔がある。
「おい見ろよ、航大! 海面! ヤバくね!?」
「小説家にあるまじき語彙力だね」
「こんな時まで気障にカッコつけた言い回しなんてするか。現実世界は『ヤバい』でほぼほぼ完結する」
 本当にミステリー作家かと思うような言葉を吐き捨てて、修真は陽光を反射させて煌めく海面に釘付けになっていた。ここからもう少し行ったところにある展望台が本日の目的地だが、この反応を見るや既に目標は達成したのでは、と思ってしまう。
「んなわけないからな。ちょっとばかし暑いけど、どうしても行ってみたいんだよ」
「心を読むな」
 僕がツッコミを入れると、修真はケラケラとあけすけに笑った。
 こんなことは、僕らにとっては日常茶飯事だった。付き合いが長いせいか、なんとなく目の前にいる相手の仕草や表情なんかで何を考えているのかわかってしまうのだ。心で思っていることを悟られるのは厄介な反面、どことなく気恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。
 自分のことをわかってくれている。
 相手のこともなんとなくだがわかる。
 以心伝心とまではいかないにしても、心が通じる相手がいるというのは人見知りする僕みたいな人種にとってはかなり安心できた。
 フッと視界が切り替わる。
 海の面積が広がっていた。いや、というよりは、見晴らしが段違いに良くなっていた。
「ふう、あっちぃ~。やっと着いたな」
 ペットボトルのスポーツドリンクを片手に、汗を垂れ流した修真が隣でつぶやく。そのまま、半分ほどあったスポーツドリンクを一気に喉へと流し込んだ。
「やっぱり〆切明けは運動に限るよな」
「ふーん。明けてたっけ?」
「言うなよ、野暮だな」
 修真は空になったペットボトルで僕の後頭部をはたいてきた。痛みはない。
 二人で見晴らし台の木柵のところまで歩いていく。真夏の太陽を一身に受けた欄干は、ちょっと触れただけでもかなり熱かった。
「マジでありがとな、航大」
 それでも修真はまるで熱くないとばかりに、欄干に寄りかかった。小説家らしくない筋肉質な腕に日光が当たる。
「航大のおかげでいい気晴らしになったよ」
「どしたの、急に」
 今度は修真らしくない言葉が飛んできて、思わず僕は訊いていた。
 けれど、修真は目を細めて海の彼方を見つめるばかりで、何も言わない。
「ちょっと、弱気になってたから。でもこれで、覚悟が決まったよ」
「覚悟って、何の――」
 僕が訊き終える間もなく、隣の影がぐらりと傾いた。
 え。
 声を発する間もなく、彼の身体は柵を乗り越え、真っ逆さまに海へと落ちていく。
 僕は手を伸ばそうとして……止めた。
 僕は、親友の四肢が海面に衝突し、水飛沫を上げて着水するのを眺めていた。
 やがて、その身体は身動きひとつすることなく、ぷかりと水面に浮いてきた。
 顔は見えなかった。
 背中が上になった状態で親友は、修真は、海に浮いていた。
 手を伸ばそうとして……指先は空を切った。
 親友の四肢が海面に衝突し、水飛沫を上げて着水する。
 やがて、その身体は身動きひとつすることなく、ぷかりと水面に浮いてきた。
 顔は見えなかった。
 背中が上になった状態で親友は、修真は、海に浮いていた。
 僕は立ち続けていた。
 心は驚くほど静かだった。
 でもそれは僅か一拍ほどの時間で。
 すぐに僕の心は大いにざわめき立った。
「修真っ!?」
 海面に浮かぶ彼の背中に呼びかける。返事はない。
 そんな、まさか……。
 澄んでいた心に嵐が吹き荒れていく。
 一時の光はすぐに闇に包まれ、僕の視界は暗転した。
「あ」
 その時、ふわりと僕の身体が宙に浮いた。視界も元に戻ったが、天地が逆転していた。
 まるで見えない吸引力に引き寄せられるように、僕の身体は意図も容易く丸太の柵を越えていた。
 柵を越えた先にあるものは自明だった。つい今し方、眺めていたのだから。
 叫び声は出なかった。発していたようにも思うけれど、僕の耳には聞こえなかった。
 重力に任せてぐんぐんと落下スピードは上がっていき、やがて、僕の身体も修真と同じように、海面に打ち付けられて骨も内臓も粉々に……
「――うわぁぁぁぁあっ!?」
 海面にまさにぶつかろうかという直前で、僕は跳ね起きた。
「はあっ、はあっ…………あ、アパート?」
 混乱した頭で、僕は周囲を見回す。そこは潮風吹き荒ぶ見晴らし台でも、自由落下した先に待っている海中でも、はたまた死んだ先に行き着くことになる地獄でもない。僕が毎日を過ごしている、いつものアパートの一室で、ベッドの上だった。
「はあっ……夢、か」
 僕は全身にびっしょりと汗をかいていた。肋骨の下では心臓が破裂しそうな勢いで脈動している。
 なんだ? どうして? なぜ、あんな夢が……?
 いつもなら急速に忘れていく夢の記憶だったが、覚めたばかりだからか未だ鮮明に脳裏に焼き付いていた。
 僕は、夢の中で安心していた。
 修真との変わらない日常に、充実感を覚えていた。
 そこに突如として降りかかった災難。
 僕はその災難を静かに見つめ、我に返って慌てふためき、そして落下した。
「あーあ……なんて夢だよ」
 徐々に記憶も戻っていく。
 当たり前だが、過去に一緒に行った旅行で二人して海に落ちたことはない。修真が突然僕を誘ってきた関西にある展望台への旅行に行った時も普通に帰ってきた。
 でも、あの会話はそのままだ。僕が覚悟云々について問うた時、確か修真はなんでもないとか言ってはぐらかしてきた気がする。気にはなったが、その後の修真の様子は至っていつも通りだったのですっかり忘れてしまっていた。
 もしかしたら、修真はあの時から何かを計画していたんだろうか。僕の知らないところで、僕がわからないように……。
「まさか……」
 夢はあくまでも夢。ただ脳が記憶整理をしているだけであり、現実との因果関係はまるでない。
 けれど、僕の中で最悪の、ひとつの可能性が浮上していた。
 早く、なるべく早く、見つけないと……。
 悪夢から覚めてすぐに行き着いた可能性に、一抹の不安を覚えたその時、僕の手元でスマホが振動した。
 0時ちょうど。
 思ったよりも寝ていたことに驚きつつも、僕の視点は時刻表示の下に釘付けになった。

 鳴海冬海さんの投稿 「残り39時間」


 11


「正直、困ったことになりました」
 修真の衝撃的な残り時間投稿から一夜明けた翌日。
 連日降り頻る雨の中、僕は早々に御影さんとカフェで合流し、お互いの認識を共有した。
「まさか、修真が残り時間を投稿するなんて、思ってもみませんでしたね」
「ええ。ですが、謎解きに制限時間は付き物です。無制限だといつまでも考えることができますし、時間の経過とともに興味や緊張感も薄れていってしまいますから」
 一般的には、と御影さんは語尾に付け足す。
 まさに、今回の問題点はそこだった。僕はSNSアプリを開いて御影さんに見せる。

[これ、制限時間内に誰も解けなかったらどうなるの?]
[殺人犯ミステリー作家の謎とか嫌な予感しかしない]
[この人のミステリーで都内連続爆破事件を書いたやつなかったっけ?]
[連続爆破のやつ知ってるー。『紅い血図』だよね。え、まさかこの謎も?]
[1後の謎、解いてるやつチラホラいる。最高裁判所が答えらしい。あ、ネタバレすまぬ]
[2後は明阪神宮球場らしい。どっちも都内で有名な場所か。え、ヤバない?]
[うわっ、マジで可能性あるじゃん。こわっ]

 投稿直後には、急上昇トレンドに「謎解き」や「鳴海冬海」のワードが入ってきていた。朝になっていくらか落ち着きを見せたものの、未だに憶測は飛び交っている始末だ。
「修真の投稿への反応も過熱気味です。このままだと……」
「作家復帰は絶望的。それどころか、警察が本格的に逮捕に動く可能性もあります。39時間と言わず、なるべく早く解いて鳴海先生の居場所と事件の真相を掴まないといけません」
 御影さんの口調は相変わらず冷静だったが、端々に焦りというか余裕の無さが感じられた。テーブルの上に置かれた手も、固く握られている。
 なんとなく、昨日文人くんと話したことを思い出したが、僕は小さく首を振って考えを掻き消した。そして、昨日思い至った懸念を口にする。
「御影さん、ひとつお聞きしたいのですが、修真が何か悩んでいたとかそういうことはありませんでしたか?」
 いきなりの質問に御影さんは目を瞬かせた。
「いえ……なかったかと思いますが、どうして?」
「昨日、夢を見たんです。……少し前に、修真と出かけた時の夢。それで思い出したんですが、その時の修真は何か悩みがあるようでした。『覚悟ができた』とか言ってましたから」
「え?」
「事件の犯人ではない。僕も、そう考えています。けれど、この謎解きのやり方というか、制限時間のことも踏まえると、ひとつ、どうしても心配なことがあるんです。修真が……命を絶つことです」
 肺に溜まった重い空気をゆっくりと息を吐き出した。
 昨日、悪夢から覚めた時に脳裏をよぎった可能性。それは、あの夢の通りに修真が自らの命を手にかけることだった。
「いきなり飛躍し過ぎだとは自分でも思ってます。けど、十枚の謎の画像が投稿された時、仲の良かった従兄弟が殺され、その嫌疑が自分にかかっている。そんな極限状態の中で、修真がもし別の覚悟を決めなければいけないような何かがあるのだとしたら……僕は、僕は……」
「落ち着いてください、錦木さん」
 真っ直ぐな声で、御影さんは僕の思考を制した。ハッとして僕は彼女を見る。
「制限時間のこともあっていろいろ混乱されているのかもしれませんが、大丈夫です。鳴海先生はそう簡単に命を捨てるような人じゃありません。それに、覚悟の話をしたのは事件のかなり前なんでしょう? 思い詰めたような様子も直近になかったのであれば大丈夫ですよ」
 御影さんの眼差しは優しく柔らかだった。安心させようとしてくれている。ほとんど関わったことのない、ただの担当作家の友人にまで気を遣ってくれている。
「御影さん、僕は……」
 言いかけて、やめた。頭に浮かんだ世迷言を振り払い、込み上げてきた衝動を抑える。
「錦木さん?」
「いえ、すみません。ありがとうございます。少し落ち着きました。なんにせよ、謎を解かないとですよね」
 お冷をひと息に飲み干す。切り替えないといけない。今取り組むべきは、修真が投稿した4番の謎だ。
 僕は御影さんから預かっていたクリアファイルから紙束を取り出す。











「4番の謎ですが、御影さんはどのように捉えていますか?」
「またいきなりですね」
 僕の急な話題転換を訝しみつつも、御影さんは小さく息を吐き出してから4番の謎が印刷された紙を手に取った。
「そうですね。今回の謎は、これまでの謎よりもかなり難易度が上がっていると考えています。これまでと同じマス格子と指示が書かれたものが1枚と、マス格子のみが中心にあり枝番が付与されたものが4枚という計5枚の構成です。おそらく、枝番に書かれた謎を解いていくことで最終的に読むべき黒マスがわかる、という仕組みの謎でしょう」
 御影さんの分析は、僕が昨夜考えていたものとほとんど同じだった。それだけで、僕が見当違いな方向へ進んでいたのではないのだと安堵できた。
「となるとやはり、まずは枝番の謎のほうから考えていくべきですか」
「ええ。ですが、これらの枝番の謎で最初にすべきことはすぐにわかります」
 ですよね? と御影さんは意味深な視線を投げてきた。まるで「もちろんわかっていますよね」と言わんばかりのキラーパス。
 けれど、幸か不幸か僕はそのパスを受けることができた。
「まあ、そうですね。3番の謎と同じ、トリミングですね」
 枝番のある4枚の謎については、3番の謎と同じく中央を囲うようにして太線部分が周囲に配置されている。姿形が瓜二つであるのは「同じ作業を行え」という意味なんだろう。
 そんな説明とともに、僕がスマホで4枚の画像を太線部分の四角で切り取ると、御影さんは「さすがです」と満足げに頷いた。
 でも、問題はここからだ。
 切り取ったはいいが、枝番のある4枚の謎については指示がない。元の4番の謎にある『黒を読め。』をそのまま全ての枝番の謎に当てはめ、一晩かけて並べ替えてみたりもしたが言葉らしい言葉はできなかった。おかげでまた寝不足だ。
「単純に黒を読んでいったら枝番ごとに指示があって、それを元の4番と組み合わせたら答えが出る、みたいな感じだと思ったんですが、上手くいきませんでした」
「抜き出せる場所に三点リーダーや空白部分もありますからね。まだ何か、読み解かなければいけない部分があるんでしょう。それと、4番の謎のマス格子のいくつかの部分に白線が引かれているのも気になります」
「僕もそこは気になりました。四隅の斜め線と中央の横線ですね。あと、中央の縦マスと上下の四列も白マスになっているのも意味がありそうです」
「それと、指示である『黒を読め。』が今度は左に九十度傾けられている点ですね」
「はい。これも何か、意図があるんでしょうね」
 互いに気になっているところを共有し、メモ帳アプリに項目を羅列していく。それでも、なかなかこれという解法は思いつかなかった。そうこうしているうちに御影さんのタイムリミットも近づいていく。
「御影さん、まだ大丈夫ですか?」
「いえ、そろそろ行かないとですね。また打ち合わせです。鳴海先生のためにも、ここが踏ん張りどころです」
 謎解きの時とは違い、御影さんはどこか不安そうに視線を落とした。その様子を見るに、方向性が定まってきたとはいえ打ち合わせはかなり難航しそうなんだろう。
 心が締め付けられた。
 なんとしても、早く解決へと向かわせないといけない。
「あれー? そこにおられるのはもしかして、鳴海冬海謎解き最前線のお二人では?」
 その時、すぐ真横の通路から声をかけられた。
 つい最近、というか昨日も聞いた、どこか人を小馬鹿にしたような言い草が特徴的な声の主なんて一人しかいない。
「馬場さん……」
「どうも錦木さん。御影さんも昨日ぶりで。どうやら追いついたみたいですね」
 案の定、無精髭を生やした眼鏡男、馬場さんが微笑を浮かべていた。片手にはテイクアウトコーヒーがある。
「馬場さん、こんなところで何してるんですか?」
 素っ気ない、というよりやや怒りすら滲ませた口調で、御影さんは馬場さんを見返した。その様子を見て、馬場さんは呆れたように笑う。
「こんなところも何も3番の謎の答えじゃないですか。だからこそ御影さんもここにいるんでしょ?」
「それはそうですが」
「だったらオレがいても何も不思議はない。昨日は午後から取材やら何やらで謎解きのほうはさっぱりでしたからね。制限時間なんかも投稿されたし、これは急がねばと朝にさっさと3番を解いて今ここに来たんですよ」
 さっさと3番を解いて、って……僕は文人くんと協力して数時間かけてようやく解いたんだけどな。
 相変わらずのらりくらりとしていて何を考えているのか読めないながらも、その頭の回転の速さは相当のものらしい。つくづく自分に謎解きの才能がないことを思い知らされる。
 するとそこで、テーブルに置かれた御影さんのスマホが振動した。思わずそちらに目を向けると、画面には「編集長」と表示されていた。
「あ……錦木さん、すみません。私はそろそろ……。午後からはなんとか合流できるかと思いますので」
「あ、はい。気にしないでください。むしろお仕事前に相談に乗っていただき、ありがとうございました」
「おや? もしかして御影さん、これから仕事ですか?」
 僕らが互いに一礼をすると、それを見ていた馬場さんはなぜか興味深そうに視線を細めた。なんだか、嫌な予感がする。
「でも、それならちょうどいい。錦木さん、オレと組んで謎解きをしませんか?」
「「は?」」
 嫌な予感は、直後に的中した。


 12


 どうしてこうなったんだろう。
 やや弱まった雨の中、僕は銀座の中央通りを歩いていた。通勤ラッシュが収まった平日の朝ということもあり、人通りは比較的落ち着いている。行き交う車とすれ違い、僕らを見下ろすビル群の間を、ゆっくりと歩いていた。
「いやあ、嬉しいですね。オレ、錦木さんとは一度一対一で話して見たかったんですよ」
 どこまでも狡猾そうな含み笑いを浮かべて、馬場さんは言う。僕はわざとらしくため息をついて見せた。
「それは交流というより情報収集という意味で、ですよね?」
「ええ、もちろん。でもそれは、オレだけじゃなくて錦木さんも、でしょ?」
 探るような視線が、すぐ左隣から向けられた。おそらくは、僕が馬場さんの提案を飲んだ時のことを言っているんだろう。
 錦木さん、オレと組んで謎解きをしませんか?
 そう言われた時、僕は正直気乗りしなかった。当たり前だ。あれだけ批判を扇動するような記事を書いた当人と、仲良く謎について話し合える気がしなかった。謎を解けばそれだけこの男の利益になり、謎を投稿した修真の真意に近づくことになり、また面白おかしく嘘とも本当とも言えない記事を書かれる羽目になるのだ。そんなことはお金をもらってでもしたくなかった。
 けれど、僕にはお金以上に欲しいものがあった。
「まあ、馬場さんと同じっていうのには、否定はしません。さっきも言った通り、僕はなんとしても修真の謎を解いて、事件の真相を明らかにしたいんです。そのためなら、馬場さんと一時共闘するのもやぶさかではありません。情報交換も含めて」
「ですが、昨日も言ったように情報はオレらにとって飯のネタだ。交換といえど、それなりのモノでなければ渡せるものではないですよ?」
「わかっています」
 はっきりした声色で返事をすれば、馬場さんは満足そうに笑った。
「いやあ、楽しみですねえ。錦木さんがオレにどんなご馳走をしてくれるのか」
「見返りはいただきますから。まあそれも、ひとまず謎解きを先に進めてからですけどね」
「そりゃそうだ。御影さんにも、釘を刺されてしまいましたしね」
 馬場さんの提案を僕が飲んだ後、御影さんは当然すぐに止めてきた。彼に聞こえないように後ろを向かせられ、「馬場さんは何を考えているのかわからない」「きっと錦木さんから鳴海先生の情報を聞き出したいだけだ」と耳打ちされた。
 それでも、僕が馬場さんから逆に情報を引き出したい気持ちもあること、何より謎をなるべく早く解く必要があることなんかを説明すると、御影さんは引いてくれた。
「馬場さん。鳴海先生を貶めるのはもちろんのこと、錦木さんをイジメたら私、容赦しませんから』
 それでも、去り際に僕もたじろぐような形相でそんな一言を残していったわけだが。
「……まあ、あの時の御影さんは怖かったですね」
「同感。女を怒らせても良いことはない。仲良くやりたいなら、常に立てておくことですね」
 二人して肩をすくめたところで、僕らは目的地に着いた。
 3番の謎の答えであり、4番の謎のヒントになっている場所、『東都ガーデンスクエアタワー』に。
「何度見ても高飛車なビルだ。さぞこんなところで働いている人はお偉いんだろうな」
 嫌味をこぼして馬場さんは建物を見上げる。
 東都ガーデンスクエアタワーは、二十四階建ての商業オフィスビルだ。低階層である一階から六階には様々なテナントやカンファレンスセンターが入っており、レストランやカフェとも合わさって平日休日問わず多くの人で賑わっている。
また、七階より上はオフィスエリアとなっており、僕でも知っている企業が数多く居を構えていた。馬場さんが嫌味をぶつけたい相手も、ここに入っている企業のどれかなんだろう。
「それで、どうしますか?」
「まあひとまず、ぐるっと一周見て回りましょうか。これまでの傾向からして現地で手に入れられる情報はほぼなさそうですが、思考を回転させる意味でも歩くのはいいですからね」
 馬場さんの提案に従い、僕らはビルに向かって左側へと歩みを進める。
「ここ、随分と緑が多いんですね」
「ガーデン、ですからね。庭をイメージしたんでしょう」
 胡散臭い言が返された。僕は顔をしかめる。
「本当は?」
「この辺り、環境特区なんですよ。元々環境に配慮した複合型のビルを目指して計画、建設されたんです。だから屋上緑化をはじめとして自然通風換気システムや太陽光発電システムなど、様々な環境配慮技術が詰め込まれているんです。だからですよ」
「そこまで知っていながら、なんで嘘を?」
「嘘ではないですよ。いろいろと端折っただけです。そのほうが面白いし、覚えやすいでしょ?」
 まったく面白くない言い分に僕はさらに眉をひそめ、呆れるしかなかった。どこまで行っても馬場さんは情報週刊誌の記者であり、グレーな文体を振り回す性分らしい。
「馬場さんってなるべくして記者になってますよね。就活を控えている大学生としては羨ましい限りです」
「ハハハッ。まあ、自分でも天職だと思ってますよ。と言っても、新卒の時は週刊誌じゃなくて文芸誌のほうに入ったんですけどね。やっぱりいろいろ経験してみるもんです。っと、ここはオフィスエリアへの入り口ですね」
 説教臭い話をすぐさま切り上げ、馬場さんは商業施設が立ち並ぶエリアとは明らかに雰囲気の違うビジネスチックな入口に興味を向けた。風除室に入ってすぐのところにある入居企業一覧をしげしげと見つめる。
「へえ~、こりゃ壮観だ。大手燃料商社に大手タイヤメーカー、大手コンサルですか。一流企業ばかりだ」
「馬場さんはここへは?」
「来たことありませんよ、もちろん。前を通るくらい。地面を這いつくばっている輩には似合いませんね、こんな場所は……ん?」
 卑屈な言葉を並べ立てていた馬場さんは上から順々に企業名を指でなぞっていたが、とある階に入居している企業のところで手を止めた。
「どうしたんですか?」
「錦木さん。御影さんから預かっていた画像を印刷した紙、見せてもらえますか?」
 いきなりトーンダウンした真剣な声色に、僕は思わず素直に紙を差し出していた。見たことのない真面目な視線が、企業名と紙を行ったり来たりしている。
 その視線往復を数回繰り返した後、馬場さんはニヤリと不敵な笑みを口元に湛えてこちらを見た。
「錦木さん、どうやらアタリみたいです」
「へ?」
「ここを見てください」
 言われるがまま、僕は馬場さんが指さすプレートに目を向ける。
 そこには、先日修真が画像投稿をした、誰もが知っているSNSの開発運営をしている企業名が印字されていた。
「4番の画像、なんか見覚えがあるって思ってたんですよ。これ、指示書きの向きにして見ると、画像を4枚投稿した時のレイアウトにそっくりなんです」
「え?」
 手渡されたA6サイズの紙を横にして見てみる。確かに、中央に十字で走っている白線を画像の区切り線とし、四隅の白線を画像投稿した時の角の丸みとして考えると、そう見えないこともない。
「指示書きの文字が下に寄っているのもそうです。投稿した時に文字は左上に来ますから。それを再現しているんでしょう」
「じゃあまさか、4番の謎にだけ枝番がついた4種類の謎があったのは」
「ええ。3番の謎と同じようにトリミングした後で、枝番の順に投稿してみろってことなんでしょう」
 馬場さんはそう言うや、慣れた手つきでSNSアプリを開いた。どこかで見たことのある暴露系インフルエンサーと同じアイコンが目に留まったが、彼はすぐに投稿画面へと遷移した。
「まあ、そういうことですよ。錦木さんの言う通り、オレはなるべくして記者になっている。他人のプライベートを暴き、悪事を面白おかしく書き、批判を煽り立てて大衆を盛り上げて喜ばせる輩にね」
「待ってください」
 画像投稿の画面で写真フォルダからトリミング済みの4枚の画像を選択している指を、僕は止めた。
「なんですか?」
「これを投稿する時、なんて言葉をつけるつもりですか?」
 僕が問うと、馬場さんは驚くほど冷たい視線で言い放った。
「大公開。鳴海東海の謎解きミステリー、4番目の謎の答えは○○。ラスト一枚、オレが解くのが先か、制限時間が来るのが先か。期待して待て……とか?」
「絶対ダメです」
 調べたところ、SNSではせいぜい2番の謎までが解かれている状態だ。そこに3番の謎を飛び越えて4番の謎の答えなんかを投稿したら一気に注目度は上がる。3番の謎の答えはどこか、4番の謎の答えに何があるのか、ラスト一枚解読への応援なんかもあるかもしれない。
 そもそも、もし本当に馬場さんが暴露系インフルエンサーなら、投稿した時点で注目度が高まってアウトだ。フォロワー数250万人超えは伊達じゃない。
「僕が、投稿します」
「一応、このアカウントの投稿インプレッションだってオレの収入源のひとつなんですが? それに、謎を解く糸口を見つけたのもオレです」
「イジメるのであれば御影さんにチクります」
 至極真っ当な馬場さんの言葉に、僕は最初から最終手段で対応した。明らかに、馬場さんの表情が歪む。
「……まあ、今回だけは引きましょう」
 馬場さんが投稿の下書きを削除したのを確認してから、僕は改めて自分のアカウントで投稿画面を開き、投稿する画像を選択していった。僕のアカウントはフォロー、フォロワー数ともに二桁程度で、基本的に知っている人しか見ていない鍵垢だ。投稿して答えを見た後で消せば、特に問題は起こらない。
「じゃあ、投稿してみます」
 かなり久しぶりの投稿に若干緊張しつつ、僕は投稿ボタンをタップした。数秒ののち、画像はスムーズにSNS上に投稿された。二人して、食い入るように投稿を見つめる。
「なるほど。順番通りに4枚投稿することで、それぞれの画像が自動的に縮小されて投稿画面に表示される。いわゆるイラストなんかの4分割投稿と同じ原理ですね」
「確かに。縮小表示されたことで、投稿画面に見えているマス目の数と黒塗りされたマス目の数とがほぼ同じになります」
「画像の見切り線が緻密に計算されているようです。投稿画面にある縦線はちょうど4番の謎のマス枠にある白の横線、投稿画面の横線はマス枠で黒塗りされていない中央列に対応しています。上下の見切れているマスは無視していいでしょう。画像の見切り線を基準に、順番に4番の謎の黒塗り部分で残す場所を見ていきましょうか」
 馬場さんの指示通りに、僕は御影さんが思考用に準備していた縦38マス横17マスの真っ白なマス目紙を使って、答えとなる黒マス部分を順番に黒塗りしていった。そうして、出来上がったマス格子は、4番の真っ黒なマス格子と違ってかなり簡素だった。
「さて、クライマックスだ。対応する文字は何になります?」
「えーっと……」
 僕はベースとなる『目には目を、復讐には復讐を』を改変した文章から、黒マスと対応する文字を抜き出していく。

 ー J P E た わ

 黒マスはこれまでで一番少ない。
 もはや並べ替える手間はほとんどなく、答えの場所がわかった。
「答えの場所は、『JPEタワー』ですね」
「まーた複合型のビルか。というか、東京駅の真向かいだから歩いて行ける距離だな。今から向かいますか」
 馬場さんは謎を解いたことに対する感慨もなさげに、いつも通りの調子で提案してきた。彼にとってはどの謎も手応えがないのかもしれない。僕が昨日一晩かけて考えた謎も、この男は現地で入居企業一覧を見ただけで解いてみせたのだから。
 小さく息を吐く。
 頭が切れるのであれば、もしかしたら上手くかわされるのかもしれない。あしらわれるかもしれない。
 けれど、歩いて向かうのであれば僕としても好都合だった。
「馬場さん」
「あーそれと」
 切り出そうと僕が声をかけたところで、早々に歩いて向かおうとしていた馬場さんが被せるように言った。
「せっかくなんで、道中に情報交換といきましょうか?」
 どうしてこうもタイミングが合うんだろう。
 僕は呆れながらも、首を縦に振ってみせた。