6
「それで、次の3番の謎のヒントになる場所はここですか」
「ええ。ですが、その前にお昼にしましょう」
神宮球場の前でタクシーを降りたところで御影さんが言った。と同時に、思い出したように僕のお腹も鳴る。
「す、すみません」
「ふふっ、とんでも。さっきは馬場さんのせいで食べられませんでしたからね」
野球場の近くということもあり、美味しそうなレストランはいくつも見つかった。比較的近いところにあるひとつに目処をつけて、僕らはいったん神宮球場前の広場から離れる。
「ちなみに3番の謎については、目処とか立ってるんですか?」
「いえ、まだですね。1や2に比べて黒マスの数がかなり多いのと、一部太線になっている箇所があるのが特徴でしたね」
道中にあれこれと意見を交わしたが、さすがにそれだけでは解けそうもなかった。1番も2番も完全に御影さん頼みになってしまったので、そろそろ僕も役に立ちたいところなのだが、どうにも幸先は悪い。
そうこうしているうちにお店が見えてきた。今日は雨ということもあって神宮球場で試合は組まれておらず、店内は空いていた。愛想の良い店員さんに案内されて、僕らは奥にあるテーブル席に腰を落ち着け、注文を済ませる。
「そういえば、馬場さんはもうこっちに来てるんですかね?」
「おそらく。あの人は記事のためなら地の果てまでも追っていく執念というか執着があるので。事件の時はもちろん、鳴海先生が失踪した時もしつこいくらい追加取材されましたし」
「追加取材?」
「はい。失踪の経緯について詳しく教えろと……ああ、そういえば、まだ鳴海先生の失踪については話していませんでしたね」
僕の聞き返しに、御影さんは「と言っても、私もほとんど何も知らないのですが」と前置きし、姿勢を正した。
「鳴海先生との連絡が途絶えたのは謎が投稿された日の二日前、8月17日の日曜日です。その日は、例の事件に関する警察の事情聴取が終わった後に落ち合う約束でした。先週いただいた原稿の直しについて、打ち合わせをするつもりだったんです」
「つもりだったということは、事情聴取の後に修真は来なかったんですか?」
「いえ。それが、事情聴取にも来なかったみたいなんです」
僕は目を見張る。
「事件後、鳴海先生は『何もやってないし、絶対大丈夫だ』とおっしゃっていました。特に変わった様子もなかったですし、あくまでも第一発見者で、不可解な点がありつつも状況証拠や物的証拠は残っていたわけなので、それに対する三回目くらいの事情聴取でした。けれど、鳴海先生は時間になっても出頭せず、担当していた警察の人から私のところに電話があったんです。それで、私は鳴海先生のアパートに行ったんですが不在で、電話にも応答がなく……」
「失踪しているのがわかった、というわけですか」
事態はなかなかに深刻だった。これでは、殺人事件の容疑者としての疑いが高まっても不思議はない。
ただ、いくつか気になることがある。
「でも、どうしてそれで馬場さんの追加取材が?」
「わからないんです。本人に情報の出所を訊いたんですが、タレコミがあったとだけで教えてくれませんでした」
「タレコミ……その担当の警察から、とかは?」
「ありえません。警察関係者が週刊誌記者にそんな捜査が混乱するようなことを言うはずありません」
まあそうだよな。僕はしばし考え込む。
「じゃあ逆に、修真の失踪について知っていた人は?」
「そうですね……警察関係者を除けば、私の知る限りでは鳴海先生のご家族と私だけです。錦木さんも、知らなかったんですよね? 何か気になる様子とかも、なかったんですよね?」
「はい。それこそ、馬場さんの記事で知りました」
「最後に会ったのは?」
「えっと、8月の頭くらい、ですかね。ちょうど春学期の試験が終わって、夏休みに入ってすぐに。打ち上げみたいなのをカフェで。それが最後で……」
僕は視線を彷徨わせる。それから僅か二週間後に、僕らの状況が一変しているだなんて誰が予想できただろうか。
「どうして、鳴海先生は錦木さんに何も言わずにいなくなってしまったんでしょうか。あんなに、仲良くされていたのに……」
御影さんと目が合う。微かに、潤んでいるように見えた。
「わかり、ません……」
口を引き結び、僕は俯いた。
ちょうどそこへ、店員さんが料理を運んできた。御影さんが頼んだのは軽めのサンドイッチとコーヒーのセット。僕はパスタとサラダのセットだ。場の重苦しい空気に似合わない、香ばしい匂いが鼻先をくすぐる。
「……とりあえず、食べましょうか。まだ謎は、三つも残ってますし。早く解いて、真相と鳴海先生の居場所を明らかにしましょう」
「そう、ですね……ん?」
僕が頷くと、唐突にバイブレーションの音が足元で鳴った。荷物を置いていたバスケットを見下ろす。
御影さんのビジネスバッグから鳴っているようだった。御影さんは「すみません、少し出てきます」と一言断ると、スマホを片手に席を外した。その間、僕はパスタをフォークで巻きながら、先ほどの御影さんの言葉を心の中で反芻していた。
御影さんはすぐに戻ってきた。
けれど、続けて彼女が口にした言葉は予想外のものだった。
「すみません、錦木さん。編集長から至急戻ってくるよう言われまして……」
「え?」
「ほかの仕事だったら無視するんですが、鳴海先生の今後刊行予定の小説とか、この前発表された映画の件でして……ごめんなさい。今日は、解散でもいいですか?」
解散ということは、この先は僕一人でこの謎解きを解くことになる。なるべく早く解きたいところではあるが、修真の作家生命に関わる内容であれば、というかそれ以外についてもそうだが、僕が拒否できることではない。
「それは、すぐに行ったほうがいいですよ。僕は、とりあえず考えられる範囲で考えてみます」
「すみません、ありがとうございます。謎を印刷した紙とかは置いていきますので、何かあれば連絡してください」
御影さんは一礼すると、店員さんにお願いしてサンドイッチをテイクアウト用の容器に移してもらい、店から飛び出していった。
――どうして、鳴海先生は錦木さんに何も言わずにいなくなってしまったんでしょうか。あんなに、仲良くされていたのに……
今度は、自ら反芻することもなく脳裏に響いた。
「修真……」
パスタは、なかなか喉を通らなかった。
7
気の重い中ひとり昼食を終えると、僕は神宮球場前の広場に戻ってきた。雨の当たらない場所を選び、御影さんが残していったクリアファイルから3番の謎を取り出して、まじまじと眺める。

「やっぱ、わかんないな」
何度見てもさっぱりだった。
マスの特徴としては、御影さんが言っていたように1や2の謎に比べて黒マスが多いこと、一部太線になっている箇所があることである。太線のところは途中途切れているところもあるが、中央部分を囲っていると見ても良さそうだ。
そして肝心の指示は『見るべき闇は文庫本の中に。』だ。『見るべき闇』はこれまで通り読むべき黒マスを意味していると考えることができるが、『文庫本の中』とはどういうことだろうか。
また、『文庫本』というワードだけ右側に90度回転させられ、横向きになっている。このパターンは今までになかった。後に控えている4番と5番の謎も横向きなので、新たなポイントに違いない。この意味を解かなければ、おそらくその後も解けはしないだろう。
以前、修真は言っていた。謎を解くには一に観察、二に観察だと。とにかく視野を広く持ち、違和感を見逃さない。気づいたことはどんな些細なことでも頭の片隅に留めておき、すぐにそれを思い出せるようにしておくことだと。
「って、言ってもなあ」
頭がむず痒くなってくる。
いくら観察して些細な気づきを整理しても、その後の解き方がまるで思いつかない。御影さんといい馬場さんといい、マジでどんな思考回路をしているんだろうか。
「つか修真が一番凄いよな、こうして見ると」
自分の作品を改変し、それをベースにした文字抜き出し型の謎を5つも作るなんて意味がわからない。しかも、これらの謎が事件の真相に繋がっているのだとしたら、殺人の疑いがかけられている中で作ったことになる。警察の出頭要請を無視して投稿した胆力と合わせて、畏怖すら覚えてくる。
とは言え、このまま何もしないで誰かが解いてくれるのを待つというのも憚られた。それが御影さんならまだいいが、馬場さんや物好きなSNS民に解かれたりなんかしたら晒し上げられるのは目に見えている。
それに……やはりこの謎は、僕が解かないといけない。
改めて決意を固め直したところで、ポケットに入れていたスマホが振動した。
「あっ」
待ちに待っていた人の名前が画面に表示され、僕は急いで電話をとる。
『もしもーし。どしたの、航大さん。履歴にあったからかけ直したんだけど、メッセージじゃなくて電話なんて珍しいね』
柔らかそうな雰囲気の声が聞こえた。修真と同じような声質なのに、感じ方は全然違う。懐かしさとともに可愛がっていた昔の記憶を思い返しつつ、僕は心の奥底に滞留していた感情を押し殺して返事をした。
「ごめんごめん、文人くん。今調子とか、どうかなって思って」
『あー事件のこと? 月曜にメッセージで送った時と変化なし。事件や失踪の件で警察が来たりなんだりとあるけど、まあ気にしてても仕方ないからね』
「そっか」
思ったより元気そうでホッとひと安心する。友達と身内じゃ事態への深刻さは天と地ほどある。かなり心配していたが、ひとまずは大丈夫そうだ。
『それで? 航大さんこそ何? ただ調子を聞くためだけに電話してきたんじゃないでしょ?』
「鋭いね。ちょっと訊きたいことというか、まあ……協力してほしいことがあって」
『協力? あーもしかして、兄ちゃんがばら撒いた謎のこと?』
電話の相手、修真と三歳差の弟である成見文人くんは、若干面倒くさそうに訊いてきた。僕はひとつ息を吐いてから、苦笑を浮かべて頷く。
「まさにそうなんだけど、あんま乗り気じゃない?」
『まあねー。母さんと父さんがしっかり考えろ早く解けって煩くてさ。自分たちは警察と話に行ったり、兄ちゃんの行方探したりで全然解こうともしないくせに。それでちょっと嫌気が刺してたところなんだけど、航大さんの頼みならまあいいよー。気分転換にもなるし。どこにいるの?』
僕が今いる場所を伝えると、「30分くらいで着くから待ってて」と言い電話を切った。行動力があるところはさすが兄弟、似た者同士だと常々思う。僕とは大違いだ。
「でもこれで、少しは前に進みそうかな」
正直、僕一人ではこの謎解きは手に余る。いくら修真の応募作品の謎作成を手伝ったとはいえたかが知れているし、その後は作品には一切関わっていなかったので修真の謎作成の癖なんかからアタリをつけるのも無理だ。そもそもミステリーはあんまり得意じゃないし。
その点、文人くんは高校で野球部に入っている。ポジションは確かキャッチャーで、司令塔として分析なんかも頑張っていると前に会ったときに言っていた。『明阪神宮球場』が3番の謎を解くヒントになっているというのなら、野球に関する知識があり分析なんかも得意な頭脳を持つ文人くんが加わってくれれば心強い。夏の大会は早々に終わったそうで、専ら今は秋に向けた午前練に明け暮れていると言っていたが、どうやら今日は空いているみたいだ。
とはいえ、気が引ける部分はある。なにせ、文人くんは修真の弟だ。連絡せずにひとりで解くことも考えたが、背に腹は代えられない。
ごめん……ありがとう、文人くん。
僕を慕ってくれていた彼の顔が自然と浮かぶ。
後でちゃんと口にしようと思いながらも、僕は先に心の中で気持ちを繰り返した。
「とりあえず、文人くんが来るまでできることはやっておかないとな」
彼は30分ほどかかると言っていた。その間に、一度神宮球場の周囲を一回りはして少しでも情報を仕入れておきたい。
僕はスマホをポケットに戻し、ビニール傘を開いて未だ降り頻る雨の中へと歩き出した。
8
30分後。
意気込んだものの、結局僕は球場を何周かしたがまったく手がかりは得られなかった。なんてざまだ。
そしてちょうどその頃に、文人くんが神宮球場に来てくれた。
「お待たせ、航大さん。はい、これ」
「え、ありがとう」
文人くんは途中で買ったらしいミルクティーを僕に手渡してくれた。思いがけない気の遣われ様に戸惑いながらも受け取る。
「むしろ、僕のほうがジュースを奢るべきのような気がするんだけど? 協力してくれるんだし」
「いや、なんで。兄ちゃんのためにしてくれてるっていうなら、俺ら身内が感謝するほうでしょ。航大さんは兄ちゃんと友達でも、身内ではないんだし」
「それは……」
「まあでも、これはべつにそういうんじゃないけど。ただ俺が駅のコンビニで飲みたかっただけだし」
文人くんはミルクティーの蓋を開けると、中身を美味しそうに喉に滑らせる。
「ふう。まっ、変な配慮はいらないってこと。それより謎でしょ。俺は全然解けなかったけど、航大さんはどうやって解いてきたの?」
「あ、いや。実は僕が解いたというよりは御影さんがさっきまでついてて」
僕は1と2の謎の解法や今日あったことの一部始終を文人くんに話した。文人くんは得心したように頷く。
「ははあ、なるほどね。どうりで航大さんにしては謎を解くスピードが速いと思った」
「どういう意味だ」
「ははっ、安心して。褒めてるから」
「いや褒めてないでしょ」
ツッコミを入れると文人くんはおかしそうに笑った。でもすぐに笑顔は収めて、今度はやや渋い顔つきになる。
「でもそうか。御影さんがね」
「どうかした?」
「いや、なんでも。それより、その御影さんが印刷したっていう3番の謎、見せてくれない?」
言われて、クリアファイルから文庫本サイズの紙を取り出して手渡す。
「これだけど」
「へえ、これか。画像で見るのとまた印象違うね」
文人くんはしげしげと紙を見つめ、時には裏から透かし、横にしてみたり反対にしてみたりと様々な角度から謎を観察する。
「ん~~、今度は反転とか明度とかは関係なさそうだね。あと、ヒントが『明阪神宮球場』なんだっけ?」
「そう。1番の謎の答えが『最高裁判所』だったんだけど、これは『白黒をはっきりさせる』っていう意味でのヒントだったんじゃないか、って御影さんが」
「あーーなるなる。裁判所って有罪無罪を決定づける審判が下される場所だもんね」
独特の言い回しで文人くんは納得する。僕や御影さんはわかりにくいと思ったが、どうやら彼にとってはそんなことはないらしい。
「それで、2番の謎の答えが『明阪神宮球場』だから、神宮球場そのものかもっと広く、それこそ何か野球に関係することがヒントになってると思う」
「野球……野球か」
口元に手を当てて、文人くんは考え込む。修真と目元や輪郭は似ているが、彼の髪は野球少年らしく丸坊主だ。それでも、こうした所作をするとさすが兄弟というべきか、横顔はかなり似ていた。
そんな文人くんの横顔に修真の面影を感じていると、ハッとしたように彼は顔を上げた。
「ねえ、航大さん。このマス目って、縦横いくつあるんだっけ?」
「えっと、縦が38で、横が17だよ」
「横が、17……」
何かに気づいたのか、文人くんは紙に顔と指を近づけて慎重に数を数え出した。「1、2,3……」と続いていた数字は、「25」を言い終わったところで止まる。
「何かわかった?」
「わかった、っていうほどでもないけど。この太線で囲われたところ、ストライクゾーンの大きさと似てるなって」
「ストライクゾーン?」
小首を傾げる。文人くんは右の人差し指で太線をなぞりながら、言葉を続けた。
「この太線で囲われた中央部分の四角があるでしょ。上から6マス目より下部分、下から7マス目より上部分のとこ。この四角は横が17マス、縦が25マスあるんだ。ストライクゾーンは横が17インチって決まってる。縦は打者の身長にもよるんだけど、ストライクゾーンとしてはおおよそこのくらいだよ」
「へえ、そうなんだ」
キャッチャーをしている文人くんが言うならそうなんだろう。常にストライクゾーンを意識してピッチャーの球を捕っているんだろうし。
「まあ、だからなんだって話なんだけどね。偶然かもしれないし」
「いやいや、それでも可能性としてはあり得るよ。あとはそこから、どう発想を繋げていくかだ」
以前、修真から言われた謎解きのコツを思い出す。
――何か気づいたことがあれば、そこからどんどん連想して広げていくといい。
「ねえ、文人くん。ストライクゾーンと野球に関連することで、修真も知ってそうなことはない?」
「兄ちゃんも知ってそうなこと? なんで?」
「これを作ったのは修真だ。ということは、あくまでも修真の知識の範囲内にあるもので作った可能性が高い。ほんとに、なんでもいいから挙げていってほしい」
「って言ってもなあ。兄ちゃん、知識オタクってくらいなんでも知ってるんだよな。小中は俺と同じく野球やってたし、なんなら俺より上手かったし……まあ、いいんだけどさ」
何やら不満げに口を尖らせるも、文人くんは指折り関連することを言ってくれた。
ピッチャー、キャッチャー、バッター、球審、ホームベース、五角柱、九分割、内角、外角、高め、低め、真ん中、アウトハイ、インハイ、アウトロー、インロー、フレーミング。
「ん?」
そこまで言葉が出たところで、不意に何かが引っかかった。
「どしたの?」
「今、なんて言ったっけ?」
「えっと、フレーミング? キャッチャーの捕球技術で、これが上手くないとストライクゾーンが狭くなっちゃうんだけど」
「フレーミング、フレーム、枠……あっ」
閃きが降ってきた。
僕は急いで、ポケットからスマホを取り出し、何度も見ていた写真のアプリを開く。そのまま保存しておいた3番の謎をタップし、画面に大きく表示させ、編集にある「切り取り」のところをタップする。
「これだ……」
切り取り、いわゆるトリミングの外枠の範囲を示す記号と、3番の謎にある太線がものの見事にそっくりだった。僕と修真の使っているスマホの機種は同じだし、おそらく太線は切り取りを指していたんだろう。
僕の思い付きを文人くんに説明すると、彼も納得したように首肯してくれた。
「なるほどね。切り取りか。俺は機種が違うけど、そういえばパソコンのトリミングもこの太線枠で四隅とか囲ってあったな。気づかなかった」
「案外、普段見ているものほど気づかないよね」
でもこれで、またひとつ前に進めたことになる。
「あとは、これを切り取ってどうするのか、か」
「そうなんだよね」
おそらく、トリミングの外枠と3番の謎にある太線枠の部分が重なるようにして調整し、切り取るんだろうとは思う。問題はその先だ。
「やっぱり、指示の部分が関係ありそう。『見るべき闇は文庫本の中に』ってあるから、今度は文庫本に関係するものとか?」
「可能性は高い。あと、『文庫本』の文字が右に九十度傾いているのも気になる」
「切り取って文庫本関係で何かした後に、左側を下に向けて見るのが正解とか?」
「んー、結局最後はベースの文章から文字を抜き出してくることになるだろうから、左を下にして見てどうなるのか……」
またどん詰まりだった。もうちょっとのところまで来ている手ごたえはある。最後のピースが、まだ足りない。
「文庫本、か……ちょっと悔しいけど、御影さんに訊いてみるとかもアリ?」
「僕もちょうど考えてた」
文庫本といえば、やはり出版社に勤めている御影さんのほうが詳しいだろう。つい一~二時間前に別れたばかりなのに助けを求める連絡をするのは憚られるが、やむを得ない。
一応、仕事関係の呼び出しがあったようなので、打ち合わせ中という可能性も念頭に電話ではなくメッセージを飛ばすことにした。僕らが思いついた解法の説明も併せて送ったのだが、時間が経つにつれ、合っているか心配になってくる。
そして、反応は思いのほか早く来た。
「わっと、電話?」
メッセージを送って五分と経つ間もなく震えたスマホに驚きつつも、僕は通話ボタンをタップする。
『お疲れ様です、御影です。メッセージありがとうございました』
「すみません、御影さん。急用で戻られたばかりなのに」
『いえ、大丈夫です。それよりさすがですね。送っていただいた解法ですが、おそらく合っていると思います。ストライクゾーンにフレーミングですか、思いつきもしませんでした』
「ハハッ、文人くんのおかげですね」
『航大さんも、ですよ』
御影さんは気遣いの言葉をくれた。僕一人では、とてもここまで解き進めることはできなかっただろうに。こういうところまで、敵わないなと思う。
『それで、切り取った後にすべきことと、文庫本に関することでしたね』
「ええ、そうなんです。あと少しというところまで来ていると思うんですが……」
『まさに。お二人はもうほとんど、その謎を解いています』
「え」
まるで解答に辿り着いた言わんばかりの口ぶりに、僕はもちろん、隣で聞いていた文人くんも呆気にとられていた。
「もしかして御影さんは、もう答えを?」
『まあ、おそらくは。ただ、ここでは言わないでおきます。折角そこまで解かれたのですから、ぜひ最後まで知恵を絞ってみてください。自分で答えに辿り着いた達成感こそが、謎解きの最大のご褒美なんですから。では――』
「あ、ちょ、ちょっと待って、せめてヒントを!」
電話を切ろうとする御影さんを、僕は慌てて呼び止めた。電話口で、小さく笑う声がする。
『そうですね。太線枠での切り取りですが、まだ終わっていません。そしてそれが文庫本に関係しているというのも間違っていません。そこを紐解く鍵は、比率にあります』
「比率?」
『はい。それでは、頑張ってください』
電話が切れた。と同時に、今しがたまで見ていた3番の謎の編集画面が表示される。
「ったく、なんだよあの女。そんな場合じゃないってのに。どっかの誰かさんみたいなこと言ってさ」
それまで黙っていた文人くんが耐え切れずといった様子で悪態をついた。誰かさん、というのには僕も覚えがあり、つい苦笑いを浮かべてしまう。
――謎解きの醍醐味は自分で解いた達成感! 病みつきになるからマジで!
いつだったか、無邪気な笑顔で修真が言っていたのを思い出す。きっと、弟である文人くんは僕の倍以上は言われてきたんだろう。
「とりあえずやれるだけやってみよう。ヒントは比率って言ってたね」
「比率、比率ねえ~。まあ単純に考えて、文庫本の縦横の比率とか?」
「まあそうなるよね」
そういえば、御影さんが印刷してくれたこの紙も文庫本とほぼ同じサイズにしていると言っていた。確か、A6サイズだったか。
僕はスマホでA6サイズについて検索をかけた。
「横が105ミリ、縦が148ミリらしい。それで比率は……へえ、白銀比って言って、1対ルート2で固定されてるんだって」
「てことは、この切り取った部分をその比率に変えろってこと? そんなことできる?」
「まったく一緒にはできないけど、5対7がほぼ同じ比率だよ。前に大学の課題で、スマホで撮った写真をA4サイズに引き伸ばして印刷したいことがあって、見切れる部分が小さくなる比率を調べたことがあったから。A判の縦横比は同じだし、5対7加工でいけると思う」
日々の調べ物が意外なところで役立つなあなどと思いながら、僕はアプリを操作して縦横の比率を5対7にセットした。
「……あんまり変わんないけど?」
「そうだね……」
やはり、まだ何か足りない。何か見落としが……。
「あっ、そうか。横だ!」
「横?」
「文庫本! 指示の『文庫本』って文字が九十度横になってた。これはきっと、縦横を5対7じゃなくて7対5の横長の比率で加工しろって意味だったんだ!」
降って湧いた閃きについ声が上擦る。ポカンとする文人くんの顔でハッと冷静になった。
「と、とりあえず加工してみるよ」
僕は頬の熱さを誤魔化すように手元のスマホを操作した。アスペクト比を7対5にして加工した後、碁盤目状のマス枠からはみ出た余白を埋めるようにして微調整し、切り取り枠とマスの外枠をピッタリ合わせる。すると、ほぼ中央に点在していた黒マス部分だけが画面に残った。
「これが答え?」
「そうだね。この範囲の黒マスを読めってことだと思う。対応する文字を抜き出してみよう」
最初に投稿された画像に戻り、修真のデビュー作を改変した文章から慎重に文字を拾っていく。
と あ ク が た 灯 え す で わ ん ー ー
「これを並べ替える感じ?」
「うん。御影さんは簡単にやってたけど、普通に難しいな。文字数も多いし」
単純に並べ替えるとなると相当な労力と時間がかかる。ここは出てきた文字の特徴を拾って、候補を絞っていくのが良さそうに思えた。
「これって都内のどこかしらの場所を指してるんだよね? 伸ばし棒が二つもあるし、カタカナ関係の場所とか?」
「可能性は高いね。できる単語としては、データにスター、タワーとかかな」
「ストーン、ガーデンとかもできそう。他には、ストア、クワガタ、ワン、ウエア、スクエア……あ!」
指折りカタカナ単語を口にしていた文人くんが不意に顔を上げる。
「何か思いついた?」
「うん、ガーデンスクエアタワー。『東都ガーデンスクエアタワー』だ」
東京駅前にある、多くの企業が入った高層ビルの名前を文人くんは挙げた。僕もハッとして文字列を見返し、確認していく。重複も漏れもない。これは、確定だ。
僕らは顔を見合わせる。
初めて、謎を解いた。
ずっと頭の中を漂っていた霧が晴れたような感覚が広がっていく。
「文人くん、やったね」
「うん、航大さん」
僕らはどちらともなくハイタッチを交わした。
そうだ、解けたのだ。
あの修真が作った謎を、ひとつ、解いた。
「……にしても、兄ちゃんも御影さんもほんと意味わかんないな。こんな謎を作って、途中までの解法を聞いただけですぐ答えに辿り着けるなんて」
「まあ、あの二人は謎解きとかミステリーに対する思いというか情熱があるからね」
「ありすぎだよ。熱すぎて火傷しそうなくらい」
「ははっ。念のため御影さんにも連絡しておこう。ここまでちゃんとした場所が出てきたら、さすがに間違ってることはないと思うけど」
軽口も叩きながら、僕は答えと解き方をメッセージに打って御影さんに送る。ほどなくして、彼女から『正解です』と端的な返事がきた。
「合ってるって」
「確認も早いと。ほんとよく仕事のできる人だよ。兄ちゃんの担当にぴったりだ」
文人くんは肩をすくめた。
でもこれで、先に進むことができる。次のヒントになる場所は『東都ガーデンスクエアタワー』だ。今のところ最高裁判所も明阪神宮球場も現地に行く必要はなかったが、次も同じとは限らない。念のため、向かっておいたほうがいいだろうか。
「文人く」
意見を聞こうと彼の名前を呼びかけて、気づく。
さっきまで謎が解けた達成感に満ちていた表情が、明らかに曇っていることに。
「文人くん、どうかした?」
「あー……えっと」
何か言おうとして、彼は口籠った。あまり歯に衣着せぬ物言いをする文人くんにしては珍しい。そこまで、言いにくいことなんだろうか。
「ああ、ごめん。べつに無理して言わなくても」
「いや。航大さんには、聞いてもらったほうがいいかもしれない」
何やら神妙な面持ちになり、文人くんは僕のほうを見た。
「俺さ、ぶっちゃけ御影さんが怪しいって思ってるんだよね。大雅さんの事件の犯人として」
「え……」
また、雨が強まる気配がした。
「それで、次の3番の謎のヒントになる場所はここですか」
「ええ。ですが、その前にお昼にしましょう」
神宮球場の前でタクシーを降りたところで御影さんが言った。と同時に、思い出したように僕のお腹も鳴る。
「す、すみません」
「ふふっ、とんでも。さっきは馬場さんのせいで食べられませんでしたからね」
野球場の近くということもあり、美味しそうなレストランはいくつも見つかった。比較的近いところにあるひとつに目処をつけて、僕らはいったん神宮球場前の広場から離れる。
「ちなみに3番の謎については、目処とか立ってるんですか?」
「いえ、まだですね。1や2に比べて黒マスの数がかなり多いのと、一部太線になっている箇所があるのが特徴でしたね」
道中にあれこれと意見を交わしたが、さすがにそれだけでは解けそうもなかった。1番も2番も完全に御影さん頼みになってしまったので、そろそろ僕も役に立ちたいところなのだが、どうにも幸先は悪い。
そうこうしているうちにお店が見えてきた。今日は雨ということもあって神宮球場で試合は組まれておらず、店内は空いていた。愛想の良い店員さんに案内されて、僕らは奥にあるテーブル席に腰を落ち着け、注文を済ませる。
「そういえば、馬場さんはもうこっちに来てるんですかね?」
「おそらく。あの人は記事のためなら地の果てまでも追っていく執念というか執着があるので。事件の時はもちろん、鳴海先生が失踪した時もしつこいくらい追加取材されましたし」
「追加取材?」
「はい。失踪の経緯について詳しく教えろと……ああ、そういえば、まだ鳴海先生の失踪については話していませんでしたね」
僕の聞き返しに、御影さんは「と言っても、私もほとんど何も知らないのですが」と前置きし、姿勢を正した。
「鳴海先生との連絡が途絶えたのは謎が投稿された日の二日前、8月17日の日曜日です。その日は、例の事件に関する警察の事情聴取が終わった後に落ち合う約束でした。先週いただいた原稿の直しについて、打ち合わせをするつもりだったんです」
「つもりだったということは、事情聴取の後に修真は来なかったんですか?」
「いえ。それが、事情聴取にも来なかったみたいなんです」
僕は目を見張る。
「事件後、鳴海先生は『何もやってないし、絶対大丈夫だ』とおっしゃっていました。特に変わった様子もなかったですし、あくまでも第一発見者で、不可解な点がありつつも状況証拠や物的証拠は残っていたわけなので、それに対する三回目くらいの事情聴取でした。けれど、鳴海先生は時間になっても出頭せず、担当していた警察の人から私のところに電話があったんです。それで、私は鳴海先生のアパートに行ったんですが不在で、電話にも応答がなく……」
「失踪しているのがわかった、というわけですか」
事態はなかなかに深刻だった。これでは、殺人事件の容疑者としての疑いが高まっても不思議はない。
ただ、いくつか気になることがある。
「でも、どうしてそれで馬場さんの追加取材が?」
「わからないんです。本人に情報の出所を訊いたんですが、タレコミがあったとだけで教えてくれませんでした」
「タレコミ……その担当の警察から、とかは?」
「ありえません。警察関係者が週刊誌記者にそんな捜査が混乱するようなことを言うはずありません」
まあそうだよな。僕はしばし考え込む。
「じゃあ逆に、修真の失踪について知っていた人は?」
「そうですね……警察関係者を除けば、私の知る限りでは鳴海先生のご家族と私だけです。錦木さんも、知らなかったんですよね? 何か気になる様子とかも、なかったんですよね?」
「はい。それこそ、馬場さんの記事で知りました」
「最後に会ったのは?」
「えっと、8月の頭くらい、ですかね。ちょうど春学期の試験が終わって、夏休みに入ってすぐに。打ち上げみたいなのをカフェで。それが最後で……」
僕は視線を彷徨わせる。それから僅か二週間後に、僕らの状況が一変しているだなんて誰が予想できただろうか。
「どうして、鳴海先生は錦木さんに何も言わずにいなくなってしまったんでしょうか。あんなに、仲良くされていたのに……」
御影さんと目が合う。微かに、潤んでいるように見えた。
「わかり、ません……」
口を引き結び、僕は俯いた。
ちょうどそこへ、店員さんが料理を運んできた。御影さんが頼んだのは軽めのサンドイッチとコーヒーのセット。僕はパスタとサラダのセットだ。場の重苦しい空気に似合わない、香ばしい匂いが鼻先をくすぐる。
「……とりあえず、食べましょうか。まだ謎は、三つも残ってますし。早く解いて、真相と鳴海先生の居場所を明らかにしましょう」
「そう、ですね……ん?」
僕が頷くと、唐突にバイブレーションの音が足元で鳴った。荷物を置いていたバスケットを見下ろす。
御影さんのビジネスバッグから鳴っているようだった。御影さんは「すみません、少し出てきます」と一言断ると、スマホを片手に席を外した。その間、僕はパスタをフォークで巻きながら、先ほどの御影さんの言葉を心の中で反芻していた。
御影さんはすぐに戻ってきた。
けれど、続けて彼女が口にした言葉は予想外のものだった。
「すみません、錦木さん。編集長から至急戻ってくるよう言われまして……」
「え?」
「ほかの仕事だったら無視するんですが、鳴海先生の今後刊行予定の小説とか、この前発表された映画の件でして……ごめんなさい。今日は、解散でもいいですか?」
解散ということは、この先は僕一人でこの謎解きを解くことになる。なるべく早く解きたいところではあるが、修真の作家生命に関わる内容であれば、というかそれ以外についてもそうだが、僕が拒否できることではない。
「それは、すぐに行ったほうがいいですよ。僕は、とりあえず考えられる範囲で考えてみます」
「すみません、ありがとうございます。謎を印刷した紙とかは置いていきますので、何かあれば連絡してください」
御影さんは一礼すると、店員さんにお願いしてサンドイッチをテイクアウト用の容器に移してもらい、店から飛び出していった。
――どうして、鳴海先生は錦木さんに何も言わずにいなくなってしまったんでしょうか。あんなに、仲良くされていたのに……
今度は、自ら反芻することもなく脳裏に響いた。
「修真……」
パスタは、なかなか喉を通らなかった。
7
気の重い中ひとり昼食を終えると、僕は神宮球場前の広場に戻ってきた。雨の当たらない場所を選び、御影さんが残していったクリアファイルから3番の謎を取り出して、まじまじと眺める。

「やっぱ、わかんないな」
何度見てもさっぱりだった。
マスの特徴としては、御影さんが言っていたように1や2の謎に比べて黒マスが多いこと、一部太線になっている箇所があることである。太線のところは途中途切れているところもあるが、中央部分を囲っていると見ても良さそうだ。
そして肝心の指示は『見るべき闇は文庫本の中に。』だ。『見るべき闇』はこれまで通り読むべき黒マスを意味していると考えることができるが、『文庫本の中』とはどういうことだろうか。
また、『文庫本』というワードだけ右側に90度回転させられ、横向きになっている。このパターンは今までになかった。後に控えている4番と5番の謎も横向きなので、新たなポイントに違いない。この意味を解かなければ、おそらくその後も解けはしないだろう。
以前、修真は言っていた。謎を解くには一に観察、二に観察だと。とにかく視野を広く持ち、違和感を見逃さない。気づいたことはどんな些細なことでも頭の片隅に留めておき、すぐにそれを思い出せるようにしておくことだと。
「って、言ってもなあ」
頭がむず痒くなってくる。
いくら観察して些細な気づきを整理しても、その後の解き方がまるで思いつかない。御影さんといい馬場さんといい、マジでどんな思考回路をしているんだろうか。
「つか修真が一番凄いよな、こうして見ると」
自分の作品を改変し、それをベースにした文字抜き出し型の謎を5つも作るなんて意味がわからない。しかも、これらの謎が事件の真相に繋がっているのだとしたら、殺人の疑いがかけられている中で作ったことになる。警察の出頭要請を無視して投稿した胆力と合わせて、畏怖すら覚えてくる。
とは言え、このまま何もしないで誰かが解いてくれるのを待つというのも憚られた。それが御影さんならまだいいが、馬場さんや物好きなSNS民に解かれたりなんかしたら晒し上げられるのは目に見えている。
それに……やはりこの謎は、僕が解かないといけない。
改めて決意を固め直したところで、ポケットに入れていたスマホが振動した。
「あっ」
待ちに待っていた人の名前が画面に表示され、僕は急いで電話をとる。
『もしもーし。どしたの、航大さん。履歴にあったからかけ直したんだけど、メッセージじゃなくて電話なんて珍しいね』
柔らかそうな雰囲気の声が聞こえた。修真と同じような声質なのに、感じ方は全然違う。懐かしさとともに可愛がっていた昔の記憶を思い返しつつ、僕は心の奥底に滞留していた感情を押し殺して返事をした。
「ごめんごめん、文人くん。今調子とか、どうかなって思って」
『あー事件のこと? 月曜にメッセージで送った時と変化なし。事件や失踪の件で警察が来たりなんだりとあるけど、まあ気にしてても仕方ないからね』
「そっか」
思ったより元気そうでホッとひと安心する。友達と身内じゃ事態への深刻さは天と地ほどある。かなり心配していたが、ひとまずは大丈夫そうだ。
『それで? 航大さんこそ何? ただ調子を聞くためだけに電話してきたんじゃないでしょ?』
「鋭いね。ちょっと訊きたいことというか、まあ……協力してほしいことがあって」
『協力? あーもしかして、兄ちゃんがばら撒いた謎のこと?』
電話の相手、修真と三歳差の弟である成見文人くんは、若干面倒くさそうに訊いてきた。僕はひとつ息を吐いてから、苦笑を浮かべて頷く。
「まさにそうなんだけど、あんま乗り気じゃない?」
『まあねー。母さんと父さんがしっかり考えろ早く解けって煩くてさ。自分たちは警察と話に行ったり、兄ちゃんの行方探したりで全然解こうともしないくせに。それでちょっと嫌気が刺してたところなんだけど、航大さんの頼みならまあいいよー。気分転換にもなるし。どこにいるの?』
僕が今いる場所を伝えると、「30分くらいで着くから待ってて」と言い電話を切った。行動力があるところはさすが兄弟、似た者同士だと常々思う。僕とは大違いだ。
「でもこれで、少しは前に進みそうかな」
正直、僕一人ではこの謎解きは手に余る。いくら修真の応募作品の謎作成を手伝ったとはいえたかが知れているし、その後は作品には一切関わっていなかったので修真の謎作成の癖なんかからアタリをつけるのも無理だ。そもそもミステリーはあんまり得意じゃないし。
その点、文人くんは高校で野球部に入っている。ポジションは確かキャッチャーで、司令塔として分析なんかも頑張っていると前に会ったときに言っていた。『明阪神宮球場』が3番の謎を解くヒントになっているというのなら、野球に関する知識があり分析なんかも得意な頭脳を持つ文人くんが加わってくれれば心強い。夏の大会は早々に終わったそうで、専ら今は秋に向けた午前練に明け暮れていると言っていたが、どうやら今日は空いているみたいだ。
とはいえ、気が引ける部分はある。なにせ、文人くんは修真の弟だ。連絡せずにひとりで解くことも考えたが、背に腹は代えられない。
ごめん……ありがとう、文人くん。
僕を慕ってくれていた彼の顔が自然と浮かぶ。
後でちゃんと口にしようと思いながらも、僕は先に心の中で気持ちを繰り返した。
「とりあえず、文人くんが来るまでできることはやっておかないとな」
彼は30分ほどかかると言っていた。その間に、一度神宮球場の周囲を一回りはして少しでも情報を仕入れておきたい。
僕はスマホをポケットに戻し、ビニール傘を開いて未だ降り頻る雨の中へと歩き出した。
8
30分後。
意気込んだものの、結局僕は球場を何周かしたがまったく手がかりは得られなかった。なんてざまだ。
そしてちょうどその頃に、文人くんが神宮球場に来てくれた。
「お待たせ、航大さん。はい、これ」
「え、ありがとう」
文人くんは途中で買ったらしいミルクティーを僕に手渡してくれた。思いがけない気の遣われ様に戸惑いながらも受け取る。
「むしろ、僕のほうがジュースを奢るべきのような気がするんだけど? 協力してくれるんだし」
「いや、なんで。兄ちゃんのためにしてくれてるっていうなら、俺ら身内が感謝するほうでしょ。航大さんは兄ちゃんと友達でも、身内ではないんだし」
「それは……」
「まあでも、これはべつにそういうんじゃないけど。ただ俺が駅のコンビニで飲みたかっただけだし」
文人くんはミルクティーの蓋を開けると、中身を美味しそうに喉に滑らせる。
「ふう。まっ、変な配慮はいらないってこと。それより謎でしょ。俺は全然解けなかったけど、航大さんはどうやって解いてきたの?」
「あ、いや。実は僕が解いたというよりは御影さんがさっきまでついてて」
僕は1と2の謎の解法や今日あったことの一部始終を文人くんに話した。文人くんは得心したように頷く。
「ははあ、なるほどね。どうりで航大さんにしては謎を解くスピードが速いと思った」
「どういう意味だ」
「ははっ、安心して。褒めてるから」
「いや褒めてないでしょ」
ツッコミを入れると文人くんはおかしそうに笑った。でもすぐに笑顔は収めて、今度はやや渋い顔つきになる。
「でもそうか。御影さんがね」
「どうかした?」
「いや、なんでも。それより、その御影さんが印刷したっていう3番の謎、見せてくれない?」
言われて、クリアファイルから文庫本サイズの紙を取り出して手渡す。
「これだけど」
「へえ、これか。画像で見るのとまた印象違うね」
文人くんはしげしげと紙を見つめ、時には裏から透かし、横にしてみたり反対にしてみたりと様々な角度から謎を観察する。
「ん~~、今度は反転とか明度とかは関係なさそうだね。あと、ヒントが『明阪神宮球場』なんだっけ?」
「そう。1番の謎の答えが『最高裁判所』だったんだけど、これは『白黒をはっきりさせる』っていう意味でのヒントだったんじゃないか、って御影さんが」
「あーーなるなる。裁判所って有罪無罪を決定づける審判が下される場所だもんね」
独特の言い回しで文人くんは納得する。僕や御影さんはわかりにくいと思ったが、どうやら彼にとってはそんなことはないらしい。
「それで、2番の謎の答えが『明阪神宮球場』だから、神宮球場そのものかもっと広く、それこそ何か野球に関係することがヒントになってると思う」
「野球……野球か」
口元に手を当てて、文人くんは考え込む。修真と目元や輪郭は似ているが、彼の髪は野球少年らしく丸坊主だ。それでも、こうした所作をするとさすが兄弟というべきか、横顔はかなり似ていた。
そんな文人くんの横顔に修真の面影を感じていると、ハッとしたように彼は顔を上げた。
「ねえ、航大さん。このマス目って、縦横いくつあるんだっけ?」
「えっと、縦が38で、横が17だよ」
「横が、17……」
何かに気づいたのか、文人くんは紙に顔と指を近づけて慎重に数を数え出した。「1、2,3……」と続いていた数字は、「25」を言い終わったところで止まる。
「何かわかった?」
「わかった、っていうほどでもないけど。この太線で囲われたところ、ストライクゾーンの大きさと似てるなって」
「ストライクゾーン?」
小首を傾げる。文人くんは右の人差し指で太線をなぞりながら、言葉を続けた。
「この太線で囲われた中央部分の四角があるでしょ。上から6マス目より下部分、下から7マス目より上部分のとこ。この四角は横が17マス、縦が25マスあるんだ。ストライクゾーンは横が17インチって決まってる。縦は打者の身長にもよるんだけど、ストライクゾーンとしてはおおよそこのくらいだよ」
「へえ、そうなんだ」
キャッチャーをしている文人くんが言うならそうなんだろう。常にストライクゾーンを意識してピッチャーの球を捕っているんだろうし。
「まあ、だからなんだって話なんだけどね。偶然かもしれないし」
「いやいや、それでも可能性としてはあり得るよ。あとはそこから、どう発想を繋げていくかだ」
以前、修真から言われた謎解きのコツを思い出す。
――何か気づいたことがあれば、そこからどんどん連想して広げていくといい。
「ねえ、文人くん。ストライクゾーンと野球に関連することで、修真も知ってそうなことはない?」
「兄ちゃんも知ってそうなこと? なんで?」
「これを作ったのは修真だ。ということは、あくまでも修真の知識の範囲内にあるもので作った可能性が高い。ほんとに、なんでもいいから挙げていってほしい」
「って言ってもなあ。兄ちゃん、知識オタクってくらいなんでも知ってるんだよな。小中は俺と同じく野球やってたし、なんなら俺より上手かったし……まあ、いいんだけどさ」
何やら不満げに口を尖らせるも、文人くんは指折り関連することを言ってくれた。
ピッチャー、キャッチャー、バッター、球審、ホームベース、五角柱、九分割、内角、外角、高め、低め、真ん中、アウトハイ、インハイ、アウトロー、インロー、フレーミング。
「ん?」
そこまで言葉が出たところで、不意に何かが引っかかった。
「どしたの?」
「今、なんて言ったっけ?」
「えっと、フレーミング? キャッチャーの捕球技術で、これが上手くないとストライクゾーンが狭くなっちゃうんだけど」
「フレーミング、フレーム、枠……あっ」
閃きが降ってきた。
僕は急いで、ポケットからスマホを取り出し、何度も見ていた写真のアプリを開く。そのまま保存しておいた3番の謎をタップし、画面に大きく表示させ、編集にある「切り取り」のところをタップする。
「これだ……」
切り取り、いわゆるトリミングの外枠の範囲を示す記号と、3番の謎にある太線がものの見事にそっくりだった。僕と修真の使っているスマホの機種は同じだし、おそらく太線は切り取りを指していたんだろう。
僕の思い付きを文人くんに説明すると、彼も納得したように首肯してくれた。
「なるほどね。切り取りか。俺は機種が違うけど、そういえばパソコンのトリミングもこの太線枠で四隅とか囲ってあったな。気づかなかった」
「案外、普段見ているものほど気づかないよね」
でもこれで、またひとつ前に進めたことになる。
「あとは、これを切り取ってどうするのか、か」
「そうなんだよね」
おそらく、トリミングの外枠と3番の謎にある太線枠の部分が重なるようにして調整し、切り取るんだろうとは思う。問題はその先だ。
「やっぱり、指示の部分が関係ありそう。『見るべき闇は文庫本の中に』ってあるから、今度は文庫本に関係するものとか?」
「可能性は高い。あと、『文庫本』の文字が右に九十度傾いているのも気になる」
「切り取って文庫本関係で何かした後に、左側を下に向けて見るのが正解とか?」
「んー、結局最後はベースの文章から文字を抜き出してくることになるだろうから、左を下にして見てどうなるのか……」
またどん詰まりだった。もうちょっとのところまで来ている手ごたえはある。最後のピースが、まだ足りない。
「文庫本、か……ちょっと悔しいけど、御影さんに訊いてみるとかもアリ?」
「僕もちょうど考えてた」
文庫本といえば、やはり出版社に勤めている御影さんのほうが詳しいだろう。つい一~二時間前に別れたばかりなのに助けを求める連絡をするのは憚られるが、やむを得ない。
一応、仕事関係の呼び出しがあったようなので、打ち合わせ中という可能性も念頭に電話ではなくメッセージを飛ばすことにした。僕らが思いついた解法の説明も併せて送ったのだが、時間が経つにつれ、合っているか心配になってくる。
そして、反応は思いのほか早く来た。
「わっと、電話?」
メッセージを送って五分と経つ間もなく震えたスマホに驚きつつも、僕は通話ボタンをタップする。
『お疲れ様です、御影です。メッセージありがとうございました』
「すみません、御影さん。急用で戻られたばかりなのに」
『いえ、大丈夫です。それよりさすがですね。送っていただいた解法ですが、おそらく合っていると思います。ストライクゾーンにフレーミングですか、思いつきもしませんでした』
「ハハッ、文人くんのおかげですね」
『航大さんも、ですよ』
御影さんは気遣いの言葉をくれた。僕一人では、とてもここまで解き進めることはできなかっただろうに。こういうところまで、敵わないなと思う。
『それで、切り取った後にすべきことと、文庫本に関することでしたね』
「ええ、そうなんです。あと少しというところまで来ていると思うんですが……」
『まさに。お二人はもうほとんど、その謎を解いています』
「え」
まるで解答に辿り着いた言わんばかりの口ぶりに、僕はもちろん、隣で聞いていた文人くんも呆気にとられていた。
「もしかして御影さんは、もう答えを?」
『まあ、おそらくは。ただ、ここでは言わないでおきます。折角そこまで解かれたのですから、ぜひ最後まで知恵を絞ってみてください。自分で答えに辿り着いた達成感こそが、謎解きの最大のご褒美なんですから。では――』
「あ、ちょ、ちょっと待って、せめてヒントを!」
電話を切ろうとする御影さんを、僕は慌てて呼び止めた。電話口で、小さく笑う声がする。
『そうですね。太線枠での切り取りですが、まだ終わっていません。そしてそれが文庫本に関係しているというのも間違っていません。そこを紐解く鍵は、比率にあります』
「比率?」
『はい。それでは、頑張ってください』
電話が切れた。と同時に、今しがたまで見ていた3番の謎の編集画面が表示される。
「ったく、なんだよあの女。そんな場合じゃないってのに。どっかの誰かさんみたいなこと言ってさ」
それまで黙っていた文人くんが耐え切れずといった様子で悪態をついた。誰かさん、というのには僕も覚えがあり、つい苦笑いを浮かべてしまう。
――謎解きの醍醐味は自分で解いた達成感! 病みつきになるからマジで!
いつだったか、無邪気な笑顔で修真が言っていたのを思い出す。きっと、弟である文人くんは僕の倍以上は言われてきたんだろう。
「とりあえずやれるだけやってみよう。ヒントは比率って言ってたね」
「比率、比率ねえ~。まあ単純に考えて、文庫本の縦横の比率とか?」
「まあそうなるよね」
そういえば、御影さんが印刷してくれたこの紙も文庫本とほぼ同じサイズにしていると言っていた。確か、A6サイズだったか。
僕はスマホでA6サイズについて検索をかけた。
「横が105ミリ、縦が148ミリらしい。それで比率は……へえ、白銀比って言って、1対ルート2で固定されてるんだって」
「てことは、この切り取った部分をその比率に変えろってこと? そんなことできる?」
「まったく一緒にはできないけど、5対7がほぼ同じ比率だよ。前に大学の課題で、スマホで撮った写真をA4サイズに引き伸ばして印刷したいことがあって、見切れる部分が小さくなる比率を調べたことがあったから。A判の縦横比は同じだし、5対7加工でいけると思う」
日々の調べ物が意外なところで役立つなあなどと思いながら、僕はアプリを操作して縦横の比率を5対7にセットした。
「……あんまり変わんないけど?」
「そうだね……」
やはり、まだ何か足りない。何か見落としが……。
「あっ、そうか。横だ!」
「横?」
「文庫本! 指示の『文庫本』って文字が九十度横になってた。これはきっと、縦横を5対7じゃなくて7対5の横長の比率で加工しろって意味だったんだ!」
降って湧いた閃きについ声が上擦る。ポカンとする文人くんの顔でハッと冷静になった。
「と、とりあえず加工してみるよ」
僕は頬の熱さを誤魔化すように手元のスマホを操作した。アスペクト比を7対5にして加工した後、碁盤目状のマス枠からはみ出た余白を埋めるようにして微調整し、切り取り枠とマスの外枠をピッタリ合わせる。すると、ほぼ中央に点在していた黒マス部分だけが画面に残った。
「これが答え?」
「そうだね。この範囲の黒マスを読めってことだと思う。対応する文字を抜き出してみよう」
最初に投稿された画像に戻り、修真のデビュー作を改変した文章から慎重に文字を拾っていく。
と あ ク が た 灯 え す で わ ん ー ー
「これを並べ替える感じ?」
「うん。御影さんは簡単にやってたけど、普通に難しいな。文字数も多いし」
単純に並べ替えるとなると相当な労力と時間がかかる。ここは出てきた文字の特徴を拾って、候補を絞っていくのが良さそうに思えた。
「これって都内のどこかしらの場所を指してるんだよね? 伸ばし棒が二つもあるし、カタカナ関係の場所とか?」
「可能性は高いね。できる単語としては、データにスター、タワーとかかな」
「ストーン、ガーデンとかもできそう。他には、ストア、クワガタ、ワン、ウエア、スクエア……あ!」
指折りカタカナ単語を口にしていた文人くんが不意に顔を上げる。
「何か思いついた?」
「うん、ガーデンスクエアタワー。『東都ガーデンスクエアタワー』だ」
東京駅前にある、多くの企業が入った高層ビルの名前を文人くんは挙げた。僕もハッとして文字列を見返し、確認していく。重複も漏れもない。これは、確定だ。
僕らは顔を見合わせる。
初めて、謎を解いた。
ずっと頭の中を漂っていた霧が晴れたような感覚が広がっていく。
「文人くん、やったね」
「うん、航大さん」
僕らはどちらともなくハイタッチを交わした。
そうだ、解けたのだ。
あの修真が作った謎を、ひとつ、解いた。
「……にしても、兄ちゃんも御影さんもほんと意味わかんないな。こんな謎を作って、途中までの解法を聞いただけですぐ答えに辿り着けるなんて」
「まあ、あの二人は謎解きとかミステリーに対する思いというか情熱があるからね」
「ありすぎだよ。熱すぎて火傷しそうなくらい」
「ははっ。念のため御影さんにも連絡しておこう。ここまでちゃんとした場所が出てきたら、さすがに間違ってることはないと思うけど」
軽口も叩きながら、僕は答えと解き方をメッセージに打って御影さんに送る。ほどなくして、彼女から『正解です』と端的な返事がきた。
「合ってるって」
「確認も早いと。ほんとよく仕事のできる人だよ。兄ちゃんの担当にぴったりだ」
文人くんは肩をすくめた。
でもこれで、先に進むことができる。次のヒントになる場所は『東都ガーデンスクエアタワー』だ。今のところ最高裁判所も明阪神宮球場も現地に行く必要はなかったが、次も同じとは限らない。念のため、向かっておいたほうがいいだろうか。
「文人く」
意見を聞こうと彼の名前を呼びかけて、気づく。
さっきまで謎が解けた達成感に満ちていた表情が、明らかに曇っていることに。
「文人くん、どうかした?」
「あー……えっと」
何か言おうとして、彼は口籠った。あまり歯に衣着せぬ物言いをする文人くんにしては珍しい。そこまで、言いにくいことなんだろうか。
「ああ、ごめん。べつに無理して言わなくても」
「いや。航大さんには、聞いてもらったほうがいいかもしれない」
何やら神妙な面持ちになり、文人くんは僕のほうを見た。
「俺さ、ぶっちゃけ御影さんが怪しいって思ってるんだよね。大雅さんの事件の犯人として」
「え……」
また、雨が強まる気配がした。



