ノイズ爆音につき注意

 あれから結果が出て、俺たちはなんとか三グループに残った。

 歌詞が飛んだ瞬間は、正直、終わったと思ったけど結果を聞いたとき、凛音はいつも通り「ほらな」って笑ってた。
 
 それから夏休みに入って、文化祭の準備が始まった。

 なのに、俺はどこか上の空だった。
 歌ってても、練習してても、頭の片隅に別のことが残っていた。

 下駄箱で靴を履き替えながら、凛音が言う。

「俺らのクラスのお化け屋敷、完成する気配なくね?」
「まぁ......暗くすれば、それっぽくなるんじゃねぇの」

 適当に返すと、凛音が笑った。

 そんな、どうでもいい会話をしながら帰る。

「......悠真?」

 心臓が、嫌な音を立てた。

 振り返ると、そこに立っていたのは買い物袋をぶら下げた母さんだった。

「母さん......」

 声が、少し上ずる。

 母さんの視線が、俺からギターを背負った凛音へ移る。
 一瞬だけ、眉がきゅっと寄った。

「お友達?」
「え、あ、うん......同じクラスの」

 凛音は、空気を察したみたいに一歩引いて、軽く頭を下げる。

「どうも」

 母さんは笑った。でも、その笑顔はどこか硬い。
 胸の奥が、ざわつく。

 きっと、このまま逃げ続けるなんて無理なんだ。

「......母さん」

 自分でも驚くくらい、声ははっきりしていた。
 俺は凛音を一度見てから、もう一度母さんを見る。

「実は......こいつと、バンド組んでるんだ」

 母さんの表情が、固まった。笑顔が引きつって、目だけが俺を捉える。

「......え?」

 空気が、冷えた。

「文化祭のために、一回だけ――」

 そう言いかけた瞬間だった。

「あなたが、悠真をたぶらかしたのね」

 静かな声。
 でも、刃みたいに鋭かった。

「違うって、母さん!」

 思わず声が大きくなる。

「誘ったのは俺だけど」

 凛音が、一歩前に出た。

 迷いのない目で、母さんを見る。

「歌うって決めたのは、悠真だ」

 はっきりと、言い切った。
 母さんの視線が、凛音から俺に戻る。その目には、怒りと――不安が混じっていた。

「......帰るわよ、悠真」

 有無を言わせない声。

 次の瞬間、手首を掴まれる。
 思ったより、強かった。

「ちょ、母さん――」

 引っ張られて、俺は何も言えないまま、母さんに引かれて歩き出す。

 背中越しに、声が聞こえた。

「悠真!」

 その声がが、やけに遠かった。

 玄関の鍵が閉まる音が、やけに大きく響いた。

「音楽はダメって言ったわよね」

 背中越しに、母さんの声が飛んでくる。
 俺は靴を脱ぎながら、短く答えた。

「分かってる」

 即答したせいか、母さんの眉がきつく吊り上がる。

「分かってるなら、どうして」

「......でも」

 言いかけて、やめた。

 説明はできる。
 理由も、気持ちも、ちゃんとある。
 それでも――言葉にしたところで、届かないことも、もう分かっていた。

「やめなさい、悠真」

 きっぱりした声だった。

「受験もあるし、無駄なことに時間使う余裕、ないでしょ」

 無駄。
 その一言が、胸の奥に突き刺さる。

「無駄じゃない」

 思ったよりも、強い声が出た。

「ただの遊びでしょ!」

 母さんは一歩、距離を詰める。

「それで何が残るの? 将来に、何が役に立つの?」

 分かってる。
 全部、正論だ。

 それでも。

「......残るよ」

 小さく、でも確かに言った。

「俺には」

「いい加減にしなさい!!」

 母さんの声が、部屋の空気を叩いた。

「どうして分からないの! 音楽なんて、なんの意味もないのよ! 父さんだって......!」

 その瞬間、何かが切れた。

「俺まで、全部やめなきゃいけないのかよ」

 声が震える。

「母さんが傷ついたからって!」

 一瞬、言いすぎたと思った。
 でも、もう止まらなかった。

「俺の人生だろ! 父さんと一緒にするなよ!」

 その言葉に、母さんの顔が歪む。
 母さんは視線を落としたまま、ぽつりと話し始めた。

「父さんね......ギターばっかり弾く人だった」

 胸の奥が、ひくりと揺れた。

「仕事が終わっても、家に帰っても家族より、音楽が先だった」

 テーブルの上で、母さんの指がきゅっと握られる。

「“いつか音楽で食べていく”ってそう言って、何年も、何年も......」

 笑うような声だった。
 けれど、そこに笑顔はなかった。

「それで約束してくれたの。悠真も生まれたし来年に結果がでなければ音楽はやめるって......」

 静かな声。

「父さんは家族を捨ててまで、音楽を選んだのよ」

 その一言が、重く落ちる。
 母さんは、やっと顔を上げた。

「......お願い」

 さっきまでの強さが、崩れる。
 母さんは、縋るように俺の服を掴む。

「もう、音楽はやめて......悠真まで、いなくならないで......」

 喉が、詰まった。

 俺は、母さんの手を振り払えなかった。

 それでも――

「......俺は、音楽が好きだよ」

 それだけは、嘘にしたくなかった。

 母さんは、ゆっくりと手を離した。
 けれど、その背中は、折れてしまったみたいに小さかった。

 俺は、自分の部屋に戻る。

 ドアを閉めても、胸の中はうるさかった。
 音は、もう鳴っていないのに。