放課後のグラウンドは、陽向にとっていちばん素直になれる場所だった。
ジャージに着替え、スパイクの紐を結ぶ。
夕方の空気はまだ明るく、風が走りやすい。
「今日、調子どうだ?」
田島が並んで聞いてくる。
「普通」
「それ、春日の“普通”ってやつ?」
「うるさい」
そう言いながら、陽向は軽く笑った。
――でも、本当は。
今日は、いつもより体が軽い。
理由は分かっている。
昼休みの隣席。
怜が拒まなかったこと。
あの、何でもない「どういたしまして」。
それだけで、走れる気がした。
「じゃ、流しからいくぞ」
スタートラインに立つ。
合図と同時に、足が前に出る。
風を切る音。
呼吸が整っていく感覚。
走っている間は、考えなくていい。
好きだとか、距離だとか。
ただ、前に進めばいい。
「いいペース!」
顧問の声が飛ぶ。
ラスト一周、自然とスピードが上がる。
――怜が、見ていたら。
そう思った瞬間、胸が熱くなった。
ゴール。
息を整えながら、空を見上げる。
「……はぁ」
気持ちいい。
「なあ、春日」
田島が、水を投げてよこす。
「最近さ」
「何」
「顔、違うよな」
「どこが」
「走ってるとき、楽しそう」
陽向は、水を飲みながら黙った。
「それ、面白いな」
田島が言う。
「何が」
「春日が“楽しい”で走ってるの」
図星だった。
「……悪いか」
「悪くない。むしろ、最強」
田島は笑う。
「恋でもした?」
「してない」
即答。
でも、否定しきれない。
練習後、ストレッチをしながら、陽向は校舎の方を見た。
文芸部の部室がある方角。
怜は、今、書いてるんだろうか。
あの静かな場所で。
自分の知らない世界で。
――少し、寂しい。
けれど。
自分には、この世界がある。
走ること。
前に進むこと。
「春日、上がり!」
顧問の声で、現実に戻る。
片付けをして、部室を出る。
夕焼けが校舎を染めていた。
「じゃ、先行くわ」
田島が言う。
「おう」
陽向は一人で、校門へ向かう。
裏門の方を見る癖は、もうついていた。
けれど、今日は誰もいない。
「……遅いな」
独り言。
スマホを見るが、通知はない。
きっと、文芸部が長引いてる。
そう思うことにした。
その頃――。
怜は、文芸部の部室で倒れた。
頭がぐらりと揺れ、視界が白くなり。
白石の声が遠くで聞こえた。
「怜――!」
気づいたときには、保健室の天井だった。
でも。
そのことを、陽向はまだ知らない。
陽向は、家路につきながら考えていた。
次に会ったら、何を話そうか。
また、隣に座れるだろうか。
走る足取りは軽い。
胸の奥にある不安に、
まだ、名前をつけないまま。
夕暮れの校舎で、
二人の時間は、静かにすれ違っていた。
ジャージに着替え、スパイクの紐を結ぶ。
夕方の空気はまだ明るく、風が走りやすい。
「今日、調子どうだ?」
田島が並んで聞いてくる。
「普通」
「それ、春日の“普通”ってやつ?」
「うるさい」
そう言いながら、陽向は軽く笑った。
――でも、本当は。
今日は、いつもより体が軽い。
理由は分かっている。
昼休みの隣席。
怜が拒まなかったこと。
あの、何でもない「どういたしまして」。
それだけで、走れる気がした。
「じゃ、流しからいくぞ」
スタートラインに立つ。
合図と同時に、足が前に出る。
風を切る音。
呼吸が整っていく感覚。
走っている間は、考えなくていい。
好きだとか、距離だとか。
ただ、前に進めばいい。
「いいペース!」
顧問の声が飛ぶ。
ラスト一周、自然とスピードが上がる。
――怜が、見ていたら。
そう思った瞬間、胸が熱くなった。
ゴール。
息を整えながら、空を見上げる。
「……はぁ」
気持ちいい。
「なあ、春日」
田島が、水を投げてよこす。
「最近さ」
「何」
「顔、違うよな」
「どこが」
「走ってるとき、楽しそう」
陽向は、水を飲みながら黙った。
「それ、面白いな」
田島が言う。
「何が」
「春日が“楽しい”で走ってるの」
図星だった。
「……悪いか」
「悪くない。むしろ、最強」
田島は笑う。
「恋でもした?」
「してない」
即答。
でも、否定しきれない。
練習後、ストレッチをしながら、陽向は校舎の方を見た。
文芸部の部室がある方角。
怜は、今、書いてるんだろうか。
あの静かな場所で。
自分の知らない世界で。
――少し、寂しい。
けれど。
自分には、この世界がある。
走ること。
前に進むこと。
「春日、上がり!」
顧問の声で、現実に戻る。
片付けをして、部室を出る。
夕焼けが校舎を染めていた。
「じゃ、先行くわ」
田島が言う。
「おう」
陽向は一人で、校門へ向かう。
裏門の方を見る癖は、もうついていた。
けれど、今日は誰もいない。
「……遅いな」
独り言。
スマホを見るが、通知はない。
きっと、文芸部が長引いてる。
そう思うことにした。
その頃――。
怜は、文芸部の部室で倒れた。
頭がぐらりと揺れ、視界が白くなり。
白石の声が遠くで聞こえた。
「怜――!」
気づいたときには、保健室の天井だった。
でも。
そのことを、陽向はまだ知らない。
陽向は、家路につきながら考えていた。
次に会ったら、何を話そうか。
また、隣に座れるだろうか。
走る足取りは軽い。
胸の奥にある不安に、
まだ、名前をつけないまま。
夕暮れの校舎で、
二人の時間は、静かにすれ違っていた。



