放課後の校舎は、文化祭の熱気が嘘みたいに静かだった。
掲示物が外され、色紙や装飾の痕だけが残る廊下を、陽向は歩いていた。
心臓の音がうるさい。
走ってもいないのに、息が浅い。
(……逃げない)
昨日の夜、何度も自分に言い聞かせた言葉だ。
待つんじゃない。察してもらうんじゃない。
今日は、自分から向かう。
「怜!」
中庭の端、木陰に立つ怜を見つけて、陽向は声をかけた。
怜は振り返り、少し驚いたように目を瞬かせてから、いつもの静かな表情になる。
「来たんだ」
「ああ。……話、ある」
「うん」
短いやりとりなのに、空気が張りつめる。
怜は逃げない。陽向も、今日は逃げない。
二人は自然と、人目の少ない校舎裏へ移動した。
風が吹いて、落ち葉が足元を転がる。
沈黙。
でも、今までの沈黙とは違った。
言葉を探している沈黙だ。
陽向が先に、口を開いた。
「俺さ」
声が少し震える。
拳を握りしめる。
「怜が、好きだ」
間を置かない。
逃げ道を作らない。
「ずっと好きだった。文化祭の前から。漫画も、舞台も、全部関係なくて……三条怜が、好きだ」
怜の目が、わずかに見開かれる。
でも、目を逸らさない。
「役だからじゃない。優しくされたからだけでもない。……一緒にいると、俺、ちゃんとしたくなる」
陽向は一歩、前に出た。
「守りたいし、触れたいし、離れたくない。だから――」
そこで、理性が追いつかなかった。
距離を詰める。
怜の顔が近づく。
その瞬間。
柔らかい感触が、唇に触れる寸前で止まった。
「……待って」
怜の声。
人差し指が、陽向の唇にそっと当てられていた。
陽向は固まる。
大型犬、完全停止。
「急すぎ」
怜は困ったように、でもどこか照れたように笑う。
「びっくりはした。でも……嫌じゃない」
「……」
言葉が出ない陽向を見て、怜は一瞬ためらってから、その指を自分の方へ引き寄せた。
そして――
軽く、確かに。
「今は、これで我慢して」
耳まで真っ赤になる陽向。
「……殺す気か?」
「失礼」
でも、怜の声は優しかった。
少し間を置いてから、怜は視線を外し、空を見上げた。
「ねえ、陽向」
「……ん?」
「将来、何になりたい?」
唐突だけど、真剣な問いだった。
恋だけじゃない、先の話。
まず、怜が自分の話をする。
「俺は、経済大学に行く。父さんの会社を継ぐ予定」
淡々とした口調。
でも、以前のような迷いはなかった。
「逃げたくなかった。……逃げないって、決めたから」
陽向は、じっと聞く。
「じゃあ、陽向は?」
少し黙ってから、陽向は言った。
「消防士」
「……うん」
「小さい頃、家が火事になった」
声が、低くなる。
「煙で前が見えなくて、怖くて……一人で泣いてた」
怜は、何も言わずに聞いている。
「そしたら、火の中から消防隊員が来た。すげえ熱いはずなのに、普通に歩いてきて、俺を抱えて連れ出してくれた」
拳を握る。
「あの時思った。……俺も、人を守れる人になりたいって」
少し照れたように笑う。
「だから陸上部入った。体力ないと、走れないと、意味ないだろ」
怜は、ゆっくりとうなずいた。
「……陽向らしい」
二人の間に、静かな納得が落ちる。
違う道。でも、同じ方向。
守る。
逃げない。
怜が、そっと手を差し出した。
「じゃあ、今はここまで」
陽向は、その手を取る。
「ちゃんと、これからを考えながら進もう」
「ああ」
手を繋ぐ。
指が絡む。
告白は終わった。
でも、恋はここからだ。
陽向は思う。
(待つんじゃない。隣を歩く)
夕方の風が、二人の背中を押していた。
――未来へ。
掲示物が外され、色紙や装飾の痕だけが残る廊下を、陽向は歩いていた。
心臓の音がうるさい。
走ってもいないのに、息が浅い。
(……逃げない)
昨日の夜、何度も自分に言い聞かせた言葉だ。
待つんじゃない。察してもらうんじゃない。
今日は、自分から向かう。
「怜!」
中庭の端、木陰に立つ怜を見つけて、陽向は声をかけた。
怜は振り返り、少し驚いたように目を瞬かせてから、いつもの静かな表情になる。
「来たんだ」
「ああ。……話、ある」
「うん」
短いやりとりなのに、空気が張りつめる。
怜は逃げない。陽向も、今日は逃げない。
二人は自然と、人目の少ない校舎裏へ移動した。
風が吹いて、落ち葉が足元を転がる。
沈黙。
でも、今までの沈黙とは違った。
言葉を探している沈黙だ。
陽向が先に、口を開いた。
「俺さ」
声が少し震える。
拳を握りしめる。
「怜が、好きだ」
間を置かない。
逃げ道を作らない。
「ずっと好きだった。文化祭の前から。漫画も、舞台も、全部関係なくて……三条怜が、好きだ」
怜の目が、わずかに見開かれる。
でも、目を逸らさない。
「役だからじゃない。優しくされたからだけでもない。……一緒にいると、俺、ちゃんとしたくなる」
陽向は一歩、前に出た。
「守りたいし、触れたいし、離れたくない。だから――」
そこで、理性が追いつかなかった。
距離を詰める。
怜の顔が近づく。
その瞬間。
柔らかい感触が、唇に触れる寸前で止まった。
「……待って」
怜の声。
人差し指が、陽向の唇にそっと当てられていた。
陽向は固まる。
大型犬、完全停止。
「急すぎ」
怜は困ったように、でもどこか照れたように笑う。
「びっくりはした。でも……嫌じゃない」
「……」
言葉が出ない陽向を見て、怜は一瞬ためらってから、その指を自分の方へ引き寄せた。
そして――
軽く、確かに。
「今は、これで我慢して」
耳まで真っ赤になる陽向。
「……殺す気か?」
「失礼」
でも、怜の声は優しかった。
少し間を置いてから、怜は視線を外し、空を見上げた。
「ねえ、陽向」
「……ん?」
「将来、何になりたい?」
唐突だけど、真剣な問いだった。
恋だけじゃない、先の話。
まず、怜が自分の話をする。
「俺は、経済大学に行く。父さんの会社を継ぐ予定」
淡々とした口調。
でも、以前のような迷いはなかった。
「逃げたくなかった。……逃げないって、決めたから」
陽向は、じっと聞く。
「じゃあ、陽向は?」
少し黙ってから、陽向は言った。
「消防士」
「……うん」
「小さい頃、家が火事になった」
声が、低くなる。
「煙で前が見えなくて、怖くて……一人で泣いてた」
怜は、何も言わずに聞いている。
「そしたら、火の中から消防隊員が来た。すげえ熱いはずなのに、普通に歩いてきて、俺を抱えて連れ出してくれた」
拳を握る。
「あの時思った。……俺も、人を守れる人になりたいって」
少し照れたように笑う。
「だから陸上部入った。体力ないと、走れないと、意味ないだろ」
怜は、ゆっくりとうなずいた。
「……陽向らしい」
二人の間に、静かな納得が落ちる。
違う道。でも、同じ方向。
守る。
逃げない。
怜が、そっと手を差し出した。
「じゃあ、今はここまで」
陽向は、その手を取る。
「ちゃんと、これからを考えながら進もう」
「ああ」
手を繋ぐ。
指が絡む。
告白は終わった。
でも、恋はここからだ。
陽向は思う。
(待つんじゃない。隣を歩く)
夕方の風が、二人の背中を押していた。
――未来へ。


