犬系男子は猫系男子に恋をする

 放課後のチャイムは、どこか名残惜しい音がする。
 椅子を引く音が教室に重なり、昼の熱がゆっくり冷めていく。

 俺はブレザーを羽織り、鞄を肩にかけた。
 いつもなら、このまま裏門へ向かう。
 それが、今日に限って足が動かない。

「怜、帰る?」

 隣から、声。

「……すぐ」

 自分でも理由が分からない返事だった。

 陽向はネクタイを外し、シャツの第一ボタンを外している。
 放課後の姿は、少しだけ無防備だ。
 背が高いから、何をしていても目に入る。

「待つよ」

「……別に」

 断る理由が見つからず、俺は机に肘をついた。

 教室は少しずつ人が減り、静かになる。
 窓から入る風が、カーテンを揺らした。

「怜」

「……何」

「今日さ、昼」

 陽向は言葉を探すように、視線を泳がせる。

「嫌じゃなかった?」

 昼休みの隣席。
 距離が近くて、唐揚げを分けて、田島に茶化されて。

「……嫌なら、席立ってる」

 それは、本音だった。

 陽向は一瞬、黙ったあと、静かに笑った。

「そっか」

 その笑顔を見たとき、胸の奥がきゅっと縮む。

 ――どうしてだ。

 嫌じゃない。
 むしろ、落ち着く。

 それを認めるのが、怖い。

「怜ってさ」

「……何」

「放課後、どこ行く?」

「……家」

「毎日?」

「……毎日」

 嘘じゃない。
 でも、全部でもない。

 たまに、遠回りをする。
 理由は、分からない。

「じゃあさ」

 陽向が、少しだけ声を低くする。

「今日は、少しだけ一緒に歩かない?」

 裏門までの道。
 いつもは、並んで歩く距離。

 なのに、今日は“少しだけ”が、やけに重い。

「……人、少ないなら」

 条件をつけてしまう。

「もちろん」

 即答だった。

 校舎を出ると、夕方の空気が肌に触れる。
 風が涼しく、昼間の熱を連れていく。

 並んで歩く。
 肩が、触れそうで触れない。

 陽向は歩幅を合わせてくれている。
 背が高いのに、自然に。

「怜さ」

「……何」

「無理しなくていいからな」

 意味が分からなくて、足を止めた。

「……何の話」

「全部」

 振り返ると、陽向は真剣な顔をしていた。

「距離とか、名前とか」

 名前。

 第3章の余韻が、胸をよぎる。

「俺、怜が嫌なら、踏み込まない」

 その言葉に、胸がざわつく。

 踏み込まれたくない。
 でも、踏み込まれないのも、少しだけ寂しい。

 矛盾だ。

「……分かってる」

 それしか言えなかった。

 裏門が見える。

 いつもなら、ここで車を待つ。
 でも今日は、少しだけ時間が余っている。

 陽向は、門の手前で立ち止まった。

「じゃあ、ここまで」

「……うん」

 一歩、離れる。

 なのに、陽向はまだ動かない。

「怜」

 名前。

「俺さ」

 一瞬、言葉を切る。

「一緒にいる時間、短く感じる」

 胸が、静かに鳴る。

「……そうか」

「もっと、長くてもいい」

 それは、願いみたいな声だった。

 俺は、視線を逸らし、口元を手で覆った。

 心臓が、うるさい。

 猫は、簡単に懐かない。
 でも、離れるのが惜しい相手には、理由がある。

「……今日」

 声が、思ったより小さくなった。

「少し、長かったな」

 それは、肯定だった。

 陽向は一瞬、言葉を失ってから、ゆっくり笑った。

「うん」

 車の音が、遠くで聞こえる。

「また、明日」

「……明日」

 裏門で別れ、俺は車に乗り込んだ。

 窓越しに見える陽向の背中が、いつもより遠い。

 なのに。

 胸の中には、確かに残っている。

 放課後が、少しだけ長くなった理由。
 それは、
 もう、無視できない何かに変わり始めていた。