犬系男子は猫系男子に恋をする

放課後の廊下は、いつもより騒がしかった。
文化祭が終わって二日目。浮ついた空気はまだ完全には抜けきっていない。
笑い声、部活の掛け声、机を引きずる音が入り混じる中で、陽向は一人、靴紐を結び直していた。

「……陽向」

呼ばれた声に、反射的に顔を上げる。
そこに立っていたのは怜だった。

制服の襟元はきちんと整えられているのに、どこか落ち着かない様子で、指先がぎこちなく重なっている。
視線が合った瞬間、怜は一度だけ息を吸い込んだ。

「少し……話したいことがあるんだけど」

その一言で、胸の奥がざわついた。
逃げ道を探すように視線を逸らしそうになって、陽向はそれをこらえる。

「……うん。いいよ」

短くそう答えると、怜はほっとしたように小さく頷いた。

二人は人の流れから外れ、校舎裏へ向かった。
体育館の陰になったその場所は、風の音がよく通る。
木々が揺れる音だけが、静かに耳に届いていた。

しばらく、どちらも何も言わなかった。
距離は近いのに、踏み込めずにいるような、妙な間。

「……」

先に口を開いたのは、怜だった。

「最近さ……」

言いかけて、言葉を選ぶように視線を落とす。
その様子に、陽向の胸がきゅっと締めつけられる。

「最近、陽向とちゃんと話せてなかった気がして」

怜は顔を上げ、今度は逸らさなかった。

「一緒にいるのに、何も言わないで分かったふりするのが……僕、嫌なんだ」

陽向は、何も言えずに聞いていた。
怜の声は震えているのに、逃げる気配はなかった。

「曖昧なまま、近くにいるのも……」
「向き合わないままなのも、嫌で」

風が一陣、二人の間を抜ける。
その間に、怜ははっきりと言った。

「陽向と、ちゃんと向き合いたい」

胸の奥に溜まっていたものが、じわりと溶けていく感覚がした。
陽向は拳を握りしめ、一歩も引かずに怜を見る。

「……俺も、同じ」

怜の目が、わずかに見開かれる。

「正直さ、どうしたらいいか分かんねえし」
「間違えるかもしれねえけど……」

陽向は小さく息を吐いて、続けた。

「逃げるのは、違うって思ってた」

沈黙が落ちた。
けれどそれは、重たい沈黙じゃない。

怜はゆっくりと頷いた。

「……じゃあ」
「これからは、ちゃんと話そう」

言葉を探すように、一拍置いてから。

「分からなくなったら、黙らないで」
「僕も……逃げないから」

「うん」

陽向は即答した。

「俺も誤魔化さない」
「言えなくなりそうになったら、ちゃんと言う」

その瞬間、怜の指先が、そっと動いた。
無意識だったのかもしれない。
けれど、その指は確かに、陽向の手に触れた。

一瞬、止まる。

陽向は驚いたように瞬きをしてから、ゆっくりとその手を握り返した。

「……」

言葉はいらなかった。
指が絡まり、体温が伝わる。

怜の胸が、静かに上下しているのが分かる。

「……これ、約束だから」

小さな声で、怜が言った。

「分かってる」

陽向は、少しだけ照れたように笑った。

「次に進む、だろ」

怜も、わずかに口元を緩める。

夕暮れの光が、二人の影を長く伸ばしていた。
誰もいない校舎裏で、手を繋いだまま、しばらく動かなかった。

怜は思う。
逃げなかった。
自分から、選んだ。

まだ言葉にはしていない。
けれど、確かにここから先があると、分かっていた。

風が、優しく二人の間を抜けていった。