犬系男子は猫系男子に恋をする

文化祭が終わった翌々日。
校舎に差し込む朝の光は、驚くほどいつも通りで、怜はそれが少しだけ不思議だった。

――全部、終わったんだ。

舞台も、拍手も、あの暗転も。
そして、春日の額に触れた感覚も。

机に鞄を置いて、怜はそっと息を吐いた。
胸の奥に残るものは、熱でも、痛みでもない。ただ、静かなざわめきだった。

「……」

文化祭のあと、時間が少しだけゆっくり流れている気がする。
いや、そう感じているのは、きっと自分だけだ。

怜は鞄から、薄い紙袋を取り出した。
中に入っているのは、一冊の漫画本。
正確には、“漫画になった物語”だ。

青井に頼んで、形にしてもらったもの。
原作を書いたのは、自分。

ページをめくる。
インクの匂い。線の強さ。コマ割り。

――これ、本当に……。

怜は小さく笑ってしまった。

「主人公、犬系すぎるでしょ……」

真っ直ぐで、無防備で、感情が顔に出やすくて。
周りに流されそうで、でも大切なものからは逃げない。

どう考えても、春日だ。

「……なんで、主人公を春日にしたんだろ」

答えは、もう分かっている。

最初は、ただのモデルだった。
隣の席の、やたら距離感が近い、犬みたいな同級生。

でも、気づけば、視線を追っていた。
声を聞くと安心して、触れられると動揺して。

逃げたくなったとき、春日は逃げなかった。

陸上のトラックでも。
舞台の上でも。
そして、あのときも。

――壊したくない、って顔してた。

怜は、そこが好きだった。

「……犬系で、真っ直ぐで、逃げない」

声に出してみると、少しだけ胸が苦しくなる。

「……ずるいよ」

好きだなんて、簡単に言えないくせに。
でも、触れられるのは嫌じゃない。
むしろ、離れるほうが怖い。

「……」

机に漫画本を伏せて、怜は目を閉じた。

――好かれるかどうか、じゃない。

それよりも。

――それでも、伝えたいか。

答えは、もう出ている。

昼休み。
文芸部の部室に顔を出すと、白石が先に来ていた。

「お、怜。来てたんだ」

「うん。少しだけ」

「……その顔」

白石はにやりと笑う。

「もう答え出てる顔してるよ」

「……そんなことない」

「いや、あるある」

白石は机に頬杖をついて、軽い口調で続けた。

「逃げる顔じゃない。決めた人の顔」

怜は一瞬、言葉に詰まる。

「……俺さ」

「うん」

「好かれたい、より」

「うん」

「それでも伝えたいか、を考えてた」

白石は、少しだけ目を細めた。

「それ、もう覚悟じゃん」

「……」

「怜ってさ、静かだけど、決めたら動くよね」

「……逃げないって?」

「そうそう」

怜は、ふっと笑った。

「それ、春日に言われたら嫌かも」

「はは、確かに」

部室に、短い沈黙が落ちる。

「……大切なんだ」

怜は、ぽつりと言った。

「失いたくない」

「うん」

「だから」

少しだけ、言葉を探す。

「……自分から、選ぶ」

白石は、何も言わずに親指を立てた。

「それでこそ」

放課後。
怜は教室に戻り、鞄を持ち上げる。

廊下の向こうに、春日の姿が見えた。
友達と話している。笑っている。

胸が、少しだけ痛む。

――怖くないわけじゃない。

でも。

――逃げない。

それだけは、決めた。

怜は一歩、踏み出した。

「……春日」

その名前を呼ぶ声は、思ったよりも落ち着いていた。

言葉は、まだ言わない。
でも、行動で示す準備は、もうできている。

それが、怜の選んだやり方だった。