犬系男子は猫系男子に恋をする

 部屋の灯りは消してあるのに、目だけが冴えていた。
 天井を見つめながら、陽向は何度目か分からないため息を吐く。

「……はぁ」

 文化祭は終わった。
 劇も、カフェも、片付けも、全部ちゃんと終わったはずなのに、頭の中だけが終わってくれない。

 舞台の暗転。
 額に残る感触。
 怜の横顔。
 倉庫での沈黙。
 帰り道の夕焼け。

「考えすぎだって……」

 そう思いながら、手は勝手に枕元のスマホを掴んでいた。

 画面を点ける。
 ロックを外す。
 LINEを開く。

 ――三条 怜

 一番上にある名前を見た瞬間、胸がきゅっと縮む。

「……起きてる、よな」

 送る理由なんて、正直なんでもよかった。
 ただ、繋がっていたかった。

 少し迷ってから、陽向は文字を打つ。

《片付けお疲れ》

 送信。
 たったそれだけなのに、スマホを胸に押し当ててしまう。

「……早くね? いや、普通だろ」

 自分に言い聞かせるように呟いた、その数秒後。

《既読》

「っ……!」

 反射的に息を止める。

「見た……」

 心臓が一気に速くなる。
 返信が来るかどうか、たったそれだけのことで、こんなにも落ち着かなくなるなんて。

 一方、怜は机に向かったまま、スマホを見下ろしていた。
 ノートは開いたまま。ペンも握ったまま。
 けれど、勉強なんて一行も頭に入っていない。

「……陽向」

 名前を声に出してしまって、はっとする。

 返信を打つ。

《今日は本当に疲れたね》

 ……消す。

「なんか、他人行儀すぎる」

《文化祭、楽しかった》

 ……消す。

「軽すぎる」

 指先が止まる。
 胸の奥が、じんわり熱い。

 本当は、言いたいことなんて山ほどあるのに。

 ――今日、ありがとう。
 ――一緒に舞台に立ててよかった。
 ――陽向の隣、嫌じゃなかった。

 どれも、送れない。

 最終的に送ったのは、無難な一文だった。

《お疲れさま。今日は長かったね》

 送信。

 数秒後。

《だな。さすがに疲れた》

 即レスに、思わず小さく笑ってしまう。

「……即レス」

 そこから、ぽつぽつとやり取りが続く。

《明日筋肉痛きそう》
《それは運動不足では?》
《ひどい》

 内容は他愛ない。
 でも、既読がつくたび、胸が跳ねる。

 返信が少し遅れるだけで、陽向の情緒は揺れる。

「……忙しいだけだよな?」
「俺、重くないよな……?」

 ベッドの上でごろりと転がり、スマホを握りしめる。

 一方の怜は、送信画面を開いたまま、何度も文字を打っては消していた。

 ――好き。
 ――触られるの、嫌じゃない。
 ――むしろ、嬉しい。

「……だめだ」

 全部、滲み出てしまいそうになる。

 しばらく、やり取りが途切れた。

 陽向は天井を見つめたまま、動かない。
 怜はスマホを机に置いたまま、深呼吸を一つ。

 そして、意を決して、短い文章を送る。

《……今日はありがとう》

 余計な言葉は、つけなかった。

 陽向は、その一文を見て固まる。

「……」

 胸の奥が、じん、と温かくなる。

 すぐに返す。

《俺の方こそ》

 それだけ。

 それだけなのに、二人とも画面を閉じられなくなる。

 その夜、
 陽向はスマホを枕元に置いたまま、何度も寝返りを打ち、
 怜は布団の中で、心臓の音がうるさくて、目を閉じられなかった。

 ――告白は、していない。
 ――でも、これはもう、恋だ。

 ***

 翌日。

 校舎の廊下で、二人は顔を合わせた。

「……おはよ」

「おはよう」

 一瞬、視線が合って、すぐ逸らされる。

 並んで歩く。
 昨日より、ほんの少し近い距離。

 陽向は、無意識に腕を伸ばしかけた。
 怜の袖に、指先が触れそうになる。

 ――だめだ。

 はっとして、止める。

(まだ、だ)
(今じゃない)

 その動きに、怜は気づいていた。
 何も言わない。
 けれど、胸がざわつく。

 人の少ない校舎の影。

 陽向が一歩近づく。

 怜が何か言おうとした、その前に。

 陽向は屈んだ。

 額と額が、そっと触れ合う。

 息が近い。
 唇は触れていない。

「……触らないって、決めたよな」

 低い声。

 怜は、小さく息を吸う。

「……うん」

 それ以上は、何もしない。

 けれど、離れるのが名残惜しくて。

 陽向が先に一歩下がる。

「じゃ、また」

「……またね」

 背中を向けながら、二人とも思っていた。

 ――もう、戻れない。
 ――でも、まだ一歩が怖い。

 それでも確かに、
 何かが、始まってしまったのだと。