犬系男子は猫系男子に恋をする

 体育館の熱気から逃げるように、春日は足を速めた。
 拍手も、歓声も、「良かったよ」という声も、今はすべて背中に突き刺さる。

「……やってしまった」

 誰もいない渡り廊下で立ち止まり、春日は両手で顔を覆った。
 暗転した瞬間のことが、何度も頭の中で再生される。

 自分が、何をしたのか。
 どれだけ衝動的だったか。

「俺……何考えてたんだ……」

 舞台の上では、ロミオだった。
 役だから。演出だから。
 そう言い訳することはできる。

 けれど、あの一瞬――
 理性より先に動いた身体は、間違いなく“春日陽向”そのものだった。

 壁に背を預け、ずるりと座り込む。
 膝に肘をつき、うなだれる姿は、完全に叱られた大型犬だった。

「……嫌だったら、どうしよう」

 喉が詰まる。
 怜の表情が思い出せない。
 それが、余計に怖かった。

 嫌悪も、困惑も、拒絶も。
 どんな反応でも想像できてしまうのに、
 一番怖いのは――何も言われないことだった。

「……調子乗ったよな、俺」

 怜は、何度も言ってくれていた。
 触れられるのが嫌じゃない、と。
 それでも、あれは違う。

「……守るって、言ってたのに」

 拳を握る。
 震えを止めるように、強く。

「……しばらく、距離置こう」

 口に出した言葉は、思った以上に苦かった。
 でも、それが正しい気がした。

 好きだから。
 壊したくないから。
 これ以上、怜を混乱させたくないから。

「……舞台、終わったし」

 ゆっくり立ち上がる。
 背中は丸まったまま。
 もし耳と尻尾があったら、完全に垂れていただろう。

 そのまま帰ろうとして――
 足が、止まった。

「……あ」

 ふいに、思い出す。

 ――劇が終わったら、正門まで来て。

 胸の奥が、きゅっと締め付けられた。

「……約束、してた」

 逃げたい。
 今すぐ、ここからいなくなりたい。

 でも――

「……謝らないままは、違うよな」

 距離を取るにしても。
 逃げるにしても。
 まず、向き合わなきゃいけない。

「……ごめん、って言わなきゃ」

 嫌だったら、ちゃんとそう言ってもらおう。
 それで距離を置くなら、受け止めよう。

 それが、せめてもの誠意だ。

 春日は深く息を吸い、吐いた。
 震える指先を、制服の裾でぎゅっと握る。

「……行こう」

 正門へ向かう道は、やけに長く感じた。
 一歩一歩が重くて、急げない。

 逃げたい気持ちと、会いたい気持ちが、胸の中でせめぎ合う。

 夕暮れの空が、校舎の影を長く伸ばしていた。

 正門が、見える。

 春日は、まだ知らない。
 そこに怜が、どんな想いで立っているのかを。

 ただ、今は――
 しょげた大型犬のまま、
 それでも約束の場所へと向かっていた。