犬系男子は猫系男子に恋をする

暗闇が、完全に落ちた。

一拍の沈黙。
息をする音すら消えたような、その一瞬のあと――

「――――――――――!」

体育館を揺らすほどの拍手が、波のように押し寄せた。

「すごい……」
「泣いた……」
「よかった、ほんとによかった……!」

歓声。足踏み。手を打ち鳴らす音。
怜は反射的に頭を下げる。

(……終わった)

そう思ったのに、胸の奥が、まだ熱い。

横に立つ陽向も、深く頭を下げていた。
でも、視線が合わない。

――合ったら、何かが崩れる気がした。

照明が再び上がる。

「出演者のみなさん、前へ!」

実行委員の声に促され、全員が一列に並ぶ。
黒川が少し大げさに手を振り、白石が小さく笑って会釈をする。

拍手が、さらに大きくなった。

「ロミオー!」
「ジュリエットー!」

誰かが叫び、また拍手が重なる。

怜は口角を上げる。
舞台用の笑顔。
何度も練習した、完璧な表情。

「……」

陽向も笑っている。
でも、その笑顔が、どこか引きつって見えた。

(まだ……舞台の上だ)

「このあと、出口でお見送りお願いね」

実行委員の声が、小さく届く。

「お客様が体育館を離れるまでが舞台だから」

――その言葉に、陽向の肩がわずかに強張った。

***

出口付近に立つと、観客が次々と声をかけてくる。

「お疲れ様でした」
「本当に良かったです」

「ありがとうございます」
「……ありがとうございます」

怜と陽向は、並んで頭を下げ続けた。

年配の女性が、怜の前で立ち止まる。

「あなた、ジュリエット役の子よね?」
「はい」
「とても綺麗だったわ。声も、表情も」

「……ありがとうございます」

「相手の子もね、すごく真っ直ぐで」
女性は少し笑って、陽向を見る。
「いいロミオだったわ」

「……ありがとうございます」

陽向の声は、少し低かった。

女子生徒のグループが駆け寄ってくる。

「やばかったです!」
「めっちゃドキドキしました!」
「感情移入しすぎて、心臓もたなかった!」

「ありがとうございます」
「嬉しいです」

「最後の空気、忘れられない……」
「なんか、息止めて見てました」

その言葉に、怜の指先が、わずかに震えた。

(……あの瞬間)

横を見ると、陽向は唇を噛みしめていた。

「……すごく、良かったです」

中年の男性が、静かにそう言って去っていく。

「……」

「……」

二人とも、言葉を失ったまま、頭を下げ続ける。

(みんなは、舞台を見ている)

(でも――)

(僕たちは……)

観客が減っていく。
体育館のざわめきが、少しずつ遠ざかる。

「お疲れ様」
「感動しました」

「ありがとうございました」
「……ありがとうございました」

最後の一人が出口をくぐる。

扉が閉まり、体育館に残るのは、関係者と出演者だけ。

「……」

拍手は、もうない。

なのに、胸の奥が、まだ鳴っている。

陽向が、小さく息を吐いた。

「……終わった、よな」

「……うん」

怜はそう答えたが、実感はなかった。

(終わったはずなのに)

(まだ、ロミオとジュリエットが、ここにいる)

陽向は、怜を見ない。

見れない。

(……どうして)

(どうして、あんなこと、したんだろ)

「……春日」

名前を呼びかけそうになって、怜は言葉を止めた。

今は、まだ。

陽向が、ぎこちなく一歩下がる。

「……俺、ちょっと……」

「……」

「あとで……」

何を言うつもりだったのか、陽向自身も分かっていない。

ただ、ここにいたら――
自分が崩れてしまう気がした。

(逃げたい)

(今すぐ)

でも、足は動かない。

舞台は、終わった。
それなのに――

現実に戻る勇気だけが、まだ、なかった。

怜は、陽向の背中を見つめる。

(……大丈夫)

(今は、何も言わなくていい)

体育館に、静寂が落ちる。

その静けさの中で、
二人の心だけが、まだ舞台の上に取り残されていた。

――幕は、下りたはずなのに。