犬系男子は猫系男子に恋をする

 文化祭当日。
 教室の扉を開けた瞬間、怜は一瞬、場所を間違えたかと思った。

 黒板側はカーテンレールで仕切られ、その奥が簡易キッチンになっている。白いクロスを掛けた机と椅子が並び、花瓶には淡い色の造花。派手さはないが、落ち着いた上品さが漂っていた。

「……ちゃんと、カフェだ」

 思わず漏れた声に、背後から笑いが返る。

「だろ? 黒川たち、めちゃくちゃ頑張ってたぞ」

 振り返ると、王子様の衣装に身を包んだ陽向が立っていた。
 白を基調にしたジャケットに、装飾は最小限。それなのに、背の高さと相まって目を引く。

「……似合いすぎ」

「怜の執事もな」

 怜は視線を逸らし、執事服の袖を整える。
 黒を基調としたシンプルな衣装。体の線を拾いすぎないのに、動くたび布がきれいに揺れる。

 開店と同時に、教室はすぐに賑わい始めた。

「王子様席お願いしまーす!」
「執事さん、写真いいですか?」

 陽向は慣れないながらも笑顔で応じている。
 その様子を見て、胸の奥がちくりとした。

(……人気だな)

 自覚した瞬間、怜は内心で首を振る。
 今は、役に集中しなければ。

***

 昼前。
 黒板横に貼られたメニュー表に、特別枠が追加される。

【スペシャルメニュー】
 キャスト指名・一言セリフ付きデザート

 ざわめきが一段大きくなる。

「うわ、これなに!?」
「指名できるの!?」

 案の定、最初に指名されたのは陽向だった。

「王子様、お願いします!」

 陽向は一瞬驚いたあと、苦笑しながら前に出る。

「……お待たせしました、お嬢様」

 拍手と歓声。
 続いて、怜の名前も呼ばれた。

「執事さんも一緒に!」

 逃げ場はない。

 二人で皿にケーキを取り分け、客席の前に立つ。

 黒川が小さく合図を出す。
 ——台詞、入ってる。

 陽向が一歩前に出て、少し芝居がかった声で言った。

「さぁて、お嬢様はどちらがお好みですか?」

 怜も、役に徹して続ける。

「長年お仕えしてきた私か……」

 一瞬、視線が絡む。

「それとも、この王子様か」

 ケーキを差し出しながら、二人同時に。

「さぁ、お選びください」

 教室が拍手に包まれた。

 その拍手の中で、怜は不思議な感覚を覚える。
 台詞を言っているのに、胸がざわつく。

(……演技なのに)

 陽向の声が、近い。

***

 午後。
 カフェの営業を終え、舞台衣装に着替える時間が近づく。

 控室に向かう途中、陽向が小さく言った。

「さっきの、噛まなかったな」
「……当たり前」

 そう返したものの、内心では違った。

(全部、頭に入ってる)

 何度も読んだ台本。
 何度も口にした台詞。

 それなのに、今日だけは重みが違う。

***

 体育館の裏。
 静かな控室で、怜は衣装の裾を握りしめていた。

 ジュリエットの衣装は、白を基調にしたシンプルなもの。
 軽い布が、少しの動きで揺れる。

 陽向はすでにロミオの衣装に着替えている。

 目が合う。

 それだけで、心臓が跳ねた。

(……落ち着け)

 これは劇だ。
 役を演じるだけ。

 もうすぐ、幕が上がる。

 そこで俺は、ジュリエット役。
 ロミオは、陽向。

 セリフは全部、頭に入っている。

(……劇に集中しよう)

 そう思った瞬間、舞台袖から声がかかった。

「五分前でーす!」

 深呼吸を一つ。

 照明の向こうで、客席がざわめいている。

 もうすぐ——
 幕が上がる。