朝の教室は、いつもと同じ音で満ちているはずなのに、怜には少しだけ騒がしすぎるように感じられた。
制服のブレザーを着たまま席に着き、鞄を机に掛ける。その動作一つひとつが、どこかぎこちない。
隣の席。
春日陽向が、もう座っていた。
「……おはよう」
「おはよ」
短い挨拶。
それだけなのに、胸の奥が妙にざわつく。
昨夜のLINEが、頭から離れなかった。
他愛ないやり取り。
既読がつくだけで、眠れなくなった自分。
(……なんで、こんなに気にしてるんだ)
視線を落としたまま、ノートを取り出す。
すると、横から視線を感じた。
——見られてる。
そっと顔を上げると、陽向がこちらを見ていた。
目が合いそうになって、怜は反射的に逸らす。
その瞬間、陽向の眉が、ほんのわずかに動いた。
(……今の、避けた?)
陽向は何も言わない。
けれど、その後も何度か、怜の方を気にするように視線を向けてくる。
怜が他のクラスメイトと話しているとき。
黒田が声をかけてきたとき。
——そのたびに。
陽向は、少しだけ距離を詰めてくる。
(……気のせい?)
でも、昨日までとは明らかに違う。
視線が多い。
声が、低い。
昼休み。
怜は逃げるように教室を出て、文芸部室へ向かった。
静かな部屋。
本棚の匂い。
ここだけは、呼吸がしやすい。
「最近、よく来るね」
原稿を整理していた白石が、何気なく声をかける。
「……まあ」
怜は椅子に座り、視線を落とす。
白石はその様子を見て、ふっと笑った。
「“まあ”って顔じゃない」
図星だった。
「……白石」
呼ぶ声が、少しだけ小さくなる。
「春日ってさ……」
そこまで言って、言葉に詰まる。
白石は手を止めて、こちらを見る。
「うん?」
怜は、しばらく沈黙したあと、ぽつりと続けた。
「……ああいうのって、役だからなのか」
「それとも……」
最後まで言えなかった。
白石は一瞬きょとんとしたあと、すぐに状況を理解したように目を細める。
「え、それ本気で言ってる?」
「……」
白石は、少しだけ真面目な声で言った。
「それ、恋だと思うよ」
その言葉が、怜の耳に届くまで、一拍遅れた。
「……え」
次の瞬間、耳が一気に熱くなる。
慌てて口元を手で覆う。照れたときの癖だ。
「ち、違……」
否定しようとして、言葉が続かない。
白石は畳みかけるように言う。
「役としてだったら、あんな嫉妬しないって」
「最近の春日、分かりやすいよ?」
「……嫉妬?」
思わず聞き返す。
白石は、指を折りながら言った。
「怜が他の男子と話すと近づいてくる」
「黒田と話してると、さりげなく間に入る」
「LINEの返信、やたら早い」
「独占欲、だだ漏れ」
怜の心臓が、うるさく鳴る。
(……そんなふうに、見えてた?)
嬉しい。
でも、同時に怖い。
「……でも」
怜は視線を落とす。
「もし、役だからだったら……」
文化祭が終わったら。
ロミオとジュリエットじゃなくなったら。
今の距離も、消えるんじゃないか。
白石は、少しだけ声を落として言った。
「役をやめたら終わる関係なら、」
「そんなに怯えなくていいでしょ」
怜は、答えられなかった。
教室に戻ると、陽向が待っていた。
「……どこ行ってた?」
声は普通。
でも、目が真剣だ。
「……文芸部」
そう答えると、陽向の肩が、わずかに緩む。
——安心した。
その変化を、怜ははっきりと見てしまった。
(……やっぱり)
白石の言葉が、頭の中で反響する。
「それ、恋だと思うよ」
怜は、胸の奥が熱くなるのを感じながら、
そっとノートを開いた。
不安は消えない。
でも、確かに——期待も、そこにあった。
制服のブレザーを着たまま席に着き、鞄を机に掛ける。その動作一つひとつが、どこかぎこちない。
隣の席。
春日陽向が、もう座っていた。
「……おはよう」
「おはよ」
短い挨拶。
それだけなのに、胸の奥が妙にざわつく。
昨夜のLINEが、頭から離れなかった。
他愛ないやり取り。
既読がつくだけで、眠れなくなった自分。
(……なんで、こんなに気にしてるんだ)
視線を落としたまま、ノートを取り出す。
すると、横から視線を感じた。
——見られてる。
そっと顔を上げると、陽向がこちらを見ていた。
目が合いそうになって、怜は反射的に逸らす。
その瞬間、陽向の眉が、ほんのわずかに動いた。
(……今の、避けた?)
陽向は何も言わない。
けれど、その後も何度か、怜の方を気にするように視線を向けてくる。
怜が他のクラスメイトと話しているとき。
黒田が声をかけてきたとき。
——そのたびに。
陽向は、少しだけ距離を詰めてくる。
(……気のせい?)
でも、昨日までとは明らかに違う。
視線が多い。
声が、低い。
昼休み。
怜は逃げるように教室を出て、文芸部室へ向かった。
静かな部屋。
本棚の匂い。
ここだけは、呼吸がしやすい。
「最近、よく来るね」
原稿を整理していた白石が、何気なく声をかける。
「……まあ」
怜は椅子に座り、視線を落とす。
白石はその様子を見て、ふっと笑った。
「“まあ”って顔じゃない」
図星だった。
「……白石」
呼ぶ声が、少しだけ小さくなる。
「春日ってさ……」
そこまで言って、言葉に詰まる。
白石は手を止めて、こちらを見る。
「うん?」
怜は、しばらく沈黙したあと、ぽつりと続けた。
「……ああいうのって、役だからなのか」
「それとも……」
最後まで言えなかった。
白石は一瞬きょとんとしたあと、すぐに状況を理解したように目を細める。
「え、それ本気で言ってる?」
「……」
白石は、少しだけ真面目な声で言った。
「それ、恋だと思うよ」
その言葉が、怜の耳に届くまで、一拍遅れた。
「……え」
次の瞬間、耳が一気に熱くなる。
慌てて口元を手で覆う。照れたときの癖だ。
「ち、違……」
否定しようとして、言葉が続かない。
白石は畳みかけるように言う。
「役としてだったら、あんな嫉妬しないって」
「最近の春日、分かりやすいよ?」
「……嫉妬?」
思わず聞き返す。
白石は、指を折りながら言った。
「怜が他の男子と話すと近づいてくる」
「黒田と話してると、さりげなく間に入る」
「LINEの返信、やたら早い」
「独占欲、だだ漏れ」
怜の心臓が、うるさく鳴る。
(……そんなふうに、見えてた?)
嬉しい。
でも、同時に怖い。
「……でも」
怜は視線を落とす。
「もし、役だからだったら……」
文化祭が終わったら。
ロミオとジュリエットじゃなくなったら。
今の距離も、消えるんじゃないか。
白石は、少しだけ声を落として言った。
「役をやめたら終わる関係なら、」
「そんなに怯えなくていいでしょ」
怜は、答えられなかった。
教室に戻ると、陽向が待っていた。
「……どこ行ってた?」
声は普通。
でも、目が真剣だ。
「……文芸部」
そう答えると、陽向の肩が、わずかに緩む。
——安心した。
その変化を、怜ははっきりと見てしまった。
(……やっぱり)
白石の言葉が、頭の中で反響する。
「それ、恋だと思うよ」
怜は、胸の奥が熱くなるのを感じながら、
そっとノートを開いた。
不安は消えない。
でも、確かに——期待も、そこにあった。



