犬系男子は猫系男子に恋をする

家に帰っても、体育館の空気が抜けなかった。
怜は自室のベッドに腰を下ろし、制服のままスマホを机に置く。
カーテン越しの夜風が、少しだけ涼しい。

——今日の稽古。

指先の距離。
触れなかったはずなのに、触れたみたいに残っている感覚。

「……」

ため息をついて、制服を脱ぎ、部屋着に着替える。
それでも、頭の中から春日の顔が消えない。

スマホが震えた。

〈今日はお疲れさま〉

一行だけのメッセージ。
送り主の名前を見た瞬間、胸が跳ねる。

——春日。

たったそれだけなのに、心臓の音がうるさくなる。

〈お疲れ。距離、近かったな〉

指が勝手に動く。
送信してから、「軽すぎたか?」と少しだけ後悔する。

数秒後。

〈……うん。近すぎて、ちょっと焦った〉

既読がついた。
返信が来た。

——それだけで、安心してしまう自分がいる。

(何やってるんだ、俺)

そう思いながらも、スマホを手放せない。

〈白石、今日いつも以上に真剣だったな〉
〈演出詰めてきたね〉

本当に、他愛ない会話。
稽古の感想、演出の話、黒田の静かな存在感。

それなのに、通知音が鳴るたび、怜の心臓は正直に跳ねる。

——同じ頃。

陽向は自分の部屋で、風呂上がりのままベッドに転がっていた。
タオルで髪を拭きながら、スマホを見つめる。

〈今日はお疲れさま〉

送った瞬間から、ずっと画面を気にしている。

〈距離、近かったな〉

既読がつくまでの数秒が、妙に長く感じた。

〈……うん。近すぎて、ちょっと焦った〉

返ってきた文字に、思わず口元が緩む。

「……可愛いな」

自覚はある。
こういう反応をする自分が、かなり重症だということも。

〈あの距離で触れないの、逆にキツい〉

送ってから、「いや、言い過ぎだろ」と思ったが、もう遅い。

〈……触れない約束だから〉

その返事に、胸の奥がきゅっとする。

——触れない約束。

決めたのは二人なのに、
それを守るのが、こんなに苦しいなんて思わなかった。

〈さっき、白石とも少しLINEしてて〉

怜のその一文を見た瞬間、
陽向の指が止まった。

……白石。

頭では分かっている。
文芸部の仲間で、演出の相談相手で、何もおかしくない。

それなのに。

胸の奥が、ちくっと痛んだ。

〈へー、仲いいよな〉

表向きは、普通の返事。
でも、画面を見つめる目は、少しだけ鋭くなる。

(……なんで、俺こんな気になるんだ)

〈黒田くんも、演出案送ってくれてさ〉
〈結構真面目だよね〉

そのメッセージを見て、
陽向ははっきりと自覚する。

——嫌だ。

理由は分からない。
でも、確実に、嫌だ。

怜が、
自分の知らないところで、
他の誰かとやり取りしているのが。

(……独占欲、強すぎだろ)

自分に呆れながらも、感情は止まらない。

〈そうだな〉

短く返す。
それ以上、何も言えなかった。

会話が、一瞬途切れる。

——既読が、つかない。

陽向はスマホを伏せ、また持ち上げる。
時計を見る。まだ数分。

それなのに、やけに長い。

(……誰と話してる?)
(……もう寝た?)

自分の思考に、ぞっとする。

(俺、何考えてんだ)

でも、答えはもう出ていた。

——怜のことが、気になって仕方ない。

通知音。

〈ごめん、シャワー行ってた〉

その一文を見た瞬間、
胸に溜まっていた何かが、すっとほどける。

……安心した。

その事実が、何よりも決定的だった。

(……あぁ)

陽向は、天井を見上げる。

(俺、怜のこと)

他人と話してほしくない。
自分の返信を待っていてほしい。
既読ひとつで、感情が揺れる。

(……好きだ)

女の子を好きになるのと、同じ感覚。
それ以上に、厄介で、どうしようもない。

〈おやすみ〉

そう送って、スマホを伏せる。

怜も同じ言葉を返して、
ベッドに横になる。

天井を見つめながら、怜は思う。

(……なんで、春日の既読だけ、こんなに気になるんだ)

陽向も、ベッドで寝返りを打ちながら思う。

(……独占欲、バレたら引かれるかな)

同じ夜。
同じ時間。
同じように、眠れない。

触れていないのに。
声も聞いていないのに。

——距離だけが、確実に縮まっていた。