犬系男子は猫系男子に恋をする

体育館の午後は、窓から差し込む秋の光で白く霞んでいた。
床に引かれたテープの上に立つ二人は、いつもより少しだけ距離が近い。

陽向は白いTシャツに薄手のパーカー。
怜は紺のカーディガンに、いつもの細身のパンツ。
ただそれだけなのに、並ぶとやけに目立つ身長差が、空間を甘く歪ませていた。

「……今日は、目線の練習を中心にやろうか」

白石の声で、空気が一段引き締まる。

「ロミオとジュリエットは、言葉より視線で恋をする場面が多いからね。
相手の目を見る。逸らさない。それだけ」

それだけ、のはずだった。

「……春日、三条。向かい合って」

怜は小さく息を吸い、陽向の正面に立った。

近い。
思っていたより、ずっと。

陽向の視線が、まっすぐ怜に向けられる。
逃げ場のない、真っ直ぐな目。

――無理だ。

怜は、反射的に視線を落とした。

「……三条、今逸らした」

「っ……すみません」

白石が苦笑する。

「逸らされる側の気持ちも、大事だからね。春日、どう?」

陽向は一瞬、言葉に詰まった。

「……正直、苦しいです」

ぽつりと落とされた本音に、体育館が静まる。

「目を逸らされると……拒まれてるみたいで」

怜の指先が、かすかに震えた。

拒んでるわけじゃない。
ただ、見続ける勇気がないだけなのに。

「もう一回、いこう」

今度は、怜は逃げなかった。

陽向の目を見る。

――近い。
――熱い。
――優しすぎる。

心臓が、うるさく鳴る。

視線が絡んだまま、時間が止まったようだった。

その様子を、少し離れた場所から見つめている影がある。

黒田だった。

(……来た)

黒田の脳裏に、あの漫画の一コマが重なる。

――『触れない距離で、恋をする』第3巻。
視線だけで想いが溢れて、どちらも動けなくなる名シーン。

(完全に、あれだろ……)

怜が、ほんのわずかに眉を寄せる。
陽向が、息を止める。

(犬飼と猫宮……じゃない。
 春日と三条だ)

黒田は、拳をぎゅっと握った。

(尊い……)

声には出さない。
出せない。
出したら終わる。

「……三条、いいよ、そのまま」

白石の声で、練習は続く。

怜は、耐えるように陽向を見つめていた。
陽向は、逃げないように必死で立っていた。

触れない。
でも、視線だけで、こんなにも近い。

――ずるい。

黒田は、心の中で呟く。

(これ、原作でも一番好きな回だ……)

漫画では、このあと、
“触れない約束”がより重くなる。

現実でも、同じだ。

練習が終わるころ、怜はぐったりしていた。

「……目、疲れた」

「お、お疲れ……」

陽向はそう言いながら、距離を取る。
ちゃんと、約束を守るために。

でも――
その瞬間、怜の指が、無意識に陽向の袖を掴んだ。

一瞬。

すぐに離れる。

「……っ」

陽向の動きが止まる。

(やばい……)

見えない尻尾が、ぶん、と揺れた気がした。

黒田は、その一部始終を見てしまい、
心の中で頭を抱えた。

(無自覚袖掴み……!?
 原作再現度、高すぎだろ……!)

「……黒田、顔どうしたの?」

白石が小声で聞く。

「……いえ、なんでも」

黒田は、深呼吸して言った。

「ただ……
この劇、成功しますよ」

白石は、意味ありげに笑った。

視線が離れない。
触れない距離が、甘さになる。

そのことを、
本人たちより先に理解している者が、
この場には確かに存在していた。

――尊い、と。

心の中で、何度も。