犬系男子は猫系男子に恋をする

放課後の体育館は、昼間とは違う音を立てていた。
 バスケットボールの跳ねる音もなく、代わりに聞こえるのは椅子を引く音と、低く抑えた話し声。

 文化祭実行委員として選ばれた生徒たちが、学年ごとに整列していく。
 春日陽向は、動きやすいジャージのまま、流れに身を任せて歩いていた。

「人、多いな……」

 ぼそっと零した声に、隣から小さな息遣いが重なる。

 怜は制服の上に薄手のカーディガンを羽織り、周囲を気にするように視線を落としていた。
 人混みが苦手なのか、歩幅が自然と狭くなる。

 その拍子に、陽向の腕に指先が触れた。

 一瞬の接触。
 だが怜は離さなかった。

 無意識に、陽向の袖をつまむ。

(……まただ)

 陽向は何も言わず、歩く速度を少し落とした。

 ステージ前に長机が置かれ、先生たちが資料を並べている。
 体育館の天井は高く、声が反響して落ち着かない。

 黒川恒一は前方で、資料の束を抱えながら淡々と動いていた。
 白石紗和はその少し後ろで、全体を見渡している。

(……並び、完璧)

 黒川は表情を崩さず、内心で頷いた。
 春日と怜は、当然のように隣同士だ。

 先生がマイクを手に取る。

「では、全校劇について説明する」

 ざわめきが収まる。

「毎年恒例だが、今年も“古典作品”をベースに上演する」

 怜の肩が、わずかに強張る。

「題材は――」

 一拍。

「『ロミオとジュリエット』」

 体育館がどよめいた。

「うわ、定番」
「キスシーンあるやつじゃん」

 そんな声があちこちから聞こえる。

 怜は思わず息を呑み、口元を手で覆った。
 顔が熱い。

(ロミオと……ジュリエット……?)

 隣を見ると、陽向は少し驚いたように眉を上げていた。

「マジか……」

 だが、その声には嫌そうな響きはなかった。

 そのとき。

「……あの先生!」

 はっきりとした声が、空気を切った。

 白石だった。

 迷いなく一歩前に出る。

「ロミオとジュリエット役、
 私、是非とも推薦したい人がいまして。
 もしよければ、それで決定でも良いですか?」

 体育館が静まる。

 先生は少し考え、穏やかに答えた。

「まぁ、みんなの意見を聞いて決めればいいよ」

 白石は小さく頷き、続けた。

「じゃあ」

 一瞬、視線が陽向と怜に向く。

「ロミオとジュリエット役を
 『春日と三条』にお願いしたいんだけど」

 ――時間が止まった。

「……え?」

 陽向の声。

「……は?」

 怜の喉が鳴る。

 白石は間を与えなかった。

「異議なしの方、拍手お願いします」

 一拍。

 そして――

 『パン、と拍手が鳴った』。

 最初は数人。
 だがすぐに連鎖し、体育館全体が拍手に包まれる。

「いいじゃん!」
「お似合い!」

 歓声まで混じる。

 怜は呆然と立ち尽くし、陽向の袖を強く掴んだ。
 逃げ場を探すように。

「……春日」

「……うん」

 陽向は小さく返事をし、そっと怜の方へ体を寄せた。

 黒川はその光景を見て、胸の奥で静かに拳を握る。

(……決まった)

(尊い……)

 先生が苦笑しながらマイクを持ち直す。

「これは……もう決まりだな」

 拍手がもう一度起こる。

「では、
 ロミオ役・春日。
 ジュリエット役・三条。
 異議なしとみなします」

 言葉が落ちる。

 決定。

 怜の心臓が、遅れて大きく跳ねた。

(……私が、ジュリエット)

 横を見ると、陽向が困ったように笑っている。

「……やるしかないよな?」

 その声は、どこか楽しそうだった。

 怜は口元を覆い、少し考えてから、小さく頷いた。

「……多分」

 体育館を出ると、夕方の風が頬を撫でた。
 並んで歩く二人の距離は近いまま。

 けれど、言葉は少ない。

 白石と黒川は、少し離れた場所でそれを見守っていた。

 視線が合う。

 何も言わず、二人は頷き合った。

 物語は、役として始まった。

 だが――
 それが“演技”で終わるとは、誰も思っていなかった。