犬系男子は猫系男子に恋をする

 秋の空は高く、雲が薄く流れていた。
 校庭に引かれた白線が陽を反射し、風に混じって、歓声と笛の音が行き交う。

 陽向はジャージの袖を軽く引きながら、トラックの向こうを見つめていた。
 胸の奥が、落ち着かない。

「緊張してる?」

 隣から聞こえた声に、視線を落とす。

 怜は体操服の上に薄手のパーカーを羽織り、風よけに袖口を握っていた。
 前髪が揺れ、陽向の視界をかすめる。

「してない」

「嘘」

「……ちょっとだけ」

 小さく返すと、怜はくすりと笑った。
 その拍子に、無意識なのか、陽向のジャージの裾をつまむ。

 最近、よく見る仕草。

 陽向は気づいている。
 でも、触れ返すことはしない。

(今は、我慢だ)

「春日! 次、リレーだぞ!」

 陸上部の田島の声が飛ぶ。

「行ってくる」

 そう言うと、怜は一瞬だけ言葉を探してから、頷いた。

「……頑張って」

 その一言で、胸の奥が熱くなる。

 スタート地点に立つ。
 視線は自然と、応援席を探していた。

 ――いた。

 怜はクラスの前列で、誰よりも必死に声を出している。

「春日ー! 頑張れ!」

 はっきり、聞こえた。

(……あぁ)

(俺、これだ)

 合図と同時に、身体が前へ出る。
 風を切り、地面を蹴る。

(見ててくれ)

 バトンを受け取り、全力で走る。
 ゴールした瞬間、順位を確認する前に、足が勝手に向かっていた。

 ――応援席。

 無意識だった。

「……春日?」

 怜が驚いた顔をする。

 その時、次の競技のアナウンスが入る。

 『借り物競走』。

 カードを引いた瞬間、文字を見て、迷いはなかった。

 ――大切な人。

 陽向はまっすぐ怜の前に立ち、そのまま腕を回す。

「え、ちょ――!」

 視界が一瞬揺れ、怜の身体が宙に浮く。

「こっちの方が速いだろ」

 当然のように言って、陽向は走り出す。

 歓声が上がる。
 でも、陽向の意識は、腕の中の温もりだけだった。

 一位でゴール。

 次は怜の番。

 紙を開き、書かれた文字を見る。

 『大好きな人』。

 怜は走らなかった。
 一歩ずつ、陽向の元へ向かう。

「……春日」

 そっと手を伸ばす。

 陽向が、迷いなくその手を握る。

 二人で歩き、ゴールテープを越える。

(勝ち負けより)

(この時間が、長く続けばいい)

 そう思いながら。

 ――その直後だった。

「応援団長が、怪我で退場します!」

 放送が流れ、校庭がざわつく。

 足を痛めた応援団長が、保健室へ運ばれていくのが見えた。

 急遽、話し合いが始まる。

「代わり、どうする?」
「時間ないぞ……」

 そこで、誰かが言った。

「……春日でよくない?」

 視線が一斉に集まる。

「リレーも借り物も、あれ見たらさ」
「声も通るし」

 陽向は一瞬戸惑ったが、断る理由はなかった。

「……やります」

 昼休み。

 練習時間は、それしかなかった。

 振り付け、動き、掛け声。
 短時間で詰め込まれる内容。

 でも陽向は、黙って覚えた。
 一度見ただけで、身体に入れる。

(走るのと、同じだ)

 本番。

 太鼓の音が鳴る。

 陽向は、迷いなく腕を振り上げ、声を張る。

 完璧だった。

 揃った動き、力強い号令。
 校庭の空気が、一気に引き締まる。

 応援席で、怜は息を呑んだ。

(……すごい)

 走る姿だけじゃない。
 頼られた場所で、逃げずに立つ姿。

 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。

 競技が終わり、陽向がこちらを見る。

 目が合った瞬間、怜は小さく笑った。

 秋風が吹く。

 隣にいる距離は、変わらない。

 けれど――
 確実に、何かが動き出していた。