犬系男子は猫系男子に恋をする

 グラウンドに立つと、空気が違った。

 夏の大会が近づくと、陸上部の時間は濃くなる。
 顧問の声も、仲間の呼吸も、すべてが張り詰めている。

「今日から追い込みだ」

 その一言で、陽向の胸が高鳴った。

 ――走りたい。

 体が、先に前に出たがっている。

 スタートの合図。
 地面を蹴る。

 風が耳元で鳴る。
 足が、思った以上に動く。

「……いいな」

 自分で分かる。

 今、調子がいい。

 理由は単純だ。
 怜が、学校に戻ってきたから。

 でも。

 戻ってきたはずの隣席は、どこか遠かった。

 教室。

 怜は、席にいる。
 でも、どこか疲れた顔をしている。

「……おはよう」

「……おはよう」

 会話は、それだけ。

 陽向は、言いたいことが山ほどあるのに、
 どれも、今言うべきじゃない気がした。

 授業が終わると、すぐに部活だ。

 追い込み期間。
 放課後は、全部、走りに使う。

 ――早く、走りたい。

 教室を出るとき、ちらっと隣を見る。

 怜は、ノートを閉じて、鞄を持っていた。

「先、行く」

 そう言うと、怜は小さく頷いた。

 その背中が、少しだけ小さく見えた。

 走りながら、考える。

 話せていない。
 でも、嫌われたわけじゃない。

 そう、信じたい。

「集中!」

 顧問の声。

 トラックを回る。

 肺が熱くなる。
 足が重くなる。

 それでも、止まらない。

 ――次に会うときは、ちゃんと話そう。

 そう思いながら、走る。

 翌日も、その翌日も。

 朝は授業。
 昼は隣席。
 放課後は陸上。

 怜と話す時間は、ほとんどなかった。

 昼休み、弁当を広げると、怜は少しだけ食べていた。

「……ちゃんと食え」

「……うるさい」

 短い会話。

 それ以上、踏み込めない。

 怜の顔色は、まだ万全じゃない。

 無理させたくない。
 でも、距離は縮まらない。

 放課後。

 裏門へ向かう途中、声をかけようとして、やめる。

 怜は、早く帰る。
 迎えの車が待っている。

 追い込みは、続く。

 陽向の体は、どんどん研ぎ澄まされていく。

 その一方で、心は、落ち着かない。

「なあ、春日」

 田島が言う。

「最近、走りすぎ」

「いいだろ」

「いいけどさ」

 田島は、陽向を見る。

「走ってないと、不安になる感じ」

 図星だった。

「……大会前だから」

「それだけ?」

 答えない。

 走る。

 走れば、余計なことを考えなくて済む。

 ――怜が、何を考えているか。

 それを考えるのが、怖い。

 夕方。

 校舎を出ると、怜の姿が見えた。

 一瞬、目が合う。

 声をかけようとした。

 でも、顧問に呼ばれる。

「春日」

「……はい」

 振り返ったとき、怜はいなかった。

 胸が、きゅっと痛む。

 その夜。

 ベッドに横になっても、足がうずうずする。

 走りたい。
 走らないと、落ち着かない。

 スマホを見る。

 怜からの連絡は、ない。

「……」

 ため息をつく。

 翌朝。

 早朝練習。

 空が、まだ白い。

 走りながら、思う。

 ――すれ違ってる。

 隣にいるのに。

 大会は近い。
 時間は、あまりない。

 でも。

 走り続けた先で、
 ちゃんと、隣に戻れるだろうか。

 その答えは、まだ見えなかった。

 戻ってきた隣席は、
 同じ場所にあるのに、
 少しだけ、遠かった。

 それでも、陽向は走る。

 走るしか、できなかった。