なにかと近すぎ!メイドの秘密と苦いチョコで笑って泣く文化祭

 十二月二十二日(日)の昼。校内は休日なのに、二年C組だけが台所実習室に集まっていた。明日の販売に向けて、最後の包装作業と精算を済ませるためだ。

 机の上には、透明の袋、細いリボン、シール。瑶果はリボンを結ぶたびに「私、手先の神」と言い、結音は「神は自分で言わない」と返す。笑いながらも、手は止まらない。奏は封筒を一つ、机の端に置いていた。材料費の精算用。明日、佐伯に渡す予定のもの。

 「封筒、ここね。触らないで」

 奏が念押しすると、瑶果が「奏の封筒に触ったら呪われる」と言って、わざと手を引っ込めた。結音が「触らない、じゃなくて、誰が管理するか決めよう」と言い、奏が「俺が管理する」と即答する。

 作業がひと段落し、結音が手を洗いに行った隙に、奏は封筒を確認しようとした。机の端に――ない。

 「……え」

 机の下も、椅子の上も、ゴミ箱の横も。封筒は消えていた。奏の背中に汗が浮く。冬なのに。

 「ねえ、封筒どこ?」瑶果がリボンを持ったまま顔色を変えた。「さっきそこにあったよね?」

 誰かが「誰か持った?」と聞き、誰かが「触ってない」と返す。返す声が重なるほど、空気が硬くなる。

 結音はすぐに調理台の上を片づけ、声を張りすぎない音量で言った。「今、疑うのは後。探し方、決めよう。最後に封筒を見たのは誰?」

 「奏が置いたのは見た」瑶果が手を挙げた。「そのあと、私がリボン取ろうとして、奏に『触るな』って言われた」

 「言い方きつかった?」奏が反射で言うと、瑶果は首を振った。「きついっていうか、奏の封筒は神聖っていうか」

 誰かが笑いかけ、すぐに口をつぐむ。笑えない空気だ。

 結音は冷蔵庫の上、ゴミ箱の中、棚の奥と、場所を区切って指さした。「二人ずつで探す。奏くんは――」

 「俺が全部見る」

 奏が言うと、結音は首を横に振った。「二人。今は二人が一番早い」

 その瞬間、誰かが小さく「久慈が探せば早いのに」と言った。久慈が視線を上げる。瑶果が「あ、今のは違う違う」と慌て、結音が一呼吸置いて言った。

 「早い人に頼るんじゃなくて、疑いが出ない形にする。明日も一緒に動くんだから」



 「……隠しごとがある人って、誰だっけ」

 小さな声が、壁際から落ちた。噂の話が、ここで結びつく。奏は喉が鳴るのを感じた。

 久慈は実習室の入り口近くで腕を組んでいた。今日は来ないと思っていたのに、制服のまま、いつもの顔でそこにいる。誰かがその顔を見て、視線を逸らす。逸らした視線が、また久慈に戻る。

 結音が戻ってきて、空気を一瞬で察した。「何がないの?」

 「封筒」奏が言うと、結音は唇を結んだ。瑶果が「お金入ってるやつ」と説明し、結音はすぐに「まず、落ち着こう」と言った。けれど、落ち着く前に、視線が久慈へ集まってしまう。

 久慈は笑わない。「俺じゃない」

 その言い方が、火に油を注いだ。「じゃあ誰」と誰かが言い、奏の胸が痛む。自分が秘密を抱えたままだから、疑いが一つの方向に流れる。

 廊下へ出ると、渡り廊下のガラスに雨上がりの光が反射して眩しかった。奏は早足になる。探す。見つける。自分がやる。そうすれば、元に戻る。

 背後から足音がついてきた。久慈だった。奏は止まらずに言った。

 「来るな」

 「来てない。たまたま同じ方向」

 久慈の言い方は平らだ。奏は歯を食いしばった。「お前がいれば、余計に――」

 「余計に何だよ」

 奏が言い淀んだ瞬間、久慈が立ち止まった。渡り廊下の真ん中。風が吹き抜け、制服の裾が揺れる。

 久慈は奏を見て、笑わずに言った。

 「全部きみのせいだよ」

 奏の足が止まった。胸の中で、何かが落ちる音がした。

 「見つけて、黙って、守るふりして、目立たせた。噂を消して、逆に広げた。封筒が消えたら、疑いはこっちに来る。……分かってたろ」

 分かっていた。分かっていたのに、止まれなかった。奏は言い返そうとして、言葉が喉にひっかかった。

 久慈は視線を逸らし、息を一つ吐いた。「俺は探す。お前は勝手に走るな」

 「走るなって――」

 奏は返事をせずに、走った。返事をすると、泣きそうになる。走っていれば、目が乾く。そう思った。

 校舎裏の倉庫前。扉の脇に積まれた段ボールの影で、誰かがしゃがみこんでいるのが見えた。二年C組の男子だった。手に、茶色い封筒を持っている。

 「……それ」

 奏が声をかけた瞬間、男子は跳ねた。目が泳ぎ、封筒を胸に抱え、走り出した。

 「待て!」

 奏も追う。靴底が濡れたコンクリートを蹴り、足が滑る。体が前のめりに傾く。転ぶ――と思った瞬間、腕を掴まれた。

 久慈だった。いつの間に。久慈の手は冷たくて、掴む力だけがやたら強い。

 「止まれ」

 その一言で、奏の足が戻る。二人は息を合わせ、男子の進路を塞ぐように回り込んだ。男子は壁際で立ち尽くし、肩を上下させた。

 「返せ」奏が言うと、男子の目から涙が滲んだ。

 「……ごめん。ほんの、ほんのちょっとだけ。小遣い足りなくて。明日、返すつもりだった」

 奏は怒鳴りたかった。けれど、男子の手が震えている。久慈は男子の前に立ち、低い声で言った。

 「今、返せるなら返せ。言い訳はあとでいい」

 遮るようで、遮っていない。言葉を短くして、男子が息を吸える隙を作っている。男子は封筒を差し出し、肩を落とした。

 奏は封筒を受け取り、封を確かめた。中身は揃っている。胸の奥の硬さが、少しだけほどけた。

 「……一緒に戻ろう」

 奏が言うと、男子は泣きながら頷いた。久慈は何も言わず、奏の横に並ぶ。並ぶ距離が、いつもより――近い。でも、今日は息が詰まらない。

 実習室へ戻ると、結音がすぐに状況を聞き、瑶果が「よかったぁ」と大げさに座り込んだ。男子は頭を下げ、佐伯へ電話することになった。空気はまだ重い。でも、疑いの矢印は、少なくとも久慈から外れた。

 帰り道、日が落ちて、廊下の窓が黒くなっていく。奏は久慈の隣で歩きながら、足元を見て言った。

 「……助かった」

 久慈は「当然」とも「礼はいらない」とも言わない。歩幅を合わせるだけだ。

 奏は息を吸い、言葉を選んで、ようやく口にした。

 「……頼っていい?」

 久慈は一瞬だけ奏を見た。目の奥が揺れそうで揺れない。やがて、短く頷いた。

 その頷きが、奏には温かかった。

 片づけを終え、台所実習室の鍵を閉めると、結音が奏の横に来た。廊下の窓から、夕焼けの残りが細く差している。

 「奏くん、さっき、走ったでしょ」

 奏は視線を逸らした。「……止まれなかった」

 「うん。止まれないの、分かる。でも、止める人がいると助かるよね。今日、久慈くんが腕を掴んだみたいに」

 奏は黙った。腕に残る感触が、まだ消えていない。

 結音は少しだけ笑って言った。「近いって言ってたのに、今日は並んで歩けてた」

 奏は小さく鼻で息を吐いた。「近いのが嫌なんじゃなくて……急に来るのが嫌なんだ」

 「じゃあ、急に来ないようにする。明日も、声かけてから近づく」

 結音の言い方が真面目すぎて、奏は笑ってしまった。笑った途端、胸の奥の硬さが一つ外れた気がした。