神崎の「好きだから」が、まだ耳の奥にずっとこびりついている。
なのに本人は、僕のバッグを持って、当然みたいに廊下を歩いていた。いつもの歩幅。いつもの背中。いつもの涼しい顔。
(え、待って。さっき告白した人の歩き方じゃない)
「……神崎」
「ん」
「さっきの、あれ」
「何」
「好きって」
「言った」
「言ったよね?」
「言った」
確認が取れたのに、僕の頭は混乱したままだ。
「で、なんで今、普通なの」
「普通じゃない」
「普通だよ。撤収班の顔してる」
神崎は一瞬動きを止めると、僕と目が合わない程度にチラッとこちらを振り返った。
「……伊吹が倒れそうだったから、先に言った」
「先に言ったって何」
「言わないと、止める理由が説明できないから」
ドクン、と心臓が一拍大きく跳ねる。
(止める理由……)
僕が言葉に詰まっていると、神崎が淡々と付け足した。
「でも、今は作業の話」
「切り替えが早すぎる!」
「学祭」
「学祭は大事だけど、僕の心臓も大事だよ!」
神崎がようやく僕の目を見た。真顔だ。
「大事」
短い。
短いのに、刺さる。
僕はもう一回、負けた気がした。
◇
外に出ると、夕方の風が冷たかった。神崎は僕の半歩前に出て、自然に人の流れを避けるルートを選んでいる。
(護衛、仕事してる……)
悔しいのに、なんだか安心してしまう。
「ねえ、神崎」
「ん」
「……僕、今、どういう顔してる?」
「赤い」
「まだ!?」
「赤い」
「赤くない!」
「赤い」
「……撤収班ルール違反?」
神崎が少しだけ柔らかい笑みを浮かべた。
「撤収班ルール第十二条。ルール違反はペナルティ」
「増やすなってば!」
「増える」
「増えるな!」
いつもの押し問答。なのに、僕の胸の奥はいつもより温かい。
駅前に近づくと、大学生っぽい集団が騒いでいた。たぶん別のサークルの連中だ。楽しそうで、リア充感丸出しだ。
その中の一人が神崎を見つけて、笑顔でこちらに手を振ってきた。
「あ、神崎じゃん! 学祭準備お疲れ!」
さっそく神崎が外面の“感じの良さ”を発動する。
「お疲れ。どうした」
「ポスター見た! めっちゃいいじゃん! 伊吹くんだっけ? 副委員長!」
僕の方にも話が飛んでくる。
「あ、はい……」
僕が会釈すると、その人が急にニヤニヤしだした。
「二人、いつも一緒だよね。コンビ?」
ドキッとした。好きだとか言われた後だから、これは後ろめたさからくる“ドキッ”で合ってるのかな?
神崎はいつも通りにさらっと言った。後ろめたさ、ないの?
「コンビ」
……え。
「コンビって何の?」
聞かれて、神崎は僕を見ずに言った。
「撤収班」
「撤収班!? なにそれ!」
周りが笑う。僕も思わず笑ってしまった。逃げ道として便利すぎる。
その人たちが去ったあとで、僕は神崎をジロッと睨んだ。
「……今、普通に『コンビ』って言ったね?」
「言った」
「誤魔化したね?」
「守った」
「何を」
神崎が、少しだけ声を落とした。
「伊吹の顔」
……ずるい。
ずるいけど、胸がきゅっとなる。
◇
家の前まで来て、神崎が立ち止まった。
「帰宅連絡」
「まだ部屋入ってない」
「入ったら」
「はいはい」
僕が玄関の鍵を開けようとした瞬間、神崎が小さく僕の名前を呼んだ。
「伊吹」
「なに」
「さっきの……」
神崎が珍しく言い淀んだ。いつもはきっぱりと何でも言い切るのに。
「……さっきの、好きってやつ?」
「うん」
「やっぱり、撤収班の冗談だった?」
「冗談じゃない」
神崎の声は低くて、真面目で、逃げずに僕の目を真っ直ぐ見つめてくる。
「……じゃあさ、なんで急に言ったの」
「言わないと、伊吹が“平気な顔”するから」
「……平気な顔、してた?」
「してた」
神崎は短く息を吐いて、少しだけ眉根を曇らせた。
「伊吹は頑張りすぎる。だから、俺が止める……止めたい」
神崎の言葉があまりにもまっすぐで、僕はとっさに言い返せなかった。
それで、代わりに小さい声でぽつりと言った。
「……ありがとう」
神崎が驚いたように目を丸くした。
「今、何て?」
「聞こえてるでしょ!」
「もう一回」
「調子乗るな!」
僕が言うと、神崎が笑った。小さく、近く。
「……じゃあ」
神崎が一歩近づいて、僕の頭の上に手を置きそうになって――途中で止めた。
(今、撫でようとした?)
神崎はすっと手を下ろすと、いつもの顔に戻った。
「明日、無理するな」
「……神崎」
「ん」
「命令形やめて。お願いって言って」
自分で言って、恥ずかしくなった。何言ってんだ僕。
でも神崎は、すぐに素直に言った。
「……お願い。無理するな」
胸が、ドキンと変な音を立てた。
「……うん」
僕が頷くと、神崎は満足そうに言いかけて――止めた。
「……よ」
「言いかけた!」
「言ってない」
「言いかけた!」
神崎が咳払いして、ちょっとだけ耳を赤くした。
「撤収班ルール第十三条。伊吹は俺に意地悪を言わない」
「意地悪じゃない!」
「意地悪」
神崎はそれだけ言って、くるりと僕に背中を向けた。
「帰宅したら連絡」
「はいはい、撤収班!」
僕が言うと、神崎が振り返って、小さい声で言った。
「……撤収班じゃなくても、行く」
言い終えてすぐ、歩き出した。
(ずるい……)
僕は玄関のドアに背中をつけて、しばらくその場で固まっていた。
◇
スマホを見ると、すでに通知が来ている。
【神崎:帰宅】
(なんで先に報告してくるの)
僕は指先でポチポチと返信した。
【伊吹:帰宅しました】
秒で既読が付く。
【神崎:よし】
「言ったーー!!」
声に出してツッコんでしまった。なのに、ニヤける口元が止まらない。最悪。
さらに続けて通知が届く。
【神崎:明日、昼。広報最終ミーティング】
【神崎:伊吹、朝飯食え】
【神崎:あと】
【神崎:……今日の、ありがとう】
僕の心臓が、またドクドクとうるさくなる。
(……神崎が、文字でも分かるくらい照れてる)
僕はしばらく画面を見つめて、短く返した。
【伊吹:どういたしまして】
【伊吹:あと、よし禁止】
既読。
【神崎:努力する】
(努力目標になった)
僕はスマホをポケットに滑り込ませた。
学祭当日まで、あと少し。
忙しいし、眠いし、やることだらけだ。
なのに、神崎の「好きだから」があるだけで、世界が少しだけ明るく見えるのが悔しい。
そしてたぶん――
僕の方も、もう、逃げられない。
なのに本人は、僕のバッグを持って、当然みたいに廊下を歩いていた。いつもの歩幅。いつもの背中。いつもの涼しい顔。
(え、待って。さっき告白した人の歩き方じゃない)
「……神崎」
「ん」
「さっきの、あれ」
「何」
「好きって」
「言った」
「言ったよね?」
「言った」
確認が取れたのに、僕の頭は混乱したままだ。
「で、なんで今、普通なの」
「普通じゃない」
「普通だよ。撤収班の顔してる」
神崎は一瞬動きを止めると、僕と目が合わない程度にチラッとこちらを振り返った。
「……伊吹が倒れそうだったから、先に言った」
「先に言ったって何」
「言わないと、止める理由が説明できないから」
ドクン、と心臓が一拍大きく跳ねる。
(止める理由……)
僕が言葉に詰まっていると、神崎が淡々と付け足した。
「でも、今は作業の話」
「切り替えが早すぎる!」
「学祭」
「学祭は大事だけど、僕の心臓も大事だよ!」
神崎がようやく僕の目を見た。真顔だ。
「大事」
短い。
短いのに、刺さる。
僕はもう一回、負けた気がした。
◇
外に出ると、夕方の風が冷たかった。神崎は僕の半歩前に出て、自然に人の流れを避けるルートを選んでいる。
(護衛、仕事してる……)
悔しいのに、なんだか安心してしまう。
「ねえ、神崎」
「ん」
「……僕、今、どういう顔してる?」
「赤い」
「まだ!?」
「赤い」
「赤くない!」
「赤い」
「……撤収班ルール違反?」
神崎が少しだけ柔らかい笑みを浮かべた。
「撤収班ルール第十二条。ルール違反はペナルティ」
「増やすなってば!」
「増える」
「増えるな!」
いつもの押し問答。なのに、僕の胸の奥はいつもより温かい。
駅前に近づくと、大学生っぽい集団が騒いでいた。たぶん別のサークルの連中だ。楽しそうで、リア充感丸出しだ。
その中の一人が神崎を見つけて、笑顔でこちらに手を振ってきた。
「あ、神崎じゃん! 学祭準備お疲れ!」
さっそく神崎が外面の“感じの良さ”を発動する。
「お疲れ。どうした」
「ポスター見た! めっちゃいいじゃん! 伊吹くんだっけ? 副委員長!」
僕の方にも話が飛んでくる。
「あ、はい……」
僕が会釈すると、その人が急にニヤニヤしだした。
「二人、いつも一緒だよね。コンビ?」
ドキッとした。好きだとか言われた後だから、これは後ろめたさからくる“ドキッ”で合ってるのかな?
神崎はいつも通りにさらっと言った。後ろめたさ、ないの?
「コンビ」
……え。
「コンビって何の?」
聞かれて、神崎は僕を見ずに言った。
「撤収班」
「撤収班!? なにそれ!」
周りが笑う。僕も思わず笑ってしまった。逃げ道として便利すぎる。
その人たちが去ったあとで、僕は神崎をジロッと睨んだ。
「……今、普通に『コンビ』って言ったね?」
「言った」
「誤魔化したね?」
「守った」
「何を」
神崎が、少しだけ声を落とした。
「伊吹の顔」
……ずるい。
ずるいけど、胸がきゅっとなる。
◇
家の前まで来て、神崎が立ち止まった。
「帰宅連絡」
「まだ部屋入ってない」
「入ったら」
「はいはい」
僕が玄関の鍵を開けようとした瞬間、神崎が小さく僕の名前を呼んだ。
「伊吹」
「なに」
「さっきの……」
神崎が珍しく言い淀んだ。いつもはきっぱりと何でも言い切るのに。
「……さっきの、好きってやつ?」
「うん」
「やっぱり、撤収班の冗談だった?」
「冗談じゃない」
神崎の声は低くて、真面目で、逃げずに僕の目を真っ直ぐ見つめてくる。
「……じゃあさ、なんで急に言ったの」
「言わないと、伊吹が“平気な顔”するから」
「……平気な顔、してた?」
「してた」
神崎は短く息を吐いて、少しだけ眉根を曇らせた。
「伊吹は頑張りすぎる。だから、俺が止める……止めたい」
神崎の言葉があまりにもまっすぐで、僕はとっさに言い返せなかった。
それで、代わりに小さい声でぽつりと言った。
「……ありがとう」
神崎が驚いたように目を丸くした。
「今、何て?」
「聞こえてるでしょ!」
「もう一回」
「調子乗るな!」
僕が言うと、神崎が笑った。小さく、近く。
「……じゃあ」
神崎が一歩近づいて、僕の頭の上に手を置きそうになって――途中で止めた。
(今、撫でようとした?)
神崎はすっと手を下ろすと、いつもの顔に戻った。
「明日、無理するな」
「……神崎」
「ん」
「命令形やめて。お願いって言って」
自分で言って、恥ずかしくなった。何言ってんだ僕。
でも神崎は、すぐに素直に言った。
「……お願い。無理するな」
胸が、ドキンと変な音を立てた。
「……うん」
僕が頷くと、神崎は満足そうに言いかけて――止めた。
「……よ」
「言いかけた!」
「言ってない」
「言いかけた!」
神崎が咳払いして、ちょっとだけ耳を赤くした。
「撤収班ルール第十三条。伊吹は俺に意地悪を言わない」
「意地悪じゃない!」
「意地悪」
神崎はそれだけ言って、くるりと僕に背中を向けた。
「帰宅したら連絡」
「はいはい、撤収班!」
僕が言うと、神崎が振り返って、小さい声で言った。
「……撤収班じゃなくても、行く」
言い終えてすぐ、歩き出した。
(ずるい……)
僕は玄関のドアに背中をつけて、しばらくその場で固まっていた。
◇
スマホを見ると、すでに通知が来ている。
【神崎:帰宅】
(なんで先に報告してくるの)
僕は指先でポチポチと返信した。
【伊吹:帰宅しました】
秒で既読が付く。
【神崎:よし】
「言ったーー!!」
声に出してツッコんでしまった。なのに、ニヤける口元が止まらない。最悪。
さらに続けて通知が届く。
【神崎:明日、昼。広報最終ミーティング】
【神崎:伊吹、朝飯食え】
【神崎:あと】
【神崎:……今日の、ありがとう】
僕の心臓が、またドクドクとうるさくなる。
(……神崎が、文字でも分かるくらい照れてる)
僕はしばらく画面を見つめて、短く返した。
【伊吹:どういたしまして】
【伊吹:あと、よし禁止】
既読。
【神崎:努力する】
(努力目標になった)
僕はスマホをポケットに滑り込ませた。
学祭当日まで、あと少し。
忙しいし、眠いし、やることだらけだ。
なのに、神崎の「好きだから」があるだけで、世界が少しだけ明るく見えるのが悔しい。
そしてたぶん――
僕の方も、もう、逃げられない。



