撤収班ルールで、犬猿なはずのあいつと恋をする

 神崎の「好きだから」が、まだ耳の奥にずっとこびりついている。
 なのに本人は、僕のバッグを持って、当然みたいに廊下を歩いていた。いつもの歩幅。いつもの背中。いつもの涼しい顔。

(え、待って。さっき告白した人の歩き方じゃない)

「……神崎」
「ん」
「さっきの、あれ」
「何」
「好きって」
「言った」
「言ったよね?」
「言った」

 確認が取れたのに、僕の頭は混乱したままだ。

「で、なんで今、普通なの」
「普通じゃない」
「普通だよ。撤収班の顔してる」

 神崎は一瞬動きを止めると、僕と目が合わない程度にチラッとこちらを振り返った。

「……伊吹が倒れそうだったから、先に言った」
「先に言ったって何」
「言わないと、止める理由が説明できないから」

 ドクン、と心臓が一拍大きく跳ねる。

(止める理由……)

 僕が言葉に詰まっていると、神崎が淡々と付け足した。

「でも、今は作業の話」
「切り替えが早すぎる!」
「学祭」
「学祭は大事だけど、僕の心臓も大事だよ!」

 神崎がようやく僕の目を見た。真顔だ。

「大事」

 短い。
 短いのに、刺さる。
 僕はもう一回、負けた気がした。



 外に出ると、夕方の風が冷たかった。神崎は僕の半歩前に出て、自然に人の流れを避けるルートを選んでいる。

(護衛、仕事してる……)

 悔しいのに、なんだか安心してしまう。

「ねえ、神崎」
「ん」
「……僕、今、どういう顔してる?」
「赤い」
「まだ!?」
「赤い」
「赤くない!」
「赤い」
「……撤収班ルール違反?」

 神崎が少しだけ柔らかい笑みを浮かべた。

「撤収班ルール第十二条。ルール違反はペナルティ」
「増やすなってば!」
「増える」
「増えるな!」

 いつもの押し問答。なのに、僕の胸の奥はいつもより温かい。
 駅前に近づくと、大学生っぽい集団が騒いでいた。たぶん別のサークルの連中だ。楽しそうで、リア充感丸出しだ。
 その中の一人が神崎を見つけて、笑顔でこちらに手を振ってきた。

「あ、神崎じゃん! 学祭準備お疲れ!」

 さっそく神崎が外面の“感じの良さ”を発動する。

「お疲れ。どうした」
「ポスター見た! めっちゃいいじゃん! 伊吹くんだっけ? 副委員長!」

 僕の方にも話が飛んでくる。

「あ、はい……」

 僕が会釈すると、その人が急にニヤニヤしだした。

「二人、いつも一緒だよね。コンビ?」

 ドキッとした。好きだとか言われた後だから、これは後ろめたさからくる“ドキッ”で合ってるのかな?
 神崎はいつも通りにさらっと言った。後ろめたさ、ないの?

「コンビ」

 ……え。

「コンビって何の?」

 聞かれて、神崎は僕を見ずに言った。

「撤収班」
「撤収班!? なにそれ!」

 周りが笑う。僕も思わず笑ってしまった。逃げ道として便利すぎる。
 その人たちが去ったあとで、僕は神崎をジロッと睨んだ。

「……今、普通に『コンビ』って言ったね?」
「言った」
「誤魔化したね?」
「守った」
「何を」

 神崎が、少しだけ声を落とした。

「伊吹の顔」

 ……ずるい。

 ずるいけど、胸がきゅっとなる。



 家の前まで来て、神崎が立ち止まった。

「帰宅連絡」
「まだ部屋入ってない」
「入ったら」
「はいはい」

 僕が玄関の鍵を開けようとした瞬間、神崎が小さく僕の名前を呼んだ。

「伊吹」
「なに」
「さっきの……」

 神崎が珍しく言い淀んだ。いつもはきっぱりと何でも言い切るのに。

「……さっきの、好きってやつ?」
「うん」
「やっぱり、撤収班の冗談だった?」
「冗談じゃない」

 神崎の声は低くて、真面目で、逃げずに僕の目を真っ直ぐ見つめてくる。

「……じゃあさ、なんで急に言ったの」
「言わないと、伊吹が“平気な顔”するから」
「……平気な顔、してた?」
「してた」

 神崎は短く息を吐いて、少しだけ眉根を曇らせた。

「伊吹は頑張りすぎる。だから、俺が止める……止めたい」

 神崎の言葉があまりにもまっすぐで、僕はとっさに言い返せなかった。
 それで、代わりに小さい声でぽつりと言った。

「……ありがとう」

 神崎が驚いたように目を丸くした。

「今、何て?」
「聞こえてるでしょ!」
「もう一回」
「調子乗るな!」

 僕が言うと、神崎が笑った。小さく、近く。

「……じゃあ」

 神崎が一歩近づいて、僕の頭の上に手を置きそうになって――途中で止めた。

(今、撫でようとした?)

 神崎はすっと手を下ろすと、いつもの顔に戻った。

「明日、無理するな」
「……神崎」
「ん」
「命令形やめて。お願いって言って」

 自分で言って、恥ずかしくなった。何言ってんだ僕。
 でも神崎は、すぐに素直に言った。

「……お願い。無理するな」

 胸が、ドキンと変な音を立てた。

「……うん」

 僕が頷くと、神崎は満足そうに言いかけて――止めた。

「……よ」
「言いかけた!」
「言ってない」
「言いかけた!」

 神崎が咳払いして、ちょっとだけ耳を赤くした。

「撤収班ルール第十三条。伊吹は俺に意地悪を言わない」
「意地悪じゃない!」
「意地悪」

 神崎はそれだけ言って、くるりと僕に背中を向けた。

「帰宅したら連絡」
「はいはい、撤収班!」

 僕が言うと、神崎が振り返って、小さい声で言った。

「……撤収班じゃなくても、行く」

 言い終えてすぐ、歩き出した。

(ずるい……)

 僕は玄関のドアに背中をつけて、しばらくその場で固まっていた。



 スマホを見ると、すでに通知が来ている。

【神崎:帰宅】

(なんで先に報告してくるの)

 僕は指先でポチポチと返信した。

【伊吹:帰宅しました】

 秒で既読が付く。

【神崎:よし】

「言ったーー!!」

 声に出してツッコんでしまった。なのに、ニヤける口元が止まらない。最悪。
 さらに続けて通知が届く。

【神崎:明日、昼。広報最終ミーティング】
【神崎:伊吹、朝飯食え】
【神崎:あと】
【神崎:……今日の、ありがとう】

 僕の心臓が、またドクドクとうるさくなる。

(……神崎が、文字でも分かるくらい照れてる)

 僕はしばらく画面を見つめて、短く返した。

【伊吹:どういたしまして】
【伊吹:あと、よし禁止】

 既読。

【神崎:努力する】

(努力目標になった)

 僕はスマホをポケットに滑り込ませた。

 学祭当日まで、あと少し。
 忙しいし、眠いし、やることだらけだ。
 なのに、神崎の「好きだから」があるだけで、世界が少しだけ明るく見えるのが悔しい。

 そしてたぶん――
 僕の方も、もう、逃げられない。