撤収班ルールで、犬猿なはずのあいつと恋をする

 あれから三日間、僕の頭の中は学祭と飲み会の心配で半分ずつ占領されていた。いや、学祭が九割で、飲み会が一割。なのにその一割が、やたらうるさい。
 そして、その一割の原因はだいたい神崎だ。

「伊吹」

 印刷室で作業していると、今日も神崎が当然のように現れる。

「なに」
「金曜」
「……またその話?」
「結論」

 神崎は時折単語だけで会話をする。省エネなのに圧が強い。最悪。

「まだ検討中」
「検討期限は今日」
「なんで!?」
「三木が今日、また聞いてくるから」
「予言者?」
「観察者」

 神崎は涼しい顔で言い切った。悔しいけど、当たってそうでさらに悔しい。

「……行くとしてもさ」

 僕はなるべく平静を装って続けた。

「学祭の作業が終わってからになるし、長居はできないよ?」
「うん」
「うん、って」
「それでいい」

 神崎があまりにも即答するから、逆に不安になる。

「神崎、本当に行く気なの? 飲み会」
「行く」
「なんで」
「護衛」
「護衛って……」

 僕が言いかけると、神崎が淡々と言葉を付け足した。

「撤収班ルール第九条。伊吹は護衛に文句を言わない」
「増やすな!」
「増えた」
「増やすなって!」

 神崎は少しだけ口元を緩めた。

「文句を言う元気あるなら、大丈夫だな」

(それ、褒めてる? 煽ってる?)

 僕は言い返すのをやめた。やめた僕がえらい。でも、声に出したら神崎に「よし」されるので、心の中でだけでこっそり呟くことにした。
 その日の昼、案の定三木から「金曜どうする?」と追撃メッセージが来た。
 僕はスマホを見下ろして、思わず息をのんだ。

(ほら当たった……神崎、こわ……)

 検討期限は今日までとは言われたものの、残りの作業のめどが立たなくて、やっぱり返事は直前まで伸ばしてもらうことにした。



 そして金曜日。
 学祭の作業をなんとか終わらせ、僕は三木に「行けそうなら顔出す」とだけ送った。すると秒で返事が返ってきた。

【三木:まじ!? 神! 場所あとで送る!】

(軽い! ノリが軽い!)

 その直後、もう一件ピロンと通知が届いた。

【神崎:結論】

(監視アプリ入ってる?)

【伊吹:顔出すだけ。短時間】
【神崎:俺も行く】

 既読の速さが怖い。

【伊吹:護衛、ほんとに?】
【神崎:護衛】

 語彙が護衛しかないのだろうか?



 集合場所は駅前の居酒屋だった。大学生にちょうどいい、そんなに高くなくてメニューの多いチェーン店だ。
 店の前で待っていると、駅の方から神崎が現れた。
 黒いコートを着て、髪はいつも通り整っていて、顔もいつも通り良い。だけど、なんとなくどこか落ち着きがない。
 神崎が落ち着きないなんて、レアすぎる。

「……神崎?」
「ん」
「緊張してる?」
「してない」
「してるでしょ」
「してない」
「じゃあなんでそんなに歩くの速いの?」
「早く終わらせたい」
「正直!」

 僕が笑うと、神崎は一瞬だけ目を細めた。

「笑うな」
「笑うよ。護衛が緊張って」
「護衛は緊張しない」
「してるってば」

 神崎は小さく息を吐いて、僕の肩を軽く押した。

「行くぞ」
「押さないで」
「迷子になる」
「ならない!」

 そんなやり取りをしているうちに、三木が店から飛び出してきた。

「伊吹ー! 来たか! ……って神崎くん!? ほんとに来たの!?」

 三木のテンションがうるさい。

「うん」

 神崎は短く返事を返した。いつも通りの“他人用”の感じの良さだ。薄い笑顔まで装備している。

(外面、完璧だな……)

 三木が肩を組もうとして、僕の方に手を伸ばした瞬間。
 神崎が、ほんの少しだけ前に出た。その少しのせいで、神崎の肩が僕の肩に軽くぶつかった。

「寒い。入るぞ」
「え、うん?」

 三木がきょとんとしながらも、伸ばしかけていた手を素直に引っ込める。僕は思わず神崎を振り返った。

「……今の、わざと?」
「何が」
「距離」
「距離?」

 神崎はとぼけた顔で言う。

「偶然」
「絶対うそ!」

 神崎は答えを返さない。返さないくせに、僕の背中側に回って、さりげなく人混みから守る位置に立った。

(護衛“っぽいこと”はしてる……)

 腹立つのに、ちょっと安心する。最悪。



 席は六人掛けのテーブルだった。三木と、同じ講義の男子が二人。そこに僕と神崎が合流する。

「よっしゃ乾杯!」

 三木が音頭を取って、みんながジョッキを掲げる。僕は烏龍茶。神崎も烏龍茶。

(え、神崎もソフトドリンク?)

「飲まないの?」
「護衛だから」
「護衛でも飲んだらいいじゃん」
「仕事」

 そう真顔で言い切られて、僕は笑うの我慢できなかった。

「伊吹、今日は副委員長はオフなの?」

 別の男子が僕に聞くと、なぜか神崎がさらっと返事をした。

「オフじゃない」
「え?」
「伊吹は常に副委員長やってるよ」
「何それ、プロ意識高いな!」

 三木がジョッキを傾けながらくすくすと笑った。

「神崎くん、伊吹のこと好きすぎない?」

 悪気のない三木の言葉に、僕は思わずゴホッと咳き込んだ。

「ちょっ、三木!」
「冗談冗談!」

 冗談が心臓に悪いんだよ!
 神崎は黙って烏龍茶を飲んでいる。思ったより反応が薄い……けど、耳がほんのりと赤く染まっている。

(赤い……? また?)

 話題は講義の愚痴になり、サークルの話になり、バイトの話と続いた。普通の大学生の飲み会って感じだ。
 僕が少しリラックスして笑っていると、唐突に三木が言った。

「そうだ、伊吹さ。学祭終わったら打ち上げしよ。二人でさ」
「二人で!?」

 僕が反射的に聞き返すと、三木が「え、悪い?」と言いながらニヤニヤと笑った。

「いや、悪くは――」

 言いかけた瞬間、神崎の箸が止まった。止まったのに、音が聞こえる気がする。なんていうか、気配がうるさい。

(うわ、空気が変わった)

 そんな神崎にお構いなく、三木が楽しそうに言葉を続ける。

「だってお前、頑張ってるじゃん。頑張ってる副委員長をねぎらってやらないと」

 僕は「ありがと」と言いながらも、こっそり横を盗み見た。
 神崎は普通の顔をしている。いたって普通の顔で、僕の烏龍茶の氷をじーっと眺めていた。なぜ?
 そして、唐突に口を開いたかと思うと、こんなことを言った。

「……打ち上げは、学年全体でやる」

 いつもよりずっと声が低い。淡々としてるのに、なぜか強い意志を感じる。

 三木は「え、そうなの?」と笑うと、僕の方にずいっと身を乗り出してきた。

「じゃあ全体でやったあと、二人で二次会もアリじゃね?」

 僕が「二次会……」と口にした瞬間、神崎が言葉を被せてきた。

「伊吹は二次会には行かない」
「なんで神崎が決めるの!?」

 いつものように僕が抗議すると、神崎は涼しい顔でさらりと答えた。

「二次会は危険だろ」
「危険って何!?」
「夜遅いし、お酒も入るし、人との距離が近い」

 列挙が謎に具体的すぎる。

「距離が近いって何……」
「さっきみたいに肩を組まれそうになる」

 神崎がそう言うと、三木が「肩組むくらいで危険扱いすんな!」と爆笑した。
 でも僕は笑えなかった。

(神崎、それ……嫉妬にしか聞こえないんだけど)

 僕が固まっていると、神崎は何事もなかったかのように、僕の皿に唐揚げを一個置いた。

「食べろ」
「……命令形やめて」
「命令じゃない」
「じゃあ何」
「……お願い」

 神崎が、小さい声でボソリと言った。

(お願いって言った? 神崎が?)

 心臓がバクバク動いて、僕の頰にどんどん血液を送り込んでくる。これはお酒のせいなんかじゃない。だって烏龍茶しか飲んでないんだから。
 神崎は僕から視線を逸らしたまま、続けて言った。

「伊吹、空腹だと顔に出るから」
「出ないって!」
「出る」
「また決めつけ!」
「観察結果」

 神崎は涼しい顔に戻ってしまった。ずるい。照れたの、僕だけみたいじゃん。



 飲み会は一時間ちょっとで切り上げた。僕は本当に顔出しだけのつもりだったし、明日は学祭の作業も残っている。

「伊吹、もう帰るの? もっといようぜ!」

 三木が名残惜しそうにそう言ったけど、僕は笑って手を振った。

「ごめん、明日も早いんだ」
「副委員長すげえ……」

 三木が感心したようにそう言って、神崎に向かって手を振る。

「神崎くんも! また来て!」

 神崎はさっと軽く頷いた。

「……機会があれば」

(機会、作らないタイプの返事だ)

 店を出ると、冷たい夜風が頬を撫でた。少し歩いて人混みを抜けると、夜道に響くのは僕と神崎の足音だけになった。
 しばらく黙って歩いてから、僕は思い切って口を開いた。

「……神崎、さっき」
「ん」
「打ち上げとか二次会とか、やけに口出してたね」

 神崎は一瞬黙ってから、僕からすっと視線を逸らした。

「口出しじゃない」
「じゃあ何」

 神崎は前を向いたまま、淡々と続けた。

「護衛」

 また護衛。便利すぎる肩書きだな。

「護衛って言えば全部許されると思ってる?」
「思ってない」
「じゃあ、なんで」

 神崎が少しだけ歩調を落とした。まるで僕の歩く速度に合わせるみたいに。

「……伊吹が、誰かに持っていかれるのは嫌」

 思わず息が止まった。
 夜の空気が冷たいのに、頰から耳にかけてじわじわと熱を帯びてくる。

「それ、護衛じゃなくない?」

 かろうじて震えないように声を出すと、神崎は小さく息を吐いた。

「……護衛じゃないかも」

 神崎の横顔は、いつもより少しだけ幼く見えた。まるでぐだぐだと言い訳を考えている子供みたいだ。
 僕は思わず笑ってしまった。

「ふふ……神崎、めんどくさい」
「伊吹に言われたくない」
「でも、ちょっと嬉しい」

 口から出た言葉に、自分でびっくりした。
 神崎がピタリと足を止める。

「……今、何て」
「聞こえてるでしょ」
「もう一回」
「調子乗るな!」

 僕が言うと、神崎が小さく笑った。
 その笑いが、飲み会の時に誰に向けた笑顔より、ずっと近い。

 ――無理してるやつが、ちゃんと笑った時。

 僕はその瞬間、ああ、これかもしれないと思ってしまった。

(好きになる瞬間って、こういうやつ?)

 怖い。恥ずかしい。でも、嫌じゃない。
 神崎が僕の方を見て、小さく声を落として言った。

「伊吹」
「なに」
「今日は、ちゃんと報告した」
「……うん」
「えらい」
「犬のしつけやめて!」

 僕が言うと、神崎が珍しく素直に言った。

「じゃあ訂正……ありがとう」

 その「ありがとう」が、やけに胸に刺さった。
 僕は誤魔化すように早口で言う。

「別に! 報告ルールがうるさいからしただけ!」
「うん」
「うんって!」
「うん。そういうことにしとく」

 神崎は少しだけ口元を緩めて、当たり前みたいに言った。

「帰宅したら連絡して」
「またそれ!」
「既読つかないと迎えに行く」
「脅しやめて!」
「脅しじゃない」

 神崎は振り返って、ほんの少しだけ柔らかい声で言った。

「……今日も、ちゃんと笑ってたから安心した」

 ずるい。

 僕はドアの前で、なんとかいつもの言葉で返す。

「……おやすみ、撤収班」
「おやすみ、副委員長」

 部屋に入ってスマホを見たら、もう通知が来ていた。

【神崎:帰宅】

(家の前まで送ってくれてるのに帰宅連絡しろって、ほんと意味わかんない)

 僕は枕に顔を埋めながら、ポチポチと返信した。

【伊吹:帰宅しました】

 既読。

【神崎:よし】

「だから犬のしつけやめてってーー!!」

 声に出してツッコんだのに、胸の奥は、さっきからずっと温かかった。