撤収班ルール第七条――「誘われたら報告」
あれから僕の頭の片隅に、その言葉が常駐している。常駐アプリみたいにしつこい。しかもアンインストール不可。
(恋愛相談したからルール増やされたのかな……なんで?)
学祭の準備は佳境に入って、広報班の仕事も増えていた。掲示の追加に、SNSの追い投稿、ストーリー用の素材準備に、当日の案内文作成、注意事項のまとめ、などなど。
……やることが多すぎて、正直、恋とか言ってる場合じゃない。
なのに。
「伊吹」
今日も神崎が僕の名前を呼ぶ。
「なに」
「顔色」
「顔色、毎日チェックしないで」
「チェックするよ。撤収班だから」
「撤収班って便利な免罪符だな!」
神崎は笑わずに、真顔で「便利」とだけ答えた。腹立つ。
◇
その日の昼休み、学食で席を探していると、三木が僕を見つけて手を振ってきた。
「伊吹ー! こっちこっち!」
三木は陽キャ特有の“全員友達”オーラで、空いてる席を確保していた。神崎は? と思ったら、いつものようにすでに僕の背後にいる。足音が全く聞こえなかった。マジで怖い。
「お前さ、最近忙しそうじゃん」
ナポリタンをフォークにクルクルと巻きつけながら、さっそく三木が口を開いた。
「まあ、それなりに。学祭の副委員長だし」
「結構頑張ってるよな。でさ、今度の金曜、飲みに行かね?」
僕はカレーのスプーンを握ったまま固まった。
金曜日は……学祭も近いし、広報班には追い込み作業がある。
「えっと、金曜は――」
「行ける行ける! 息抜きも大事だって! ほら、同じ講義のやつらも来るし!」
三木がニヤニヤしながら言葉を続ける。
「で、伊吹は“誰か”も連れてきてもいいよ」
「誰かって?」
「いや〜、最近お前、誰かといつも一緒じゃん」
僕の脳内で、撤収班ルール第七条がパッパッと点滅した。
(誘われたら報告……)
まだ返事すらしていないのに「報告」の圧がぐいぐい押し寄せて来る。ルールの方が先回りしてきてるみたいだ。
僕が言葉を探していると、横から神崎が淡々と割り込んできた。
「伊吹、金曜は作業が詰まってるだろ」
「え?」
「広報班の作業。当日案内の最終チェックもある。あと掲示も追加しないと」
確かに、やることはたくさんあるけど、そんなにきっぱり断る?
三木が驚いたように目を丸くしている。
「え、神崎くんも来ないの?」
「行かない」
「なんで? 盛り上がるよ」
「盛り上がらない」
「そこ否定しちゃうの!?」
三木が苦笑しながら、僕の肩をポンポンと叩いた。
「伊吹、こいつ冷たいな。お前は金曜日来てくれるよな?」
僕は「行く」とも「行かない」とも言えずに、重い口を開いた。
「……検討する」
僕の言葉を聞いた瞬間、神崎が間髪入れずにピシャリと言い放った。
「検討しない」
「なんで神崎が決めるの!?」
とっさに抗議すると、神崎は表情を変えずにさらに淡々と言葉を続けた。
「撤収班ルール第八条」
「増えた!?」
「作業がある日は、遊びの予定は入れない」
「それ、普通にブラック企業だよ!」
僕たちのやり取りを見ていた三木が、堪えきれずにぷっと吹き出した。
「撤収班って何なんだよ! お前ら付き合ってんの?」
僕は思わずスプーンを取り落としそうになった。
「つ、つきあってない!」
「付き合ってない」
神崎も同じタイミングで否定する。見事に息が合ったな。
……と、思った瞬間。
神崎が続けた。
「今は」
まるで段差で足を踏み外した時みたいに、僕の心臓がひゅんっと飛び上がったような感覚がした。
「……今は?」
三木が聞き返すと、神崎は何事もなかったみたいにペットボトルの水を一口飲んだ。
さらっと言い切って、平然としてる。僕だけが動揺してるみたいで悔しい。
三木が「意味深〜」とニヤニヤしながら椅子から立ち上がった。
「じゃあ金曜はまた連絡する! 伊吹、逃げんなよ!」
「逃げないってば!」
三木はちらっと笑顔を見せると、「じゃあな」と手を振りながら食堂から出て行った。
残ったのは、僕と神崎と、学食のガヤガヤと騒がしい空気だけ。
僕は隣に座っている神崎をジロリと睨んだ。
「……今の『今は』って何」
「何が」
「何がじゃない!」
神崎は涼しい顔で答えた。
「未来の可能性は否定しない主義なんだ」
「何そのポリシー!」
「合理的」
「合理的じゃない!」
僕が怒っていると、神崎が小さく息を吐いて、急に低く声を落とした。
「……三木、距離感ちょっとバグってるよな」
「え?」
神崎がミネラルウォーターのボトルを握り直して、ラベルがくしゃっと音を立てた。
「伊吹に触りすぎ」
その言い方が、ちょっとだけいつもより子どもっぽい。なんだかムッとしてる感じ。
(……え、これって)
ざわ、と胸の奥がかすかにざわついた。
動揺してるのを悟られないように、僕は慌てて早口でまくしたてて誤魔化した。
「三木はそういうやつだよ。誰にでも距離が近くて……」
「なら、伊吹も誰にでも近いのか」
「は?」
「誰にでも“検討する”って言うのか」
「べ、別にそういうわけじゃ……」
「じゃあ検討するな」
「なんで結論がそこに行くの!?」
そこで神崎は、急に真顔ではっきりと漢字二文字を口にした。
「報告」
来た。撤収班ルール第七条の圧。
「……え、今?」
「誘われただろ」
「まだ返事してない!」
「誘われたら報告、がルールだ」
確かにそうだった。
「……でも、別にあえて言わなくても、神崎だって聞いてたんだから……」
「報告」
「はいっ!」
思わず勢いよく返事をしてしまった。それで余計に恥ずかしくなって、僕はもじもじと手元に視線を落とした。
「……金曜日の飲み会に誘われた」
「行くの?」
「検討するって――」
顔を上げると、目の前の神崎とバチリと目が合った。圧倒されるような、変に真剣な目をしている。
「行くなら、俺も行く」
「えっ」
驚いて、思わず変な声が出た。
「でも、さっきは盛り上がらないから行かないって……」
「伊吹が行くなら行く」
「それ、息抜きじゃなくて監視じゃない!?」
「監視じゃない」
「じゃあ何」
神崎は少し間を置いてから、ものすごく不本意そうに言った。
「……護衛」
「護衛!?」
驚いて思わず身を乗り出すと、神崎は視線を逸らしたまま少し後ろに椅子を引いた。
「……お前、絶対悪酔いするタイプだろ」
「勝手に決めないで!」
「する」
「しない!」
「する」
また始まった。いつもの押し問答。
でも、神崎の“護衛”って言葉が、やけに胸に残っていた。
(ほんとに、ただの副委員長の安全管理?)
◇
その日の放課後、印刷室にて。
広報班の作業を進めていると、例の一年生の女の子がまた僕の所にやって来た。今度は友達も連れている。ちょっと怖い。
「あ、伊吹先輩! こないだはありがとうございました!」
「ううん、大丈夫だよ」
僕が笑うと、女の子が少しだけ頬を赤く染めた。
「先輩、今週のどこかで……少しだけ話せる時間ありますか?」
僕は固まった。話すだけ、って言い方が、逆に怖い。
(また誘われた扱いになるやつだ……)
横を見ると、神崎が無表情で黙っている。黙っているだけなのに、空気が冷える。その場の空気を凍りつかせるのって、毒舌だけじゃないんだな。
女の子の友達が「伊吹先輩って優しいよね〜」と囁く声が聞こえた。
その瞬間、神崎が静かに口を開いた。
「今週は難しい」
二人の女の子が、神崎の声にびくっと反応する。
「えっ…」
「学祭準備で、伊吹は忙しいから」
「で、でも……」
「ごめん。今は本当に立て込んでるから」
言い方は丁寧なのに、空気だけが急に固くなる。さっきの三木の時より棘がある感じだ。
僕は慌てて間に割って入った。
「ごめんね! ほんとに今週はバタバタで……学祭終わったら何でも聞くから、ね!」
女の子は「はい……」と小さく頷いて、残念そうに帰っていった。
扉が閉まって、急に辺りが静かになる。
僕は神崎をさっと振り返った。
「……神崎。今の言い方、ちょっと」
「ちょっと?」
「こわい」
そこで神崎は、初めて「しまった」みたいな表情をした。
「……悪い」
え……今、謝った?
僕が驚いていると、神崎は視線を逸らして、ぽつりと続けた。
「伊吹が、困ってる顔するの、嫌なんだ」
胸が、ぎゅっと掴まれるような心地がした。
でもその直後、神崎は平然とした態度で言葉を付け足してきた。
「あと、報告」
「今!?」
「誘われただろ」
「……話せる時間、ってやつね」
「そう」
「……誘われた。今週、少しだけって」
僕が小声で言うと、神崎は“よし”と言いかけて、途中で止まった。
「……よ」
「言いかけた!」
「言ってない」
「言いかけた!」
神崎が珍しく、少しだけ困った顔をしながら、コホンと咳払いをした。
「撤収班ルール第九条」
「まだ増えるの!?」
「報告への返事は『よし』じゃなくて『了解』に統一する」
「それルールっていうか言い換えただけ!」
「統一は大事」
「屁理屈じゃん」
僕が笑いながらそう言うと、神崎がやっと小さく笑った。
「……笑った」
「なに」
「今日、ちゃんと笑った」
昨日の“好きになる瞬間”の話が、また僕の胸をコツコツとつついてくる。
僕は照れ隠しに笑いながら、弁解するように言葉を続けた。
「神崎のおかげで、笑わされてるだけ」
「なら、もっと笑わせる」
「仕事しろ!」
「仕事もちゃんとしてる」
神崎がさらっと言う。
「伊吹の周り、変なのが多いから」
「失礼だな!」
「俺も含めて」
……今、さらっと自分を“変”に入れた?
僕が言葉に詰まっていると、神崎はいつもの涼しい顔で、でも少しだけ柔らかい声で言った。
「金曜の件。結論出したら、報告して」
「撤収班ルールにするな」
「する」
「するな!」
「する」
押し問答はいつも通り。
でも、胸の奥の鼓動はいつもよりバクバクとうるさい。
僕はそのうるささに気づかないフリをしたまま、そっとメモ帳を開いた。
(学祭当日まで、あと二週間……恋愛まで準備する余裕なんてないんだけど)
そう思ったのに、神崎の“護衛”って言葉だけが、ずっと頭から離れなかった。
あれから僕の頭の片隅に、その言葉が常駐している。常駐アプリみたいにしつこい。しかもアンインストール不可。
(恋愛相談したからルール増やされたのかな……なんで?)
学祭の準備は佳境に入って、広報班の仕事も増えていた。掲示の追加に、SNSの追い投稿、ストーリー用の素材準備に、当日の案内文作成、注意事項のまとめ、などなど。
……やることが多すぎて、正直、恋とか言ってる場合じゃない。
なのに。
「伊吹」
今日も神崎が僕の名前を呼ぶ。
「なに」
「顔色」
「顔色、毎日チェックしないで」
「チェックするよ。撤収班だから」
「撤収班って便利な免罪符だな!」
神崎は笑わずに、真顔で「便利」とだけ答えた。腹立つ。
◇
その日の昼休み、学食で席を探していると、三木が僕を見つけて手を振ってきた。
「伊吹ー! こっちこっち!」
三木は陽キャ特有の“全員友達”オーラで、空いてる席を確保していた。神崎は? と思ったら、いつものようにすでに僕の背後にいる。足音が全く聞こえなかった。マジで怖い。
「お前さ、最近忙しそうじゃん」
ナポリタンをフォークにクルクルと巻きつけながら、さっそく三木が口を開いた。
「まあ、それなりに。学祭の副委員長だし」
「結構頑張ってるよな。でさ、今度の金曜、飲みに行かね?」
僕はカレーのスプーンを握ったまま固まった。
金曜日は……学祭も近いし、広報班には追い込み作業がある。
「えっと、金曜は――」
「行ける行ける! 息抜きも大事だって! ほら、同じ講義のやつらも来るし!」
三木がニヤニヤしながら言葉を続ける。
「で、伊吹は“誰か”も連れてきてもいいよ」
「誰かって?」
「いや〜、最近お前、誰かといつも一緒じゃん」
僕の脳内で、撤収班ルール第七条がパッパッと点滅した。
(誘われたら報告……)
まだ返事すらしていないのに「報告」の圧がぐいぐい押し寄せて来る。ルールの方が先回りしてきてるみたいだ。
僕が言葉を探していると、横から神崎が淡々と割り込んできた。
「伊吹、金曜は作業が詰まってるだろ」
「え?」
「広報班の作業。当日案内の最終チェックもある。あと掲示も追加しないと」
確かに、やることはたくさんあるけど、そんなにきっぱり断る?
三木が驚いたように目を丸くしている。
「え、神崎くんも来ないの?」
「行かない」
「なんで? 盛り上がるよ」
「盛り上がらない」
「そこ否定しちゃうの!?」
三木が苦笑しながら、僕の肩をポンポンと叩いた。
「伊吹、こいつ冷たいな。お前は金曜日来てくれるよな?」
僕は「行く」とも「行かない」とも言えずに、重い口を開いた。
「……検討する」
僕の言葉を聞いた瞬間、神崎が間髪入れずにピシャリと言い放った。
「検討しない」
「なんで神崎が決めるの!?」
とっさに抗議すると、神崎は表情を変えずにさらに淡々と言葉を続けた。
「撤収班ルール第八条」
「増えた!?」
「作業がある日は、遊びの予定は入れない」
「それ、普通にブラック企業だよ!」
僕たちのやり取りを見ていた三木が、堪えきれずにぷっと吹き出した。
「撤収班って何なんだよ! お前ら付き合ってんの?」
僕は思わずスプーンを取り落としそうになった。
「つ、つきあってない!」
「付き合ってない」
神崎も同じタイミングで否定する。見事に息が合ったな。
……と、思った瞬間。
神崎が続けた。
「今は」
まるで段差で足を踏み外した時みたいに、僕の心臓がひゅんっと飛び上がったような感覚がした。
「……今は?」
三木が聞き返すと、神崎は何事もなかったみたいにペットボトルの水を一口飲んだ。
さらっと言い切って、平然としてる。僕だけが動揺してるみたいで悔しい。
三木が「意味深〜」とニヤニヤしながら椅子から立ち上がった。
「じゃあ金曜はまた連絡する! 伊吹、逃げんなよ!」
「逃げないってば!」
三木はちらっと笑顔を見せると、「じゃあな」と手を振りながら食堂から出て行った。
残ったのは、僕と神崎と、学食のガヤガヤと騒がしい空気だけ。
僕は隣に座っている神崎をジロリと睨んだ。
「……今の『今は』って何」
「何が」
「何がじゃない!」
神崎は涼しい顔で答えた。
「未来の可能性は否定しない主義なんだ」
「何そのポリシー!」
「合理的」
「合理的じゃない!」
僕が怒っていると、神崎が小さく息を吐いて、急に低く声を落とした。
「……三木、距離感ちょっとバグってるよな」
「え?」
神崎がミネラルウォーターのボトルを握り直して、ラベルがくしゃっと音を立てた。
「伊吹に触りすぎ」
その言い方が、ちょっとだけいつもより子どもっぽい。なんだかムッとしてる感じ。
(……え、これって)
ざわ、と胸の奥がかすかにざわついた。
動揺してるのを悟られないように、僕は慌てて早口でまくしたてて誤魔化した。
「三木はそういうやつだよ。誰にでも距離が近くて……」
「なら、伊吹も誰にでも近いのか」
「は?」
「誰にでも“検討する”って言うのか」
「べ、別にそういうわけじゃ……」
「じゃあ検討するな」
「なんで結論がそこに行くの!?」
そこで神崎は、急に真顔ではっきりと漢字二文字を口にした。
「報告」
来た。撤収班ルール第七条の圧。
「……え、今?」
「誘われただろ」
「まだ返事してない!」
「誘われたら報告、がルールだ」
確かにそうだった。
「……でも、別にあえて言わなくても、神崎だって聞いてたんだから……」
「報告」
「はいっ!」
思わず勢いよく返事をしてしまった。それで余計に恥ずかしくなって、僕はもじもじと手元に視線を落とした。
「……金曜日の飲み会に誘われた」
「行くの?」
「検討するって――」
顔を上げると、目の前の神崎とバチリと目が合った。圧倒されるような、変に真剣な目をしている。
「行くなら、俺も行く」
「えっ」
驚いて、思わず変な声が出た。
「でも、さっきは盛り上がらないから行かないって……」
「伊吹が行くなら行く」
「それ、息抜きじゃなくて監視じゃない!?」
「監視じゃない」
「じゃあ何」
神崎は少し間を置いてから、ものすごく不本意そうに言った。
「……護衛」
「護衛!?」
驚いて思わず身を乗り出すと、神崎は視線を逸らしたまま少し後ろに椅子を引いた。
「……お前、絶対悪酔いするタイプだろ」
「勝手に決めないで!」
「する」
「しない!」
「する」
また始まった。いつもの押し問答。
でも、神崎の“護衛”って言葉が、やけに胸に残っていた。
(ほんとに、ただの副委員長の安全管理?)
◇
その日の放課後、印刷室にて。
広報班の作業を進めていると、例の一年生の女の子がまた僕の所にやって来た。今度は友達も連れている。ちょっと怖い。
「あ、伊吹先輩! こないだはありがとうございました!」
「ううん、大丈夫だよ」
僕が笑うと、女の子が少しだけ頬を赤く染めた。
「先輩、今週のどこかで……少しだけ話せる時間ありますか?」
僕は固まった。話すだけ、って言い方が、逆に怖い。
(また誘われた扱いになるやつだ……)
横を見ると、神崎が無表情で黙っている。黙っているだけなのに、空気が冷える。その場の空気を凍りつかせるのって、毒舌だけじゃないんだな。
女の子の友達が「伊吹先輩って優しいよね〜」と囁く声が聞こえた。
その瞬間、神崎が静かに口を開いた。
「今週は難しい」
二人の女の子が、神崎の声にびくっと反応する。
「えっ…」
「学祭準備で、伊吹は忙しいから」
「で、でも……」
「ごめん。今は本当に立て込んでるから」
言い方は丁寧なのに、空気だけが急に固くなる。さっきの三木の時より棘がある感じだ。
僕は慌てて間に割って入った。
「ごめんね! ほんとに今週はバタバタで……学祭終わったら何でも聞くから、ね!」
女の子は「はい……」と小さく頷いて、残念そうに帰っていった。
扉が閉まって、急に辺りが静かになる。
僕は神崎をさっと振り返った。
「……神崎。今の言い方、ちょっと」
「ちょっと?」
「こわい」
そこで神崎は、初めて「しまった」みたいな表情をした。
「……悪い」
え……今、謝った?
僕が驚いていると、神崎は視線を逸らして、ぽつりと続けた。
「伊吹が、困ってる顔するの、嫌なんだ」
胸が、ぎゅっと掴まれるような心地がした。
でもその直後、神崎は平然とした態度で言葉を付け足してきた。
「あと、報告」
「今!?」
「誘われただろ」
「……話せる時間、ってやつね」
「そう」
「……誘われた。今週、少しだけって」
僕が小声で言うと、神崎は“よし”と言いかけて、途中で止まった。
「……よ」
「言いかけた!」
「言ってない」
「言いかけた!」
神崎が珍しく、少しだけ困った顔をしながら、コホンと咳払いをした。
「撤収班ルール第九条」
「まだ増えるの!?」
「報告への返事は『よし』じゃなくて『了解』に統一する」
「それルールっていうか言い換えただけ!」
「統一は大事」
「屁理屈じゃん」
僕が笑いながらそう言うと、神崎がやっと小さく笑った。
「……笑った」
「なに」
「今日、ちゃんと笑った」
昨日の“好きになる瞬間”の話が、また僕の胸をコツコツとつついてくる。
僕は照れ隠しに笑いながら、弁解するように言葉を続けた。
「神崎のおかげで、笑わされてるだけ」
「なら、もっと笑わせる」
「仕事しろ!」
「仕事もちゃんとしてる」
神崎がさらっと言う。
「伊吹の周り、変なのが多いから」
「失礼だな!」
「俺も含めて」
……今、さらっと自分を“変”に入れた?
僕が言葉に詰まっていると、神崎はいつもの涼しい顔で、でも少しだけ柔らかい声で言った。
「金曜の件。結論出したら、報告して」
「撤収班ルールにするな」
「する」
「するな!」
「する」
押し問答はいつも通り。
でも、胸の奥の鼓動はいつもよりバクバクとうるさい。
僕はそのうるささに気づかないフリをしたまま、そっとメモ帳を開いた。
(学祭当日まで、あと二週間……恋愛まで準備する余裕なんてないんだけど)
そう思ったのに、神崎の“護衛”って言葉だけが、ずっと頭から離れなかった。



