神崎が作ったSNS告知文は、腹が立つほど完璧だった。
丁寧で読みやすく、必要事項が抜けていない。しかも最後の一文が、なぜだかちょっとだけあったかい。
「……これ、誰が書いたのって聞かれたらどうするの」
「当然俺でしょ」
「ドヤるな」
「ドヤってない」
「今のはドヤ顔だよ」
神崎は「はいはい」と流して、投稿用の画像を整え始めた。迷いのない指の動きが異常に早く見える。まさに要領の鬼、といったところか。
僕は豆乳をちびちびと飲みながら、神崎の肩越しにパソコン画面をずいっと覗き込んだ。
「……神崎って、なんでそんなに手際いいの?」
「普通だろ?」
「普通じゃないよ。普通の人は“普通”って言いながらフォントの余白調整なんかしない」
「伊吹は“普通”って言いながら、一人で全部抱え込んでる」
「うっ……」
また図星を突かれてしまった。
神崎がキーボードを打ちながら、淡々と話を続ける。
「副委員長はまとめ役で、作業役は俺らだ。だから伊吹は、ちゃんと“人に投げる”練習をしろ」
「投げるって言い方が乱暴!」
「でもできないだろ」
「できるし!」
「じゃあ今、先輩に“告知文の最終チェックは僕がやります。予約投稿の設定は神崎がやります”って送れ」
「……っ」
僕はスマホを握りしめた。目の前の“正論マシン”に勝てる気がしない。
(こいつ、なんで僕にだけいっつも容赦ないの……?)
負けを認めるみたいで悔しかったけど、神崎の言う通りだ。適切に仕事を回せずに抱え込んだら、結局みんなに迷惑をかけることになる。苦手なことは練習してできるようにならなければ。
僕はそう自分に言い聞かせて気を取り直してから、先輩にメッセージを送った。
【伊吹:告知文は神崎くんが本文〜投稿設定までやってくれます! 僕は内容確認と共有を担当します】
僕がメッセージを送信したのを確認して、神崎が「よし」と小さく言った。
「よし、じゃない!」
「えらい」
「犬のしつけやめて!」
神崎はふっと笑いながら、パソコンの画面をパタンと閉じた。
「予約投稿は明日、昼休みに設定する。学内アカウントのログインが必要だから、先輩にも来てもらおう」
「了解……って、明日もお前と一緒なの?」
「広報班だから」
「それはそうだけど……」
神崎は少し考えるように指で顎を触っていたが、急に何かひらめいたように頷きながら口を開いた。
「撤収班ルール第四条。伊吹に予定を告げるのは24時間前まで」
「……お前が守れてないじゃん」
「だから今作った」
「今作るな!」
てかその第四条、神崎のことを縛るルールだけどいいの?
僕が変な顔をしていたからか、神崎にまた笑われた。悔しい。なのに、変に安心する自分に腹が立つ。
◇
翌日の昼休み。
学食は戦場だった。空席ゼロ。押し寄せる学生たちの行列。席取りの駆け引き。大学って自由なはずじゃなかったっけ。これじゃあまるで軍隊だ。
僕が端っこの席を見つけて「あった!」と小声で喜んだ瞬間、
「こっち」
神崎が僕の腕を軽く引いて、もう少し奥の、二人分だけ空いている席に滑り込んだ。
「……いつ見つけたの」
「さっき」
「さっきっていつ」
「伊吹が“あった!”って言う前」
「先読みしないで!」
神崎は涼しい顔で水を飲む。僕はカレーうどん。
なんでこいつ、昼休みに“水だけ”で学食にいるんだよ。
「神崎、昼ごはんそれだけ?」
「あとで食う」
「いつ?」
「あとで」
(あとでって、昼休みは“今”なんですけど〜?)
僕がカレーうどんをすすっていると、机に置いていたスマホがブブッと震えた。広報班の先輩からだ。
【先輩:今から行けるよ! 印刷室前でOK?】
僕が「はい!」と返そうとした瞬間、神崎が僕の指をすっと押さえた。
「“はい”じゃなくて、場所と時間と用件を一文で」
「うるさい!」
「うるさくない。仕事」
僕はむっとしながらも、神崎の言う通りにメッセージを打ち直した。
【伊吹:ありがとうございます! 今から印刷室前でSNS投稿作業をお願いします!】
送信。
神崎が満足そうに頷く。
「よし」
「だから“よし”って言うのやめて!」
「だって、ちゃんとできたから」
「それは……できたけど!」
言い返しながらも、胸の奥がちょっとだけじわりと温かくなった。
(褒められるの、嫌じゃないのが悔しい)
◇
印刷室前に着くと、先輩がすぐに来てくれて、ログインして予約投稿まで一気に進んだ。
「いい感じ〜! この文、キュンとする! 神崎くんが作ってくれたんだっけ?」
先輩の質問に、僕は反射で「はい、それは神崎が……」と言いかけたけど、神崎は「広報班で作りました」とだけ言った。
(え、そこはドヤらないんだ)
先輩が去って、印刷室前に僕と神崎の二人だけがぽつんと残された。
……その場の空気が、ちょっとだけ静かになる。
「終わったね」
「終わった」
「神崎、今日は褒められてたじゃん。先輩に」
「別に」
「別に、って言うくせにさ……」
ちょっとぐらい、褒められて嬉しいとか思ったんじゃないの? だからいつも僕のこともやたらと褒めて……
僕が言おうかどうしようか一瞬悩んでいた時、背後からパタパタと小走りの足音が聞こえてきた。
「あっ、伊吹先輩!」
振り向くと、広報班の一年生の女の子がこちらに向かってかけて来るところだった。小柄で、長い髪を一つに結んでいて、にこにこしている。典型的なクラスの可愛い女の子って感じだ。
「これ! 掲示用ポスターのサイズ、合ってるか不安で……」
「え、見ようか」
僕が受け取るより早く、神崎がスッと間に入って用紙を覗き込んだ。
「うん、合ってる。これなら掲示板の枠ぴったりだよ」
「わぁ、ありがとうございます! 神崎先輩ってほんと頼りになりますね!」
後輩の女の子がぱっと目を輝かせた。
神崎は――いつもの“他人に向ける”優しい顔で、「どういたしまして」と言った。
(……出た。優しい神崎)
僕の胸が、なぜかむずむずする。
(なんだろう、この……置いてかれたみたいな感じ)
女の子が帰っていって、僕は自分の口が勝手に動く前に止めようとしたのに、間に合わなかった。
「……神崎ってさ、僕以外には優しいよね」
神崎が僕の方を振り返った。
「何」
「いや、別に?」
「今のは“別に”じゃない」
「うるさい!」
神崎は小さくため息をついた。
「伊吹に優しくしたら、“保護者”とか“犬扱いするな!”とか言うだろ」
「それは言うよ!」
「だろ」
ひどい理屈だ。ひどいのに、ちょっと納得してしまうのが悔しい。
僕は視線を泳がせて、誤魔化すように言った。
「……じゃあさ。優しくする練習してよ。僕相手に」
「何それ」
「学祭当日までの課題。撤収班ルールに入れて」
「入れない」
「なんで!」
「優しくしたら、伊吹が調子に乗るから」
「乗らないって!」
「いいや、乗る」
即答で腹立つ。
でも、神崎の口角がほんの少しだけ上がっている。
(……今の、笑ってたよね)
◇
その日の夕方、広報班のミーティングが少し長引いて、外に出たらすでに空が暗くなっていた。
バッグを肩にかけた瞬間、神崎がポンポンと僕の頭を叩いた。
「送る」
「いらない!」
「いる」
「僕が決めるよ!」
「伊吹は自分のこと決めるの下手だから」
「失礼!」
言い返しながら、僕はさっさと歩き始めた。神崎も当然のように並んでくる。歩幅が同じで、なぜか息がぴったりと合っている。
沈黙が続くのが気まずくて、僕は何でもないことを口にした。
「……ねえ神崎」
「ん」
「好きになる瞬間って、どういう時?」
言った瞬間、後悔した。
(うわ、なんで今それ聞いた!?)
他愛のない、恋愛相談のつもりだった。ほんと、よくあるその場限りの深い意味のない話題。三木に「仲良くやれよ」とか言われたせいか、どうも意識しすぎて変な質問をしてしまったみたいだ。
神崎の歩く速度が、ほんの少しだけ落ちた。
「急に何」
「いや、友達がさ。恋愛の話してたから」
「……友達」
「うん、三木とか」
神崎が一瞬間を置いて、低い声で言った。
「三木、ね」
たったそれだけなのに、なぜかずうんと重い“圧”を感じた。
(……え、なに今の圧)
僕が戸惑っていると、神崎は前を向いたまま、ぽつりと言った。
「好きになる瞬間は……」
言いかけて、止まる。
沈黙。
僕の心臓が、変なタイミングで跳ねた。
「……何?」
「言わない」
「言ってよ」
「言わない」
「子どもか!」
僕がツッコむと、神崎が横目で僕を見た。ほんの少し耳が赤い。
(赤い……?)
僕が思わず目を凝らすと、神崎は咳払いして話題を逸らした。
「それより、伊吹」
「なに」
「今日、無理してただろ」
「してない」
「してた」
「してないってば」
「してた」
神崎は頑固だ。僕も同じくらい頑固だ。意外と似たもの同士だったりするのかもしれない。
しばらく言い合って、僕が「証拠は?」と聞くと、神崎が珍しく即答せずに言葉を選んだ。
「……前にさ」
「うん?」
「俺、学祭みたいなやつで、相方が倒れたことあって」
神崎の声が、少しだけ低くなる。
「え?」
「俺が“要領いい”って調子乗って、全部回してるつもりで。そしたら、相方が無理してるの気づかなかった」
僕は、言葉が出なかった。
神崎は誤魔化すみたいに笑いながら話を続けた。
「だから、無理してるやつを見ると腹立つ……やめさせたくなる」
「それで僕にだけ刺さる言い方をするの……?」
「優しく言っても、伊吹は聞かないだろ。頑固だし」
「聞くよ!」
「聞かない」
「聞く!」
「聞かない」
また言い合いになって、僕は思わず笑ってしまった。
「……神崎ってさ。めんどくさいね」
「伊吹に言われたくない」
「そこは否定しないんだ」
「否定できないから」
神崎が小さく笑った。暗い道なのに、そこだけふっと明るく見えた気がした。
僕は、少しだけすうっと小さく息を吸ってから口を開いた。
「……ありがと。気にしてくれて」
神崎が一瞬、足を止めた。
「今、何て?」
「聞こえてるだろ!」
「もう一回」
「調子に乗るな!」
神崎が笑って、それから、いつもの調子で言った。
「撤収班ルール第五条。感謝は口に出す」
「出してる!」
「出す回数が足りない」
「うるさい!」
でも、その“うるさい”が、今日は少しだけ軽い自覚があった。
家が見えてきたところで、神崎が急にぽつりと先ほどの話題を口にした。
「……好きになる瞬間、だっけ」
「え」
「言わないって言ったけど」
神崎は僕を見ないまま、前を向いて続けた。
「俺は……無理してるやつが、ちゃんと笑った時」
心臓が、ドキンと変な音を立てた。
僕が何も言えずにいると、神崎は急に早歩きになった。
「じゃ、帰宅連絡」
「またそれ!?」
「既読つかないと迎えに行くから」
「脅しやめて!」
「脅しじゃない」
神崎は振り返って、ほんの少しだけ柔らかい声で言った。
「……今日は、ちゃんと笑ってたから。安心した」
ずるい。
そういうの、反則だ。
僕は玄関の前で、なんとかいつもの言葉で返した。
「……おやすみ、撤収班」
「おやすみ、副委員長」
その声が、いつもよりなんだか近くに聞こえた気がした。
ドアを閉めてからも、しばらく心臓の音がうるさくて、僕はドアの後ろからいつまでも動けずにいたのだった。
丁寧で読みやすく、必要事項が抜けていない。しかも最後の一文が、なぜだかちょっとだけあったかい。
「……これ、誰が書いたのって聞かれたらどうするの」
「当然俺でしょ」
「ドヤるな」
「ドヤってない」
「今のはドヤ顔だよ」
神崎は「はいはい」と流して、投稿用の画像を整え始めた。迷いのない指の動きが異常に早く見える。まさに要領の鬼、といったところか。
僕は豆乳をちびちびと飲みながら、神崎の肩越しにパソコン画面をずいっと覗き込んだ。
「……神崎って、なんでそんなに手際いいの?」
「普通だろ?」
「普通じゃないよ。普通の人は“普通”って言いながらフォントの余白調整なんかしない」
「伊吹は“普通”って言いながら、一人で全部抱え込んでる」
「うっ……」
また図星を突かれてしまった。
神崎がキーボードを打ちながら、淡々と話を続ける。
「副委員長はまとめ役で、作業役は俺らだ。だから伊吹は、ちゃんと“人に投げる”練習をしろ」
「投げるって言い方が乱暴!」
「でもできないだろ」
「できるし!」
「じゃあ今、先輩に“告知文の最終チェックは僕がやります。予約投稿の設定は神崎がやります”って送れ」
「……っ」
僕はスマホを握りしめた。目の前の“正論マシン”に勝てる気がしない。
(こいつ、なんで僕にだけいっつも容赦ないの……?)
負けを認めるみたいで悔しかったけど、神崎の言う通りだ。適切に仕事を回せずに抱え込んだら、結局みんなに迷惑をかけることになる。苦手なことは練習してできるようにならなければ。
僕はそう自分に言い聞かせて気を取り直してから、先輩にメッセージを送った。
【伊吹:告知文は神崎くんが本文〜投稿設定までやってくれます! 僕は内容確認と共有を担当します】
僕がメッセージを送信したのを確認して、神崎が「よし」と小さく言った。
「よし、じゃない!」
「えらい」
「犬のしつけやめて!」
神崎はふっと笑いながら、パソコンの画面をパタンと閉じた。
「予約投稿は明日、昼休みに設定する。学内アカウントのログインが必要だから、先輩にも来てもらおう」
「了解……って、明日もお前と一緒なの?」
「広報班だから」
「それはそうだけど……」
神崎は少し考えるように指で顎を触っていたが、急に何かひらめいたように頷きながら口を開いた。
「撤収班ルール第四条。伊吹に予定を告げるのは24時間前まで」
「……お前が守れてないじゃん」
「だから今作った」
「今作るな!」
てかその第四条、神崎のことを縛るルールだけどいいの?
僕が変な顔をしていたからか、神崎にまた笑われた。悔しい。なのに、変に安心する自分に腹が立つ。
◇
翌日の昼休み。
学食は戦場だった。空席ゼロ。押し寄せる学生たちの行列。席取りの駆け引き。大学って自由なはずじゃなかったっけ。これじゃあまるで軍隊だ。
僕が端っこの席を見つけて「あった!」と小声で喜んだ瞬間、
「こっち」
神崎が僕の腕を軽く引いて、もう少し奥の、二人分だけ空いている席に滑り込んだ。
「……いつ見つけたの」
「さっき」
「さっきっていつ」
「伊吹が“あった!”って言う前」
「先読みしないで!」
神崎は涼しい顔で水を飲む。僕はカレーうどん。
なんでこいつ、昼休みに“水だけ”で学食にいるんだよ。
「神崎、昼ごはんそれだけ?」
「あとで食う」
「いつ?」
「あとで」
(あとでって、昼休みは“今”なんですけど〜?)
僕がカレーうどんをすすっていると、机に置いていたスマホがブブッと震えた。広報班の先輩からだ。
【先輩:今から行けるよ! 印刷室前でOK?】
僕が「はい!」と返そうとした瞬間、神崎が僕の指をすっと押さえた。
「“はい”じゃなくて、場所と時間と用件を一文で」
「うるさい!」
「うるさくない。仕事」
僕はむっとしながらも、神崎の言う通りにメッセージを打ち直した。
【伊吹:ありがとうございます! 今から印刷室前でSNS投稿作業をお願いします!】
送信。
神崎が満足そうに頷く。
「よし」
「だから“よし”って言うのやめて!」
「だって、ちゃんとできたから」
「それは……できたけど!」
言い返しながらも、胸の奥がちょっとだけじわりと温かくなった。
(褒められるの、嫌じゃないのが悔しい)
◇
印刷室前に着くと、先輩がすぐに来てくれて、ログインして予約投稿まで一気に進んだ。
「いい感じ〜! この文、キュンとする! 神崎くんが作ってくれたんだっけ?」
先輩の質問に、僕は反射で「はい、それは神崎が……」と言いかけたけど、神崎は「広報班で作りました」とだけ言った。
(え、そこはドヤらないんだ)
先輩が去って、印刷室前に僕と神崎の二人だけがぽつんと残された。
……その場の空気が、ちょっとだけ静かになる。
「終わったね」
「終わった」
「神崎、今日は褒められてたじゃん。先輩に」
「別に」
「別に、って言うくせにさ……」
ちょっとぐらい、褒められて嬉しいとか思ったんじゃないの? だからいつも僕のこともやたらと褒めて……
僕が言おうかどうしようか一瞬悩んでいた時、背後からパタパタと小走りの足音が聞こえてきた。
「あっ、伊吹先輩!」
振り向くと、広報班の一年生の女の子がこちらに向かってかけて来るところだった。小柄で、長い髪を一つに結んでいて、にこにこしている。典型的なクラスの可愛い女の子って感じだ。
「これ! 掲示用ポスターのサイズ、合ってるか不安で……」
「え、見ようか」
僕が受け取るより早く、神崎がスッと間に入って用紙を覗き込んだ。
「うん、合ってる。これなら掲示板の枠ぴったりだよ」
「わぁ、ありがとうございます! 神崎先輩ってほんと頼りになりますね!」
後輩の女の子がぱっと目を輝かせた。
神崎は――いつもの“他人に向ける”優しい顔で、「どういたしまして」と言った。
(……出た。優しい神崎)
僕の胸が、なぜかむずむずする。
(なんだろう、この……置いてかれたみたいな感じ)
女の子が帰っていって、僕は自分の口が勝手に動く前に止めようとしたのに、間に合わなかった。
「……神崎ってさ、僕以外には優しいよね」
神崎が僕の方を振り返った。
「何」
「いや、別に?」
「今のは“別に”じゃない」
「うるさい!」
神崎は小さくため息をついた。
「伊吹に優しくしたら、“保護者”とか“犬扱いするな!”とか言うだろ」
「それは言うよ!」
「だろ」
ひどい理屈だ。ひどいのに、ちょっと納得してしまうのが悔しい。
僕は視線を泳がせて、誤魔化すように言った。
「……じゃあさ。優しくする練習してよ。僕相手に」
「何それ」
「学祭当日までの課題。撤収班ルールに入れて」
「入れない」
「なんで!」
「優しくしたら、伊吹が調子に乗るから」
「乗らないって!」
「いいや、乗る」
即答で腹立つ。
でも、神崎の口角がほんの少しだけ上がっている。
(……今の、笑ってたよね)
◇
その日の夕方、広報班のミーティングが少し長引いて、外に出たらすでに空が暗くなっていた。
バッグを肩にかけた瞬間、神崎がポンポンと僕の頭を叩いた。
「送る」
「いらない!」
「いる」
「僕が決めるよ!」
「伊吹は自分のこと決めるの下手だから」
「失礼!」
言い返しながら、僕はさっさと歩き始めた。神崎も当然のように並んでくる。歩幅が同じで、なぜか息がぴったりと合っている。
沈黙が続くのが気まずくて、僕は何でもないことを口にした。
「……ねえ神崎」
「ん」
「好きになる瞬間って、どういう時?」
言った瞬間、後悔した。
(うわ、なんで今それ聞いた!?)
他愛のない、恋愛相談のつもりだった。ほんと、よくあるその場限りの深い意味のない話題。三木に「仲良くやれよ」とか言われたせいか、どうも意識しすぎて変な質問をしてしまったみたいだ。
神崎の歩く速度が、ほんの少しだけ落ちた。
「急に何」
「いや、友達がさ。恋愛の話してたから」
「……友達」
「うん、三木とか」
神崎が一瞬間を置いて、低い声で言った。
「三木、ね」
たったそれだけなのに、なぜかずうんと重い“圧”を感じた。
(……え、なに今の圧)
僕が戸惑っていると、神崎は前を向いたまま、ぽつりと言った。
「好きになる瞬間は……」
言いかけて、止まる。
沈黙。
僕の心臓が、変なタイミングで跳ねた。
「……何?」
「言わない」
「言ってよ」
「言わない」
「子どもか!」
僕がツッコむと、神崎が横目で僕を見た。ほんの少し耳が赤い。
(赤い……?)
僕が思わず目を凝らすと、神崎は咳払いして話題を逸らした。
「それより、伊吹」
「なに」
「今日、無理してただろ」
「してない」
「してた」
「してないってば」
「してた」
神崎は頑固だ。僕も同じくらい頑固だ。意外と似たもの同士だったりするのかもしれない。
しばらく言い合って、僕が「証拠は?」と聞くと、神崎が珍しく即答せずに言葉を選んだ。
「……前にさ」
「うん?」
「俺、学祭みたいなやつで、相方が倒れたことあって」
神崎の声が、少しだけ低くなる。
「え?」
「俺が“要領いい”って調子乗って、全部回してるつもりで。そしたら、相方が無理してるの気づかなかった」
僕は、言葉が出なかった。
神崎は誤魔化すみたいに笑いながら話を続けた。
「だから、無理してるやつを見ると腹立つ……やめさせたくなる」
「それで僕にだけ刺さる言い方をするの……?」
「優しく言っても、伊吹は聞かないだろ。頑固だし」
「聞くよ!」
「聞かない」
「聞く!」
「聞かない」
また言い合いになって、僕は思わず笑ってしまった。
「……神崎ってさ。めんどくさいね」
「伊吹に言われたくない」
「そこは否定しないんだ」
「否定できないから」
神崎が小さく笑った。暗い道なのに、そこだけふっと明るく見えた気がした。
僕は、少しだけすうっと小さく息を吸ってから口を開いた。
「……ありがと。気にしてくれて」
神崎が一瞬、足を止めた。
「今、何て?」
「聞こえてるだろ!」
「もう一回」
「調子に乗るな!」
神崎が笑って、それから、いつもの調子で言った。
「撤収班ルール第五条。感謝は口に出す」
「出してる!」
「出す回数が足りない」
「うるさい!」
でも、その“うるさい”が、今日は少しだけ軽い自覚があった。
家が見えてきたところで、神崎が急にぽつりと先ほどの話題を口にした。
「……好きになる瞬間、だっけ」
「え」
「言わないって言ったけど」
神崎は僕を見ないまま、前を向いて続けた。
「俺は……無理してるやつが、ちゃんと笑った時」
心臓が、ドキンと変な音を立てた。
僕が何も言えずにいると、神崎は急に早歩きになった。
「じゃ、帰宅連絡」
「またそれ!?」
「既読つかないと迎えに行くから」
「脅しやめて!」
「脅しじゃない」
神崎は振り返って、ほんの少しだけ柔らかい声で言った。
「……今日は、ちゃんと笑ってたから。安心した」
ずるい。
そういうの、反則だ。
僕は玄関の前で、なんとかいつもの言葉で返した。
「……おやすみ、撤収班」
「おやすみ、副委員長」
その声が、いつもよりなんだか近くに聞こえた気がした。
ドアを閉めてからも、しばらく心臓の音がうるさくて、僕はドアの後ろからいつまでも動けずにいたのだった。



