期末レポの提出ボタンを押した瞬間。
画面に出た「提出完了」の文字が、今までの人生で一番眩しく感じられた。
ちょっと大袈裟だけど、体感はそれくらい。
「……終わった」
僕は椅子の背にもたれながら、魂を吐き出すように大きく息を吐いた。
図書館のPC室。周りもみんな同じ顔をしてる。
期末って、大学生全員をゾンビにする。
隣の神崎が、淡々と画面を確認しながら言った。
「提出、確認」
「確認した! 何回も確認した!」
「偉い」
「犬みたいに褒めるな!」
「じゃあ訂正」
神崎が一呼吸置いて、真面目な顔で言った。
「……よく頑張った」
それだけで、胸がじんとした。
「……神崎もね。弟さんのこともあったのに」
「俺は普通」
「普通じゃない。絶対寝てない日あった」
「少し」
「ほら」
神崎が小さく笑う。
「伊吹が止めたから、帰れた」
……あの日の出来事がよぎって、胸がきゅっとなる。
「僕、彼氏っぽいことした?」
僕が冗談のつもりで言うと、神崎は真顔で頷いた。
「した」
「え」
「すごく、した」
言い方が重い。顔がじわっと熱くなる。
「今言う!?」
「今言う」
「図書館!」
「小声」
「そういう問題じゃない!」
神崎が声を立てないように笑った。
◇
外に出ると、夕方の空が薄いオレンジ色に染まっている。
期末試験期間が終わったキャンパスは、少しだけ穏やかで、空気が軽い。
背負っているリュックも、心なしかいつもより軽く感じる。
「……解放された」
「解放」
「もうレポって単語見たくない」
「見ない」
「見ないで済む?」
「たぶん」
「“たぶん”じゃ嫌だ! 絶対って言って!」
神崎が小さく笑う。
駅前へと向かう道すがら、僕はふと、本屋の棚の影で言った「蓮、彼氏」を思い出した。
(あのときは、二人だけの小声だった)
今、周りには人がいる。
でも、もう以前みたいに“逃げたい”だけじゃなかった。
神崎が急に足を止めた。
「伊吹」
「なに」
「……期末終わったから、約束したい」
学祭の時の言葉みたいで、胸がドキンと跳ねる。
「約束って?」
神崎が少しだけ視線を逸らす。
「……何もしない時間、一緒に過ごしたい」
「何もしない?」
「何もしない」
(何もしない、か……)
疲れてる証拠かも。
「いいね、それ。カフェでぼーっとするとか」
「うん」
「じゃあ、今から行こ」
僕が言った瞬間、後ろから声が飛んできた。
「伊吹くん! 神崎くん!」
振り向くと、例の女子――線引きのとき、質問してきた子がいた。
「あの、この前はごめんね。聞きすぎた」
「いえ、大丈夫です」
僕が答えると、彼女は少し笑ってから続けた。
「でも、言いたかった。レポお疲れさま。二人とも、ほんと頑張ってた」
意外に普通。優しい。
「ありがとうございます」
僕が頭を下げると、彼女がふいに言った。
「……そういえば、今日も一緒なんだね」
軽い言い方。けど、どこか気になってるような顔。
ここで曖昧にしたら、またややこしくなる。
でも、神崎が答える前に――
僕の口が動いた。
「うん。一緒」
そして、軽く息を吸って、もう一言。
「……彼氏だから」
言えた。
声は小さかったけど、外で言えた。
逃げずに言えた。
彼女が一瞬目を丸くして、それから笑った。
「そっか。じゃ、邪魔しない。お幸せにね」
「……はい」
彼女は軽く手を振って去っていった。
僕は心臓の音がうるさすぎて、神崎を見られなかった。
(言った。僕、言った……!)
神崎の方から、静かな声が聞こえてくる。
「……悠真」
「な、なに」
「今の」
「……今のは、勢い!」
「違う」
神崎が一拍置いて、言葉を口にした。
「……嬉しい」
そして、我慢できなかったみたいに。
「よし」
言った。
封印、崩壊。
「言ったーー!!」
僕が叫ぶと、神崎が珍しく笑った。声を立ててはいないけど、肩が揺れるくらい笑ってる。
「努力は!?」
「努力した」
「結果がこれ!」
「……今は、言いたい」
その言い方が、ずるい。
僕は照れて、わざと乱暴に言う。
「……うるさい」
「うるさくない」
「うるさいよ」
神崎が僕の方に少しだけ近づいて、小声で言った。
「……ありがとう。彼氏」
胸がぎゅっとなる。
「……どういたしまして、彼氏」
言い返した瞬間、神崎が固まった。
「……」
「なに、その顔」
「……死んだ」
「死ぬな!」
「嬉しくて死んだ」
「生きて!」
神崎が小さく笑って、僕の袖をそっと掴んだ。
「行こう」
「うん」
僕は同じように神崎の袖を掴んだ。
手は繋いでない。
でも、胸の距離は見た目よりずっと近かった。
◇
カフェに入って、二人で窓際のカウンター席に並んで座る。
僕は甘いラテ。神崎はブラック。いつも通りのチョイス。
でも今日は、カップを持つ手が以前みたいに震えない。
僕はぽつりと言った。
「……僕、変わったね」
「変わった」
「前は、曖昧にして逃げてた」
「平気な顔もしてた」
「今は、言える」
「言えた」
神崎が短く言って、でも最後だけ少し柔らかい声で付け足した。
「……俺が、嬉しい」
僕は笑って、言葉を続けた。
「神崎の“よし”が増えるのは困るけどね」
「増やさない」
「努力する?」
「努力する」
「よし禁止」
「……努力する」
神崎は一瞬言葉に詰まってから、珍しく自分の言葉で笑った。
僕も笑った。
学祭の撤収班から始まった、訳のわからない関係。
噂に振り回されて、線引きを作って、嫉妬して、支え合って。
そして今日、僕は外でも言えた。
――彼氏、って。
それだけで、世界が少しだけ明るい。
神崎が小声で言う。
「悠真」
「なに」
「……好き」
「今言う!?」
「今言う」
「調子乗ってる!」
「乗ってない」
「乗ってる!」
神崎が笑って、僕の方を見た。
「これからも、撤収班じゃない時間、作る」
僕はカップを持って頷いた。
「うん。作ろう」
神崎が一拍置いて、最後に言う。
「……よし」
「だから言うなーー!!」
僕のツッコミに、神崎がまた笑った。
その笑いが、これから先の毎日にも続くんだと思えた。
だから、きっと大丈夫。
僕らは、僕らのペースで。
終わり。
画面に出た「提出完了」の文字が、今までの人生で一番眩しく感じられた。
ちょっと大袈裟だけど、体感はそれくらい。
「……終わった」
僕は椅子の背にもたれながら、魂を吐き出すように大きく息を吐いた。
図書館のPC室。周りもみんな同じ顔をしてる。
期末って、大学生全員をゾンビにする。
隣の神崎が、淡々と画面を確認しながら言った。
「提出、確認」
「確認した! 何回も確認した!」
「偉い」
「犬みたいに褒めるな!」
「じゃあ訂正」
神崎が一呼吸置いて、真面目な顔で言った。
「……よく頑張った」
それだけで、胸がじんとした。
「……神崎もね。弟さんのこともあったのに」
「俺は普通」
「普通じゃない。絶対寝てない日あった」
「少し」
「ほら」
神崎が小さく笑う。
「伊吹が止めたから、帰れた」
……あの日の出来事がよぎって、胸がきゅっとなる。
「僕、彼氏っぽいことした?」
僕が冗談のつもりで言うと、神崎は真顔で頷いた。
「した」
「え」
「すごく、した」
言い方が重い。顔がじわっと熱くなる。
「今言う!?」
「今言う」
「図書館!」
「小声」
「そういう問題じゃない!」
神崎が声を立てないように笑った。
◇
外に出ると、夕方の空が薄いオレンジ色に染まっている。
期末試験期間が終わったキャンパスは、少しだけ穏やかで、空気が軽い。
背負っているリュックも、心なしかいつもより軽く感じる。
「……解放された」
「解放」
「もうレポって単語見たくない」
「見ない」
「見ないで済む?」
「たぶん」
「“たぶん”じゃ嫌だ! 絶対って言って!」
神崎が小さく笑う。
駅前へと向かう道すがら、僕はふと、本屋の棚の影で言った「蓮、彼氏」を思い出した。
(あのときは、二人だけの小声だった)
今、周りには人がいる。
でも、もう以前みたいに“逃げたい”だけじゃなかった。
神崎が急に足を止めた。
「伊吹」
「なに」
「……期末終わったから、約束したい」
学祭の時の言葉みたいで、胸がドキンと跳ねる。
「約束って?」
神崎が少しだけ視線を逸らす。
「……何もしない時間、一緒に過ごしたい」
「何もしない?」
「何もしない」
(何もしない、か……)
疲れてる証拠かも。
「いいね、それ。カフェでぼーっとするとか」
「うん」
「じゃあ、今から行こ」
僕が言った瞬間、後ろから声が飛んできた。
「伊吹くん! 神崎くん!」
振り向くと、例の女子――線引きのとき、質問してきた子がいた。
「あの、この前はごめんね。聞きすぎた」
「いえ、大丈夫です」
僕が答えると、彼女は少し笑ってから続けた。
「でも、言いたかった。レポお疲れさま。二人とも、ほんと頑張ってた」
意外に普通。優しい。
「ありがとうございます」
僕が頭を下げると、彼女がふいに言った。
「……そういえば、今日も一緒なんだね」
軽い言い方。けど、どこか気になってるような顔。
ここで曖昧にしたら、またややこしくなる。
でも、神崎が答える前に――
僕の口が動いた。
「うん。一緒」
そして、軽く息を吸って、もう一言。
「……彼氏だから」
言えた。
声は小さかったけど、外で言えた。
逃げずに言えた。
彼女が一瞬目を丸くして、それから笑った。
「そっか。じゃ、邪魔しない。お幸せにね」
「……はい」
彼女は軽く手を振って去っていった。
僕は心臓の音がうるさすぎて、神崎を見られなかった。
(言った。僕、言った……!)
神崎の方から、静かな声が聞こえてくる。
「……悠真」
「な、なに」
「今の」
「……今のは、勢い!」
「違う」
神崎が一拍置いて、言葉を口にした。
「……嬉しい」
そして、我慢できなかったみたいに。
「よし」
言った。
封印、崩壊。
「言ったーー!!」
僕が叫ぶと、神崎が珍しく笑った。声を立ててはいないけど、肩が揺れるくらい笑ってる。
「努力は!?」
「努力した」
「結果がこれ!」
「……今は、言いたい」
その言い方が、ずるい。
僕は照れて、わざと乱暴に言う。
「……うるさい」
「うるさくない」
「うるさいよ」
神崎が僕の方に少しだけ近づいて、小声で言った。
「……ありがとう。彼氏」
胸がぎゅっとなる。
「……どういたしまして、彼氏」
言い返した瞬間、神崎が固まった。
「……」
「なに、その顔」
「……死んだ」
「死ぬな!」
「嬉しくて死んだ」
「生きて!」
神崎が小さく笑って、僕の袖をそっと掴んだ。
「行こう」
「うん」
僕は同じように神崎の袖を掴んだ。
手は繋いでない。
でも、胸の距離は見た目よりずっと近かった。
◇
カフェに入って、二人で窓際のカウンター席に並んで座る。
僕は甘いラテ。神崎はブラック。いつも通りのチョイス。
でも今日は、カップを持つ手が以前みたいに震えない。
僕はぽつりと言った。
「……僕、変わったね」
「変わった」
「前は、曖昧にして逃げてた」
「平気な顔もしてた」
「今は、言える」
「言えた」
神崎が短く言って、でも最後だけ少し柔らかい声で付け足した。
「……俺が、嬉しい」
僕は笑って、言葉を続けた。
「神崎の“よし”が増えるのは困るけどね」
「増やさない」
「努力する?」
「努力する」
「よし禁止」
「……努力する」
神崎は一瞬言葉に詰まってから、珍しく自分の言葉で笑った。
僕も笑った。
学祭の撤収班から始まった、訳のわからない関係。
噂に振り回されて、線引きを作って、嫉妬して、支え合って。
そして今日、僕は外でも言えた。
――彼氏、って。
それだけで、世界が少しだけ明るい。
神崎が小声で言う。
「悠真」
「なに」
「……好き」
「今言う!?」
「今言う」
「調子乗ってる!」
「乗ってない」
「乗ってる!」
神崎が笑って、僕の方を見た。
「これからも、撤収班じゃない時間、作る」
僕はカップを持って頷いた。
「うん。作ろう」
神崎が一拍置いて、最後に言う。
「……よし」
「だから言うなーー!!」
僕のツッコミに、神崎がまた笑った。
その笑いが、これから先の毎日にも続くんだと思えた。
だから、きっと大丈夫。
僕らは、僕らのペースで。
終わり。



