撤収班ルールで、犬猿なはずのあいつと恋をする

 神崎が帰ったその夜。
 僕はレポの結論を書きながら、落ち着かなさに負けてスマホを何度も見てしまった。
 通知が来てないか確認する自分が、情けない。

(……彼氏って、待つのが苦手になるのかも)

 零時を回る直前、やっと通知が来た。

【神崎:弟、熱下がった】
【神崎:寝た】
【神崎:伊吹、レポ】

 最後それ。

(この状況でも進捗管理するんだ……)

 僕は思わず笑いながら返信した。

【伊吹:結論書いた】
【伊吹:弟さんよかった】
【伊吹:蓮も寝て】

 既読。

【神崎:うん】
【神崎:……ありがとう】

 短いのに、胸がじんとした。



 翌日。
 神崎はいつも通りに大学に来た。
 でも、いつも通りじゃないところが一つだけあった。
 目が少しだけ眠そう。
 でも、僕のことを見るときだけは、視線が柔らかくなる。

(昨日のこと、引きずってるの神崎の方だ)

 僕が気づいた瞬間、神崎が小声で言った。

「伊吹」
「なに」
「……見ないで」
「え」
「顔、ばれる」
「何が」

 神崎が一瞬黙ってから、ぼそっと言った。

「……弱かったの」

 胸がぎゅっとなる。

「弱くない」
「弱い」
「弱い日があるだけ」

 僕が言うと、神崎は視線をほんの少し揺らして、それから頷いた。

「……うん」

 その一言だけで、今日は大丈夫な気がした。



 昼休み。
 委員長が僕らを呼び止めた。

「二人、ちょっといい?」

 場所は学食の端。
 人が多いところを避けて、あえて端を選ぶ委員長は気が利く。

「噂の件、落ち着いてきたよ」
「ほんとですか」

 僕が言うと、委員長が頷いた。

「うん。 “本人たちに聞け”って空気にしたら、騒ぐ人は減った」

 ありがたい。
 僕はほっと息を吐いた。
 委員長が続ける。

「ただ、三木がさ」

 嫌な予感。

「“証人になった”ってうるさい」
「やっぱり!」

 僕が叫ぶと、委員長が笑った。

「でもね。うるさいだけで、拡散はしてない。そこは偉い」

 意外。
 三木のやつ、ちゃんと内緒にしてた。
 神崎が小さい声で言った。

「三木は口が軽いけど、約束は守る」
「評価、ひどいのに信頼してるの何」

 僕がツッコむと、委員長がうんうんと頷いた。

「そうそう。だから提案しようと思って」
「提案?」

 委員長がにやっと笑った。

「三木には“内緒の責任者”になってもらう」
「責任者!?」
「口が軽い人ほど、役職つけると黙るのよ。“ 責任者”って言葉に三木は弱いでしょ?」

 委員長の知恵が怖い。
 僕が固まっていると、委員長がさらに続ける。

「あと、二人もね。決めといた方がいい。“どこまで公認にするか”」

 僕は神崎を見る。
 神崎は即答した。

「伊吹のペース」

 前々からずっとそれ。
 その言葉に救われる。
 でも、僕も少しだけ前に進みたくなった。

「……委員長」
「ん?」
「完全に隠すのは、やめます」

 委員長が目を丸くする。

「お、言った」

 僕は、少しずつ考えながら言葉を続けた。

「聞かれたら答える。あと、実行委員の中で“近い人”には、ちゃんと伝えます。変に誤解されるのも嫌なので」

 委員長が嬉しそうに笑った。

「いいじゃん。大人!」
「大人って言わないでください、照れる」

 神崎が淡々と付け足してくる。

「伊吹、偉い」
「犬みたいに褒めるな!」

 委員長が笑って、最後にパチンと手を叩いた。

「決まり! じゃあこっちの方でも、必要以上に噂話しないように空気作っとく」
「ありがとうございます」

 僕が頭を下げると、委員長が急に真顔で言った。

「でさ」

 怖い。

「二人、無理してない?」

 ……刺さる質問。
 僕は一瞬黙って、それから正直に言った。

「無理、しそうになる時はあります」
「うんうん」
「でも、神崎が止めるし」

 神崎がすかさず言う。

「止める」
「僕も、止める」

 僕が言うと、神崎が少しだけ目を大きくした。
 委員長が満足そうに頷く。

「うん。じゃあ、それが二人の“公認”の形ね」

 委員長は大きく頷いてから立ち上がると、去り際に小さい声で言った。

「……おめでとう。ちゃんと、幸せになれよ」

 胸がじんとした。



 その日の午後。
 三木が案の定、僕らの間に飛び込んできた。

「伊吹! 神崎くん! 委員長から聞いたんだけど……」
「もう!? 早いな!」
「俺、“内緒の責任者”になった!!」

 誇らしげに言うな。

「で、責任者って何?」
「えっと……」
「つまりは俺、信頼されてるってことだよね!?」

 ……都合よく解釈する天才。あながち間違ってないのが腹立つ。
 神崎が淡々と無表情で言った。

「三木、拡散したら終わり」
「怖っ!?」

 神崎は真顔だ。

「撤収班ルールの守秘義務」
「撤収班に守秘義務あるの!?」

 僕が思わずツッコむと、三木が笑いながら僕の肩を叩いた。

「でもよ、安心しろ。俺、バカだけど味方だから」

 バカは余計。
 でも、その言葉は嬉しかった。

「……ありがとう」

 僕が言うと、三木が驚いた顔をして、すぐにニヤけた。

「うわ、素直! やば! これは“公認手前”の顔だろ!」
「顔で判断する文化、神崎のがうつった!?」

 神崎がぶすっとした表情で言った。

「うつってない」
「うつってるよ!」

 三木が笑いながらヒラヒラと手を振った。

「じゃ、俺、守秘義務守るわ! 二人ともお幸せに!」

 忍者……いや、嵐みたいに去って行った。



 夕方、帰り道。
 神崎がぽつりと言った。

「伊吹」
「なに」
「昨日」
「うん」
「……ありがとう」

 またそれ。
 僕は小さく笑いながら返した。

「どういたしまして」

 神崎が一拍置いて、珍しく言い足した。

「伊吹が彼氏で、よかった」

 胸がドキンと高鳴る。

「……今それ言う?」
「今言う」
「調子乗ってる」
「乗ってない」
「乗ってる」

 神崎が笑って、言いかけて止めた。

「……よ」
「言いかけた!」
「言ってない」

 神崎の耳が赤い。僕のもたぶん、同じくらい赤い。

 周りの空気も、噂も、少しずつ落ち着いていく。
 残るのは、二人のペースと、内緒を守る人たち。

 そして――次は、最後の一歩だ。