翌日。
教室に入った瞬間、空気が“知ってる”感じになっていた。
視線が僕にちらっと集まって、すぐ逸れる。
ひそひそ声が走って、僕の耳にだけ刺さる。
(うわ……本番だ)
僕は深呼吸して席に向かった。
神崎は隣を歩いている。いつも通りの涼しい顔。外面完璧。
なのに、僕だけは心臓が忙しい。
「伊吹」
席に座った途端、神崎が小声で話しかけてきた。
「緊張してる」
「してない」
「してる」
「してないってば」
神崎は机の下で、指先だけ僕の指に触れた。
触れるだけで、いつも少し落ち着くのが悔しい。
「……大丈夫」
神崎の声が静かに言う。
「線引き、やるだけ」
「やるだけって言うな。僕にとっては命がけみたいなもんだ」
「命は取られない」
「心臓は取られる!」
神崎が声を出さないように笑った。
◇
講義が終わると同時に、事件は起きた。
「伊吹くん」
廊下で声をかけてきたのは、同じ学科の女子――昨日神崎を誘ってきたのとは別の子だ。
落ち着いた雰囲気で、変に冷やかす感じがない。だから余計に怖い。
「ちょっといい?」
「は、はい……」
僕の声が思わず裏返りそうになる。
(落ち着け。落ち着け。線引き。線引き……)
女子は小さく笑いながら口を開いた。
「噂、聞いたんだけど……神崎くんと付き合ってるの?」
きた。ど直球。
僕の脳が一瞬止まって、次に動いたのは“いつもの癖”だった。
(否定して逃げたい)
曖昧にして、なあなあで済ませてしまいたい。
でも、決めた。
聞かれたら嘘はつかない。
それに、僕が曖昧にすると、余計に周りをざわつかせる。
僕は勇気を出して、思い切って口を開いた。
「……はい。付き合ってます」
言えた。心臓がバクバクとうるさい。
女子は「あ、そうなんだ」と頷いて、すぐに表情を柔らげた。
「そっか。じゃあ、おめでとう」
「……ありがとうございます」
拍子抜けするくらい普通だ。
肩の力がガクンと抜ける。
――その瞬間。
「でさ」
女子が続けた。
「どういうきっかけ? いつから? どっちが告白したの?」
うわ、追加質問。三連コンボ。
(ここからが本番だ!!)
僕の頭の中で、線引きルールが点滅する。
二。自分からは言わない
余計なことは言わない
僕が答えに詰まっていると、横から神崎が割り込んできた。
「それ、プライベート」
声は低いけど、言い方は――意外なほど柔らかい。
女子が少し驚いた顔をする。
「え、ごめん。聞きすぎた?」
「うん。そこは内緒で」
神崎が即答する。
……即答は即答で刺さるけど、言い方が刺々しくない。
むしろ、笑ってないのに丁寧だった。
神崎はさらに続けた。
「噂で面白がられるのは、伊吹が困る」
僕は思わず目を丸くした。
(僕の気持ち、勝手に代弁してる……けど、間違ってない)
女子が「あ、そっか、ごめんね」と言って、手を振った。
「じゃ、私はこれで。お幸せに」
「……はい」
僕は小さく頭を下げた。
女子が去っていく。
彼女が去ると、急に廊下がしいんと静かになった。
僕はその場でしゃがみ込みたくなるくらい疲れた。
「……神崎」
「ん」
「今の、優しかった」
「優しくした」
「できるんだ」
「伊吹が言ったから」
「言ったね……」
神崎が一呼吸置いて、少しだけ声を落とした。
「……伊吹の“恥ずかしい”は、俺が守る」
胸がぎゅっとなる。
「守るって言うな、恥ずかしい」
「恥ずかしい?」
「恥ずかしい!」
神崎が小さく笑った。
◇
その後も、似たような質問が何度か来た。
「本当に付き合ってるの?」
「いつから?」
「どこが好きなの?」
僕は全部、同じテンプレで返した。
「うん、付き合ってる」
「それは内緒」
「それは二人だけの話」
神崎は横で、必要な時だけ短く補足する。
余計なことは言わない。
でも、僕が困ったらすぐ止めに入ってくれる。
(……線引きルール、機能してる)
夕方、ようやく人の波が落ち着いた頃。
僕は廊下の窓際で大きく息を吐いていた。
「……今日、寿命縮んだ」
「縮んでない」
「縮んだよ」
「伸びる」
「どういう理屈」
「俺が健康管理する」
「やめて、お母さんみたい」
神崎が小さく笑って、僕の前に水を差し出した。
「飲んで」
「……ありがとう」
僕が飲むと、神崎が少しだけ目を細める。
「よく言えた」
「え?」
「付き合ってる、って」
胸がどくんと鳴った。
「……それ、褒めてる?」
「褒めてる」
「……じゃあ」
僕は意地悪く言った。
「よし、って言う?」
神崎が少し考えて、真面目に答えた。
「言わない」
「努力してる」
「努力してる」
神崎が小さく笑って、それから、誰もいないのを確認するみたいに周りを見る。
そして、超小声で言った。
「……好き」
僕は顔をかっと赤くしながら、神崎の腕をバシリと叩いた。
「今言う!?」
「今言う」
「調子乗ってる!」
「乗ってない」
「乗ってる!」
神崎の笑顔が近い。
僕はため息を吐きながらも、心は少しだけ軽かった。
(線引き、できた)
きっと、僕一人じゃできなかった。
神崎が“優しい断り方”を選んでくれたから。
そして、それが――たぶん、彼氏として一番嬉しかった。
教室に入った瞬間、空気が“知ってる”感じになっていた。
視線が僕にちらっと集まって、すぐ逸れる。
ひそひそ声が走って、僕の耳にだけ刺さる。
(うわ……本番だ)
僕は深呼吸して席に向かった。
神崎は隣を歩いている。いつも通りの涼しい顔。外面完璧。
なのに、僕だけは心臓が忙しい。
「伊吹」
席に座った途端、神崎が小声で話しかけてきた。
「緊張してる」
「してない」
「してる」
「してないってば」
神崎は机の下で、指先だけ僕の指に触れた。
触れるだけで、いつも少し落ち着くのが悔しい。
「……大丈夫」
神崎の声が静かに言う。
「線引き、やるだけ」
「やるだけって言うな。僕にとっては命がけみたいなもんだ」
「命は取られない」
「心臓は取られる!」
神崎が声を出さないように笑った。
◇
講義が終わると同時に、事件は起きた。
「伊吹くん」
廊下で声をかけてきたのは、同じ学科の女子――昨日神崎を誘ってきたのとは別の子だ。
落ち着いた雰囲気で、変に冷やかす感じがない。だから余計に怖い。
「ちょっといい?」
「は、はい……」
僕の声が思わず裏返りそうになる。
(落ち着け。落ち着け。線引き。線引き……)
女子は小さく笑いながら口を開いた。
「噂、聞いたんだけど……神崎くんと付き合ってるの?」
きた。ど直球。
僕の脳が一瞬止まって、次に動いたのは“いつもの癖”だった。
(否定して逃げたい)
曖昧にして、なあなあで済ませてしまいたい。
でも、決めた。
聞かれたら嘘はつかない。
それに、僕が曖昧にすると、余計に周りをざわつかせる。
僕は勇気を出して、思い切って口を開いた。
「……はい。付き合ってます」
言えた。心臓がバクバクとうるさい。
女子は「あ、そうなんだ」と頷いて、すぐに表情を柔らげた。
「そっか。じゃあ、おめでとう」
「……ありがとうございます」
拍子抜けするくらい普通だ。
肩の力がガクンと抜ける。
――その瞬間。
「でさ」
女子が続けた。
「どういうきっかけ? いつから? どっちが告白したの?」
うわ、追加質問。三連コンボ。
(ここからが本番だ!!)
僕の頭の中で、線引きルールが点滅する。
二。自分からは言わない
余計なことは言わない
僕が答えに詰まっていると、横から神崎が割り込んできた。
「それ、プライベート」
声は低いけど、言い方は――意外なほど柔らかい。
女子が少し驚いた顔をする。
「え、ごめん。聞きすぎた?」
「うん。そこは内緒で」
神崎が即答する。
……即答は即答で刺さるけど、言い方が刺々しくない。
むしろ、笑ってないのに丁寧だった。
神崎はさらに続けた。
「噂で面白がられるのは、伊吹が困る」
僕は思わず目を丸くした。
(僕の気持ち、勝手に代弁してる……けど、間違ってない)
女子が「あ、そっか、ごめんね」と言って、手を振った。
「じゃ、私はこれで。お幸せに」
「……はい」
僕は小さく頭を下げた。
女子が去っていく。
彼女が去ると、急に廊下がしいんと静かになった。
僕はその場でしゃがみ込みたくなるくらい疲れた。
「……神崎」
「ん」
「今の、優しかった」
「優しくした」
「できるんだ」
「伊吹が言ったから」
「言ったね……」
神崎が一呼吸置いて、少しだけ声を落とした。
「……伊吹の“恥ずかしい”は、俺が守る」
胸がぎゅっとなる。
「守るって言うな、恥ずかしい」
「恥ずかしい?」
「恥ずかしい!」
神崎が小さく笑った。
◇
その後も、似たような質問が何度か来た。
「本当に付き合ってるの?」
「いつから?」
「どこが好きなの?」
僕は全部、同じテンプレで返した。
「うん、付き合ってる」
「それは内緒」
「それは二人だけの話」
神崎は横で、必要な時だけ短く補足する。
余計なことは言わない。
でも、僕が困ったらすぐ止めに入ってくれる。
(……線引きルール、機能してる)
夕方、ようやく人の波が落ち着いた頃。
僕は廊下の窓際で大きく息を吐いていた。
「……今日、寿命縮んだ」
「縮んでない」
「縮んだよ」
「伸びる」
「どういう理屈」
「俺が健康管理する」
「やめて、お母さんみたい」
神崎が小さく笑って、僕の前に水を差し出した。
「飲んで」
「……ありがとう」
僕が飲むと、神崎が少しだけ目を細める。
「よく言えた」
「え?」
「付き合ってる、って」
胸がどくんと鳴った。
「……それ、褒めてる?」
「褒めてる」
「……じゃあ」
僕は意地悪く言った。
「よし、って言う?」
神崎が少し考えて、真面目に答えた。
「言わない」
「努力してる」
「努力してる」
神崎が小さく笑って、それから、誰もいないのを確認するみたいに周りを見る。
そして、超小声で言った。
「……好き」
僕は顔をかっと赤くしながら、神崎の腕をバシリと叩いた。
「今言う!?」
「今言う」
「調子乗ってる!」
「乗ってない」
「乗ってる!」
神崎の笑顔が近い。
僕はため息を吐きながらも、心は少しだけ軽かった。
(線引き、できた)
きっと、僕一人じゃできなかった。
神崎が“優しい断り方”を選んでくれたから。
そして、それが――たぶん、彼氏として一番嬉しかった。



