撤収班ルールで、犬猿なはずのあいつと恋をする

 しかし、翌日噂は消えるどころか――逆に増えていた。
 昼休み。学食へ向かう廊下で、僕はまた複数の視線にチクチクと刺された。針山にでもなった気分だ。
 そして、聞こえてくるヒソヒソ声。

「……やっぱ付き合ってるって」
「昨日、神崎が“事実”って言ったらしい」
「伊吹くん、赤くなってたって」

(赤くなってた情報まで共有されてるの、何!?)

 僕は思わず顔を押さえた。

「伊吹」

 隣から神崎の低い声がする。

「……今、赤いって言うなよ」
「言ってない」
「顔で言ってる」
「言ってない」

 神崎は涼しい顔で歩き続ける。いつも通り外面完璧。
 なのに僕の横だけ、空気が妙に落ち着いてるみたいなのが悔しい。
 学食の入口が見えたところで、三木が昨日と同じように飛び出してきた。

「伊吹! 神崎くん! やべえ!」
「何が」

 神崎が先に聞く。言葉が短い。もしかしてちょっとイラッとしてる?
 三木がスマホを突き出した。

「これ見ろ! 学祭の写真、拡散されてる!」

 嫌な予感しかしない。
 画面には、学祭の“運営まとめ”っぽい投稿が表示されていた。
 ステージ裏、案内所、誘導、集合写真……その中の一枚。

 ――僕と神崎が、ステージ裏で並んで立ってる写真があった。

 僕の手には、神崎が握らせた飴があった。そして神崎の顔が、撤収班じゃない顔になっている。護衛の顔だ。

(……終わった)

「これ、実行委員の公式アカがリポストしてさ、コメント欄が“尊い”で埋まってる」

 三木が笑いながら言う。

「尊いって何!? 宗教!?」

(神崎は何かの教祖様!?)
 
 僕が叫ぶと、三木がぶっと吹き出した。

「宗教じゃない。いいカップルだねってこと!」

 僕はどうしていいか分からず、思わず縋るような視線で神崎を見た。

「……これ、どうするの」

 神崎は画面を一瞬見てから、自分のスマホでも確認した後、いつも通りの淡々とした口調で言った。

「放置」
「放置!?」
「消そうとすると燃える」
「それ、ネットの闇の知識!」
「常識」

 神崎が冷静すぎて怖い。
 僕は胃がキリキリ痛むような心地がした。

「どうしよう……」

 昨日は放置したら噂が増えるからって、神崎がはっきり“事実”って宣言したのに。
 
(宣言したから“確定”になって、逆に燃料になったのかもしれない)
 
 僕が思わず俯くと、神崎が強めの声で言った。

「噂は消える」
「でも……」
「大丈夫。俺がいる」

 神崎の力強い声に、僕の胸が揺れた。
 三木が「じゃ、俺は飯!」と去っていく。去るの早い。相変わらず忍者かよ。
 残されたのは、僕と神崎と、神崎が表示したスマホの写真。

「……伊吹」
「なに」
「顔」
「顔って言うの、やめて」
「落ちてる」
「落ちてない」
「落ちてる」

 神崎は一呼吸置いて、珍しく言葉を増やしてきた。

「噂が広がって困るのは伊吹だけじゃない。俺も同じ」
「神崎は平気そう」
「平気じゃない」
「え」

 神崎が視線を逸らして、ぼそっと言った。

「……伊吹が見られるのは、嫌」

 心臓がどくんと鳴った。

「それ、嫉妬?」
「嫉妬」

 即答!?
 僕は思わず周りを見た。人がいる。いるから言うな!

「今言う!?」
「今言う」
「やめて! 噂がさらに増える!」

 神崎が涼しい顔のまま、でも声は小さくして言った。

「……表情管理、難しい」
「何の」
「彼氏の」

 僕は噴きそうになって、必死に咳払いで誤魔化した。

「……ごほっ!」

 神崎がすぐにペットボトルを差し出してくれた。

「水」
「ありがとう」

 僕がペットボトルに口をつけるのを見ながら、神崎が少しだけ困った顔をした。

「伊吹が落ち込むと、俺が困る」

 また“困る”だ。
 でも今日は、その“困る”が胸に優しく落ちた。

「……じゃあ、どうすればいいの」

 僕が聞くと、神崎は即答した。

「飯」
「解決策が飯!?」
「まずは飯」
「雑!」

 神崎は僕の腕を軽く引く。
 昨日の“相談”の約束を守るみたいに、強引じゃない手つきだった。

「食ったら、対策考える」
「対策あるの?」
「ある」
「何」

 神崎が一呼吸置いて言った。

「線引きルール、運用」
「それしかないの!?」
「それが一番」

 僕はため息を吐きながらも、神崎に腕を引かれて学食に入った。



 席を探している時、僕は神崎がいつもより周囲を見ていることに気づいた。
 視線が動く。人の流れを確認してる。さりげなく僕の背中側を歩いている。

(護衛が抜けてない……)

 席を確保して、僕がうどんをすすっていると、隣のテーブルから声が聞こえてきた。

「ねえ、神崎くんって彼女いるの?」
「彼女じゃなくて……彼氏って噂」

 ぶふっ。
 僕は危うく汁を噴きかけた。

「伊吹」

 神崎がペットボトルを置いて、低い声で言った。

「噴くな」
「噴くよ!?」
「噴くな」
「無理!」

 そう言いながら、神崎も耳を赤くしている。
 それが、さらに無理。
 僕が手で口を押さえていると、神崎がさらっと言った。

「……伊吹」
「なに……」
「聞かれたら嘘つかない、って決めた」
「うん」
「だから、聞かれたら答える」
「うん……」

 僕は腹を括った。

(噂は消えない。なら線を引くしかない)

 神崎が少しだけ声を落とす。

「でも、伊吹が嫌なら、俺は答え方を選ぶ」
「答え方?」
「“付き合ってる”って事実だけ。余計なこと言わない」
「余計なこと?」

 神崎が一旦口を閉じてから、真顔で続けた。

「……かわいいとか」
「余計すぎる!!」

 僕が叫ぶと、神崎が小さく笑った。

「余計じゃないよ」
「余計!!」
「じゃあ言わない」
「そうして!」

 神崎が頷いて、でも最後に小さい声で言った。

「……言いたいけど」
「言うな!」
「努力する」
「よし禁止」
「努力する」

 僕は顔を赤くしたまま、うどんをすすった。
 噂は怖い。
 でも、噂の中で僕らが潰れないように、神崎は“表情管理”をしようとしてる。

(彼氏って、大変だ……)

 でも。
 僕には妙な確信があった。

(それでも、神崎となら、なんとかなるかも)
 
 表情管理が下手でも、ちゃんと“努力する”って言える彼氏だから。