撤収班ルールで、犬猿なはずのあいつと恋をする

 帰宅して、鍵を閉めた瞬間にスマホが震えた。

【神崎:帰宅】

 たった漢字二文字の報告。余計な感情がない。なのに妙な圧を感じる。
 僕はソファに倒れ込みながら、親指だけで返事を打った。

【伊吹:帰宅しました】

 送信した直後、一瞬で既読が付く。早すぎて怖い。

【神崎:えらい】

(犬のしつけ?)

 思わず「は?」と打ちかけて、やめた。やめた僕がえらい。たぶん。
 それから五分後。

【神崎:水飲んで風呂入って寝ろ】

(なにこの生活指導)

 僕は返信をせずにスマホを伏せた。返したらなんとなく負けな気がしたから。
 でも、スマホはすぐにまた震えた。

【神崎:既読つけたのに返事ないと心配になる。生存報告して】

(過保護か!)

【伊吹:寝ます】

 送ると、再び即既読。

【神崎:よし】

(なにその「よし」……!)

 僕は枕に顔を埋めた。学祭実行委員の副委員長になっただけで、生活が神崎の飼い犬状態にされるとは聞いてないんですけど?



 翌日、講義が終わってスマホを見ると、実行委員のグループチャットがえらいことになっていた。

【委員長:みんな今日の作業! 班分けするよ〜!】
【委員長:ポスター/広報班、協賛班、ステージ班、警備班!】
【先輩:協賛班、電話かけれる人助かる!】
【誰か:広報班、SNS得意な人います?】
【委員長:伊吹くんは副委員長だから全体見ながら、まず広報班のまとめお願いしたい!】

(いきなり具体的すぎる……!)

 僕はすぐに「了解です」と打って送った。即レスは大事だ。
 続けてスマホがブブブッ、と震えた。

【神崎:広報班、俺も入る】

(即決かよ!)

 すぐに個人チャット宛に別の通知も来る。

【神崎:伊吹、今日18時。学内の印刷室前】

(なんでお前が仕切ってんだよ! 副委員長は僕なんですけどー!)

 渋々僕が「わかった」と打とうとした瞬間、また通知が来た。

【神崎:返信】

(今しようとしたっつーの!)

【伊吹:わかった】
【神崎:よし】

 よし、じゃない。マジで神崎の飼い犬みたいだ。



 18時。印刷室前には、すでに神崎の姿があった。紙の束を抱えて、涼しい顔で壁にもたれている。僕より五分も早く来ている。腹立つ。

「遅い」
「五分前だけど?」
「心の遅刻」
「なにそれ」

 神崎は僕に紙束を一束差し出した。

「ポスター案。委員長からラフもらった」
「……早くない?」
「やることは早い方が楽だ」

 言い方がいちいち正しい。腹立つ。
 印刷室に入ると、同じ広報班のメンバーが集まっていた。二年の先輩と、一年の男女が数人。みんな「よろしくお願いします!」と元気な表情をしている。
 神崎は、みんなの前に立った瞬間、急にふわっと優しい顔になった。

「よろしく。神崎です。困ったらなんでも言って」

 声も柔らかいし、目も笑ってる。手際もいい。しかも、先輩に対してはちゃんと敬語で話している。

(……誰?)

 さっきまで僕に「心の遅刻」とか言ってた人と同一人物とはとても思えない。

「神崎くん、助かる〜!」

 先輩たちも、手際のいいイケメンが現れて心なしか嬉しそうだ。

「伊吹くんもまとめよろしくね!」
「はい、大丈夫です」

 僕がそう返事をしたときだった。

「伊吹、待って」

 神崎が急に僕と先輩の間に割り込んできた。

「え?」
「先輩、作業量、一回だけ確認させてください。伊吹が抱えがちなんで。俺も手伝います」

 言い方がさっきまでと全然違って、急に柔らかい雰囲気から遠ざかる。その場の空気が一瞬止まって、先輩が「あ、えっと……」と気まずそうに笑っている。
 僕の耳が途端にかっと熱くなった。恥ずかしいのと、ムカつくのと、半々で。

(他人には優しいのに、なんで僕にだけグサッと釘刺すの!?)

 僕が口を開く前に、神崎は印刷機の操作説明を先輩に丁寧に始めた。丁寧すぎて腹立つ。



 さっそく広報班のみんなと相談しながら、その日の作業が始まった。
 デザイン案の調整に、印刷枚数の概算。掲示場所のルール確認に、SNS告知文作成。掲載画像のサイズの確認など、地味にやることが多い。
 僕が「じゃあ、SNS告知文は僕が叩き台作って……」と提案すると、

「伊吹、それも?」

 神崎がすっと眉を寄せた。さっきと同じで、僕だけには厳しい視線を向けてくる。
「副委員長だからって全部抱えるな」
「抱えてないよ。分担するし」
「分担する“つもり”でも、それ最終的に結局お前が全部直すやつだろ」

 言われてみれば、確かにそうなる気がする。
 図星を突かれてムッとした僕は、思わず口を尖らせた。

「……悪い?」
「悪い」
「即答!?」

 神崎はため息をついて、僕の手元のメモをひょいっと取りあげた。

「SNS文は俺が下書きする。伊吹は確認だけして。あと掲示許可の申請も俺がやる。お前は進行だけ見ろ」
「進行だけって、結局全部じゃん」
「違う。“進行”は頭で、“作業”は体力」
「なにその名言っぽい言い方」

 僕が軽く嫌味っぽくツッコむと、それを聞いていた先輩がくすっと笑った。

「二人、仲いいね〜」
「よくないです!」

 僕が即答すると、神崎は先輩にだけ優しく笑う。

「いつもこんな感じです」

(いつも!? まだ二日目だけど!?)

 僕が抗議する間もなく、神崎は一年生にもやさしく指示を出した。

「こっちは画像サイズ合わせよろしく。分からなかったら見せて」
「ありがとうございます!」

(……ほら、また優しい)

 優しさが腹立つって、人生で初めての感情だ。



 作業がひと段落して、印刷室の外の廊下で飲み物を買った。自販機の前で迷っていると、後ろから明るい声が聞こえてきた。

「伊吹〜!」

 振り向くと、同じ講義を取ってる友達の三木が手を振っていた。いつも元気な陽キャだ。

「お前、学祭委員やってんの? 偉くね?」
「偉くない。捕まっただけ」
「副委員長って聞いたぞ。出世じゃん」
「出世じゃなくて罰ゲームに近い」

 三木が笑いながら、僕の肩をバシバシと叩いた。

「じゃあさ、今度打ち上げしよーぜ。頑張ってる副委員長をねぎらう会」
「マジで? やった!」

 三木と一緒にはしゃいでいた時、急に背後の空気が変わった。
 コツ、コツ、と、なんとなく不穏な足音が、静かに近づいて来る。

「伊吹」

 神崎だった。なぜか無表情で、僕のことをじっと見ている。

「え、なに」
「休憩、終わり」
「まだ五分――」
「終わり」

 いや、急に理不尽!
 僕の隣で振り返った三木が神崎に気がついて、ぱっと目を輝かせた。

「え、神崎くんじゃん。学科の有名人。なに、伊吹と一緒に学祭委員?」
「そう」

 神崎が、三木には普通にそう返事を返す。冷たくないし、刺さらない。むしろ淡々として“感じがいい”。
 そして三木に向けた笑顔――薄いけど、ちゃんと口角の上がったこの場に適切な表情だ。

(三木にすら笑顔……)

 三木が興奮気味に言う。

「すげー! 学祭委員最強じゃん! 伊吹、神崎くんと仲良くやれよ!」
「仲良く――」
「やってる」

 神崎がそうかぶせてきた。
 僕は「やってない!」と言おうとしたのに、神崎のせいで言いそびれた。
 神崎が僕の手元をちらっと見る。

「それ、カフェイン」
「うん。眠いし」
「やめろ」
「なんで!?」
「昨日も飲んでただろ。胃が死ぬ」

(なにその健康管理)

 神崎の言葉を聞いて、三木がぷっと吹き出した。

「神崎くん、伊吹の保護者?」

 その瞬間、神崎の耳がほんの少し赤くなった。気のせい……? いや、赤い。確実に赤い。

「保護者じゃない」
「じゃあ何」
 三木が悪ノリして聞くと、神崎は一拍置いて、

「……撤収班」

 と真顔で言った。

「は?」

 僕が呆れたように言うと、三木が腹を抱えて笑った。

「撤収班って何だよ!」
「知らない! 僕も知らない!」

 神崎は僕の手首を軽く掴んで、印刷室の方へと引っ張った。

「戻る」
「ちょっと、三木に――!」
「あとで」
「勝手に“あとで”にするな!」

 たぶん、その“あとで”は永遠に訪れない。
 でも神崎の手は強引じゃなかった。痛くない。むしろ……妙に丁寧だ。昨日の段ボールのときと同じ。

(掴まれてるのに、離してほしくないみたいで腹が立つ)
 
 こういうのは、ずるい。



 印刷室に戻ると、先輩が「あ、ちょうどよかった!」と駆け寄ってきた。

「SNS文の叩き台、今日中に欲しくて……伊吹くん、大丈夫?」
「えっ、はい――」

 僕が反射で「大丈夫」と言いかけた瞬間。

「大丈夫じゃないです」

 神崎が先に言った。
 先輩が驚いたように目を丸くする。

「えっ」
「伊吹は進行確認だけなので。文章は俺が出します。今日中に」

 言い切って、神崎は僕の前に椅子を引いた。

「座れ」
「……はい?」
「立ち時間長すぎ。顔色また悪いぞ」

 僕は言い返せなかった。というか、言い返す元気がなかったのもある。素直に座ってしまう自分が悔しい。
 神崎は自分のカバンから、小さくて長方形の紙パックを取り出した。

「これ」
「なに」
「豆乳。きな粉入ってるやつ」
「なんでそんなの持ってるの……?」
「その顔、カフェインに手が伸びる顔だった。ちょうど持ってたから、こっちにしろ」

(めっちゃ観察されてる。怖い)

 僕は思わず豆乳を受け取ってしまった。悔しい(二回目)。

「……ありがと」
「うん」

 神崎は、そこでようやく少しだけ笑った。ほんの少し。でも、さっきの三木への薄い笑顔より、ずっと心からって感じがした。
 僕の胸が、妙に落ち着かなくてそわそわする。
 神崎はパソコンを開くと、淡々とSNS文を書き始めた。その横顔は、さっきまで僕に対してツンケンしていたのに、今は頼もしく見える。

(……なんでだよ。嫌いなはずなのに)

 ふと、神崎がキーボードを打ちながら口を開いた。

「さっきの」
「……なに」
「打ち上げ、誘われてただろ」
「三木の話?」
「行くなら、俺に連絡すること」
「え、なんで?」
「迎えに行くから」
「ちょっと、そういう脅しやめて!」

 神崎が画面から目を離さず、さらっと言った。

「脅しじゃないよ……ただの心配」

 その一言が、きな粉入りの豆乳よりも甘く聞こえた。
 僕は言葉をなくして、思わず紙パックをくしゃりと握りしめていた。

(撤収班ルール、反則条項が追加された気がする)

 神崎は何事もなかったみたいに「告知文、これでいい?」と画面を見せてくる。僕は必死に平静を装って頷いた。

「……うん。いいと思う」
「だろ」

 得意げに言うくせに、その声がいつもよりちょっとだけ柔らかい。

 学祭当日まで、あと三週間。
 その三週間で、僕は一体何回こいつに振り回されるんだろう?……振り回されるだけで済めばいいけど。