撤収班ルールで、犬猿なはずのあいつと恋をする

 撤収作業が終わったのは、夕方だった。
 段ボールは潰した。ゴミはまとめた。ポスターも剥がした。最後の最終確認もした。
 もうこれ以上、学祭という単語を見たくない。
 委員長が両手を上げて叫ぶ。

「解散!! みんなほんとにお疲れ様!!」

 拍手と歓声が沸き起こり、実行委員たちがそれぞれの帰路に散っていく。
 僕は腕章の跡が残った腕をさすりながら、神崎を振り返った。

「……終わったね」
「終わった」
「撤収班じゃない時間、作るんだよね?」
「作る」

 即答。迷いゼロ。
 神崎がバッグを持ち直して、さらっと言う。

「行きたいところ」
「うん……」

 言ったはいいけど、いざ“行きたいところ”を決めろと言われると、やっぱり困る。

(僕、デートの経験値ゼロなんだけど)

 デートじゃなくて、未満。そう、これはデート未満。
 僕は心の中で自分に言い訳しながら、思いついた場所を口に出した。

「……カフェ」
「いいよ」
「え、即決?」
「伊吹が甘い物飲みたい顔してる」
「また顔で判断!」
「観察結果」

 神崎は涼しい顔で歩き出す。
 僕も隣に並ぶ。歩幅が合う。ここはいつも通り。なのに、胸だけがそわそわと落ち着かない。

(彼氏とカフェって、デートじゃない?)

 未満、どこ行った。



 駅前のカフェは、夕方で程よく空いていた。
 おしゃれな木のテーブルに、柔らかい照明、コーヒーの匂い。学祭のガムテ臭から解放されて、脳がすっきりする。
 注文を済ませて席につくと、急に静かになった。
 静かって、怖い。
 今までずっと、作業と喧嘩と指示で埋まってたのに。
 間を持たせなきゃって、変な焦りに駆られて、頭の中がぐるぐるする。
 話すこと、あるはずなのに。
 僕がメニューをいじいじしていると、神崎が口を開いた。

「疲れた?」
「疲れた」
「よかった」
「よかった!?」
「疲れてる顔、ちゃんと出てる」
「それ、褒めてない」
「褒めてる」
「褒め方が下手」
「伊吹に言われたくない」

 いつもの押し問答が戻ってきて、僕は少しだけ安心した。
 そのタイミングで、飲み物が来た。
 僕はホットココア。神崎はブラックのホットコーヒー。

「神崎、苦いの平気なんだ」
「平気」
「人生も?」
「……うるさい」

 神崎が珍しく照れたみたいに視線を逸らした。

(かわいい……)

 いやだ。彼氏になった途端、いちいち可愛く見えるの反則。



 しばらく、二人で黙って飲んだ。
 さっきの押し問答のおかげか、黙ってるのが気まずくなくなってる。
 神崎がいると、空気が落ち着く。悔しい。
 僕はココアを両手で包んで、ぽつりと言った。

「……神崎ってさ」
「ん」
「なんで、僕のこと、そんなに気にしてくれるの」

 神崎の指が、カップの取っ手で止まる。

「……気にしてるように見える?」
「見える。めちゃくちゃ見える」
「……普通」
「普通じゃない」

 僕が言うと、神崎は一瞬黙ってから、小さい声で言った。

「好きだから」

 さらっと言うな。
 胸がまたうるさくなる。
 でも、前より怖くない。

「……そういうの、急に言うのずるい」
「ずるくない」
「ずるい」

 神崎が小さく息を吐いて、少しだけ目を細めた。

「伊吹も言えば」
「……え?」
「俺だけ言うの、ずるいだろ」

 その理屈、正しいのが悔しい。
 僕は目を逸らして、小声で言った。

「……好き」

 神崎が一瞬固まって、それから、わかりやすく嬉しそうな顔をした。
 嬉しそう、って言っても、ほんの少し口元が緩むだけ。
 でも、それが僕には致命傷。

「……よし」
「言うなってば!!」

 僕が叫ぶと、神崎が笑った。
 その笑いが、胸の奥をくすぐる。



 カフェを出て、夜の駅前を歩く。
 人は多いけど、学祭ほどじゃない。
 冬っぽい冷たい空気が頬に当たって、頭がすこし冴える。
 信号待ちで立ち止まると、神崎がふいに言った。

「手」
「え?」
「寒い」
「寒いけど……?」

 神崎が視線を逸らしたまま、小さい声で言う。

「……繋ぐ?」

 また自習室の時みたいな、逃げ道付きの言い方。
 僕は心臓がうるさいのに気づかないフリをして、わざと意地悪く聞いた。

「それ、撤収班ルール?」
「違う」
「彼氏の権利?」
「……お願い」

 お願い、って言えるのがずるい。
 僕は小さく頷いて、神崎の手に自分の手を滑り込ませた。
 指が絡む。
 手のひらが温かい。

 神崎の指先が少し震えてるのがわかって、僕は思わず笑った。

「……神崎、緊張してる」
「してない」
「してる」
「してない」
「してるってば」

 神崎が、ようやく大人しく認めた。

「……してる」
「素直」
「今だけ」
「今だけって言うな」

 神崎が僕の手をぎゅっと握った。

「離すな」
「命令形やめて」
 
 その返事が一秒遅れて、僕の耳に届いた。
 
「……お願い。離さないで」

 言い直すところが、ずるい。

(……デート未満って言い訳、もう無理だ)

 僕は顔が熱いのを誤魔化して言った。

「……離さないよ。彼氏だし」

 神崎が一拍置いて言う。

「彼氏って、いい」
「何が」
「その言葉」

 神崎の声が小さくて、でも真剣で。
 その真面目さに胸がぎゅっとなる。

「じゃあ、もっと言う?」

 僕が冗談っぽく言うと、神崎が真顔で頷いた。

「うん」
「真顔で肯定するな!」

 神崎が笑って、でも次の言葉は、静かだった。

「……これ、夢じゃないよな」

 僕は思わず足を止めそうになった。

「え」
「学祭が終わっても、撤収が終わっても、伊吹が俺の隣にいる」

 神崎が僕をまっすぐ見つめる。

「……だから、嬉しい」

 僕は言葉が出なくて、ただ握った手に少しだけ力を込めた。

「……神崎」
「ん」
「僕も、嬉しい」

 神崎の目が一瞬だけ大きくなって、すぐ柔らかくなる。

「……よし」
「だから言うなってば!!」

 僕が叫ぶと、神崎が声を立てないように笑った。
 その笑いが、今までで一番近い気がした。



 いつもの通り、僕たちは家の前で立ち止まる。

「帰宅連絡」
「はいはい」

 いつもの儀式。
 でも今日は、ちょっとだけ違った。
 神崎が手を離さないまま、少しだけ言いにくそうに言った。

「……明日も会う?」

 心臓がピクンと跳ねた。
 会うに決まってる、なんて、恥ずかしくて言えないけど。

「……会う」
「よし」
「そこは言うのやめて!」
「やめられない」
「努力して!」
「努力する」

 言いながら神崎は、僕の手を一瞬だけ強く握ってから、名残惜しそうに離した。
 僕は玄関のドアを開けながら、振り返って言った。

「……おやすみ、蓮」

 神崎が一呼吸置いて、小さい声で、でもはっきりと返した。

「おやすみ、悠真」

 名前が、胸に落ちて、温かく広がった。

 撤収班じゃない時間は、確かにあった。
 そしてたぶん――これから、もっと増える。
 僕はドアを閉めて、自分の部屋に上がってからスマホを見た。
 もう通知が来ている。

【神崎:帰宅】

(なんで先に送ってくるの)

 僕は思わず笑いながら返信した。

【伊吹:帰宅しました】