撤収班ルールで、犬猿なはずのあいつと恋をする

 大学のキャンパスライフって、もっとこう、自由で、キラキラしてて、ストローを突っ込んだ紅茶の紙パック片手に「やっほ〜」みたいな感じで始まるものだと思ってた。
 でも、じゃあ現実はどうだったかというと……
 段ボール。ガムテープ。養生テープ。プリントの山。謎に多い机。あと、体育会系みたいな掛け声。

「はい! 学祭実行委員、新入生も含めて全員集合〜! まずは役職決めるよ〜!」

 教室の前方で、委員長(去年も委員長をやったらしい先輩)がやたら明るく手を叩く。僕はその拍手に反射的に背筋を伸ばしながら、内心小さくため息をついた。
 僕―― 伊吹悠真(いぶきゆうま)は、頼まれると断れない性格だ。新歓で捕まって、気づけば学祭実行委員に仲間入りしていた。
 そして、よりにもよって。

「副委員長、伊吹くんね! 真面目そうだし!」

 先輩が満面の笑みで、僕の名前を呼んだ。

「えっ、ちょっ……」

 思わず反射で立ち上がってしまった。周りの拍手が背中を押す。いや押すな。押すなよ!

「えっと、僕……副委員長は……」
「大丈夫! 委員長は俺がやるし、副委員長はまとめ役って感じなだけだから! ほら、伊吹くん、授業中いつもきちんと真面目にノート取ってたじゃん! グループの連絡も一番早く返信してくれたし!」

 それは授業とか人付き合いとかの話であって、学祭とは関係ない。
 でも断れない僕が悪い。わかってる。わかってるけれども!

(いやだって副委員長って、絶対これみんなの嫌がる役職押し付けられてんじゃん!!)

 拍手にまぎれて、笑い声が混じった。たぶん僕が酷く情けない顔をしていたんだろう。
 そんなとき、後ろのほうから、ゆったりと落ち着いた声が聞こえてきた。

「似合ってるよ。断れない顔してるし、無駄に真面目そう」

 教室の中に笑いが起きた。くすくす。ざわざわ。僕のこめかみがぴくっと動く。

(無駄に真面目そう?)

 振り向くと、そこにいたのは同じ学科の 神崎蓮(かんざきれん)だった。
 顔がよくて、背が高くて、やたら目立つやつだ。しかも要領がいい。努力はしてるんだろうけど、楽して見えるのがムカつくタイプだ。
 僕の苦手な要素を全部詰め込んだみたいな男が、机に肘をついて、涼しい顔で笑っていた。

「神崎、なに今の言い方。もしかして馬鹿にしてる?」

 僕がつっけんどんにそう言うと、神崎は眉根ひとつ動かさずに相変わらず涼しい表情で答えた。

「褒めてるんだけど」
「全然褒められてる気がしない」
「じゃあ訂正。無駄がないくらい真面目そう」
「……ん? それって結局同じじゃね!?」

 教室にいる連中がまた笑った。委員長が面白がって手を叩く。

「いいね〜! 伊吹くん、ツッコミがキレる! 神崎くんもさ、頼りにしてるよ〜! じゃあ次、会計……」

 そのまま議題が流れていく。僕は座り直して、ひとりで深呼吸した。

(落ち着け。僕は副委員長、冷静沈着な副委員長……)

 会議は思ったより実務的で現実的だった。予算、出店、ステージ、協賛、警備。言葉のひとつひとつが「責任」を連れてくる。
 メモを取っていると、隣の席の神崎がちらっと僕のノートを覗いた。

「……几帳面だな」
「うるさい」
「字も意外ときれいだし」
「ほっとけよ」

 褒めてるのか煽ってるのかわからない。腹が立つのに、妙に嫌じゃないのがさらに腹立つ。
 会議が終わると、委員長がさっそく本日の作業指示を出した。

「はい! 今日の作業は備品整理! 段ボール運んで〜! ペア組んでね〜!」

 ペア、という単語に嫌な予感がした。

「伊吹」

 神崎が、当たり前みたいに僕の名前を呼んだ。

「……何」
「ペア、俺でいい?」
「よくない」
「じゃあ誰がいいの」

 言い返せなくて黙ると、神崎が勝手に立ち上がった。

「決まり。行こう、副委員長」
「勝手に決めるな!」

 僕の抗議を、神崎は聞いてない。いや、聞いてるのに無視してる。最悪だ。
 倉庫みたいな部屋に入ると、段ボールの塔がいくつもそびえ立っていた。ガムテの匂いがぷうんと鼻をつき、そこかしこに埃が舞っている。青春って、こういう匂いだったっけ。

「えっと……じゃあ僕は、軽いのから……」

 僕が一番上の小さい箱に手を伸ばした瞬間、横から神崎の手が出てきて、箱がすっと消えた。

「それ、軽くないぞ」
「え? だって小さいし」
「小さいほど中身が重いパターンだよ」
「なにその偏見」
「いや、経験」

 神崎は平然と段ボールを持ち上げた。確かに、箱の底がたわんでいる。
 僕が別の箱を選ぼうとしたら、また神崎が先に取った。

「それもダメ」
「なんで!?」
「それも重たいやつ。伊吹、腕細いし」
「失礼だな!」
「今にも折れそうに見える」
「折れない!」

 神崎が一瞬だけ口元を緩めた。笑った、というより――面白がった。腹立つ。

「じゃあお前は軽いのだけ持つこと。これ俺たちのルールな」
「勝手にルール作るな!」
「撤収班ルール第一条。伊吹は重たい物は持たない」
「撤収班って何?」
「今日の動き見たけど、伊吹、撤収班向き。片付け係な。今決めた」
「なんかダサいんだけど! てかその班って誰がいるの?」
「俺とお前の二人だけ」

 周りのペアがこっちを見て笑っているのに気がついて、僕の耳の後ろがじわっと熱くなった。
 そのとき、段ボールの塔の向こうから、委員長がひょっこりと顔を覗かせた。

「お〜、伊吹くんと神崎くん、いい感じじゃん! コンビ感ある〜!」
「ないです!」

 即答したのに、委員長は満足そうに頷いて去っていった。誤解を訂正する暇すら与えられない。
 作業は思った以上にきつかった。テーブル運び、椅子運び、段ボールの仕分け。僕は軽いもの担当になったはずなのに、気づけば何往復も走り回ってへとへとになっていた。

「伊吹、ちょい待って」

 急に神崎がそう言って、僕の腕をぱっと掴んできた。

「うわ、なに」
「走るな。転んで怪我するぞ」
「子供扱いするな!」

 言いながらも、神崎が僕の手首の赤みを見ているのに気づいて、一瞬言葉に詰まった。
 その視線が、妙に外れない。
 
(……さっきぶつけたの、見てたんだ)
 
 さっき、うっかりふらついた拍子に段ボールの角にぶつけたところだ。
 神崎ははぁっとため息をつくと、ポケットから小さな飴を取り出した。

「はい」
「……なにそれ」
「飴。糖分摂取して」
「だから子供扱いすんなって……」
「倒れられると困るだろ」
「副委員長だから?」
「うん。あと――それだけじゃない」

 神崎は何かを言いかけたが、そのまま何も言わずに口を閉じた。視線が一瞬だけ逸れる。

「……あと、何?」
「別に」

 なんだかよく分からないまま、僕はつい差し出された飴を受け取ってしまった。うっかりな自分の行動に腹が立つ。

「……ありがと」
「今、何て?」
「べ、別に、聞こえてるだろ?」
「聞こえたけど、もう一回」
「調子に乗るな!」

 神崎が小さく笑った。ツンデレイケメンの笑顔はずるい。腹が立つのに、ちょっとだけ安心する。
 作業が終わって外に出ると、オレンジ色の夕日が空を真っ赤に染めていた。汗で額に張り付いた前髪が鬱陶しい。僕は副委員長としてそれっぽく、みんなに声をかけ始めた。

「今日の作業、ありがとうございました! みなさん気をつけて――」

 言い終える前に、神崎が僕の横にすっと立った。

「足元に気をつけてお帰り下さい。ちなみに副委員長は、この後俺が責任を持って家まで送り届けます」
「えっ、なんで? 別にいらないんですけど」
「だって顔色悪いから」
「いや悪くないし!」
「なんで鏡も無いのに、自分の顔色が分かるの? 撤収班ルール第二条。伊吹は無理してはいけない」
「だから誰が撤収班だって!」

 神崎はスマホをポケットから取り出すと、僕の目の前で画面をかざして見せた。いつの間にか、見覚えのある僕のメッセージアプリのアイコンと名前が表示されている。

「じゃあ帰宅したら、連絡すること」
「えっ! いつの間に?」
「さっき委員長が“ペアの二人は連絡用にグループから個別追加してね〜”って言ってただろ」

 そういえば言ってたな……くそ、ちゃんと聞いてなかった。

(……今後もペア固定とか、罰ゲームの延長では?)

「連絡なかったら迎えに行くから」
「それどういう脅し?」
「副委員長が倒れると困るだろ」
「それ、副委員長の扱いじゃなくて保護対象の扱いだよね?」

 神崎が一拍置いて、さらっと条項を追加した。

「撤収班ルール第三条。反論は一回」
「たった一回だけ? 俺に人権は無いってか!?」
「そこまでしたくはなかったんだけど、伊吹反論が多すぎるから……」
「多くなるよ! 相手が神崎だから!」

 とっさにそう言い返した瞬間、神崎の目が少しだけ丸くなった。驚いた顔……今の、何か刺さった?
 でも神崎はすぐにいつもの余裕たっぷりの顔に戻って、小さく肩をすくめた。

「じゃあ、第三条の内容は変更する。俺のこと嫌いでも、ちゃんと連絡すること」
「何それ……」

 嫌い、って言われるのを想定してるみたいな言い方。なのに、どこか余裕がなくて、ほんの少しだけ隠しきれない真剣さが見え隠れしているような気がした。

(……え、なにその顔。嫌いって言われる前提なのに、言われたくなさそうって、何?)
 
 僕は一瞬答えに詰まった。

(嫌い……って言うはずだったのに)

 夕方の風が吹いて、神崎の前髪がさらりと揺れた。前髪の隙間に光が当たって、切れ長の目がきれいに見えた。無駄に絵になるところがムカつく。

「……わかったよ。連絡は、する」
「うん」

 神崎はそれだけ言って、僕の歩幅に合わせて隣を歩き始めた。勝手に。自然に。まるで最初からそうと決まっていたみたいに。
 ついつい並んで歩きながら、僕は心の中で思わず首を傾げていた。

(あれ? なんで僕、神崎が勝手に作った“ルール”に素直に従ってるんだろう?)

 こうして僕の大学生活は、学祭実行委員副委員長という予想外の役職と、もっと予定外の神崎との犬猿コンビで動き出してしまったのであった。