夢に、あの光がまた現れた。
音のない炎。黒く染まる空の下で、ただ1人、剣を掲げる男。
「……お前は、誰なんだ」
問いかけても、影は何も答えない。
だが、心のどこかで俺は知っている。
あれが始まりだった。そして終わりでもあるのだと。
ニコラス。目を覚ませ。
遠くから声がした。
まぶたを開けると、まだ薄暗い空の下、森の中で焚き火の赤がゆらめいていた。
ニコラスが最初に剣を握ったのは、まだ10にも満たない頃だった。
村が襲われ、家族が消え、彼の中に残ったものは守れなかったという痛みだけだった。
その日から彼は、生き延びるために戦い、力をつけ、そしていつしか戦うことそのものが、自分の存在する理由となっていた。
けれど、どこかで気づいていたのだ。
剣は、誰かを守るためにあるはずなのに、振るうたびに何かを失っていく。
血を流すのは敵だけではない。自分の心も、少しずつ冷たく濁っていく。
あの時、彼は誓ったのだ。
「もう誰も、失わせはしない」と。
だが、誓いは破られた。
仲間が倒れ、守れなかった命がまた1つ増えた日。
ニコラスは、自分の無力を思い知った。
そして、あの夢を見るようになった。
空が裂け、世界が炎に包まれる。
黒いマントの男が、一振りで数千の命を刈り取るその幻影。
目を覚ました彼の手には、いつも血の気が残っていた。
それが誰の記憶なのか、なぜ自分がそれを見るのか。
答えはない。ただ、心の奥に焼きついて離れない。
風が吹いた。
朝焼けが山の稜線を照らしていた。
ニコラスは黙って立ち上がり、肩にかけていたマントを揺らす。
「また、同じ夢か?」
エリオットの声が、すぐ背後からした。
彼は火の番をしていたらしく、うっすらと目の下に隈をつくっている。
「……ああ。もう何度目かもわからない」
ニコラスは答えながら、焚き火の灰に目を落とす。
赤くなった炭のように、心のどこかで何かが燻っていた。
「アーサーの記憶、だろうな」
エリオットの言葉に、ニコラスは顔をしかめる。
それが誰のものなのか、確証はなかった。だが、否定もできなかった。
「だとしたら……あれは、未来でもあるのかもしれない」
その瞬間、遠くの山の向こうで何かが閃いた。
雷ではない。あれは、火柱だ。
エリオットが顔を上げ、表情を引き締めた。
「行くぞ。奴らが動いた」
ニコラスは鞘から剣を引き抜く。
風がその刃を撫でるように吹き抜け、彼のマントがはためいた。
「止める。今度こそ、間に合うように」
夢の中のあの光景は、目覚めても瞼の裏から離れなかった。
誰かの声が遠くでこだましている。悲鳴ではない。祈りでもない。
ただ、ひとつの名前を呼ぶように何度も、繰り返し。
「ニコラス。大丈夫?」
声に振り向くと、そこにはレアナの穏やかな表情があった。
彼女は白い布をニコラスの額に当て、汗を拭っていた。
外では風が変わりつつある。遠く、空気の匂いが鉄に染まり始めていた。
「うん……もう、大丈夫」
そう答えたニコラスは、ゆっくりと体を起こした。
レアナは微笑んだが、その目にはどこか憂いがある。
「あなた、またあの夢を見たのね」
ニコラスは驚いたように彼女を見たが、すぐに小さく頷いた。
「なんで……わかるんだ」
「癒し手だから、ってことにしておいて。でも、あなたの中にあるものは、もう普通の記憶じゃない。誰かの声が流れ込んできてる。そうでしょ?」
彼女の言葉に、ニコラスは息を詰めた。
それはずっと、自分の中だけにあると思っていたもの。
幼い頃から、あの夢は自分だけの呪いだと思っていた。
「誰かの記憶……って、まさか」
「ええ。たぶん、あなたが見てるのはアーサーの記憶。五百年前、世界を変えかけた男の、最期の記録」
名前を聞いた瞬間、ニコラスの心に焼きついた映像が蘇る。
雷鳴、崩れ落ちる塔。
そして、膝をつく黒い影と、その周囲を埋め尽くす軍勢の光景。
それが現実であるなら。あのとき、何が終わり、何が始まったのか。
「……俺が、それを知る必要があるのか」
「あなたしか見てないのなら、そうなるわ」
レアナはそう言って、静かに立ち上がった。
「私たちは、彼の記憶の続きを知らない。でも、あなたが見ている。それは偶然なんかじゃないわ」
ニコラスは黙っていた。
でも、その心の奥ではすでに答えが出ていた。
この先に待つものが戦いであれ、破滅であれ、それを見なければ前には進めない。
そのとき、扉が開いた。
冷たい風が吹き込み、灰の匂いを運んできた。
立っていたのは、傷を包帯で覆ったエリオットだった。
「出るぞ。時間がない。各国が動き始めてる。セランの観測衛星が、カドリアの古代都市に異常エーテリウム反応を探知したらしい」
ニコラスは頷き、上着を羽織った。
もう、逃げる気はなかった。
ただ、進むだけだった。
霧の中、重い足取りでエリオットと並んで歩いていた青年。
あれが、ニコラスだった。
名もなき山間の道を進みながら、彼は黙って空を見上げた。
空は鈍く曇っていた。遠く雷鳴のような音が響いているが、それが自然のものなのか、それとも戦の残響なのかは、誰にも分からなかった。
ニコラスは、いつも夢を見ていた。
幼い頃から、何度も、何度も。
地面が崩れる夢。
人々の身体が裂ける夢。
黒い光が地を飲み込み、剣を持つ男が、ただひと振りで千の命を絶つ。
それはやがて、ただの夢では済まされなくなっていった。
大人たちは「そんな話は忘れろ」と笑って流したが、夢の中で彼が見ていた景色は、どこかで実際に存在するものだった。
見たこともない神殿、知らない街の門、兵士たちの制服、そして、黒い炎。
それらが現実の記録と一致し始めたとき、ニコラスはひとつの確信に辿り着いた。
これは過去の記憶だ。
自分のものではない。だが、誰かの記憶が、自分の中で息づいている。
なぜ自分が、それを受け取ったのかはわからなかった。
ただ、知ってしまった以上、見過ごせなかった。
「このままでは、また繰り返される」
その思いだけが、彼を突き動かしていた。
旅を始めたのは、共和国西部にある鉱山町からだった。
夢に導かれるように、東へ、北へ、地図にもない廃村を通り、やがて誰も知らない山中の癒し手の元へとたどり着いた。
その癒し手。レアナ・シェイルが住む小屋は、風に削られた岩肌に寄り添うように建てられていた。
傷ついた心と体を持つ者が、自然と流れ着く、不思議な場所。
レアナは、ニコラスの顔を見てすぐに言った。
「あなた、見たのね。夢を」
「……どうして、それを」
「ここに来る人は、皆そう。夢に呼ばれ、記憶に追われて、ここへたどり着く」
ニコラスは、自分の正気を疑う気持ちと、納得する気持ちの狭間で、ただ頷くしかなかった。
それから数日、小屋の中で静かに過ごしながら、レアナと少しずつ言葉を交わした。
そして、その静寂を破るように、嵐の夜がやってきた。
扉が叩かれた。
血に濡れた男が運ばれ、床に崩れる。
それが、共和国軍所属の追跡者、エリオット・ヴェインだった。
誰かが命を賭して運んできた彼を、レアナは迷わず受け入れた。
ニコラスはその様子を、ただ静かに見ていた。
そして、エリオットが目を覚ました夜。
焚き火の明かりに照らされながら、彼らは初めて言葉を交わした。
「……君も、夢を見たのか?」
エリオットの問いに、ニコラスは黙って頷いた。
「黒い剣の男。国の崩壊。……そして、終わる世界」
「それを……ずっと、見続けてきた」
「じゃあ、君もあの記憶に触れたんだな」
「記憶?」
「そうだ。アーサーの記憶だ。五百年前の、あの戦いの、な」
エリオットの声には確信があった。
ニコラスの中にも、それを否定する材料は何ひとつなかった。
「もしこれが、五百年前の記憶だとしたら」
ニコラスは、手のひらを見つめながら言った。
「また、あれが来る。誰かがそれを呼び起こそうとしている」
そのとき、遠くで雷が落ちた。
小屋の壁がわずかに揺れた。
エーテリウムがざわめいた。五百年前と、同じように。
夜が明けた。
霧に包まれた森の空気は冷たく、草葉の隙間に朝露がきらめいている。
小屋の前で、エリオットは風を読むように目を閉じていた。
軽装の外套に革のブーツ、腰には風のエーテリウムを宿した槍を携え、その姿にはもはや傷ついた兵士の面影はなかった。
回復したわけではない。だが、動かねばならない理由があった。
「準備できたわよ」
レアナが、旅支度の袋を肩にかけて現れた。
その後ろから、ニコラスが包みを抱えて出てくる。彼もまた、旅装に身を包んでいた。
「エーテリウムの反応は……南西ね。古い文献によれば、スレイン渓谷の奥に、封印の転写台があるはず」
「転写台?」
ニコラスが聞き返す。
「五百年前の戦争で、アーサーを封じる際、あらゆるエネルギーを3つに分割して、転写したの。そのうちの1つが……その場所に残されてる可能性がある」
エリオットは頷きながら、遠くにそびえる山並みを見た。
「なら決まりだな。まずはスレイン渓谷を目指す」
「渓谷ってことは……道は荒れてそうだね」
「問題ない。戦地を越えてきた足だ、少々の崖くらいじゃ止まらないさ」
エリオットは笑ったが、その瞳は鋭い。戦いがすでに近いことを、誰よりも感じ取っていた。
小屋の扉に鍵をかけながら、レアナが小さく呟いた。
「ダリウスの痕跡、まだ見つかってないのよね」
「……あいつなら、生きてる。そう信じるしかない」
エリオットのその一言には、強い信念があった。
戦火の中、命を賭して退路を作った仲間。生死は分からないが、彼はどこかで生きていると信じていた。
数日前。共和国首都・西地区の訓練場にて。
「ニコラス」
「はい」
「これが最初の任務だ。お前の目に焼きつけろ。この世界がどうなっているのかを、全部だ」
若き兵士、ニコラス。共和国軍に志願し、最初の命令を受けた日だった。
かつて夢の中で見た終焉の情景、その真実を、自分の足で確かめに行くために……。
その日、小さな山小屋から3人の影が森へと消えていった。
向かうはスレイン渓谷。
かつて封印の儀式が始まった場所。
そして、そこには既に別の者たちの影が動き始めていた。
サルディア帝国軍。
彼らもまた、転写されたエーテリウムの欠片を求めていた。
戦争の足音は、まだ遠くない。
レアナの小屋の中。朝の光が差し込むと同時に、冷たい風が木の隙間から忍び込んだ。
ニコラスはベッドに腰掛け、ブーツの紐をゆっくりと結び直していた。彼の目はまだ昨日の話の続きを追いかけているかのように、ぼんやりと曇っていた。
「出るんだろ?」
振り返ると、エリオットが椅子に座って、冷めたお茶を口に含んでいた。左の肩にはまだ包帯が巻かれている。
「はい。でも、どこに向かえばいいのか、まだ……」
「じゃあ、一緒に来い。強盗を追ってたのは嘘じゃない。だが、今はそれどころじゃない。アーサーの記憶が本物なら……その塔の座標が現実のどこかにあるはずだ」
「……あの夢の中の光景か」
「そうだ。空が落ちる前に、塔が崩れていた。もしその塔が実在してるなら、なにかが始まる前に、俺たちが先に辿り着くべきだろう」
ニコラスは小さく頷いた。自分が何者なのか、なぜ夢を見るのか、それを知るためにも、この旅に出るしかないのだ。
レアナは窓際で薬草を干していたが、ふと振り向いて言った。
「あなたたちが向かうのは《廃都フェンリッド》。空中に浮かぶ都市……その真下。五百年前、アーサーが最後に立った場所のひとつよ」
エリオットとニコラスは目を合わせた。
「知ってたのか」
「私は癒し手よ。傷だけじゃなく、記憶も、歴史も、ほんの少しだけ癒せるの」
「ありがとう。……世話になった」
エリオットが立ち上がると、レアナは淡く微笑み、何かを差し出した。黒革の手帳だった。
「これは、かつてこの地に来た学者の記録よ。エーテリウムの反応を追っていた彼の旅路が書かれているわ。きっと役に立つはず」
「……助かる」
二人は身支度を終えると、小屋の扉を開けた。
朝霧が森を包み込んでいた。その奥に広がる山道の向こうに、フェンリッドへと続く古い街道があるはずだ。
ニコラスは小屋の外に出ると、冷たい朝の空気を深く吸い込んだ。風はまだ冬の名残を感じさせ、木々の葉を揺らしていた。彼の胸には、レアナとの約束と、これから待ち受ける運命への覚悟が重くのしかかる。
「準備は整ったか?」
レアナが声をかける。ニコラスは頷き、背負っていた小さな革袋を肩にかけた。
「行こう。俺たちは、あの封印が解けた神殿へ向かう。そこで何が起きているのか、確かめなければならない」
エリオットも山道の入り口で待っていた。険しい旅路になることは誰もが理解していたが、それでも進まねばならない。
4つの国を巻き込む大戦争の幕が上がるなか、彼らの小さな旅が世界を変える第一歩となる。
山道は露に濡れていた。地面に伸びる影が長く、鳥のさえずりもまだどこか控えめだ。
ニコラスは先頭に立ち、足元に注意しながら一歩ずつ進んでいく。エリオットがその背後を守り、レアナが間を取って歩いていた。3人の影が森の奥へと消えていく。
静けさの中で、時折、エーテリウムの脈動が空気を震わせる。
それは鼓動のように弱く、しかし、何かが目覚めつつあることを示していた。
「このあたりに来ると……空気が変わるわね」
レアナが足を止め、辺りを見渡す。
ニコラスも立ち止まり、森の奥に目を凝らした。
見慣れたはずの木々が、どこか異質な存在感を放っていた。枝葉の密度が妙に濃く、足元の土も不自然に柔らかい。
まるで、大地そのものが何かを飲み込んでいるかのようだった。
「この森は、かつて境界域と呼ばれていたそうだ」
エリオットが静かに言った。
「エーテリウムの流れが不安定で、生態系すら乱れる領域。五百年前、アーサーを封印するために使われた結界の残響が、まだこの地に残ってるんだ」
「……その封印が、今になって揺らいでいる」
ニコラスは呟いた。
「アーサーの記憶が、そこに引き寄せられているのかもしれないな」
再び歩き出すと、森はやがて途切れ、視界の先に石造りの古道が現れた。
崩れかけたアーチと、苔むした道標。かすかに読める古代文字には、こう刻まれていた。
「ここだ」
ニコラスが息を呑んだ。
空の色が変わっていた。灰がかった光が雲の合間から差し込み、世界の輪郭を曖昧にしていた。
神域。それは、記憶と現実の境目だった。
「先に進もう」
エリオットが槍を握り直す。彼の背に宿る風のエーテリウムが、わずかに鳴いた。
「神殿の中心に何が眠っているのか。それを見つけなければ……」
その時だった。
風が止み、空気が重く沈んだ。木々のざわめきが止まり、世界が息を潜める。
ゴォン――。
低く、鈍い音が地の底から響いた。
「……今の、聞こえた?」
レアナが不安そうに振り返る。
「聞こえた。地鳴りじゃない……封印の軋みだ」
ニコラスが即答する。
その瞬間、空に雷鳴が走った。稲光は地平の向こうに走り、そして。
山の稜線を越えて、一筋の黒い光柱が天へと突き抜けた。
「エーテリウム反応、急激に上昇中……!」
エリオットが結晶型の測定装置を見て叫ぶ。
ニコラスは剣の柄に手をかけ、前を睨みつけた。
「行くしかない……!」
彼らの歩みは加速する。森を抜け、神域の中心へ。
その背後では、既に別の者たちの気配が迫りつつあった。
サルディア帝国の偵察部隊。カドリア王国の密偵。セラン連邦の空中観測機。
4つの国が、水面下で封印の地へと向けて動いていた。
そして、地の奥で確かに何かが蠢いている。
かつて世界を滅ぼしかけた存在、ジェイコブ・アーサー。
彼の記憶の深奥が、今、神殿を通じて現実へと流れ出そうとしていた。
すべての始まりと終わりが、そこにある。
神殿の中心古代フェンリッドの奥深くに位置する、かつて封印核と呼ばれた部屋。
そこには、空間そのものが歪んでいるかのような、異様な気配が満ちていた。
空中に浮かぶ数百のエーテリウム文字。
そのすべてが、刻一刻と崩壊の淵へと傾いていた。中央には、灰色の結晶体。アーサーの記憶を封じた核が脈動していた。
「これはもう、完全に抑えきれていない」
エリオットが歯を食いしばりながら結界の亀裂を分析する。
「あと数時間もすれば、封印は陥落する。だが……まだ再固定の余地はある。短期間だが、時間は稼げるはずだ!」
「その短期間で、何が変わるの?」
レアナの声が震える。空間の圧力が彼女の魔力を削っていた。
「数ヶ月で、私たちは……世界は備えられるの……?」
「備えさせるしかない。ここで崩れたら、全部終わりだ」
ニコラスが剣を構え、核の前に立った。
そのときだった。
核の周囲から、黒い影が噴き出すように出現した。
記憶の断片アーサーの精神に宿った破壊衝動が、形を成して顕現する。
剣を持つ者、鎧を纏う者、かつての英雄の面影すらある幻影が、3人に襲いかかってきた。
「来るぞ!」
ニコラスが剣を振るい、最前線に飛び出す。
影の剣と剣が交差し、火花が飛び散る。だがその質量は現実のそれに等しく、容赦なく彼の腕を痺れさせた。
「ただの幻影じゃねえ……これは、アーサーの意志だ!」
エリオットが風の魔力を凝縮し、後方から広域攻撃を放つ。風の刃が影を裂き、空気を震わせた。
「レアナ!術式、始めてくれ!」
「展開する!……できるだけ、長く保って!」
レアナが魔法陣を展開した。複雑に組まれた呪式は、かつて封印を創ったセラン連邦の技術と、カドリアの神聖術の融合だった。
彼女の手の中に、金と蒼の光が渦巻き始める。
「こんなもの、持ちこたえられるかっての……!」
ニコラスは影の一体の首元に剣を突き刺し、押し倒す。だが、倒したそばからまた次の幻影が立ち上がる。
その数、無限にも等しかった。
「全部は相手にするな!あくまで核を守れ、時間稼ぎだ!」
エリオットの叫びが響く。
そのとき、核が一際大きく脈動した。
床が揺れ、天井が崩れ、光が逆流する。
「だめ……もう限界……っ」
レアナの魔力が尽きかけていた。
「まだだ……まだ、終わらせない!」
ニコラスが咆哮する。
彼の全身が光に包まれ、古代の紋章がその体に浮かび上がる。
剣が、一瞬、炎に変わった。
刹那、幻影たちの動きが止まった。
ニコラスの一撃が、核の外殻に刻まれた崩壊の紋を切り裂いたのだ。
その瞬間、レアナの術式が完成する。
「今よ……封神の結印……!」
光が爆ぜた。核を覆う結界が再構築され、崩壊寸前だった空間が一時的に安定する。
エーテリウムの反応が急激に収まり、黒い影たちが霧のように消えていった。
静寂が戻る。
だがそれは、完全な勝利ではなかった。
レアナは膝をつき、肩で息をする。エリオットは結晶装置の針が安定したのを見て、苦笑した。
「……数ヶ月。これで、何とか保つはずだ」
ニコラスは剣を地面に突き立て、額から流れる血をぬぐった。
「時間じかんは稼いだ。だが、戦いは、これからだ」
音のない炎。黒く染まる空の下で、ただ1人、剣を掲げる男。
「……お前は、誰なんだ」
問いかけても、影は何も答えない。
だが、心のどこかで俺は知っている。
あれが始まりだった。そして終わりでもあるのだと。
ニコラス。目を覚ませ。
遠くから声がした。
まぶたを開けると、まだ薄暗い空の下、森の中で焚き火の赤がゆらめいていた。
ニコラスが最初に剣を握ったのは、まだ10にも満たない頃だった。
村が襲われ、家族が消え、彼の中に残ったものは守れなかったという痛みだけだった。
その日から彼は、生き延びるために戦い、力をつけ、そしていつしか戦うことそのものが、自分の存在する理由となっていた。
けれど、どこかで気づいていたのだ。
剣は、誰かを守るためにあるはずなのに、振るうたびに何かを失っていく。
血を流すのは敵だけではない。自分の心も、少しずつ冷たく濁っていく。
あの時、彼は誓ったのだ。
「もう誰も、失わせはしない」と。
だが、誓いは破られた。
仲間が倒れ、守れなかった命がまた1つ増えた日。
ニコラスは、自分の無力を思い知った。
そして、あの夢を見るようになった。
空が裂け、世界が炎に包まれる。
黒いマントの男が、一振りで数千の命を刈り取るその幻影。
目を覚ました彼の手には、いつも血の気が残っていた。
それが誰の記憶なのか、なぜ自分がそれを見るのか。
答えはない。ただ、心の奥に焼きついて離れない。
風が吹いた。
朝焼けが山の稜線を照らしていた。
ニコラスは黙って立ち上がり、肩にかけていたマントを揺らす。
「また、同じ夢か?」
エリオットの声が、すぐ背後からした。
彼は火の番をしていたらしく、うっすらと目の下に隈をつくっている。
「……ああ。もう何度目かもわからない」
ニコラスは答えながら、焚き火の灰に目を落とす。
赤くなった炭のように、心のどこかで何かが燻っていた。
「アーサーの記憶、だろうな」
エリオットの言葉に、ニコラスは顔をしかめる。
それが誰のものなのか、確証はなかった。だが、否定もできなかった。
「だとしたら……あれは、未来でもあるのかもしれない」
その瞬間、遠くの山の向こうで何かが閃いた。
雷ではない。あれは、火柱だ。
エリオットが顔を上げ、表情を引き締めた。
「行くぞ。奴らが動いた」
ニコラスは鞘から剣を引き抜く。
風がその刃を撫でるように吹き抜け、彼のマントがはためいた。
「止める。今度こそ、間に合うように」
夢の中のあの光景は、目覚めても瞼の裏から離れなかった。
誰かの声が遠くでこだましている。悲鳴ではない。祈りでもない。
ただ、ひとつの名前を呼ぶように何度も、繰り返し。
「ニコラス。大丈夫?」
声に振り向くと、そこにはレアナの穏やかな表情があった。
彼女は白い布をニコラスの額に当て、汗を拭っていた。
外では風が変わりつつある。遠く、空気の匂いが鉄に染まり始めていた。
「うん……もう、大丈夫」
そう答えたニコラスは、ゆっくりと体を起こした。
レアナは微笑んだが、その目にはどこか憂いがある。
「あなた、またあの夢を見たのね」
ニコラスは驚いたように彼女を見たが、すぐに小さく頷いた。
「なんで……わかるんだ」
「癒し手だから、ってことにしておいて。でも、あなたの中にあるものは、もう普通の記憶じゃない。誰かの声が流れ込んできてる。そうでしょ?」
彼女の言葉に、ニコラスは息を詰めた。
それはずっと、自分の中だけにあると思っていたもの。
幼い頃から、あの夢は自分だけの呪いだと思っていた。
「誰かの記憶……って、まさか」
「ええ。たぶん、あなたが見てるのはアーサーの記憶。五百年前、世界を変えかけた男の、最期の記録」
名前を聞いた瞬間、ニコラスの心に焼きついた映像が蘇る。
雷鳴、崩れ落ちる塔。
そして、膝をつく黒い影と、その周囲を埋め尽くす軍勢の光景。
それが現実であるなら。あのとき、何が終わり、何が始まったのか。
「……俺が、それを知る必要があるのか」
「あなたしか見てないのなら、そうなるわ」
レアナはそう言って、静かに立ち上がった。
「私たちは、彼の記憶の続きを知らない。でも、あなたが見ている。それは偶然なんかじゃないわ」
ニコラスは黙っていた。
でも、その心の奥ではすでに答えが出ていた。
この先に待つものが戦いであれ、破滅であれ、それを見なければ前には進めない。
そのとき、扉が開いた。
冷たい風が吹き込み、灰の匂いを運んできた。
立っていたのは、傷を包帯で覆ったエリオットだった。
「出るぞ。時間がない。各国が動き始めてる。セランの観測衛星が、カドリアの古代都市に異常エーテリウム反応を探知したらしい」
ニコラスは頷き、上着を羽織った。
もう、逃げる気はなかった。
ただ、進むだけだった。
霧の中、重い足取りでエリオットと並んで歩いていた青年。
あれが、ニコラスだった。
名もなき山間の道を進みながら、彼は黙って空を見上げた。
空は鈍く曇っていた。遠く雷鳴のような音が響いているが、それが自然のものなのか、それとも戦の残響なのかは、誰にも分からなかった。
ニコラスは、いつも夢を見ていた。
幼い頃から、何度も、何度も。
地面が崩れる夢。
人々の身体が裂ける夢。
黒い光が地を飲み込み、剣を持つ男が、ただひと振りで千の命を絶つ。
それはやがて、ただの夢では済まされなくなっていった。
大人たちは「そんな話は忘れろ」と笑って流したが、夢の中で彼が見ていた景色は、どこかで実際に存在するものだった。
見たこともない神殿、知らない街の門、兵士たちの制服、そして、黒い炎。
それらが現実の記録と一致し始めたとき、ニコラスはひとつの確信に辿り着いた。
これは過去の記憶だ。
自分のものではない。だが、誰かの記憶が、自分の中で息づいている。
なぜ自分が、それを受け取ったのかはわからなかった。
ただ、知ってしまった以上、見過ごせなかった。
「このままでは、また繰り返される」
その思いだけが、彼を突き動かしていた。
旅を始めたのは、共和国西部にある鉱山町からだった。
夢に導かれるように、東へ、北へ、地図にもない廃村を通り、やがて誰も知らない山中の癒し手の元へとたどり着いた。
その癒し手。レアナ・シェイルが住む小屋は、風に削られた岩肌に寄り添うように建てられていた。
傷ついた心と体を持つ者が、自然と流れ着く、不思議な場所。
レアナは、ニコラスの顔を見てすぐに言った。
「あなた、見たのね。夢を」
「……どうして、それを」
「ここに来る人は、皆そう。夢に呼ばれ、記憶に追われて、ここへたどり着く」
ニコラスは、自分の正気を疑う気持ちと、納得する気持ちの狭間で、ただ頷くしかなかった。
それから数日、小屋の中で静かに過ごしながら、レアナと少しずつ言葉を交わした。
そして、その静寂を破るように、嵐の夜がやってきた。
扉が叩かれた。
血に濡れた男が運ばれ、床に崩れる。
それが、共和国軍所属の追跡者、エリオット・ヴェインだった。
誰かが命を賭して運んできた彼を、レアナは迷わず受け入れた。
ニコラスはその様子を、ただ静かに見ていた。
そして、エリオットが目を覚ました夜。
焚き火の明かりに照らされながら、彼らは初めて言葉を交わした。
「……君も、夢を見たのか?」
エリオットの問いに、ニコラスは黙って頷いた。
「黒い剣の男。国の崩壊。……そして、終わる世界」
「それを……ずっと、見続けてきた」
「じゃあ、君もあの記憶に触れたんだな」
「記憶?」
「そうだ。アーサーの記憶だ。五百年前の、あの戦いの、な」
エリオットの声には確信があった。
ニコラスの中にも、それを否定する材料は何ひとつなかった。
「もしこれが、五百年前の記憶だとしたら」
ニコラスは、手のひらを見つめながら言った。
「また、あれが来る。誰かがそれを呼び起こそうとしている」
そのとき、遠くで雷が落ちた。
小屋の壁がわずかに揺れた。
エーテリウムがざわめいた。五百年前と、同じように。
夜が明けた。
霧に包まれた森の空気は冷たく、草葉の隙間に朝露がきらめいている。
小屋の前で、エリオットは風を読むように目を閉じていた。
軽装の外套に革のブーツ、腰には風のエーテリウムを宿した槍を携え、その姿にはもはや傷ついた兵士の面影はなかった。
回復したわけではない。だが、動かねばならない理由があった。
「準備できたわよ」
レアナが、旅支度の袋を肩にかけて現れた。
その後ろから、ニコラスが包みを抱えて出てくる。彼もまた、旅装に身を包んでいた。
「エーテリウムの反応は……南西ね。古い文献によれば、スレイン渓谷の奥に、封印の転写台があるはず」
「転写台?」
ニコラスが聞き返す。
「五百年前の戦争で、アーサーを封じる際、あらゆるエネルギーを3つに分割して、転写したの。そのうちの1つが……その場所に残されてる可能性がある」
エリオットは頷きながら、遠くにそびえる山並みを見た。
「なら決まりだな。まずはスレイン渓谷を目指す」
「渓谷ってことは……道は荒れてそうだね」
「問題ない。戦地を越えてきた足だ、少々の崖くらいじゃ止まらないさ」
エリオットは笑ったが、その瞳は鋭い。戦いがすでに近いことを、誰よりも感じ取っていた。
小屋の扉に鍵をかけながら、レアナが小さく呟いた。
「ダリウスの痕跡、まだ見つかってないのよね」
「……あいつなら、生きてる。そう信じるしかない」
エリオットのその一言には、強い信念があった。
戦火の中、命を賭して退路を作った仲間。生死は分からないが、彼はどこかで生きていると信じていた。
数日前。共和国首都・西地区の訓練場にて。
「ニコラス」
「はい」
「これが最初の任務だ。お前の目に焼きつけろ。この世界がどうなっているのかを、全部だ」
若き兵士、ニコラス。共和国軍に志願し、最初の命令を受けた日だった。
かつて夢の中で見た終焉の情景、その真実を、自分の足で確かめに行くために……。
その日、小さな山小屋から3人の影が森へと消えていった。
向かうはスレイン渓谷。
かつて封印の儀式が始まった場所。
そして、そこには既に別の者たちの影が動き始めていた。
サルディア帝国軍。
彼らもまた、転写されたエーテリウムの欠片を求めていた。
戦争の足音は、まだ遠くない。
レアナの小屋の中。朝の光が差し込むと同時に、冷たい風が木の隙間から忍び込んだ。
ニコラスはベッドに腰掛け、ブーツの紐をゆっくりと結び直していた。彼の目はまだ昨日の話の続きを追いかけているかのように、ぼんやりと曇っていた。
「出るんだろ?」
振り返ると、エリオットが椅子に座って、冷めたお茶を口に含んでいた。左の肩にはまだ包帯が巻かれている。
「はい。でも、どこに向かえばいいのか、まだ……」
「じゃあ、一緒に来い。強盗を追ってたのは嘘じゃない。だが、今はそれどころじゃない。アーサーの記憶が本物なら……その塔の座標が現実のどこかにあるはずだ」
「……あの夢の中の光景か」
「そうだ。空が落ちる前に、塔が崩れていた。もしその塔が実在してるなら、なにかが始まる前に、俺たちが先に辿り着くべきだろう」
ニコラスは小さく頷いた。自分が何者なのか、なぜ夢を見るのか、それを知るためにも、この旅に出るしかないのだ。
レアナは窓際で薬草を干していたが、ふと振り向いて言った。
「あなたたちが向かうのは《廃都フェンリッド》。空中に浮かぶ都市……その真下。五百年前、アーサーが最後に立った場所のひとつよ」
エリオットとニコラスは目を合わせた。
「知ってたのか」
「私は癒し手よ。傷だけじゃなく、記憶も、歴史も、ほんの少しだけ癒せるの」
「ありがとう。……世話になった」
エリオットが立ち上がると、レアナは淡く微笑み、何かを差し出した。黒革の手帳だった。
「これは、かつてこの地に来た学者の記録よ。エーテリウムの反応を追っていた彼の旅路が書かれているわ。きっと役に立つはず」
「……助かる」
二人は身支度を終えると、小屋の扉を開けた。
朝霧が森を包み込んでいた。その奥に広がる山道の向こうに、フェンリッドへと続く古い街道があるはずだ。
ニコラスは小屋の外に出ると、冷たい朝の空気を深く吸い込んだ。風はまだ冬の名残を感じさせ、木々の葉を揺らしていた。彼の胸には、レアナとの約束と、これから待ち受ける運命への覚悟が重くのしかかる。
「準備は整ったか?」
レアナが声をかける。ニコラスは頷き、背負っていた小さな革袋を肩にかけた。
「行こう。俺たちは、あの封印が解けた神殿へ向かう。そこで何が起きているのか、確かめなければならない」
エリオットも山道の入り口で待っていた。険しい旅路になることは誰もが理解していたが、それでも進まねばならない。
4つの国を巻き込む大戦争の幕が上がるなか、彼らの小さな旅が世界を変える第一歩となる。
山道は露に濡れていた。地面に伸びる影が長く、鳥のさえずりもまだどこか控えめだ。
ニコラスは先頭に立ち、足元に注意しながら一歩ずつ進んでいく。エリオットがその背後を守り、レアナが間を取って歩いていた。3人の影が森の奥へと消えていく。
静けさの中で、時折、エーテリウムの脈動が空気を震わせる。
それは鼓動のように弱く、しかし、何かが目覚めつつあることを示していた。
「このあたりに来ると……空気が変わるわね」
レアナが足を止め、辺りを見渡す。
ニコラスも立ち止まり、森の奥に目を凝らした。
見慣れたはずの木々が、どこか異質な存在感を放っていた。枝葉の密度が妙に濃く、足元の土も不自然に柔らかい。
まるで、大地そのものが何かを飲み込んでいるかのようだった。
「この森は、かつて境界域と呼ばれていたそうだ」
エリオットが静かに言った。
「エーテリウムの流れが不安定で、生態系すら乱れる領域。五百年前、アーサーを封印するために使われた結界の残響が、まだこの地に残ってるんだ」
「……その封印が、今になって揺らいでいる」
ニコラスは呟いた。
「アーサーの記憶が、そこに引き寄せられているのかもしれないな」
再び歩き出すと、森はやがて途切れ、視界の先に石造りの古道が現れた。
崩れかけたアーチと、苔むした道標。かすかに読める古代文字には、こう刻まれていた。
「ここだ」
ニコラスが息を呑んだ。
空の色が変わっていた。灰がかった光が雲の合間から差し込み、世界の輪郭を曖昧にしていた。
神域。それは、記憶と現実の境目だった。
「先に進もう」
エリオットが槍を握り直す。彼の背に宿る風のエーテリウムが、わずかに鳴いた。
「神殿の中心に何が眠っているのか。それを見つけなければ……」
その時だった。
風が止み、空気が重く沈んだ。木々のざわめきが止まり、世界が息を潜める。
ゴォン――。
低く、鈍い音が地の底から響いた。
「……今の、聞こえた?」
レアナが不安そうに振り返る。
「聞こえた。地鳴りじゃない……封印の軋みだ」
ニコラスが即答する。
その瞬間、空に雷鳴が走った。稲光は地平の向こうに走り、そして。
山の稜線を越えて、一筋の黒い光柱が天へと突き抜けた。
「エーテリウム反応、急激に上昇中……!」
エリオットが結晶型の測定装置を見て叫ぶ。
ニコラスは剣の柄に手をかけ、前を睨みつけた。
「行くしかない……!」
彼らの歩みは加速する。森を抜け、神域の中心へ。
その背後では、既に別の者たちの気配が迫りつつあった。
サルディア帝国の偵察部隊。カドリア王国の密偵。セラン連邦の空中観測機。
4つの国が、水面下で封印の地へと向けて動いていた。
そして、地の奥で確かに何かが蠢いている。
かつて世界を滅ぼしかけた存在、ジェイコブ・アーサー。
彼の記憶の深奥が、今、神殿を通じて現実へと流れ出そうとしていた。
すべての始まりと終わりが、そこにある。
神殿の中心古代フェンリッドの奥深くに位置する、かつて封印核と呼ばれた部屋。
そこには、空間そのものが歪んでいるかのような、異様な気配が満ちていた。
空中に浮かぶ数百のエーテリウム文字。
そのすべてが、刻一刻と崩壊の淵へと傾いていた。中央には、灰色の結晶体。アーサーの記憶を封じた核が脈動していた。
「これはもう、完全に抑えきれていない」
エリオットが歯を食いしばりながら結界の亀裂を分析する。
「あと数時間もすれば、封印は陥落する。だが……まだ再固定の余地はある。短期間だが、時間は稼げるはずだ!」
「その短期間で、何が変わるの?」
レアナの声が震える。空間の圧力が彼女の魔力を削っていた。
「数ヶ月で、私たちは……世界は備えられるの……?」
「備えさせるしかない。ここで崩れたら、全部終わりだ」
ニコラスが剣を構え、核の前に立った。
そのときだった。
核の周囲から、黒い影が噴き出すように出現した。
記憶の断片アーサーの精神に宿った破壊衝動が、形を成して顕現する。
剣を持つ者、鎧を纏う者、かつての英雄の面影すらある幻影が、3人に襲いかかってきた。
「来るぞ!」
ニコラスが剣を振るい、最前線に飛び出す。
影の剣と剣が交差し、火花が飛び散る。だがその質量は現実のそれに等しく、容赦なく彼の腕を痺れさせた。
「ただの幻影じゃねえ……これは、アーサーの意志だ!」
エリオットが風の魔力を凝縮し、後方から広域攻撃を放つ。風の刃が影を裂き、空気を震わせた。
「レアナ!術式、始めてくれ!」
「展開する!……できるだけ、長く保って!」
レアナが魔法陣を展開した。複雑に組まれた呪式は、かつて封印を創ったセラン連邦の技術と、カドリアの神聖術の融合だった。
彼女の手の中に、金と蒼の光が渦巻き始める。
「こんなもの、持ちこたえられるかっての……!」
ニコラスは影の一体の首元に剣を突き刺し、押し倒す。だが、倒したそばからまた次の幻影が立ち上がる。
その数、無限にも等しかった。
「全部は相手にするな!あくまで核を守れ、時間稼ぎだ!」
エリオットの叫びが響く。
そのとき、核が一際大きく脈動した。
床が揺れ、天井が崩れ、光が逆流する。
「だめ……もう限界……っ」
レアナの魔力が尽きかけていた。
「まだだ……まだ、終わらせない!」
ニコラスが咆哮する。
彼の全身が光に包まれ、古代の紋章がその体に浮かび上がる。
剣が、一瞬、炎に変わった。
刹那、幻影たちの動きが止まった。
ニコラスの一撃が、核の外殻に刻まれた崩壊の紋を切り裂いたのだ。
その瞬間、レアナの術式が完成する。
「今よ……封神の結印……!」
光が爆ぜた。核を覆う結界が再構築され、崩壊寸前だった空間が一時的に安定する。
エーテリウムの反応が急激に収まり、黒い影たちが霧のように消えていった。
静寂が戻る。
だがそれは、完全な勝利ではなかった。
レアナは膝をつき、肩で息をする。エリオットは結晶装置の針が安定したのを見て、苦笑した。
「……数ヶ月。これで、何とか保つはずだ」
ニコラスは剣を地面に突き立て、額から流れる血をぬぐった。
「時間じかんは稼いだ。だが、戦いは、これからだ」



