終焉の戦歌

大地が割れ、空が赤く染まった。



 ジェイコブ・アーサー……。



かつて正義を掲げた1人の英雄が、今や世界を滅ぼす黒炎の魔王と化していた。



 「すべては……滅びで償え」



 地獄との契約。自我を喰らい尽くされた代償に得た黒き剣。その刃からあふれる炎は、ただ触れただけで街をひとつ灰に変えた。



 最初に沈んだのは、北方の都市国家ヴァル=サレム。



 彼が1人現れただけで、数千の騎士と民が燃え尽きた。



 そこから始まる連続侵攻。わずか数日で一国が、跡形もなく焼き払われた。



 混乱の中、かつて対立していた4つの国。サルディア帝国、ヴェルダ共和国、カドリア王国、セラン連邦が手を取り合った。



 「敵は……アーサーただ1人。しかし、その力は、国を超える」



 結成された連合軍、総勢170万。

 地図に名を残す全戦力を結集した人類史最大の戦争が、ここで始まる。



 漆黒の戦野。そう後に呼ばれる荒野で、戦端は開かれた。



 連合軍は遠距離から矢を放ち、魔法を撃ち込んだ。戦場を震わすような咆哮とともに、アーサーが剣を振るうたびに、数千が消えた。



 それでも人は退かない。退いてしまえば、もう人間の未来はないと知っていたから。



 数時間に及ぶ激闘の果て、ついに1つの銃声が空気を裂いた。



 「今だッ!」



 狙撃部隊、帝国の切り札、百眼による一撃。

 山を越える距離を、風すら断ち切る速度で、アーサーの頭を撃ち抜いた。



 そして、黒い炎が吹き上がり、アーサーの身体が十数メートル吹き飛ぶ。



 「……終わり……じゃない……」



 血を流しながら立ち上がるアーサー。



 それを守るように剣を地に突き、最後の魔力で瞬間転移。



 「彼を……封印しろ!」



 追ってきた僧兵団と術士たちは、アーサーを古代の神殿、鎮魂の間へと運び込み、千年残る封印術を施した。



 「ジェイコブ・アーサー……お前は英雄でもあり、災厄でもあった」



 こうしてアーサーは、封印された。



 そして今。

 あの黒き力が、再び揺らぎ始めている。



 静かな図書館の一角。埃を被った古文書が、今ようやく、真実の声を発した。



 レアナが震える手でページを閉じた。心臓の鼓動がうるさいほどに響いている。



「……これが、アーサーの……」



 ニコラスとエリオットは無言でうなずいた。



今読み終えたばかりの古文書には、かつての英雄ジェイコブ・アーサーが、自我を代償に世界の悪を滅するという契約を悪魔と結び、やがて暴走していった歴史が記されていた。



 アーサーはその力でサルディア帝国を壊滅させ、残るヴェルダ共和国、カドリア王国、セラン連邦までもが対立を捨て、170万人の連合軍を編成。



 激闘の末、アーサーは狙撃によって倒され、封印の神殿に運ばれた。



 そして、世界中に散らばるはずのエーテリウムの力。



 それらはすべて偽物であり。本物はアーサーが自らの胸に納め、封印されたという。



「つまり……」



 エリオットが口を開いた。



 「門を完全に閉じるには、その本物のエーテリウムが必要ってことだ」



「そして、それは封印されたアーサーの中にある……」



 ニコラスの声は低く、だがはっきりとしていた。

 レアナが息を呑む。



 「でも、それって……またあの神殿に行くってこと?」



「そうだ。そして、もう一度、アーサーに会わなきゃならない」



 ニコラスの眼差しが鋭くなる。



 「今度は、敵としてじゃなく……かつてこの世界を守ろうとした、彼自身として」



 静寂が落ちた。だが、その沈黙の中にあったのは、絶望ではなかった。

 希望と、恐怖と、そして覚悟が、3人の心の中で燃えていた。



「これが、最後の冒険になるかもしれない」



 エリオットが立ち上がる。



 「門の前に立ち、世界の命運を託す時が、近づいている」



 ニコラスが頷いた。



 「準備しよう。地図を、武器を、食糧も。それに……覚悟をな」



 レアナは小さく笑った。



 「医療班の私がまた戦うなんて、思ってもなかった。でも……」



 彼女は拳を握った。



 「あの時の私を救ってくれた世界を、今度は私が守る番だから」




 夜明けの光が、森の小屋を柔らかく染めていた。



 レアナが最後の包帯をリュックに詰め終え、パチンと留め具を締める音が静寂の中に響いた。



「準備、できたわ」



 小さな微笑み。



 エリオットは短剣の鞘を背中に回しながらうなずいた。



 「東の峡谷を越えれば、神殿のある荒野に出る。セラン連邦の国境を抜けてからが本番だ」



 地図を開いたその指は震えていない。ただ、視線の奥にある覚悟の深さが、その静けさを物語っていた。



 ニコラスは無言で刀を腰に下ろし、戸口に立った。

 青い炎は今、静かに眠っている。それでも彼の瞳は燃えていた。



「行こう」



 ただ一言。だがその言葉に、これから待つ困難すべてを背負う意志が込められていた。



 こうして、3人は再び歩き始めた。世界の命運をかけた旅路を。



 峡谷を越えるまでの道は、かつて兵が通っていた旧道だ。



 しかし、今では草が伸び、風の音以外何も聞こえない。



 異変に気づいたのは、セラン連邦の境界近くにある小さな村を通った時だった。



「……誰もいない」



 レアナがつぶやくように言った。

 村は完全に無人だった。家々の扉は開き放たれ、食器がそのまま残る食卓もある。



洗濯物が干されたまま、風に揺れている。



「逃げたんじゃない。消えた」



 エリオットが地面を指差す。そこには無数の焦げ跡があった。まるで誰かがその場で焼き尽くされたかのように。



 ニコラスが一歩踏み出すと、風が吹き荒れ、視界が砂煙で曇った。



 その中から、異様な気配が立ち上がる。



 次の瞬間、地面が裂けた。



 咆哮。裂け目から這い出てきたのは、かつて人間だったと思われる異形の悪魔。皮膚は崩れ、骨が浮き出ていたが、目だけは恐ろしく理性的な光を湛えていた。



「……あれ、誰かの家族だったかもしれない」



 レアナの声が震える。



「いや、今は違う!!」



 ニコラスは刀を抜いた。



 「来るぞ!」



 戦闘が始まった。

 相手は人間のように動き、時には感情を露わに泣き叫びながら襲いかかってくる。



 だがその攻撃は鋭く、油断すれば命を奪う。



 ニコラスの青い炎が敵を切り裂くたび、焼け焦げた叫びが空に響いた。



 エリオットは狙撃支援を行い、レアナは仲間の傷を素早く手当てする。



 そして、戦いの終盤。



「くそっ、無限に出てくる……!」



 エリオットが息を荒げる。



 ニコラスも地面に膝をつき、刀の青い炎が徐々に弱まり始めた。



 その時だった。レアナが前に出た。



「私が抑える! 術式を使う!」



 彼女は地面に膝をつき、手を合わせ、旧王家の治癒術と封印術を混合した特異術式を展開した。



「いけ……!封陣!」



 光が炸裂し、悪魔の動きが一瞬止まった。

 ニコラスが叫ぶ。



 「今だァ!」



 彼の刀が、一閃。

 青い炎が天に昇り、全てを焼き尽くした。



 ……沈黙が戻る。

 村には再び風だけが吹いていた。



「……あれは、門が安定してないから暴走したんだ」



 エリオットが言った。



 「門が開ききっていないのに、力だけが漏れ出てる。ああいう半悪魔化した人間が、これから増えてくるかもしれない」



 レアナは遠くを見つめた。



「……もう時間がないんだね」



 その声には、静かだけれど決意があった。
 ニコラスは刀を背に構え、青い光の揺らめきを感じながら、静かにうなずいた。