終焉の戦歌

深い森の奥、静寂に包まれた小さな小屋。



 ようやく訪れた平穏……。



 レアナは、小屋の窓を開け、朝の光を取り込む。

 小さなテーブルには、淹れたての薬草茶と、焼きたてのパン。



 戦をくぐり抜けたとは思えぬほど穏やかな光景だった。



 エリオットは包帯の巻かれた肩を無造作に掻き、眠そうな目をこすっている。



 ニコラスは、壁に掛けられた小型スクリーンをリモコンで起動させた。

 ニュースが流れ出す。



 「速報です。本日、政府は西方戦争の正式な終結を宣言しました。生存者の保護と復興が第一の課題とされ……」



 アナウンサーの声は機械的に平和を語る。だが、誰の表情も緩まなかった。



 「……でたらめだ」



 ニコラスがぼそりと呟いた。



 「復興だ?一番壊したのは誰だってのに」



 レアナは無言でうなずく。

 そのとき、画面が切り替わり、別の緊急ニュースが流れ出す。



 「……政府防衛省より、機密指定が解除された映像をお送りします」



 そこに映し出されたのは、古びた文献。魔導的な封印の印が浮かぶ書物だった。

 そして、背筋を凍らせる言葉が読み上げられる。



 「五百年前、人類を救った英雄ジェイコブ・アーサーは、地獄の悪魔と契約を結びました。代償として、五百年後の今、人類が悪を清めきれなければ、魔界は門を開き、人間界へ侵攻を開始する……と」



 レアナは息を呑んだ。



 エリオットも静かに拳を握る。



 「ふざけんな……そんなものが、今さら……!」



 映像は続く。



 「そして本日、午前5時。五百年前、英雄アーサーが狙撃により暗殺された旧王都の丘シルヴァ・クレイドにて、地表の歪みが観測されました」



 画面に映るのは、灰に覆われた荒れ地。だがその中心には、黒い門のような裂け目が、禍々しく開いていた。



 「すでに複数の人間に酷似した存在が門から出現。自らを悪魔の弟子と名乗り、周囲の村を襲撃しています。政府はこれを……」



 ニュースは突然、ノイズ混じりに切れる。



 静寂。



 「来た、のか」



 ニコラスの声は低く、どこか諦めに近い。



 「終わったと思ったのに⋯⋯!」



 レアナは小さく呟いた。

 だが、その声には迷いがなかった。



 彼女の中で、あの戦いが、癒し手としての自分と向き合う時間だったからこそ。



 「じゃあ……やっぱり行くんだよね」



 レアナはそっと、ふたりの背中に声を投げる。

 エリオットは、軽く片目をつぶって言った。



 「行くさ。今度こそ、終わらせるために」



 ニコラスが肩を回し、青い炎の帯を一瞬だけ放つ。



 「俺の命、使い道はもう決まってる」



 そしてレアナも、小屋の棚から静かに医療鞄を取り出した。

 かつては躊躇していたその手に、今は覚悟が宿っている。



 「私も、ついていく。……あの門の先に、救えるものがあるなら」



 再び始まる、戦いの予兆。



 画面が途切れてからもしばらく、誰も口を開かなかった。



 小屋にある唯一の窓から、遠く鳥の鳴く声が聞こえる。



 「本当に……来るんだね」



 レアナの声が静かに響いた。



 「来る、じゃなくて、もう来てる」



 エリオットが即座に言った。目は細く、口元は引き結ばれていた。



 ニコラスは黙って炎の帯を指先で揺らしている。

 その青は、以前よりもどこか不安定で、微かに赤味を帯びていた。



 レアナはゆっくりと腰を上げ、窓辺に近づいた。



 「……あのニュースに映った場所、あそこ、私……昔行ったことがあるの」



 「え?」



 ニコラスが顔を上げた。



 「医療従者としてじゃない。もっと前。私が……まだあの人たちと一緒だった頃」



 レアナの瞳が遠くを見ている。



 「あの人たち?」



 エリオットが問う。

 レアナは振り返らなかった。

 その背中から過去の匂いがした。



 「私も一度、あの門に触れかけたことがある。封印されてる頃だったけど……。でも、聞こえたの。こっちへ来いって。何かを囁く声が……何度も、何度も」



 その場に冷たい空気が流れた。



 「お前……そのとき、どうしたんだ?」



 ニコラスがゆっくりと立ち上がり、声を潜めて問う。



 「逃げたわ。でも、私1人じゃなかった。あのとき、私を止めてくれた人がいた」



 レアナの声が震える。



 「それが……」



 彼女はそっと、視線をエリオットに向けた。



 「……あのとき私を救ってくれたのは、あなた、だったの?」



 エリオットは目を伏せたまま、肩を落とす。



 「……ああ。黙っていてすまない」



 レアナの目が潤んだ。



 ようやく真実が繋がったことへの、深い安堵。



 「……私、ずっと聞けなかった。だって、あなたの目が、あの頃よりもずっと遠くを見てたから」



 エリオットは一歩近づき、彼女の手を取った。



 「ごめん。あの頃、俺は自分のことで精一杯だった。でも……今なら言える。あのときお前を救えたことだけが、俺が自分を信じてこれた理由だった、ありがとう本当に」



 レアナの目から涙がこぼれ落ちる。



 「それだけで、私は……私でいられた」



 2人の間に、再び訪れた静寂。



 だがそれは、重荷を分け合った者たちにしか生まれない、確かな絆だった。



 「さあ、準備しよう」



 ニコラスが言った。ゆっくりと立ち上がる。



 「門を封じるか、ぶっ壊すか。やるべきことは1つだ」



 エリオットとレアナも、うなずいた。

 小屋の扉がゆっくりと開かれる。



 3人は、新たな戦いの地へと向かうため、森を後にした。




 黒煙のような影が、空を裂くように出現したのは、正午を少し過ぎた頃だった。



 かつてアーサーが暗殺された処。そこに、異形の裂け目が開いた。



 「門だ……!」



 ニコラスが叫ぶ。



 空間がねじれる。音のない咆哮が大気を揺らし、そして……それは現れた。



 巨大な腕。黒く、鎧のような皮膚。ねじれた角、虚ろな眼。



 地獄の悪魔が、姿を現した。



 「1体……だけ?」



 レアナが呟いたが、その声には安堵はなかった。

 1体だけで十分だと、全員が本能で理解した。



 「……あれは、まだ最下位の悪魔だ」



 エリオットの声が響く。



 「それでも、この世界では桁が違う」



 ニコラスが刀を抜いた。刃から青い炎が立ち昇る。

 戦いが始まった。



 ニコラスが正面から突撃する。刀が悪魔の腕に命中するも、浅い。



 悪魔は口を開き、無音の衝撃波を吐いた。



 「っぐあっ……!」



 ニコラスが吹き飛ばされる。

 エリオットが背後から銃を撃つ。



 銃弾には特別な術が仕込まれている。それでも、悪魔の肌にはかすり傷。



 「レアナ!」



 彼女は既に支援術式を展開していた。治癒結界と魔力転送を同時に維持しながら、叫ぶ。



 「……これ、時間が持たない!」



 だが、彼らは3人だけではなかった。

 レアナが通信用水晶を取り出し、叫ぶ。



 「第十三部隊!応援要請、いますぐ、いますぐ来て!」



 丘に数十人の兵士たちが駆け上がってきた。

 魔法師、狙撃兵、剣士、重装兵。



 だが、悪魔の動きは止まらない。



 「奴の力は、集団戦にすら対応している……!」



 応援に来た魔法使いが叫ぶ。次々と兵が吹き飛ばされ、骨が砕ける音が響く。

 そのとき。



 「ニコラス、刀を貸せ!」



 エリオットが叫んだ。



 「は?」



 「俺が転送した魔術で、炎を一時的に10倍に増幅させる。制御できるかは……知らねえけどな!」



 「やってみる価値はある!」



 ニコラスが刀を投げ渡す。



 エリオットが両手で魔法陣を展開し、刀に炎の魔力を注ぎ込む。



 刀は赤と青の炎に包まれ、形を変え始めた。炎の大剣へと。

 ニコラスがそれを受け取り、最後の突撃をかける。



 「燃え尽きろ!」



 地面を砕きながら飛び上がり、悪魔の胸部に突き立てる。

 爆発した。



 悪魔の叫びが空を裂き、門に向かって引きずられるように崩れ落ちていく。



 煙の中から、ニコラスがゆっくりと姿を現した。片膝をつき、息を荒げながら。



 悪魔は消えた。

 だが、門は消えていなかった。



 空に開いた裂け目は、なおも黒く、静かに揺れている。



 「……何で、閉じねえ」



 ニコラスが吐き捨てるように言った。



 「1体倒しても……この門は、開いたままなんだ」



 エリオットが呟く。

 そこへ、軍の解析官が通信魔術で接続されてくる。



 「門の封印条件が分かりました。かつてアーサーが用いた魂の鍵……それが必要です」



 「魂の鍵……?」



 「はい。五百年前の契約、アーサーが地獄の王と交わしたとされる契約書と、その封印鍵。それがなければ、門は閉じません」



 「まさか……そんなモノを……」



 誰かが呟いた。

 レアナが顔を上げる。



 「ねえ、さっきの……あれ、本当に下っ端の悪魔だったの?」



 通信越しに、静かな答えが返ってくる。



 「……はい。あれは、地獄の序列でいえば最下層。狩り犬と呼ばれる種族です」



 絶句。



 「じゃあ……次は?」



 「……門が閉じなければ、上位階級の悪魔が順に現れ始めるでしょう」



 3人は門を見上げた。そこから微かに、異界の風が流れてくる。

 それは、絶対に閉じなければならない門だった。




 夜。

 森の奥の小さな小屋。



全身に走る痛みを抱えたまま、ニコラスは眠りに落ちる。



 黒い霧に包まれた空間。視界の端から、赤い影が蠢く。

 眼前に立っていたのは、かつて見たことのない、背丈の倍もある影だった。



 「門を閉じる術など、この世に存在せぬ」



 「お前たちが触れたのは、封印された契約の端くれに過ぎない」



 「真なる封印を望むならば、地獄そのものに足を踏み入れ、王に膝をつくほかない」



 影の言葉は、まるで自分の心の中に直接流れ込んでくるようだった。

 声ではない。命令に近い。



 「……それしか、道はないのか」



 ニコラスの問いかけに、影は静かに頷いたようだった。

 その瞬間、霧が裂ける。



 焼け焦げた大地、赤黒い空。絶望の匂いが満ちた異世界の光景が、瞼に焼きついた。



 「目覚めよ、地獄の訪問者」



 次の瞬間、彼は跳ねるように目を覚ました。

 冷たい汗が額を流れ落ち、息が荒い。夜明け前の静けさが、かえって恐ろしく思えた。



 「……地獄に、行くしかないんだ」



 声に出して言ったとき、自分でもその言葉の重みを実感した。

 すべてを背負う決意。



 自分が、人間でありながら、悪魔の地に足を踏み入れる者になる覚悟。

 そのとき、扉の向こうから気配がした。



 扉が静かに開くと、レアナが灯りを手に、心配そうな顔で立っていた。



 「……大丈夫?すごくうなされてた」



 「……ああ。少し、夢を見てたんだ」



 ニコラスはベッドに腰かけたまま、ほんの少し微笑んでみせた。



 けれど、瞳の奥にある覚悟は、レアナにもしっかりと伝わっていた。



 「聞かせて。……その夢のこと」



 「……封印の地じゃ、ダメだった。俺たちは……いや、俺は、地獄に行かないといけない」



 「……えっ?」



 レアナの手にしていた灯りが、かすかに揺れた。

 その炎の揺れは、まるでこれから向かう運命の道を暗示しているようだった。

 



 3人は、森の小屋から移動し、数時間かけて例の丘に辿り着く。



 周囲には誰の姿もなく、扉は静かに開かれていた。



 「誰にも見られてないな……」



 エリオットが低くつぶやいた。



 「それにしても、ほんとに行くの?帰って来れる保証もないのに」



 レアナの声には微かな不安が混じる。

 けれど、ニコラスの瞳は迷いなく前を見ていた。



 「……俺たちが選んだ道だ。戻れないとしても、今しかない」



 3人は無言のまま、扉をくぐった。



 地獄……それは、人間の言葉では形容しきれない世界だった。



 赤く染まる空。大地は焼け、空気は冷たく乾いていた。



 驚くべきことに、彼らを迎え撃つ悪魔たちはいなかった。



 「……何だこれ」



 「罠、じゃないよな……」



 恐る恐る進む彼らに、奇妙な静寂だけが付きまとう。

 だが、進むにつれて、彼らは次第に理解することになる。



 これは試されている⋯⋯。意志を。



 黒き石階段を降りた先、そこには荘厳な玉座があった。

 漆黒の王座に、赤き瞳を持つ王が座していた。



 顔は闇に包まれ、ただその存在だけが異様な重みを放っている。



 「よく来たな、人の子らよ」



 声は空気を震わせる。

 耳で聞くというより、頭の中に直接響くようだった。



 「門を閉じたい……それが願いか」



 ニコラスが一歩前に出る。



 「……あの門を放っておけば、人の世界は滅びる。止めたい。だから……」



 「だから?」



 「あなたの力が必要だ」



 「ふん、なるほど⋯⋯」



 王は小さく笑った。

 ただ静かに、彼らを見つめる。



 「我らが門を開いたのではない。500年前の契約を破ったのは、あの者だ」



 「だが、お前たちの中にまだ生きている者がいる。あの契約の因果を、断ち切る資格がある者がな」



 エリオットが目を見開く。



 「それって……」



 「その男、お前の血に眠るものが鍵だ」



 「……俺?」



 ニコラスは一歩後ずさる。



 「まさか、俺の血がそんな……」



 「お前は遠い昔、契約者の末裔。あの王アーサーの守人にして、異界との楔」



 「お前の意志ひとつで、門は閉ざされる。そしてその代償もまた、お前にのみ課される」



 一瞬、場が凍る。

 ニコラスの顔に、静かな覚悟が浮かぶ。



 「……わかった。やる。俺がその役割を果たすなら、迷わない」



 「ふむ。人間とは……時に、我らよりも恐れを知らぬものだ」



 王が立ち上がる。

 地響きのような音が鳴り、世界の空がひび割れた。



 「では、我が名において、門を閉ざす」



 「フィーニスの契印、ここに解く」



 その瞬間、3人の視界が白く染まり、風が吹き抜ける。

 



 現世。



 森の小屋に戻った時、空はすでに晴れ渡っていた。

 遠くに見えていた門は、もう消えていた。



 「……帰ってきた、のか?」



 エリオットが呆然とした声でつぶやいた。

 ニコラスは頷く。



 「扉は……閉じた。たぶん、もう開かない」



 レアナは、何も言わず空を見上げていた。

 

 あの激しい戦いから数日。ニコラスたちが地獄から戻った翌日。



 レアナの小屋にて、3人は疲れ切った身体を休めていたが、突然の知らせが彼らを引き戻した。



 「門がまた動いているらしい」



 エリオットの声に、3人の間に緊張が走った。



 「地獄の王に会って封印したはずだ……なぜ?」



 レアナが問いかける。



 兵士からの報告では、門はまだ完全には閉じていなかったらしく、そこから下っ端の悪魔が単独で侵入してきていた。



 「もう一度地獄に行くのではなく、現世で防がなければならない」

 

 ニコラス、エリオット、レアナの3人は、門の封印が完全ではないことに焦りを感じていた。



 「このままでは悪魔たちが次々と現世に侵入してしまう」



 レアナが言う。

 そこで、彼らはジェイコブ・アーサーが結んだ契約の詳細を調べるため、街の大図書館へ向かった。



 広大な書架の中、埃をかぶった古文書の一冊が彼らの目に留まる。



 「これだ」



 エリオットが手に取ったその本には、ジェイコブ・アーサーが交わした契約について記されていた。



 契約の内容は恐ろしかった。




 『自我を失う代償に、世界の悪をすべて滅ぼすことを条件とし、最強の力と黒い炎を纏った剣を手にする』




 それはまさにアーサーの力の源であり、同時に彼を人間でなくした呪いでもあった。



 ニコラスはその言葉に重く息を吐いた。



 「この契約を理解しなければ、俺たちは正しく戦えない」



 3人は再び結束し、今後の戦いに備える決意を固めた。