#プロローグ:爆誕! 〇〇〇〇会長

 いつも通り、家族揃っての夕食の後、少しためらったがやはり父に打ち明けることにした。
「あのね……うちの高校、制服を復活することにしたんだ」

 父は、何のことか? という表情を見せたが、ああとうなずいた。過去のことを思い出したようだ。
「……そうか。残念な気もするが、まあ、お前たちが決めることだ」
 緑茶を一口啜って、父はさほど感情を込めずに言ったが、さぞかし無念だろう。

 遡ること、今から二十五年前。
 それは、私が通う「私立外苑前高等学園」のレジェンド(伝説)として、現在も語り継がれている。

 私服化。

 それを推し進めていたのは、父を会長とする生徒会だ。その話を父から直接聞いたことはない。
 なぜ今、私服化が必要なのか? その必然性を明確にして強調し、生徒を一人一人説得し、抵抗勢力である先生達に、ねばり強く根回しし、懐柔した。学校という社会では、今まで続いてきたことを変えることはなかなか容易ではない。

 当時の生徒と教師の関係性や、それが生み出す雰囲気は今とはだいぶ違っていたらしい。
 私は決して今の高校の生徒が、周囲の人間関係や学校の規則、それに現在の社会環境からくるプレッシャーを感じることもなく、のびのびと学校生活を送れているとは決して思えない。
 いや、実際さほどプレッシャーを感じていないのかも知れない。校則や教師の保守的な考え方にうまく順応できているからだ。小賢しいとも思うが、それも一つの生きる術。でも、目に見えないプレッシャーは、知らず知らず真綿のように絞めつけてくる。

 でも。
 と私は思う。
 全ては真の自由のために。
 抑圧された空気を変えるために。

 当時、生徒会メンバーの献身的な活動と情熱が制服の廃止が実現した。
 しかも、高校生らしければ、自己裁量で特に制限もなく、着ていく服を選べるという風に校則自体も大幅に変えることができた。

 そして、時代は変わる。

 私は、父の母校に入学し、二年で生徒会長になった。生徒会役員に立候補することが私にとっては当たり前のことと思っていたし、入学してから一年間の学園生活で、解決しなければならない課題がいくつも見えてきたからだ。私はそういうのを放っておけない性分だ。

「やっぱ、制服の方がいいよねー、なに着ていくか悩まなくて済むし、『あの高校の制服可愛いよね』って言われたいじゃない? それに結局、制服の方がお金かからなさそうだし」

 そんな会話があちらこちらで聞かれるようになり、生徒間のコミュニティネットでも、制服復活の待望論がじわりじわりと湧き起こっていた。

「佐伯和咲(さえきかずさ)君、話があるんだが」
 ある日、私は生徒指導の主事をしている金木先生に『フルネームで』呼ばれた。
「そろそろ、制服復活も考えた方がいいんじゃないか? そうそう、みんなが気に入りそうなの、業者さんの何社かにデザイン案と見積りをとったから。参考にしてみてくれ」
 ファイルを何冊か渡された。そこには、制服のデザイン案と見積りが複数綴じられている。

 どれもカッコいい(男子用)し、可愛い(女子用)。こういうの、うちの生徒たち多分喜ぶんだろうな……
 父には大変申し訳ないが、制服の復活の線でいこうと、副会長、書記それに会計担当と話し合った。

 ある日の生徒会幹部会の終了間際、会計のサトルが指摘する。
「あの、調べてみたんですけど、どの制服案の見積りも相場より無茶苦茶高くて、しかも同水準じゃないっすか?」
 彼が調べてくれた資料と比較すると確かに高い。どの案も、夏冬服、そして靴とコートを会わせると二十五万円は下らない。

 父の武勇伝を思い出した。
 制服廃止のウラの理由には、教師と納入業者の癒着もあったと言われている。それを断ち切るのに、最も苦労したと言う。生徒会は他にやることがあるんじゃないかとネチネチ言われたり、内申書への影響を仄めかす教師もいたらしい。残念ながら、今もこの手の先生が存在している。いや、わが校の教員すべてがそうだというわけではない。非常に生徒思いで親身に話を聞いてくれる先生もいる。例えば、生徒会顧問の戸波先生のように。

 それでも、父達は戦った。
 だが。
 私達は私達の選択をする。

「ねえみんな、この件、もうちょっと話しあってもいいかな?」
 私達役員メンバーは、高校の生徒や職員及び学園の理事会にぶつける案を練った。

 生徒たちが制服の復活を求める、その真意。
 制服廃止の時からわが校の風土として培われてきた、責任を伴う自由、自主性の追求という信条。
 そして、経済的負担の軽減。

 これらを根拠に制服復活案を提出し、全校生徒会に諮った。圧倒的過半数で支持された。
 金木先生をはじめ、抵抗を試みようとする教師もいたが、生徒の総意に後押しされた生徒会を相手に、なす術がなかった。

 〈制服に関する校則案〉
  一、高校生の制服として社会的に認知されているものであれば、そのデザインは自由に選択できる
    ただし、他校の制服の着用は禁ずる
  一、スカートやスラックス、どちらを選択するのも、個人の裁量に任せる
  一、わが校の伝統を重んじ、自己責任において、選択すること

 新学期から、この校則が施行された。そのための準備に多忙を極めたが、戸波先生をはじめ、手助けしてくれる教師が何人もいてくれた。

 生徒達は、学校制服の専門店、専門サイトで自由に制服を選んだ。

 百花繚乱とはこのことだ。
 登校時などは、わが校の門に吸い込まれる生徒たちの制服は多種多彩。多様性のオンパレード。皆、表情は明るい。

「行ってきます」
 高校三年の新学期が始まって間もないある日の朝。
生徒会長二期目を務める私は、玄関で靴を履く。

「なかなか似合ってるな。お前らしい」
 見送る父は、私の制服姿を見て、嬉しそうにサムアップする。私もそれに同じ仕草で応える。

 靴まで隠れる超ロングスカートは、少々扱いづらい。


 私の通り名は、『スケバン会長』。

 真の自由とは何か?
 それを考え、そのために私は最善を尽くす。


#早く帰りたい日

「あの佐伯会長、今日はもうお帰りになりますか?」

 私がいそいそと書類を文書棚にしまい、ノートパソコンの電源を落としていたら、書記のマスミが声をかけてきた。私はスマホの時計をチラ見する。そろそろ生徒会室を出たい時間だ。今ここにいるのは、彼女の他に、副会長のケイイチと、同じく副会長のタクミ、それに生活委員長のリョウ。めずらしくほとんどのメンバーがまだ作業をしている。「悪いが今日はこれで失礼する」と席を立つのにはちょっと気が引ける。

「マスミ君、私のことは、『サエキさん』か『カズサさん』でいい。さんづけでなくても構わん……ところでなんかあったか?」
 彼女は入学して間もなく生徒会役員に立候補し、この春から書記の仕事を熱心にやってくれているが、三年の私に少し遠慮しがちなのが気になる……もっとも、わが校の生徒会は一、二年生が中心に運営されるので、私の存在はやっかいなのかも知れない。
「あ、申し訳ありません……それで、カズサさん、先月の投書を整理したので見ていただこうかと思ったのですが、後でも構いませんので」
「いや、せっかく君がまとめてくれたのだ。ざっとだが目を通させてもらおう」
 私は彼女の隣りに座り直し、パソコンの画面を覗く。投書は十五件。以前は投書を寄せる生徒はほとんどいなかったが、私が会長になり、どんなに細かいことでもいいから、気になったことや意見要望は遠慮なく書いて欲しいと働きかけ続けてきたからか、投書が増えた。
「ふむ、ほとんどが備品の品切れや用具の故障などのようだな……こういうのは学校の事務室に頼んで連絡して欲しいものだが。まあいい、こちらから伝えておくこととしよう」
「あ、俺この後事務室に用事あるんで伝えておくよ」
「おうケイイチ、それは助かる、マスミ君、彼に必要な箇所をメールしておいてくれ」
「わかりました……あの、それから、これがちょっと気になるんですが」
 そう言ってマスミが投書の一覧表の下の方を指さした。
「どうやら二年の女子からだな」私は声に出して読む。「なになに……校則について、思ったことを書かせていただきます。生徒間の交際についてですが、校則では『男女の交際は、お互いの人格を尊重し、学業を優先し、高校生らしい節度ある態度を保つこと』と書いてありますが、今の時代にそぐわない気がします、か……みんなどう思う?」
 私は周りを見回す。マスミは顔を赤らめてちょっと困り顔をしている。それをフォローするかのようにケイイチが口を開いた。
「いや、あれじゃないっすか? もっとはっきり言ってくれないと困るって。例えば、『人前でイチャイチャするな、妊娠させるな、するな』とか」
 みんなに白い目で睨まれ、副会長は「事務室に行ってきまーす」と首をすくめて部屋を出ていった。

「あの、佐伯会長、じゃなかったカズサさん、続きがあるんです」
 そう言ってマスミは画面をスクロールさせた。今度は彼女が読み上げた。
「『交際』というものを男女に限定してしまっていいのでしょうか? 今は同性同士の恋愛や交際も普通にあるものだとして校則も検討した方がいいのではと思い、投書させていただきました」

 私は読んでくれたマスミを見つめた。彼女なりの意見を聞きたかったからだ。しかし、私の視線に気がつくと、また顔を赤らめて下を向いてしまった。代わりに生活委員長のリョウが答える。
「まあ、言われてみればその通りだな。校則としては敢えて『男女』という点に釘を刺しておきたかったんだろうけどね」
「実際にそういうケースを把握しているのか?」
 私は生活委員長という立場で何か心当たりがあるのか問うてみた。
「いやいや、そんなこと公言してるの聞いたことないし……だいたい女子同士が腕組ん歩いていたりするのはよく見かけるから見分けがつかないでしょ……ああ、でも男子同士で手をつないでいるのは見たことないなあ」
「まあ、確かにそうだ」
「それよっか、会長のカズキさんはどう思います?」 
 質問を返された。
「そうだな、私は同性間の恋愛を否定はしないが、どちらかと言えば、やはり恋愛は異性間の方が自然なのではないかと思っている。そうやって子孫を残し、人類は繁栄してこられたのだから」
「いやー、なんか遠大な話になっちゃってますね……でも敢えて校則で『同性同士』と触れてくれない方が、イチャイチャしやすいんじゃないっすかね」
 事務室から早々を戻って来たケイイチ口を挟んだ。
「こら、茶化すな! ……まあ、当事者達にとっては、放っておけないものがあるのかも知れん。今度時間をとって、もう少し議論を深めるとしよう。私はそろそろお先に失礼する」
「あれ、カズキさん、珍しく早いっすね……ひょっとして会長みずから男女間の交際の模範を示そうってことですかね?」
 そうからかったケイイチにスマホを向ける。
「今のコメント、しっかりボイスレコーダーに収めさせてもらった。今度投書でセクハラとやらでを訴えてみようか」
「冗談す! お願い、消して!」

 私は苦笑いしながら生徒会室を後にした。
 このテーマに関しては、自分の考えは古く保守的なのかもしれない。それに……男性に恋すること――正確に言えば、夢中になることだけど――この素晴らしさを知ってしまった今、正直同性同士の恋愛というものにピンと来なかった……あの事件が起きるまでは。



 何とか間に合いそうな時間に帰宅できた。超ロングスカートのセーラー服をハンガーにかけてクローゼットにしまい、純白のパンツとブラジャーを脱ぎ捨て……そうそう、ボディシートで全身を吹かなくちゃ……そして、薄いブルーの可愛い下着を着ける。もちろん、誰に見せるわけでもないけど、気は心。『オフの戦闘服』の装備は下着からきちんとしなくちゃ。
 さて、服選び。コンセプトは『原宿に迷い込んだ、野ウサギちゃんのお友達』ベッド下の引き出しを開け、あれやこれやと広げてみる。
 ボトムス。ライトグレーのチャック柄のミニスカート。
 トップス。白ブラウスにラベンダーの薄手のニットベスト。
 フリルつきショートソックス。

 髪はおろしてゆるく巻き直し、
 そうそう、メガネからコンタクトにつけ替えて。

 細身の鏡台の前に立つ。
「うんうん、可愛い!」
 そのままリハする。
 お返しポーズの指ハート。コール&レスポンス。
 ちょっと迫力ありすぎかな? もっと可愛く!

 部屋のドアがノックされ、母の顔がひょっこり現れた。
「和咲、なんか呼んだ?……ああ、今日はあの日か」
 母は視線で上下二往復させて私の姿を見て納得したのか、ドアを閉めた。
 さすがに両親には私の趣味を隠せない。しかし、生徒会メンバーだけじゃなく、わが外苑前高等学園の誰にも知られてはいけない。だって私は、『真の自由のために戦うスケバン生徒会長』なのだから。そのイメージが崩れてしまうと、生徒会活動に支障が出てしまう。大ダメージだ。

 言えない。男子アイドルグループの推し活をしているなんて……でもこればっかりは止められない。だってだって……あまりにもユキヤ君のこと、好きすぎるんだもの(ポッ)
 公式ペンライト二本ともちゃんと点くかを確かめ、ツァーの時に購入したマフラータオルと一緒にユキヤ君キャラのウサギの缶バッチとキーホルダー付きのトートバッグにしまった。玄関でラベンダー色の厚底スニーカーを履いたところで、父とばったり鉢合わせた。
 一瞬父の眉が上下に動いた。
「と、父さん、今日はずいぶん帰り、早くない⁉」
「今日は近場で仕事終わりだったから直帰してきた」
「そ、そう」
 父はニヤリと笑う。
「今日は例のアレか?」
「アレって何よ。その言い方失礼っぽくない?」
「ああ、ごめんごめん」
「そうだ、ユキヤ君に謝れ」

 父は靴を脱ぎ、振り返って、
「なかなか似合ってるな。こっちもお前らしいぞ」
 とサムアップした。
「あ、ありがとう」
 しょうがないので私もサムアップして玄関を出た。


#私の推しはユキウサギ

 原宿のライブ会場に着いた時は、すでに入場が始まっていて、建物の入口に行列は無かった。時々本番前に出演者が物販に出てることもあるので、もし今日がその日だったらと気が気でない。スマホでチケットをスキャンしてもらい、急いで中に入る。

 グッズのワゴンを物色していた女子二人が私を見つけ手をぶんぶん振る。
「あー、サエキング、今ごろ来た。おっそー!」
 そう声をかけてきたのは、ジェミー。隣の子は、そるてぃ。もちろん二人とも本名ではない。二人ともインスタとTikTokも同じネームだ。平気で身バレしている。さっき私が呼ばれた『サエキング』はアカウントネームではない。一応リアルで会う人にアカウントは内緒にしている。二人に名前を聞かれて咄嗟に作った愛称だけど、これじゃあすぐに本名がバレる。ちょっと軽率だった。

「今日はあの子たち、物販出てきてないの?」
 心配して私が聞く。
「さすがに最近は出てこないね」とそるてぃ。
「ちょっと売れてきちゃったからね。残念というか嬉しいというか……ああ、複雑なファン心理」と手で顔を覆うジェミー。

 彼女達は、いわゆる『他担』で、ライブ後にグッズを物色している時にちょっとしたきっかけで話したことから知り合いとなった。一度別のライブで『同担』の女の子と立ち話をしたが、ちょっとした解釈の違いからひどく険悪なムードになった。それ以来、『同担には近づくべからず』を教訓にしている。

 ということで!
 私達が推しているアイドルグループと推しの男の子を紹介しておく。

グループ名は、『CLIN』(カラン)。
フランス語で「抱擁」「甘える」「愛撫(ちょい、えちい!)という意味。

構成メンバー
🐰 スノーラヴィ:センター。儚げ×小悪魔。メインボーカル&ダンス
🐑 マシュ:リーダー。ふわふわ×ドSな羊&執事。サブボーカル&ダンス
🐈‍⬛ ノワール:ダンサー。気まぐれ×俺様。アクロバティックダンス
🦊 フェネン:元気×策士。ラップ&ダンス
🐿️ シュガー:末っ子。甘えん坊×腹黒。サブボーカル&ダンス

 ご推察の通り、みんな『癒され系動物キャラ』だ。ユキウサギ、モフモフのヒツジ、クロネコ、フェネック、それにモモンガ。ネットでは彼ら自身と動物アバターのVtuberの動画配信がある。私も真夜中に何となく回遊していたインスタグラムで彼らに、いや、『彼』に出会い、秒で虜になってしまった。

 ジェミーの推しは、ノワール。ツンデレで上から目線態度が堪らないのだとか。
 そるてぃの推しは、シュガー。『そるてぃ』というネームも彼に因んでつけたものだろう。

 で、私の推しの男の子は誰かと言うと……
 中性的なメンバーの中でもよりユニセックス感たっぷりで、透明で泣かせる歌声に、それとはギャップありまくりの跳躍力を感じるダンス。甘くて優しいセリフを吐くかと思えば、小悪魔的ダークサイドな発言もポロリとこぼす、その名もスノーラヴィ! 
 愛称ラヴィ君。ああ、一気に喋っちゃった。ウレシハズカシ。

 いやほんと、スマホの画面で出会った時は、全身に電気が走り、ベッドから慌てて起き上がり、勉強机の上のパソコンを点け、椅子の上に正座して大画面で見直したほどだ。

 クラスメイト達が推しの話で盛り上がっていても、ふーん、どこがそんなにいいのかねえ、と冷ややかに見ていたが、今では彼女らの会話に加わりたいと思っている自分が恐くなる。


 じゃあここからはライブの実況!

 陰MC「CLIN スペシャルライブ『真夜中の動物園』へようこそ!」

(心臓の鼓動のような重低音が響き渡る。 ドクン……ドクン……ドクン……。 会場の照明が落ち、真っ暗闇に包まれる。 それと同時に、客席から色とりどりのペンライトの光が星空のように浮かび上がり)

 来た……ッ! この瞬間! 心臓が口から飛び出そう。頼む、落ち着け私の心拍数。
私は震える手で、白く輝く二本のペンライト「ラヴィ丸」を握りしめる。

 ギャァァァァッ!!(客席の悲鳴)

「キャー、ラヴィ君、こっち見て笑った!」

 思わず私が歓喜の声をあげると隣のジェミーがギョッとして振り返るが、構うものか。 ペンライトを振る私の手は、いつの間にか剣道で鍛えた『正眼の構え』になって上下運動を繰り返していた。

 ライブは進む。ノワール(黒猫)のしなやかなアクロバットダンス、マシュ(ヒツジ)が優しい笑顔で会場を包み込み、フェネ(フェネック)が軽快なラップで煽り、シュガー(モモンガ)があざとい上目遣いがステージ後方の大画面にドアップで映し出される。

 そして迎えた、バラードコーナー。

『ガラスの靴とスニーカー』

 ステージの照明が、ラヴィ一人に絞られる。 静かなピアノの旋律。ラヴィが、切なそうに眉をひそめて歌い始める。

 ラヴィ『♪本当の僕は、君が思うよりも、見た目よりも、もっとずっと弱くて……臆病なウサギなのさ』

 その瞬間、ラヴィの目から、一筋の涙がこぼれ落ちたように見えた。

 会場中が息を飲む。すすり泣く声が聞こえる。

 ……泣いてる?  ラヴィ君が? 何で? 演技? いや、違う。あの瞳の奥にあるのは、もっと深い、本物の悲しみだ……。何があったの? 誰かがあんたを傷つけたの? ……許さねぇ!……ダメだ。現実と虚構が交錯してしまう。

 こうやって益々彼への愛が、守ってあげたいという使命感として積み重なっていく。
『同担」にそんな役割を任せられるか!
 興奮のあまり朦朧として隣りの誰かにもたれかかり、気がついた時にはライブは終わっていた。



「おーい、サエキングー、聞こえるかー?」
 声の方に顔を向けると、ジェミーが私の体を支えたままニヤリ笑った。
 そるてぃが私の顔を覗き込み、声をかける。
「サエキング、生きて! 大丈夫、ここが天国だから!」

 実はこれ、初めてじゃなくてライブの度に繰り返している。だから、ライブ仲間は不可欠だ。

 残念ながら、握手会の復活の兆しはない。でも、五人のメンバーが出口の脇に並んで、マスクはしているけど、来場者に次々とハイタッチしてくれている!
 
 どきどき。
 自分の番がやって来た。

「いつも来てくれて、応援してくれて、ありがとう、はい、タッチ!」

 ああ! これだからスノーラヴィ君の推しは止められない。

#時期外れの転校生

 あのライブから一週間。

 どんなエナドリの数千倍分も、いや計り知れないくらいのエナジーをラヴィ君からもらって、ハードな生徒会活動に打ち込むことができている。もちろん、動画配信での追加補充も欠かせない。でも私は、学校の、生徒達の『真の自由」を探求している生徒会長だ。父の遺志を受け継ぎ(まだ生きているけど)、今の世の中に適合した学園生活のあり方を模索し、示していかなければならない。睡眠不足は禁物だ。少なくとも六時間以上の睡眠を確保せねば。そう思いながら大あくびをして職員室の前の廊下を歩いていると、生徒会顧問の戸波先生がガラッとドアを開けて職員室から出てきた。慌てて大きく開けた口を両手で隠す。

「やあ、佐伯君、どうした、勉強のしすぎじゃないのか?」
「いいえ、おのれの不摂生によるもので。お見苦しいものを見せてしまい、申し訳ありません」
「何もそんな畏まらんでも。新しい生徒会役員チームも君がしっかりまとめてうまくやっているそうじゃないか」
「ありがとうございます。でも、まだまだチームビルディングの途中です」
 そう、書記のマスミは遠慮しがちだし、もっとフランクに話しあえる関係づくりをしたい。

 そういうものかい、と戸波さんは答え、開いたままの職員室のドアの中を見ていた。
「佐伯君には話しておいた方がいいだろうな……というか君の協力は必ず必要になるだろうし」
「?」
 先生は私に視線を戻した。
「今日から一年生の転入者が入ってきた」
「……随分と中途半端な時期ですね」
「どうやら、前の学校の環境が彼に合わず、急遽学校を変わることになったらしい」
「いじめ、ですか?」
「いや、そうではないんだが、彼には色々と特殊な事情があってね。それに適した環境がウチには揃っているということらしい……確か、君のお父様が生徒会長の時に成し遂げた、教育プログラムの改革もその一つだ」
「私の父が?」
「ああ、ウチは進学校にも関わらず、通信制高校と同様な単位取得制度がある」
「それは、単位取得試験を兼ねたレポートの提出と、在学中に取り組んだ授業外の活動が評価される制度ですね。」
「そう、その通り。君のお父様は大したもんだよ。いろいろな問題を抱えて学校に来れない生徒のことをしっかりと考えてくれていたんだから」
 私は誇らしいような、嫉妬心のような複雑な感情を覚えた。
「転入性は、あまり学校に来ることができない状態、ということでしょうか?」
「そう、仕事の関係でね」
「仕事?」
「ああ、それからなるべく着替えたり、トイレを使う所もウチの生徒に見せたくない」
「なぜですか?」
「まあ、商品価値を損なわないようにするためだそうだ……だから、生徒会室の隣りに来賓用の個室があるだろう? そこを彼が使えるようにしたので、君たち生徒会役員のメンバーにも知っていて欲しい」
「随分と厚いおもてなしですね」
「……まあ、彼の依頼人と理事長が旧知の仲でね……君がそういうのを一番嫌がるのをわかっているが」
「その通りです」
「この際、大人の事情は置いといて、転入生の立場になって考えてやってくれ」
「先生がそう仰るのでしたら」
「ありがとう。じゃあ生徒会長さんに彼を紹介しておくよ」
 そう言って先生は職員室の開いたドアに向かって手招きした。

 そろりと顔を出したのは。
 わが校のブレザーの制服を着た、少し小柄で華奢で色白な男子生徒。

 今。

 目の前で起きているとことがにわかに信じられなかった。このところ夜な夜な見ている妄想のような夢の続きを見ているのではないか?

 先生の前に立ち、私に向き合う男子生徒。

「紹介するよ、生徒会長の佐伯和咲さんだ」
 そう言って先生は転入生の肩をポンと叩いた。
「あ、初めまして、今川雪夜といいます。これからよろしくお願いします」
 そう名乗り、男子生徒が丁寧にお辞儀をした。

 信じられない。

「ら、ラヴィ君⁉」

 私の言葉に彼はぴくりと反応したが、少し微笑んで、でも疑問符を表情に浮かべたまま返事した。

「どこかでお会いしましたでしょうか? 例えばライブ会場とかで?」

                                                  つづく