※
二学期の期末テストが終わり、今年の寮生活も残り数日となったころ。
寮の食堂では、毎年恒例の学期末の打ち上げを兼ねたクリスマスパーティーが開催されていた。
……なんか、いいなぁ。
あたりまえなんだろうけど、四月の歓迎会のときと違い、一年生もすっかり寮に馴染んでいる。
学年問わずの輪がたくさんできあがっている様子に、俺は「いいなぁ」と心の中で繰り返した。
みんなが和気藹々としている雰囲気が、純粋に好きなのである。
「あ、夏」
パーティーも中盤にさしかかり、窓際で沢見とのんびりしていた俺のところに、あちこちの輪に顔を出していた純平が戻ってきた。
「さっき聞いてんけど、二学期の期末ヤバかったんやって? 成績大丈夫なん?」
からかって遊ぶ気満々の指摘に、思わず唇が尖る。
「マジでほっといて。三学期はどうにかするから」
「三学期はどうにかするというか、どうにかせんと、すぐ受験やで」
「……わかってる。本当にわかってるし、現実がマジで怖いから言わないで」
「まぁ、ねぇ。わかってても、身が入らないとどうにもなんないもんね」
「ちょっと、沢見」
反対側からしたり顔で入った注釈に、俺は渋い声を返した。
まぁ、沢見には効果なんてないんだけど。案の定、にまにました笑みを浮かべたまま、沢見は俺の肩を叩いた。
「でも、わかる。付き合いたてって一番楽しい時期だよね」
「いや、それで成績落ちたわけではないんだけど……。むしろ、その前の段階のときの話というか」
「その前の段階て」
おかしそうに笑った純平が、「どっちにしろ」と勝手に総括する。
「依人くんで頭いっぱいやったってことなんやろ? すごいなぁ、恋愛」
「…………いやぁ」
半ば事実であるがために、返す言葉がない。中途半端に黙り込んだ俺をよそに、沢見と純平は談義を繰り広げている。
お題は「恋愛によって、人間がどう変化するか」。はい、はいと聞き流しながら、まぁ、いいんだけど、と自分に言い聞かせる。
……付き合うって報告したのは俺だし。依人もなんかうれしそうだし。
それで、これが純平たちの軽口を許容する最大要因。
本人は面倒くさいという顔をしているつもりでも、そのくらいの違いはわかるのだ。純平たちにかまわれると、依人はいつも少しくすぐったい顔をする。
そういうとこも、かわいいんだよな、結局。思い出し笑いを堪え、依人のいる輪を窺う。
道長くんや庄野くんたちと一緒にいる依人の横顔は、リラックスして楽しそうだ。
春のころには想像できなかった光景で、心底よかったと思うけど、ほんの少し羨ましい。
ひっそり眺めていると、沢見と喋っていた純平が、俺に話を振った。その視線は依人たちのほうに注がれている。
「ほんまに馴染んだなぁ、依人くん。ちゃんと一年生と楽しそうにしてるやん」
「うん。庄野も言ってたよ。なんか、さらに雰囲気丸くなったって。夏とうまくいったからかな」
「俺とどうこうって話ではないと思うけど……、いや、まぁ、いいか。うん。俺のおかげだわ」
幼馴染みくんとの和解が一番の要因なんだとわかるけど、勝手に明かすわけにはいかない。
自分の手柄に転換した俺に、「なんやの、それ」と純平が笑う。からかう言い方に、俺も笑った。
「なにって、俺が良いブラザーだったってことに決まってるじゃん。俺がどれだけがんばったと思ってんの」
「知っとるけど。というか、まぁ、実際そうやと思うけど」
依人たちのほうを見つめたまま、純平がしみじみ呟く。
「さっきも言うたけど、ほんま変わったもんな、依人くん」
「本当にね。春に会ったときは、夏と相性悪そうって思ったのに。わかんないもんだね」
「うん」
たしかにそうだったな、と懐かしい気持ちで俺は認めた。
かわいくないし、生意気だし、そのくせ、なんか変なところで繊細だし。
仲良くなろうと意気込んでいたから、たぶん、よけいに空回りもした。それでも、少しずつ距離が詰まって、それで――。
四月からの日々を思い出しながら、ふたりに告げる。
「でも、みんなのおかげでも、絶対にあると思う。だって、依人。ここが好きになったって言ってたもん」
俺の台詞に、純平と沢見は「なんか、いいね」と笑って顔を見合わせた。
……絶対に一年後、楽しかったって言わせてやるって思ってたのも、叶っちゃったな。
依人とブラザーでいることができるのは、あと三ヶ月。
違う話題に移った純平たちの会話に相槌を打ちつつ、手に持っていた飲み物に口をつける。
時間が経つことはあたりまえで、変わっていくことはあたりまえだ。
わかっているけど、どうしても。今の俺は、やっぱりちょっと寂しいな、と思ってしまう。
「あ、なっちゃん」
パーティーもそろそろ終わりというタイミングでかかった声に、ぱっと振り返る。
受験を控えた三年生は最初から参加の人もいれば、途中から顔を出す人もいて、海先輩は後者だったのである。
ようやく会えた海先輩に、俺は笑顔で近寄った。
「海先輩、おつかれさまです」
「ありがとね、なっちゃん。クリスマスパーティーも最後だし、顔出せてよかったよ」
「そうですよね。――あ、海先輩って、大学東京でしたっけ?」
最後という言葉にどんよりしてしまったものの、慌てて切り替える。
大好きな先輩が卒業するのは寂しいけど、海先輩にとっては新しい門出だ。
「受かったらだけど、私立だったらそうかな。年明けたら受験ばっかだよ」
「うわぁ……、大変ですね。いや、海先輩だったら大丈夫だと思いますけど!」
海先輩が成績上位者であることは知っているのだ。むしろ、まずいのは来年の俺。
ありがとね、と応じてくれた海先輩に、俺は思い付きを提案した。
「そうだ。夏休み、海先輩のとこに遊びに行ってもいいですか? 大学のキャンパスも見てみたいなって」
「うーん、依人くんがいいって言ったらね」
「え?」
「当て馬にはなりたくないんだよね、俺。なっちゃんには悪いけど」
くすくす笑う海先輩に、もう一度「え?」と首を傾げたタイミングで、依人の声が響いた。
「なんの話ですか?」
背後から現れた依人が、ぴたりと背中に張りつく。その調子のまま人の腹に腕を回して、肩に顎まで乗せるので、俺はじとりとした声を出した。
「なんの話っていうか、ちょっと、依人」
「はい、はい。すみません」
自分は好き放題に触っていたくせにと言わんばかりの態度だったが、あのころと今とでは、なんというかいろいろ違うだろ。
過剰な反応はしたくないし、人前ではちょっと勘弁してほしい。最後に恨みがましい視線を送って、笑っている海先輩に向き直る。
「最近、ずっとこの調子なんですよ。というか、なんで依人がいいって言ったらなんですか?」
「え? だって、嫌かなぁって。大学見学が名目でも、なっちゃんがひとりで俺の家に来るの」
「へ?」
きょとんとした俺に、海先輩はにこりとほほえんだ。
「だって、ふたり付き合ってるんでしょ? 独占欲も若くていいよね。素敵、素敵」
海先輩も知ってるんだ。しかも、さも当然と。
一瞬呆然としたものの、俺は我に返った。海先輩の発言とはいえ、すぐに納得できないものが混じっている。
「え……、それも素敵なんですか?」
「まぁ、個人の自由を侵害しない範囲なら、……うん、たぶん。かわいいんじゃないかな」
「ま、まぁ……」
納得半分で、俺はちらりと依人を見た。
……かわいいかかわいくないかで言えば、それは、まぁ、かわいいけど。
その俺の視線をどう捉えたのか、依人が口を開く。微妙に渋々という調子だった。
「俺も一緒に行っていいんですか、それ。大学見学はちょっと興味あるんですけど」
「もちろん、おいで、おいで。後輩ブラザーのブラザーなんて、孫みたいなもんだよ」
「孫」
「そう、そう。孫、孫。いやぁ、ますます受からないとになっちゃったなぁ」
余裕そうに笑った海先輩に、依人がなんとも言えない顔で黙り込む。ふたりの反応の温度差に、俺は小さく噴き出した。
こういうところは、間違いなく「かわいい」なんだよな。
部屋に戻って電気をつけたところで、俺はひとつ伸びをした。
みんなでわいわいするのは大好きだけど、部屋でふたりになると、やっぱり少しほっとする。
つまり、ここが落ち着く居場所だということ。
「楽しかったけど疲れたし、寂しいなぁ」
心の中のほとんどを言葉にして、俺は二段ベッドの下段に寝転がった。
自分のベッドまで上がるのが億劫だったことも理由のひとつだけど、もうひとつの理由は依人ともっと一緒にいたい気分だったからだ。
予想どおり、依人はベッドの縁に腰を下ろした。
「寂しいんですか、楽しかったのに」
「だって、海先輩たちは卒業するし」
「まぁ、そうですね」
「俺も、もうブラザーはいなくなっちゃうし」
そうですね、という相槌を繰り返す代わりのように、依人の指先がシーツに散った俺の髪に触れる。
梳くみたいに指を滑らせるしぐさが優しくて、見下ろしてくる瞳も柔らかくて、だから駄目なんだよなぁと自覚した。
駄目というか、どれだけ回数を重ねても、依人が変わらないから。むしろ、優しさが増した感じがするから、いつまで経っても照れてしまう。
……でも、もっといっぱい見たいし、知りたいとも思うんだよな。
ほかの誰も知らない、俺だけの特別を。そうしたら、ひとりだけそわそわしている感覚もなくなるのだろうか。
どうなんだろうなぁ、と。依人を見つめたまま、話を続ける。
「でも、依人はいい先輩ブラザーになると思うけどな」
「そうですか?」
「そうだよ。なんだかんだ言って優しいし、人のことよく見てるし」
だから、距離を取るのもうまい。そういうところは、沢見に通じるのかもしれないな、と思う。
俺みたいに空回ったりしないで、相手が必要とするタイミングで手を差し伸べてあげるんだろうな。想像で、小さく笑う。
「ちょっといいな。依人、お兄ちゃん似合いそう」
「先輩は弟っぽいですよね。甘えるのも好きだし」
「……否定はしない」
認めた俺に、依人は笑みをこぼした。どこかほほえましそうに。
「がんばって、先輩ブラザーしてくれたんですよね、俺のために」
「そうだよ」
半分は俺のためだったけど、がんばりたくてがんばったんだよ。髪に触れていた依人の指を握って、そっと問いかける。
「依人は寂しい? ……まぁ、でも、そんなこと言ってる場合じゃないか。すぐに次の一年生が入ってくるもんな」
「寂しいですよ」
「え……」
「だって、どんな子が来ても、絶対に今より静かじゃないですか」
「はい、はい。そういうことね、そういう」
肩透かしを食らった気分で、若干投げやりに俺は指を離した。
そういえば、庄野くんと部屋を交換したときも、依人は「寂しい」って言わなかったもんな。
もやりとしたまま、言い放つ。俺はあの夜も寂しかったのに。
「たしかに依人はおとなしい子のほうが合うかもね」
「冗談ですよ」
宥めるように笑い、依人が俺の頬を撫でる。
「先輩がいないと、俺はすごい寂しいです。先輩が卒業したら嫌だなぁとも思いますよ。だって、先輩は俺を置いて行くじゃないですか」
「……それはさすがに気が早くない?」
「でも、そうでしょ? 寂しいですよ」
沈黙した俺から手を離し、依人はベッドに膝をついた。覆いかぶさるように俺の顔の両側に手を置いて、甘える調子でほほえむ。
「寂しいからキスしていいですか」
「いい、けど」
なんか、すごい台詞言うよね。気恥ずかしさを堪えて頷くと、すぐにキスが落ちてきた。自分では制御不可能なところで、じんわり頬が熱くなる。
「もう、うわぁだよ。うわぁ」
誤魔化すように、俺は軽口を叩いた。
これが「うるさい」なんだろうけど、このレベルまで控えることはできるようになったので、大目に見てほしい。
「本当、どこで覚えてくんの、そういうこと」
「先輩がいい反応するから、ちょっとおもしろくて」
「ちょっと、なに、それ」
「冗談です、冗談」
からかう調子のまま応じ、依人はもう一度キスをした。
今度は一回だけではなく、二度、三度と唇が重なっていく。なんというか、恋人同士という感じのキス。
「っん……」
声がこぼれ、開いた口の中に舌が入る。「なんで、そんなにうるさいんですか」と呆れられたときから回数が増え、少しずつするようになったもの。
まぁ、心の内側は常に「うわぁ」という状態なんだけど。でも、もっと、依人といろいろしたいな、という思いもある。
キスの合間に依人の首のうしろに手を伸ばすと、またすぐに唇が深く合わさった。
熱い吐息が混ざり、シャツの上から身体のラインを辿るように依人の指が動く。
くすぐったさと戸惑いでもれそうになった声はキスの中に消え、シャツの裾から指先が入り込んだ。
「あ――、っ」
指の冷たさに、びくりと身体が揺れる。その瞬間、部屋の時間が止まった感じがした。
「………………」
気まずい沈黙が流れ、依人の指が離れていく。
「あ、えっと」
軽く上体を起こした依人を呼び止めようとしたものの、「えっと」の先が続かない。その俺を見て、依人は長く息を吐いた。
「あー……、はい。すみません」
「す、すみませんって」
「あんたが言ったんでしょ。最初に。寮でキス以上はちょっとって」
「言ったけどぉ」
最初に、寮の中でどこまでがオッケーなんだろうね、部屋の外と中。みたいな確認をしたときに、たしかに俺が言ったけど。
そんなにあっさり止められると、俺ばかりが依人を意識して、もっともっとと思っているみたいだ。
そんなことはないとわかっているけど。
「なんか、俺ばっかり、わたわたしてる気がする……」
「そんなわけないでしょ。必死ですよ」
「だって」
「『もっとしたい』と『我慢すべき』で、わりといつもいっぱいいっぱいなんですけど、俺」
見てわかんないですか、と続いた呆れ声に、視線を下に動かし――、俺はぎこちなく上に戻した。
「え、……と」
声同様の呆れ切った顔を見つめ、「する?」と首を傾げる。
エッチをするのは駄目だ。それはわかる。でも、抜き合いくらいなら、ワンチャンオッケーじゃないかな。
「その、触るくらいなら――って、痛!」
指を伸ばそうとしたタイミングで額を叩かれ、思わず自分の額を押さえる。指の隙間から見上げた依人は、微妙に嫌そうな顔をしていて。
「…………ごめん」
謝ると、依人は溜息を吐いて、俺から距離を取った。その調子のまま、放っておけばおさまるとばかりにベッドの縁に座り直す。
隣に行くのはさすがにあれかなぁと躊躇していると、依人が口を開いた。
「急に意見変えないでください。俺も納得したんです、それで」
「……それはそうだと思うけど」
「際限なくなったら困るでしょ」
「…………はい」
頷いた俺の声があわれだったのか、依人の雰囲気がゆるむ。いつものしかたないという横顔。その顔と同じ声で、「それに」と依人は続けた。
「俺は、先輩が先に卒業しても、こういう関係でいたいと思ってるんで。だから、ちゃんと待てができるんですよ」
卒業しても、こういう関係でいたい。未来を明示する告白に、ぱっと起き上がる。そのまま膝で進んで、俺は背中から依人に抱き着いた。
ぎゅっと腕を回して、抱きしめる。
「ごめん。俺ばっかりって思って、ちょっと焦ってたかも」
「あんた、焦ってろくなことしたことないでしょう」
「それもそうなんだけどぉ」
本当にそうだと思うんだけど。過った過去のもろもろ(主に夏休み明けの一件とか)に、依人の首筋に額を押しつける。
どうしようもない俺の反応に、依人はまたひとつ小さく息を吐いた。絆されてくれていることがまるわかりのそれ。
「あと、なんなんですか、ごめんって」
「ありがとう、好き。俺もずっと一緒がいい」
ブラザーじゃなくなっても、俺が先に卒業しても、その先も。いっそうぎゅっとくっつくと、はは、と依人が笑った。
「なんか、もうマジでこの部屋になったのが運の尽きって感じ」
「ちょっと、なに、運の尽きって」
泣きついた俺に、だって、と依人が言う。
「マジでうるさいんですもん。一生忘れられないですよ、こんなの」
呆れた口ぶりでしかないのに、めちゃくちゃ俺を好きだと言っているように響くのは、いったいなんのバグなんだろう。
ドキドキと鳴る心臓を抱えたまま、「俺だってそうだよ」と俺は呟いた。
依人と出会って過ごした、こんな一年。絶対に忘れられるわけがない。
二学期の期末テストが終わり、今年の寮生活も残り数日となったころ。
寮の食堂では、毎年恒例の学期末の打ち上げを兼ねたクリスマスパーティーが開催されていた。
……なんか、いいなぁ。
あたりまえなんだろうけど、四月の歓迎会のときと違い、一年生もすっかり寮に馴染んでいる。
学年問わずの輪がたくさんできあがっている様子に、俺は「いいなぁ」と心の中で繰り返した。
みんなが和気藹々としている雰囲気が、純粋に好きなのである。
「あ、夏」
パーティーも中盤にさしかかり、窓際で沢見とのんびりしていた俺のところに、あちこちの輪に顔を出していた純平が戻ってきた。
「さっき聞いてんけど、二学期の期末ヤバかったんやって? 成績大丈夫なん?」
からかって遊ぶ気満々の指摘に、思わず唇が尖る。
「マジでほっといて。三学期はどうにかするから」
「三学期はどうにかするというか、どうにかせんと、すぐ受験やで」
「……わかってる。本当にわかってるし、現実がマジで怖いから言わないで」
「まぁ、ねぇ。わかってても、身が入らないとどうにもなんないもんね」
「ちょっと、沢見」
反対側からしたり顔で入った注釈に、俺は渋い声を返した。
まぁ、沢見には効果なんてないんだけど。案の定、にまにました笑みを浮かべたまま、沢見は俺の肩を叩いた。
「でも、わかる。付き合いたてって一番楽しい時期だよね」
「いや、それで成績落ちたわけではないんだけど……。むしろ、その前の段階のときの話というか」
「その前の段階て」
おかしそうに笑った純平が、「どっちにしろ」と勝手に総括する。
「依人くんで頭いっぱいやったってことなんやろ? すごいなぁ、恋愛」
「…………いやぁ」
半ば事実であるがために、返す言葉がない。中途半端に黙り込んだ俺をよそに、沢見と純平は談義を繰り広げている。
お題は「恋愛によって、人間がどう変化するか」。はい、はいと聞き流しながら、まぁ、いいんだけど、と自分に言い聞かせる。
……付き合うって報告したのは俺だし。依人もなんかうれしそうだし。
それで、これが純平たちの軽口を許容する最大要因。
本人は面倒くさいという顔をしているつもりでも、そのくらいの違いはわかるのだ。純平たちにかまわれると、依人はいつも少しくすぐったい顔をする。
そういうとこも、かわいいんだよな、結局。思い出し笑いを堪え、依人のいる輪を窺う。
道長くんや庄野くんたちと一緒にいる依人の横顔は、リラックスして楽しそうだ。
春のころには想像できなかった光景で、心底よかったと思うけど、ほんの少し羨ましい。
ひっそり眺めていると、沢見と喋っていた純平が、俺に話を振った。その視線は依人たちのほうに注がれている。
「ほんまに馴染んだなぁ、依人くん。ちゃんと一年生と楽しそうにしてるやん」
「うん。庄野も言ってたよ。なんか、さらに雰囲気丸くなったって。夏とうまくいったからかな」
「俺とどうこうって話ではないと思うけど……、いや、まぁ、いいか。うん。俺のおかげだわ」
幼馴染みくんとの和解が一番の要因なんだとわかるけど、勝手に明かすわけにはいかない。
自分の手柄に転換した俺に、「なんやの、それ」と純平が笑う。からかう言い方に、俺も笑った。
「なにって、俺が良いブラザーだったってことに決まってるじゃん。俺がどれだけがんばったと思ってんの」
「知っとるけど。というか、まぁ、実際そうやと思うけど」
依人たちのほうを見つめたまま、純平がしみじみ呟く。
「さっきも言うたけど、ほんま変わったもんな、依人くん」
「本当にね。春に会ったときは、夏と相性悪そうって思ったのに。わかんないもんだね」
「うん」
たしかにそうだったな、と懐かしい気持ちで俺は認めた。
かわいくないし、生意気だし、そのくせ、なんか変なところで繊細だし。
仲良くなろうと意気込んでいたから、たぶん、よけいに空回りもした。それでも、少しずつ距離が詰まって、それで――。
四月からの日々を思い出しながら、ふたりに告げる。
「でも、みんなのおかげでも、絶対にあると思う。だって、依人。ここが好きになったって言ってたもん」
俺の台詞に、純平と沢見は「なんか、いいね」と笑って顔を見合わせた。
……絶対に一年後、楽しかったって言わせてやるって思ってたのも、叶っちゃったな。
依人とブラザーでいることができるのは、あと三ヶ月。
違う話題に移った純平たちの会話に相槌を打ちつつ、手に持っていた飲み物に口をつける。
時間が経つことはあたりまえで、変わっていくことはあたりまえだ。
わかっているけど、どうしても。今の俺は、やっぱりちょっと寂しいな、と思ってしまう。
「あ、なっちゃん」
パーティーもそろそろ終わりというタイミングでかかった声に、ぱっと振り返る。
受験を控えた三年生は最初から参加の人もいれば、途中から顔を出す人もいて、海先輩は後者だったのである。
ようやく会えた海先輩に、俺は笑顔で近寄った。
「海先輩、おつかれさまです」
「ありがとね、なっちゃん。クリスマスパーティーも最後だし、顔出せてよかったよ」
「そうですよね。――あ、海先輩って、大学東京でしたっけ?」
最後という言葉にどんよりしてしまったものの、慌てて切り替える。
大好きな先輩が卒業するのは寂しいけど、海先輩にとっては新しい門出だ。
「受かったらだけど、私立だったらそうかな。年明けたら受験ばっかだよ」
「うわぁ……、大変ですね。いや、海先輩だったら大丈夫だと思いますけど!」
海先輩が成績上位者であることは知っているのだ。むしろ、まずいのは来年の俺。
ありがとね、と応じてくれた海先輩に、俺は思い付きを提案した。
「そうだ。夏休み、海先輩のとこに遊びに行ってもいいですか? 大学のキャンパスも見てみたいなって」
「うーん、依人くんがいいって言ったらね」
「え?」
「当て馬にはなりたくないんだよね、俺。なっちゃんには悪いけど」
くすくす笑う海先輩に、もう一度「え?」と首を傾げたタイミングで、依人の声が響いた。
「なんの話ですか?」
背後から現れた依人が、ぴたりと背中に張りつく。その調子のまま人の腹に腕を回して、肩に顎まで乗せるので、俺はじとりとした声を出した。
「なんの話っていうか、ちょっと、依人」
「はい、はい。すみません」
自分は好き放題に触っていたくせにと言わんばかりの態度だったが、あのころと今とでは、なんというかいろいろ違うだろ。
過剰な反応はしたくないし、人前ではちょっと勘弁してほしい。最後に恨みがましい視線を送って、笑っている海先輩に向き直る。
「最近、ずっとこの調子なんですよ。というか、なんで依人がいいって言ったらなんですか?」
「え? だって、嫌かなぁって。大学見学が名目でも、なっちゃんがひとりで俺の家に来るの」
「へ?」
きょとんとした俺に、海先輩はにこりとほほえんだ。
「だって、ふたり付き合ってるんでしょ? 独占欲も若くていいよね。素敵、素敵」
海先輩も知ってるんだ。しかも、さも当然と。
一瞬呆然としたものの、俺は我に返った。海先輩の発言とはいえ、すぐに納得できないものが混じっている。
「え……、それも素敵なんですか?」
「まぁ、個人の自由を侵害しない範囲なら、……うん、たぶん。かわいいんじゃないかな」
「ま、まぁ……」
納得半分で、俺はちらりと依人を見た。
……かわいいかかわいくないかで言えば、それは、まぁ、かわいいけど。
その俺の視線をどう捉えたのか、依人が口を開く。微妙に渋々という調子だった。
「俺も一緒に行っていいんですか、それ。大学見学はちょっと興味あるんですけど」
「もちろん、おいで、おいで。後輩ブラザーのブラザーなんて、孫みたいなもんだよ」
「孫」
「そう、そう。孫、孫。いやぁ、ますます受からないとになっちゃったなぁ」
余裕そうに笑った海先輩に、依人がなんとも言えない顔で黙り込む。ふたりの反応の温度差に、俺は小さく噴き出した。
こういうところは、間違いなく「かわいい」なんだよな。
部屋に戻って電気をつけたところで、俺はひとつ伸びをした。
みんなでわいわいするのは大好きだけど、部屋でふたりになると、やっぱり少しほっとする。
つまり、ここが落ち着く居場所だということ。
「楽しかったけど疲れたし、寂しいなぁ」
心の中のほとんどを言葉にして、俺は二段ベッドの下段に寝転がった。
自分のベッドまで上がるのが億劫だったことも理由のひとつだけど、もうひとつの理由は依人ともっと一緒にいたい気分だったからだ。
予想どおり、依人はベッドの縁に腰を下ろした。
「寂しいんですか、楽しかったのに」
「だって、海先輩たちは卒業するし」
「まぁ、そうですね」
「俺も、もうブラザーはいなくなっちゃうし」
そうですね、という相槌を繰り返す代わりのように、依人の指先がシーツに散った俺の髪に触れる。
梳くみたいに指を滑らせるしぐさが優しくて、見下ろしてくる瞳も柔らかくて、だから駄目なんだよなぁと自覚した。
駄目というか、どれだけ回数を重ねても、依人が変わらないから。むしろ、優しさが増した感じがするから、いつまで経っても照れてしまう。
……でも、もっといっぱい見たいし、知りたいとも思うんだよな。
ほかの誰も知らない、俺だけの特別を。そうしたら、ひとりだけそわそわしている感覚もなくなるのだろうか。
どうなんだろうなぁ、と。依人を見つめたまま、話を続ける。
「でも、依人はいい先輩ブラザーになると思うけどな」
「そうですか?」
「そうだよ。なんだかんだ言って優しいし、人のことよく見てるし」
だから、距離を取るのもうまい。そういうところは、沢見に通じるのかもしれないな、と思う。
俺みたいに空回ったりしないで、相手が必要とするタイミングで手を差し伸べてあげるんだろうな。想像で、小さく笑う。
「ちょっといいな。依人、お兄ちゃん似合いそう」
「先輩は弟っぽいですよね。甘えるのも好きだし」
「……否定はしない」
認めた俺に、依人は笑みをこぼした。どこかほほえましそうに。
「がんばって、先輩ブラザーしてくれたんですよね、俺のために」
「そうだよ」
半分は俺のためだったけど、がんばりたくてがんばったんだよ。髪に触れていた依人の指を握って、そっと問いかける。
「依人は寂しい? ……まぁ、でも、そんなこと言ってる場合じゃないか。すぐに次の一年生が入ってくるもんな」
「寂しいですよ」
「え……」
「だって、どんな子が来ても、絶対に今より静かじゃないですか」
「はい、はい。そういうことね、そういう」
肩透かしを食らった気分で、若干投げやりに俺は指を離した。
そういえば、庄野くんと部屋を交換したときも、依人は「寂しい」って言わなかったもんな。
もやりとしたまま、言い放つ。俺はあの夜も寂しかったのに。
「たしかに依人はおとなしい子のほうが合うかもね」
「冗談ですよ」
宥めるように笑い、依人が俺の頬を撫でる。
「先輩がいないと、俺はすごい寂しいです。先輩が卒業したら嫌だなぁとも思いますよ。だって、先輩は俺を置いて行くじゃないですか」
「……それはさすがに気が早くない?」
「でも、そうでしょ? 寂しいですよ」
沈黙した俺から手を離し、依人はベッドに膝をついた。覆いかぶさるように俺の顔の両側に手を置いて、甘える調子でほほえむ。
「寂しいからキスしていいですか」
「いい、けど」
なんか、すごい台詞言うよね。気恥ずかしさを堪えて頷くと、すぐにキスが落ちてきた。自分では制御不可能なところで、じんわり頬が熱くなる。
「もう、うわぁだよ。うわぁ」
誤魔化すように、俺は軽口を叩いた。
これが「うるさい」なんだろうけど、このレベルまで控えることはできるようになったので、大目に見てほしい。
「本当、どこで覚えてくんの、そういうこと」
「先輩がいい反応するから、ちょっとおもしろくて」
「ちょっと、なに、それ」
「冗談です、冗談」
からかう調子のまま応じ、依人はもう一度キスをした。
今度は一回だけではなく、二度、三度と唇が重なっていく。なんというか、恋人同士という感じのキス。
「っん……」
声がこぼれ、開いた口の中に舌が入る。「なんで、そんなにうるさいんですか」と呆れられたときから回数が増え、少しずつするようになったもの。
まぁ、心の内側は常に「うわぁ」という状態なんだけど。でも、もっと、依人といろいろしたいな、という思いもある。
キスの合間に依人の首のうしろに手を伸ばすと、またすぐに唇が深く合わさった。
熱い吐息が混ざり、シャツの上から身体のラインを辿るように依人の指が動く。
くすぐったさと戸惑いでもれそうになった声はキスの中に消え、シャツの裾から指先が入り込んだ。
「あ――、っ」
指の冷たさに、びくりと身体が揺れる。その瞬間、部屋の時間が止まった感じがした。
「………………」
気まずい沈黙が流れ、依人の指が離れていく。
「あ、えっと」
軽く上体を起こした依人を呼び止めようとしたものの、「えっと」の先が続かない。その俺を見て、依人は長く息を吐いた。
「あー……、はい。すみません」
「す、すみませんって」
「あんたが言ったんでしょ。最初に。寮でキス以上はちょっとって」
「言ったけどぉ」
最初に、寮の中でどこまでがオッケーなんだろうね、部屋の外と中。みたいな確認をしたときに、たしかに俺が言ったけど。
そんなにあっさり止められると、俺ばかりが依人を意識して、もっともっとと思っているみたいだ。
そんなことはないとわかっているけど。
「なんか、俺ばっかり、わたわたしてる気がする……」
「そんなわけないでしょ。必死ですよ」
「だって」
「『もっとしたい』と『我慢すべき』で、わりといつもいっぱいいっぱいなんですけど、俺」
見てわかんないですか、と続いた呆れ声に、視線を下に動かし――、俺はぎこちなく上に戻した。
「え、……と」
声同様の呆れ切った顔を見つめ、「する?」と首を傾げる。
エッチをするのは駄目だ。それはわかる。でも、抜き合いくらいなら、ワンチャンオッケーじゃないかな。
「その、触るくらいなら――って、痛!」
指を伸ばそうとしたタイミングで額を叩かれ、思わず自分の額を押さえる。指の隙間から見上げた依人は、微妙に嫌そうな顔をしていて。
「…………ごめん」
謝ると、依人は溜息を吐いて、俺から距離を取った。その調子のまま、放っておけばおさまるとばかりにベッドの縁に座り直す。
隣に行くのはさすがにあれかなぁと躊躇していると、依人が口を開いた。
「急に意見変えないでください。俺も納得したんです、それで」
「……それはそうだと思うけど」
「際限なくなったら困るでしょ」
「…………はい」
頷いた俺の声があわれだったのか、依人の雰囲気がゆるむ。いつものしかたないという横顔。その顔と同じ声で、「それに」と依人は続けた。
「俺は、先輩が先に卒業しても、こういう関係でいたいと思ってるんで。だから、ちゃんと待てができるんですよ」
卒業しても、こういう関係でいたい。未来を明示する告白に、ぱっと起き上がる。そのまま膝で進んで、俺は背中から依人に抱き着いた。
ぎゅっと腕を回して、抱きしめる。
「ごめん。俺ばっかりって思って、ちょっと焦ってたかも」
「あんた、焦ってろくなことしたことないでしょう」
「それもそうなんだけどぉ」
本当にそうだと思うんだけど。過った過去のもろもろ(主に夏休み明けの一件とか)に、依人の首筋に額を押しつける。
どうしようもない俺の反応に、依人はまたひとつ小さく息を吐いた。絆されてくれていることがまるわかりのそれ。
「あと、なんなんですか、ごめんって」
「ありがとう、好き。俺もずっと一緒がいい」
ブラザーじゃなくなっても、俺が先に卒業しても、その先も。いっそうぎゅっとくっつくと、はは、と依人が笑った。
「なんか、もうマジでこの部屋になったのが運の尽きって感じ」
「ちょっと、なに、運の尽きって」
泣きついた俺に、だって、と依人が言う。
「マジでうるさいんですもん。一生忘れられないですよ、こんなの」
呆れた口ぶりでしかないのに、めちゃくちゃ俺を好きだと言っているように響くのは、いったいなんのバグなんだろう。
ドキドキと鳴る心臓を抱えたまま、「俺だってそうだよ」と俺は呟いた。
依人と出会って過ごした、こんな一年。絶対に忘れられるわけがない。

