『先輩はけっこう俺のことが好きだと思う』
 そう、依人に言われたとき。誇張じゃなく、呼吸が止まった気がした。
 ……いや、それは依人のことはあたりまえに好きだけど!
 けっこうどころではなく好きだけど。混乱した頭の中で、俺は答えた。
 でも、依人の声が、俺の思うブラザーとしての好きじゃなく、恋愛としての好きだと示していることは明白で。
 実際の俺は、「へ?」とまぬけな声を出すことしかできなかった。
『だって』
 気を悪くするどころか、不思議と楽しそうに依人が言う。密かな笑みの混じった、それでいて優しい声。
『ほら。先輩、すごいドキドキしてるし』
 証明するように、依人の手のひらが俺の胸のあたりに触れる。
 加速した鼓動がダイレクトに伝わりそうで、「マジ勘弁して……」と俺は小さく呟いた。
 本当に、めちゃくちゃ恥ずかしい。恥ずかしいというか、「うわぁ」と叫びそうになるというか。
 うまい表現は見つからないけど、なんだかすごく身体中がそわそわする。
 はい、はい、と笑って、依人は手を離したけど、いや、でもさ、と思う。
 あの状況でドキドキしないやつなんて、いないんじゃないの?

 ※

 爽青学園の文化祭は、金曜日から日曜日の三日間にわたって開催され、土曜日と日曜日が一般開放日になっている。
 ちなみに今日は、二日目の土曜日だ。
 天気は晴天。一般のお客さんも多い構内を、俺は微妙にぎこちなく依人と歩いていた。
 外部のお客さんがいるので距離感を気にしているわけではない。
 ただ単純に、異常にドキドキしてしまった夜以降、「通常の距離感ってなんだっけ?」状態に、俺が陥っているだけである。
 ……いや、まぁ、依人の幼馴染みくんが来るかどうか気になってるのも、落ち着かない理由のひとつだとは思うんだけど。
 そう、思うんだけど。それだけじゃない自覚は十分にあるのだった。
 模擬店の並ぶ中庭を通り過ぎ、人の往来が少し減ったところで、依人を横目で見る。
「なんですか?」
「え? ああ、いや、べつに」
 予想外にばちりと目が合ってしまい、俺は慌てて首を振った。ついでに足を踏み出す方向を修正する。依人の側じゃなくて、植え込みに近いほう。
 心持ち距離を取った俺の行動に、ふっと依人が笑った。
「先輩って、わかりやすいっていうか、あからさまですよね。知ってます? そういうの好き避けっていうんですよ」
「いや、それ、違くない?」
「あ、そうなんですか?」
「わかんないけど、……た、たぶん」
 自信なく頷いた俺に、またひとつ依人が笑う。そわそわしている俺と正反対の、機嫌の良さそうな態度だった。
「まぁ、なんでもいいですけど。『好き』って言ってるのに警戒されないより、ぜんぜんいいし」
「あ、あのさ。今日、中学生多いよね!」
「え? ああ、今日、入学志願者向けの説明会あるんでしたっけ」
「そう、そう」
 強引な話題転換であることは承知の上で、さらに強引に推し進める。
 あの話題を続けると俺のそわそわがやばそうが主な理由だったが、制服を着た中学生らしい男の子が多いことも事実だ。
 覚えた懐かしさに、依人に問いかける。
「俺は中二のときにここの文化祭に来たんだけど、依人は来たの?」
「去年参加しましたけど」
「え、去年?」
 中学三年生の十一月だと本命校は決まっているだろうし、俺と同じように中学二年生の時期に参加したと思っていた。
 まぁ、俺がここを志望校にした理由は単純で、卒業生の父親に勧められたから、なんだけど。
「俺、去年、説明会の受付してたんだよね。もしかして、依人と会ったりしてたのかな」
「どうですかね」
「どうですかねって。中学生の依人とか絶対かわいい……」
 と言ったところで、俺は口をつぐんだ。
 ……いや、これ、いろいろあって志望校変更したから、中三で参加したって話じゃん。
 かわいいとか、かわいくないとかそういう話ではなく。
「マジでごめん。俺にはデリカシーがない」
「なに。――ああ、いいですよ、べつに」
 俺の謝罪を、依人はさらりと笑い飛ばした。
「思ったことがすぐに口に出るから、デリカシーがないって表現するんだと思うけど。悪気がないのはわかるし」
「そう言ってくれるのはうれしいけど」
ほんの少しだけ複雑な気持ちで、首を傾げる。
「相手に悪気がなくても怒っていいと思うよ、俺。俺が言うなって話だけど」
『開き直られて、「あ、もう、いいや」って思っちゃったんですよね、なんか』
 非常階段で幼馴染みくんとのいきさつを聞いたとき、ちょっと思った。
 依人の言う「もう、いいや」は防衛策としての諦めだったんじゃないのかなって。
 べつに怒っていない、気にしていないという態度だったけど、依人の中ではなにも解決してないんじゃないのかなって。
 ……だから、依人が「文句言ってやろうかな」って言ったとき、俺は安心したんだけど。
 間近に迫ったせいか、今はまた心配が芽生えている。
 今日、幼馴染みくんが来たとして、依人はちゃんと話すことができるのだろうか。
「いいんですよ、本当」
 自分の失言を棚に上げた心配をする俺に、依人はやんわり頭を振った。
「先輩は失敗しても、ちゃんと説明して謝ってくれるでしょ」
「え……」
「だから、いいんです。本当になにも」
 不思議なほどすっきりした声で言い、依人が小さく笑う。春に会ったころより大人びて感じる表情を、俺はじっと見つめた。
 十一月の冷たい風に乗った、グラウンドの喧騒が耳に届く。
 若干音割れているものの、聞き覚えのあるメロディーは、うちの寮の先輩が組んだバンドの演奏に違いなかった。
 その喧騒に溶けそうな声で、たぶん、と依人が呟く。
「俺はそういうふうにしてほしかったし、したかったんだと思う」
「……そっか」
「これ、うちの先輩たちでしょ。やっと静かになりますね、夜。受験勉強の息抜きって言われても、うるさかったですもん」
 話を終わらせる調子の苦笑に、俺は、うん、と頷いた。
 ……でも、そうだよな。
 受験が終わって春が来たら、先輩たちはあたりまえに卒業する。
 あと四ヶ月。それは依人と同じ部屋で過ごすことのできる期限と同じだった。
 未来を想像したせい、なのだろうか。グラウンドのほうを向いた依人の横顔が、なんだか妙に遠い感じがして。寂しいな、と思った。
 海先輩と部屋が変わるときも寂しかったけど、そのときの寂しさとは、決定的になにかが違っている。
「依人」
「ん?」
「あの、さ」
 自分でもよくわからないまま、言葉を発そうとした瞬間、あれ、という声が背中にかかった。
 知らない場所で知り合いを見つけ、ほっとしたようなそれ。
「あ……」
 俺の口から思わずといった声がこぼれる。依人の顔に走った緊張で、声の主が幼馴染みくんと悟ったからだ。
 ……けど、そっか。来てくれたんだ。
 高校の最寄駅からバスが出ていると言っても、依人の実家の近くからだったら、時間もお金もかかっただろうに。
 依人が書いた手紙の内容は知らない。ただ、この子も依人に会いたかったんだということはわかった。
 だって、こんなの、嫌いな人間に使える手間じゃない。
 大丈夫だよの意を込めて、「依人」と呼びかける。はっとした顔に、俺は笑いかけた。
「いてもいいんだったら、俺もいるから」
 体育祭の日。お互いさまでも、自分のことをマイナスに思っている相手と顔を合わせることはストレスだと依人は言った。
 依人の優しさにはじめてはっきり触れた気がしたから、よく覚えている。
 向こうの子が依人をマイナスに思っているとは、思わない。でも、きっと、依人はこういうとき、誰かにそばにいてほしいんだ。
 だったら、俺がそばにいたい。ごく自然と、そう思った。
「うん」
 俺を見つめていた依人の瞳が、ふっとゆるむ。最後にもうひとつ頷いて、依人は俺から視線を外した。
「ひさしぶり」
 振り向いて、俺たちのほうを見ていた男の子に声をかける。
 変に力の入っていない、穏やかな調子だった。その対応にだろう、幼馴染みくんがほっとした笑顔になる。
 少し小柄で人懐こい雰囲気の、クラスのマスコット的な感じの男の子。
 どんな子を想像していたというわけではないけれど、ちょっと意外だったかもしれない。
 勝手なことを考えていると、近づいてきた幼馴染みくんに依人が話しかけた。
「ちょっと人が少ないとこに場所変えてもいい? この人も一緒に」
「あ、……えっと」
 依人の提案に、幼馴染みくんが戸惑った顔で俺を見る。
 そういう反応になるよな、と俺は申し訳ない気持ちを覚えた。俺だって、当事者が依人じゃなかったら遠慮する。――でも。
 俺は空気の読めない笑顔で注釈を入れることを選んだ。
「あ、えっと、いるけど。その、口は挟まないから!」
「…………」
「あの、その、本当にいるだけなので! 審判みたいなものだと思ってもらえたら」
 と言ったところで、いや、審判はおかしいな、と自分に突っ込む。
「あ、えーと……、立会人みたいなものだと」
 居座るだけで無害と伝えたかっただけなのに、幼馴染みくんは微妙な愛想笑いになっているし、めちゃくちゃ変な空気を生み出してしまった。
 思わずちらりと依人を見る。と、笑っていいのか駄目なのかわからないみたいな顔と目が合った。なんでだ。
 軽く睨むと、依人が苦笑まじりに口を開く。
「まぁ、すでにちょっとうるさいけど」
「ちょっと、依人?」
「大丈夫。この人、無害だし」
 びっくりするくらいいつもどおりの調子で言い、依人は幼馴染みくんに「あっち」と少し先にある校舎を指し示した。
 そのまますたすたと歩き出したので、しかたなく幼馴染みくんと並ぶかたちで依人の背中を追う。
 失敗したかなぁと内心で首をひねっていると、幼馴染みくんが俺におずおずと声をかけた。
「先輩……なんですか?」
「あ、うん。依人と同じ部屋で。ごめんね、なんか」
「いえ。その、ちょっと驚いただけなので」
「驚いた?」
 問い返した俺に、幼馴染みくんが少しだけ困ったふうに笑う。
「あいつ、ちょっと人見知りなとこあるから。先輩と仲良さそうだったのが意外で。……でも、よかったのかな」
 自分自身に言い聞かせる雰囲気に、俺は「そっか」と相槌を打った。
 ……人見知りかぁ。
 前を行く背中を見つめたまま、心の中で繰り返す。
 でも、きっと、この子が思い浮かべているのは俺の知らない依人で、俺が知っている依人はこの子が知らない依人なんだろうな。
 そんな想像で、俺はそっと苦笑いを浮かべた。

 依人が提案した移動先は、幸いなことにほかに人はいなかった。
 口は挟まないとの宣言どおり、少し離れた位置で向かい合うふたりを見守る。
「でも、本当、ひさしぶり。なんかちょっと変な感じだけど」
 先に口を開いたのは幼馴染みくんのほうだった。変な感じと幼馴染みくんが評したとおりで、本来のふたりより他人行儀なやりとりなんだろう。
 その幼馴染みくんに、「うん」と依人が応じる。
 道長くんたちと喋るときと変わらないように感じる態度に、俺は勝手に少しほっとした。
「中学の卒業式が最後なんじゃない?」
「そうだよ。だって、依人、そこからぜんぜん連絡くれなかったじゃん。チケット届いたときも行くって言ったのに、既読になんなかったし」
 たぶんだけど、ブロックしたままだったんだろうな。
 一転して生ぬるい気持ちになった俺と裏腹に、幼馴染みくんはにこにこ楽しそうだった。
 依人と喋ることができている事実が、うれしいのかもしれない。
「でも、よかった。依人、ここを受験したことも教えてくれなかったから。怒ってたのかなって、ちょっと不安だったんだ」
「うん」
「だから、文化祭も誘ってくれて、すごいうれしかった。なんで手紙ってびっくりしたけど」
「そういう伝統なんだって、ここ」
「伝統なんだ。ウケる。すごいな、全寮制」
「うん」
 明るい幼馴染みくんに合わせる調子で笑ったあと、思い出したように依人は言った。
「怒ってたよ」
「え……、でも、依人、ふつうだったよね? 卒業するまで、ずっと。だから、俺」
「うん、べつにもういいかなって思ってたから」
 戸惑って焦った幼馴染みくんと正反対の、あっさりした声。その声が淡々と気持ちを紡いでいく。
「どうでもいいって切り捨てて、諦めたけど。こっち来て、腹立ってたんだって気づいた。だから、送った。来たら、文句言おうと思って」
「なんだよ、それぇ。怒ってなかったんだって、俺、めちゃくちゃほっとしたのに」
 それは、きっと。手紙が届いたときの幼馴染みくんの正直な気持ちに違いない。
 みるみるうちにしおれる幼馴染みくんの表情に、依人は笑った。
 あまり見たことのない、本当に仲のいい相手をからかうような笑顔だった。
「でも、呆れて距離取られたままより、怒られたほうがいいだろ?」
 つられたように幼馴染みくんが笑い(泣き笑いって感じだったけど)、残っていたぎこちなさが霧散する。
 感知した変化に、俺は苦笑いになった。自分の感情を持て余したまま、首をひねる。
 ……素直に喜べないのは嫉妬、ねぇ。
 夏休みが明けてすぐのころに、沢見が言っていたことだ。そのときは納得できなかったものの、今はわかる気がする。
 ただのブラザーだったら、素直に「よかった」と喜ぶことができた。でも。
 ……今の俺にはできないのが答えなんだよな、結局。今さらだけど。
 自分に呆れたような、それでいて妙にどこか安心した心地で、依人たちの会話に再び耳を傾ける。
 依人はきちんと自分が嫌だったことを伝えているようだった。
 ふつうじゃないという言葉で、簡単に片づけないでほしかったこと。
 悪気がなかったとしても、噂が広がった時点で謝ってほしかったこと。
 幼馴染みくんだから打ち明けた気持ちを大事にしてほしかったこと。
「――でも、俺が打ち明けたことで、悩ませたのは悪かったって思ってる。そこは、ごめん」
 最後にしっかり謝った依人は、なんだかすごく依人という感じだった。
「俺こそ、ごめん」
 依人の話を真剣に聞いていた幼馴染みくんも、きちんと頭を下げた。
 打ち明け話に戸惑って、つい仲のいい相手に相談してしまったこと。
 噂になってヤバいと思ったけど、自分が原因だと認めることが怖くて開き直ってしまったこと。
 依人がふつうの態度に戻ったから、蒸し返して謝るべきかわからなくなったこと。
 そのまま時間が流れてしまって、悔やんでいたこと。
 一連の謝罪の最後、幼馴染みくんは「だから」と小さく笑った。
「本当に今日は会えてよかった。ありがと、依人」
「こっちこそ。遠かっただろ、ここ」
「うん。でも、依人の学校も見てみたかったし。全寮制とかすごいレアじゃん」
 和気藹々と話すふたりをよかったなぁとしみじみ眺める。
 これで依人もちょっとはすっきりできたかな、と思っていると、ふいに幼馴染みくんと目が合った。
 首を傾げた俺に、幼馴染みくんはにこりと笑い、依人に向き直る。
「あのさ、依人。気になってたんだけど、聞いてもいい?」
「いいけど、なに?」
「この人って、本当にただの依人の先輩なの?」
 ストレートな質問に、思わず依人に視線が動く。依人は、幼馴染みくんとの今までのやりとりの中で、一番困った顔をしていた。
「あー……、いや」
「だって」
 悩むような声を出した依人と裏腹の笑顔で、幼馴染みくんが言い切る。
「依人がこんなに誰かに懐いてるの、見たことないもん。特別な人なんでしょ」
 依人の身体に力が入った気がしたのは、一瞬のことだった。
 うん、とひとつ呟いて、依人が答える。さっきとは違う、落ち着いた声で。
「……先輩だけど、それだけじゃなくて」
「うん」
 頷いた幼馴染みくんに、依人は少しほほえんだ。
「俺の好きな人」
 ……好きな人。
 直接言われたわけでもないのに、なんだかすごくドキリとして、俺は依人から目を離せなくなってしまった。
 依人の表情が柔らかかったせいかもしれない。
「そっか」
 優しそうな表情で、幼馴染みくんは笑った。
「そうなんだね、依人」
「うん」
 なんでもない返事だったのに、俺の耳には安心したふうに響く。
 俺と同じ思いだったのか、幼馴染みくんもどこかうれしそうだった。顔と同じ調子の声で、「俺さ」と依人に打ち明けている。
「実は、今日、彼女についてきてもらったんだ」
「彼女?」
「そう。ひとりで知らないとこ来るの、ちょっとビビっちゃって。向こうで待ってくれてると思うんだけど、紹介しようか」
「いいよ、紹介は」
 苦笑ひとつで、依人は首を振った。
「その代わり、ふたりで楽しんで。せっかく来てくれたんだし」
「じゃあ、そうする。まだぜんぜん見てないし、ふたりで回ってくるね。楽しみだな、依人の高校」
「うん」
 無邪気な反応に、依人がそっと目を細める。
「俺、ここ好きなんだ」
 さらりと宣言した依人に、幼馴染みくんはわずかに虚を突かれた顔をした。けれど、あっというまにぱっとした笑顔に変わる。
「そっか。なんか、聞けてよかったな」
 安心したと言って、幼馴染みくんは手を振った。
「じゃあ、また冬休み、連絡待ってるな。――って、あれ。なんだ。こんなとこまで来てたんだ」
 角を曲がってすぐのタイミングで届いた声に、彼女さん、心配で近づいて来ちゃったんだろうな、と悟る。
 想像すると、ちょっと申し訳なかったな。そんなことを考えながら、俺は依人に近寄った。
「よかったね」
 声かけに、幼馴染みくんが帰った方向を見つめていた依人が振り返る。決まりの悪そうな表情に、俺はにこりと笑いかけた。
「仲直りじゃん」
「仲直り……。まぁ、そうかもですけど」
「うん?」
「いや、なんか、こんなにあっさり話し合えるなら、もっと早くできたんじゃないのかなとか思っちゃって」
 なるほど、それでその表情。納得して、俺はもう一度笑った。
「そうかもしれないけどさ。依人が話し合ってもいいって思えるようになったからだと思うよ、ぜんぶ」
 そうじゃなかったら、「あっさり」なんてなりようがない。
 断言した俺に、依人は苦笑をこぼした。
「ですね」
「たぶんだけどね」
 軽く肩をすくめ、それと、と言い足す。
「これもたぶんだけど、依人は環境を変えてよかったんじゃないかな。……俺も依人に会えてよかったし」
 言いながら、本当にそうなんだよな、と俺は実感していた。
 ……依人にとっては想定外の進路だったと思うけど、選んでくれてよかったな。
 そうじゃなかったら、俺は依人に会うことはできなかった。
 依人に会えてよかった。噛み締めるように、俺は内心で繰り返した。
 ほかの誰がブラザーでも楽しかったと思うし、かわいがったと思う。でも、そういうことじゃない。
 すっと息を吸って、俺は改めて呼びかけた。
「依人」
「なんですか? そうだ、すみません。結局、最後まで付き合わせて」
「それはぜんぜんいいんだけどさ。幼馴染みくんと冬休みに会うんだったら、好きな人じゃなくて彼氏になったって言っといてよ、俺のこと」
「え……」
 きょとんとした瞳に、認めたばかりの気持ちを告げる。ちょっと申し訳ないくらい、すっきりした気分だった。
「けっこう本当にどころじゃなくて、俺、依人のこと好きだったみたい。ちゃんとそういう意味込みで」
 もしかしたら、だけど。同じ好きだったらいいな、と切実に願った時点で、そうだったのかもしれない。
「…………いや、なんなんですか。みたいって」
 照れ隠しのようでいて、本当に少し呆れたふうな声だった。
 微妙に不服そうな顔が、どうしようもなくかわいくて。もう一度、「依人」と名前を呼ぶ。
「ちゃんと考えた」
「うん」
「ちゃんと考えて、思った。俺も依人と同じ好きだったんだなって。好きだよ、依人が。誰よりも一番」
「……うん」
 同じ相槌を繰り返した依人が、ふっとほほえんだ。どこか眩しそうに。
「先輩のそういうところが、すごく好き」
 まっすぐな告白に、うん、と俺も頷いた。照れくさくて、そわそわ落ち着かなくて、でも、それ以上にうれしい。すごく幸せな気持ちで。
 前途多難な一年を予想した春から、八ヶ月。
 俺たちはブラザーで、恋人になった。