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「『友達の話なんだけど~』で始まる恋愛相談、リアルでする人いるんだね。マジウケる」
 完全に馬鹿にした顔の沢見に鼻で笑われ、俺は撃沈した。
 場所は、三階の談話室。学年問わず人が集まる一階の談話室と違い、ここは基本的に静かなのだ。今夜も利用者は、俺と沢見のふたりだけ。
 ソファーに並んで座ったまま、俺は弁明した。
「いや、ガチで友達の話で、俺の友達のAくんが友達のBくんに『お試しで付き合ってみない?』って言われて」
「ああ、はい、はい。友達のAくんが友達のBくんにね」
「そう、そう。それで、Aくんは『やってみないとわかんないのは事実だからな』でオッケーしたんだけど、実際始まってみるとBくんの好意を利用してるようで、……その、罪悪感がヤバいらしくて」
「友達のAくんに、モテ女ぶってないで、好きならオッケー、駄目なら断れって言ってあげてくださーい」
「…………ですよね」
 それはもう本当に仰るとおりで、俺もそうすべきとわかってるんだけど。
 やる気なくスマホを触っていた沢見が、うなだれた俺を一瞥する。
「よくわかんないけど、Aくんは、Bくんに好きって言われても嫌じゃないってこと? 俺のよく知るAくんもとい夏くんは嫌なら嫌ではっきり断るタイプなんだけどな」
「そうなんだけどぉ」
「けど? じゃあ、なに。嫌じゃないけどオッケーしないのは男同士だからですか?」
「そういうわけでもないんだけどぉ。ブラザーとして仲良くしたいと思ってたから、すぐに切り替えて考えられないっていうか」
 うつむいたまま、俺はぼそぼそ言い募った。
「それに、俺、ろくなことしてないし。なんでそんなこと言われたのか、マジでわかんないっていうか」
 依人が「害がないから落ち着く」と俺を評してくれたことは事実だ。うれしかったから、よく覚えている。
 でも、それだったら、ブラザーとしての好きで十分なんじゃないかな。
 ……それに、ブラザーの好きでいいんだったら、落ち着かないなんて思わなくて済むし。
 ひとつ溜息を吐いた俺に、沢見は軽く肩をすくめた。
「俺は、夏のそういう……、なんていうの? ノンデリ入ってるな、とも思うけど、素直なところは好きだし、わかる気もするけどね。実際、去年はありがたかったし」
 沢見の口から飛び出した去年という単語に、ぱっと視線を向ける。
 沢見と、沢見のブラザーだった谷先輩の関係をからかう空気があったときの話とわかったからだ。
 俺が聞いてみたいと、ひそかに思っていたこと。
「なに、今度は。急に前のめりになって」
「いや、あのさ」
 ちょっと嫌そうな声を出した沢見に、俺は恐る恐る切り出した。
「言いたくなかったら、いいんだけど。沢見はさ、去年どう思ってた?」
「どう思ってたって……。まぁ、ふつうにイラッとしたけど。俺より先に突進した馬鹿がいたから、ちょっと気は抜けたかな」
「そっか。でも、そうだよな」
 俺の記憶にある去年の沢見は「ぜんぜん気にしてないけど?」という顔をしていたが、顔と本音が一致するとは限らないということだ。
 しみじみ頷いた俺の反応に、沢見が、「なるほど」と呟く。
「最近、夏たち距離近いじゃん」
「……うん」
「それで、『とうとうデキたか』って言われてたじゃん」
「…………うん」
「なんで否定しないんだろ、夏のくせにって不思議だったんだけど。ガチで迫られてたから否定しなかったんだ」
「…………」
「なのに、依人くんがその噂を気にしたらどうしようって心配してんの?」
「だってさぁ」
 理解不能といった声に、俺はひとりごと半分でぶちまけた。
「ぱっと見じゃわかんないと思うけど、あいつガチでたまに繊細な野生動物みたいなとこあるんだって」
「なに、それ。マウント? 俺は知ってます的な?」
「そうじゃないけどぉ」
 深々と息を吐き、口を閉ざす。それ以上の説明はできなかったからだ。
 勝手な想像だけど、依人は好き勝手に噂をされたことが嫌だったんじゃないかな、と俺は思っている。
 いじめじゃなくても、相手にそこまでの悪気はなくても。だから、地元を離れてリセットしたくて、ここに来た。
『軽い嫌味でも嫌じゃないです?』
 体育祭の日。俺が苦手な相手を探していると知った依人はそう言った。
 大げさだと少しだけ呆れていたけれど、依人にとっては大げさでもなんでもなかったのかもしれない。
 ……いや、それはさ、変にからかうやつがいたら絶対に庇うし、助けるけど。嫌になって、辞めたくなったりしないかな。
 マイナスな想像を膨らませ、再び巨大な溜息を吐いた俺に、沢見が「そういえば」と切り出した。
「海先輩も気にしてたよ、その噂」
「え、海先輩が?」
「変わりすぎじゃない、声」
 さっきまでのどんよりオーラはどうしたと言わんばかりの突っ込みに、俺はへらりとほほえんだ。
 気に病んでいることは真実なので、薄情とは評さないでほしい。
「まぁ、いいけど」
 興味を失った顔で、沢見はあっさり本筋に戻った。沢見のこういうところは、なんというか、すごく楽だったりする。
「去年の夏のやらかしを知ってる側からすると、海先輩が心配するのもあたりまえって感じだけど。喧嘩売るなら上手に売ってよ」
「いや、向こうが売ったから買っただけだし!」
「はい、はい。俺はなんでもいいんだけど。らしくなくぐるぐる考えるより、本人に聞いたほうが早いとは思うよ」
「それも本当にそうだと思うんだけどさぁ」
 話は終わりという気配に、談話室の壁時計を見上げる。
 夜の点呼の十五分前だ。沢見に続き、俺もよいしょと立ち上がる。最後に、自戒を込めて呟いた。
「間違えて、傷つけたくないんだよね。俺、自分が直情型なのも知ってるし、それで対人関係駄目にすることがあるのも知ってるから」
「へぇ、大事にしてんだね」
 意外そうに評され、談話室の電気を消しながら俺は唇を尖らせた。
「あたりまえじゃん。そら、大事にするよ」
「それって、待ちに待ったかわいいブラザーだから?」
「へ?」
「それとも、依人くんだから?」
 即答できず、ぱちぱちと瞬く。その俺をじとりと見つめ、「夏ってさぁ」と沢見はさらなる爆弾を投下した。
「前からちょっと気になってたんだけど、海先輩にやたら懐いてるじゃん。あれって、そういう意味で好きだったりすんの?」

 ……いや、好きって。そりゃ、好きだけど。どう考えても、ブラザーとしての尊敬の好きじゃん?
 なんで、みんな、俺に爆弾落とすの。相談してすっきりするつもりが、逆に悶々が増えてしまった。
 あーあという気分で部屋のドアを開ける。
「ただいまー」
「あ、おかえりなさい……って、なんですか、その顔」
「ううん、なんか癒されるなぁって」
 かわいいブラザーが勉強の手を止めて、振り返って出迎えてくれる現実が。落ち着かない瞬間もあるものの、それはそれというやつだ。
 少し晴れた気分で、にまにまと依人の隣の自分の椅子を引く。
「沢見と喋ってたんだけどさぁ」
 ごく自然と話し始めたところで、俺ははたと気がついた。どう考えても、依人に振る会話じゃない。
 中途半端に続きを呑み込んだ俺に、依人が問い返す。
「沢見先輩と? また談話室で喋ってたんですか」
「うん、まぁ。たいした話じゃないんだけどね、本当、うん」
 誤魔化すように早口で言い、適当に参考書をめくっていると、依人がぽつりと口火を切った。
「先輩は、沢見先輩とも仲いいですよね」
「え? ああ、まぁ」
「距離も近いし。まぁ、べつに、沢見先輩だけじゃないですけど」
「ん?」
 参考書をめくっていた手を止めて、依人を凝視する。完全に想定外の流れだったからだ。
 ……これって、もしかして、嫉妬?
 拗ねたようにも感じる横顔に、そんな表現が浮かぶ。
 ということは、俺が談話室で誰かと喋っているときに隣に座る行動も、嫉妬だったのだろうか。
 マジか。思い至った衝撃の事実に、あんぐりと口が開く。
 狭いところ好きなのかな、とか、猫みたいだな、どころの話じゃない。
 ……でも、そっか。マジで俺のこと好きなんだ……。
 嘘だと思っていたわけじゃないのに、急にじわじわと心臓がうるさい。
「えー……と」
 参考書を机に置き、依人に視線を向ける。
「あの……、依人はさ。なんで、試しに付き合ってみようって言ったの?」
「…………言ったじゃないですか。先輩が好きだからって」
「聞いたし、俺も頷いたけどさぁ。それだけで、依人の本心ぜんぶわかるわけないじゃん」
 ぶすりとした返答に負けじと泣きつく。
 鬱陶しいと言わんばかりの沈黙が流れたものの、依人は俺のほうを向いた。呆れたふうに「じゃあ」と俺に問い返す。
「先輩は、なんで『お試しでいいから、ブラザーやってみよう』って言ったんですか、俺に」
「え、俺?」
「お試しって先に言ったの、先輩じゃないですか」
「まぁ、それはそうか」
 会話が続かなかった四月の依人を思い返しつつ、俺は打ち明けた。
 今の依人なら、正直に伝えても怒らないだろう。
「人間嫌いってわけじゃなさそうなのに、ツンケンしてたから」
「え?」
「えって、そんなに意外だった?」
 目を丸くした依人の反応に、俺は苦笑をこぼした。
「依人がどう思ってるか知らないけど、さすがに、俺も、依人が本当に誰とも付き合いたくなさそうだったら、遠慮したし、配慮したよ」
 どんな子がブラザーでも仲良くしたいと願っていたけど。それぞれに適切な距離があることは理解しているつもりだ。
 もう一度笑った俺に、依人は少し複雑な顔をした。
「それで、声かけしつこかったんだ」
「うぜぇって思ってたでしょ、依人」
「……まぁ」
「やっぱり? まぁ、あれはあれで楽しかったけど」
 繊細な野生動物を手懐ける、みたいな。
 懐かしさに目を細めたところで、「なに?」と首を傾げる。視線を感じたからだ。
「ううん」
 穏やかに頭を振った依人が、同じ調子でほほえむ。
「先輩のそういうとこ、好きだなって」
「……へ」
「まぁ、俺が提案した理由は、わりと単純なんですけど」
 突然の告白にバクバクする俺の心臓なんておかまいなしに、依人は話を戻した。
「先輩が提案したとき、勝手にしたらって言ったけど。俺、いっさい仲良くするつもりなかったんですよね」
「あ、……うん」
 こんなに近くにいても、心臓の音は聞こえないんだよな。あたりまえのことを考えながら、ぎこちなく頷く。
「先輩も意地になってるだけで、すぐに飽きると思ってたし。それなのに、結局こうなったじゃないですか」
 こう。仲良くなったという「お試し」の結果。
 戸惑ったまま、俺はまた頷いた。その俺を見つめ、依人が静かに告げる。
「先輩の言うところの『やってみよう』で、俺の意識は変わったから、先輩も変わったらいいなって思って。それで言った」
「変わる?」
「うん。だって、先輩、偏見はないって言ったけど、それはそうとして、恋愛対象は女の子だよね」
 恋愛対象は、女の子。依人の確認に、今さらながらドキリとする。
 俺が女の子を好きになるように、依人も俺を好きになったと言われた気がしたからだ。
 俺は困った顔をしていたのだろうか。依人はふっと眉を下げた。
「べつに、それがいいとか、悪いとか。羨ましいとか、そういう話じゃないんだけど」
「うん」
「試してみないと、好き嫌い以前にイメージが湧かないんじゃないかなって思って」
「……だから、お試しで付き合ってみようって言ったってこと?」
 お試しでもいいからブラザーとして交流しないと、ブラザーの良さも悪さもわからないと俺が言ったように。
 お試しでいいから付き合ってみないと、恋愛としての好きも嫌いも判断できないから、と、そう。
 控えめに確認した俺に、依人ははっきり首肯した。
「そう。男だから駄目、なんじゃなくて」
 机の上に置いていた俺の手を、依人が取る。
 その触れ方があまりにも自然、というか、小さい子がぎゅっと握るような触り方だったせいで、俺はなにも言えなくなってしまった。
 握り込んだ指先に目を落としたまま、依人が言う。
「俺だから駄目なのか、いいのかを知りたかった」
 依人だから、いいのか、どうか。
 すぐに答えを出すことなんて、できるわけもなく。俺は「ふぅん」と小さく呟いた。
「そっか」
「うん」
 それだけ、という言葉を最後に、するりと手が離れていく。
 勉強机に向き直った依人が、シャーペンを手に取る。勉強を再開した横顔を見つめていたことに気づき、俺はそっと視線を外した。
 ……依人だから、か。
 依人は、いいやつだと思う。
 共同生活をしている以上、おまえなぁと思う瞬間はある。
 でも、そんなことはお互いさまで。ほとんどの「おまえなぁ」に目を瞑ることができるくらい、俺は依人がかわいかった。
 もっと、もっと仲良くなりたいと願っている、待ちに待った俺のブラザー。
 ただ、恋愛感情と同一の好きかどうかはわからなかった。
 お試しのお付き合いを続けたら、わかるときがくるのだろうか。
「…………」
 心の中で、うーん、と唸る。
 わからないことはいっぱいある。だけど、やってみてわかったこともある。
 それは、依人と触れ合っても、俺は嫌だと感じなかったということだ。
「三〇七ー、ちゃんと揃ってる?」
 ドアをコンコンと叩く音と、寮生委員の同級生の声。俺は慌てて、「揃ってる」と立ち上がった。