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 新学期の前日。少し早めの時間に寮に戻った俺は、ひとりのんびり部屋で荷解きをしていた。
 ……まぁ、でも、そろそろみんな帰ってくるころかな。
 前日の十八時までに帰寮する決まりになっているので、だいたい十五時がピークになるのだ。
 にぎやかになり始めた気配を感じつつ勉強机を整えていると、ぱたんと扉が開いた。
「あ、依人。ひさしぶ、り……」
 ぱっと椅子から立ち上がり、笑顔で振り返ったところまでは完璧だったはずなのに。依人と目が合った瞬間、俺の挨拶はなぜか尻すぼみになった。
 当然の反応だが、依人が不審な顔になる。
「なんなんですか、顔合わせて早々。その態度」
「いや、ひさしぶりだなーって! 夏休み楽しかった?」
「べつに、まぁ」
 無駄にデカくなった声に、依人は眉間のしわをいっそう深くした。
 それは、まぁ、怪しいことでしょうね。内心だらだら冷や汗を掻いていると、依人が紙袋からお菓子の箱を取り出した。
「これお土産。用意しろって言ってましたよね」
「あ、言った、言った。ありがとう! 本当に買ってきてくれたんだ。談話室に置いとくね!」
「だから、ちょっと、なんで、そんなに声デカいんですか……」
 頭が痛いという反応に、「あ、ごめん」と謝って、お菓子の箱を受け取る。うちの寮は、長期休暇明けに地元のお土産を談話室に置く慣例があるのだ。
 あとで一緒に持って行こう、と。改めて箱を見たところで、俺はぴしりと固まった。
 ……マジ一緒なんだ、地元。
 疑っていたわけでないものの、樹くんのお土産と完全に一致している。ばあちゃんの家の仏壇の前で見たやつだ。
「っていうか、マジでなんなんですか、さっきから」
「え?」
 一歩近づいた依人が、俺の顔を覗き込む。呆れだけじゃない心配の混じった調子に、俺の罪悪感は限界を突破した。
 そう、罪悪感。いろいろあるんだけど、主に、依人の過去を勝手に知っちゃったかもしれない件について。
 なけなしの先輩ブラザーの意地で、へらりとほほえむ。
「いや、大丈夫、大丈夫。どうもしないよ。本当、どうもしない」
「…………」
 なんだ、こいつ、似非くさいな、と思っていること間違いなしの沈黙に、俺は「そうだ」と無理やり話を切り上げた。
「せっかくだから、さっそく談話室に置いてこようかな! あ、ちゃんと依人からだって書いとくから!」
 感じが悪いとわかっていても、とにかく、ちょっと時間が欲しい。そういったわけで、俺は依人のお土産を持って部屋を飛び出した。
 依人の「逃げやがった」という舌打ちは聞こえなかったふりで階段を駆け下り、一階の談話室へ。
 お土産を配る際の定位置にお菓子の箱を置き、「お土産です、誰でもどうぞ。高見依人」と書いたメモをセットする。
 義務的にやり終えたところで、俺はしゃがんだまま溜息を吐き出した。
「俺は最悪だ……」
「え、なに。お菓子独り占めでもしたん?」
「それはしてない……、あ、これ、依人から。お土産だって」
 入口からひょっこり顔を出した純平に、はい、とひとつを手渡す。
帰寮直後だったらしい純平は、荷物を抱えたまま「よかったなぁ」と目元をゆるめた。
「ほんますっかり馴染んだやん、依人くん。夏も苦労した甲斐あったなぁ」
「……うん」
「…………なんか聞こか? よかったら」
 言外の「面倒やけど、まぁ居合わせてもうたしな」との素直すぎる間に、「大丈夫」と俺は首を横に振った。
「いや、本当に大丈夫なんで、ほっといてもらって……。本当、ただのゴミくずなので……」
「そら、まぁ、ほっとけ言うんやったらほっとくけど」
「…………」
「あ、それ。もう一個ちょうだい。部屋戻って道くんと一緒に食べるで」
 無言でもうひとつ差し出すと、ほなまたねの一言で純平が背を向ける。仲良しかよ。
 ひとりに戻った談話室で、俺はもう一度どんよりと溜息を吐いた。
 みんな、今ごろ、部屋でブラザーと喋ってるんだろうな、と想像する。
 ……そりゃ、俺だってしたかったけどさぁ。
 というか、お盆にばあちゃんの家に行くまでは、依人に会うのめちゃくちゃ楽しみにしてたんだけどさ。
 純平に言えるわけのない悶々を抱えたまま、小さく呟く。
「俺の態度、絶対おかしかったよなぁ」
 先輩ブラザーの威信にかけてぎこちない態度だけは取るまいと誓ったはずが、顔を合わせた途端にやってしまった。
 談話室のラグの一点を見つめたまま、思考を巡らせる。
 ……いや、べつに、依人の恋愛対象が男でも、ぜんぜんいいんだけど。沢見だって、そうなんだし。でも。
 沢見のときのように本人から聞くのと、本人の知らないところで噂で知るのは違うよな、と思う。
『間違ってたらマジでごめんなんだけど、男が好きって噂になって逃げ出した子じゃないかな、その子』
 頭に過った樹くんの声に、俺はぼそりとひとりごちた。
「なんか、なぁ……」
 依人と顔を合わせづらい罪悪感ポイントは、いろいろある。
 たとえば、依人の背景を知ろうとしないまま、「男同士だからって差別するのは」みたいな説教をしたり顔で繰り広げたこと。
 もうひとつは、「俺、男が好きだから」という依人の発言を、勝手に本気じゃないと判断して受け流したこと。
 ……ノンデリとか鈍いとかさんざん言われたけど、そういうことだよな。
 返す返すも、自分の言動が恥ずかしい。
 でも、それ以上に。俺がちゃんと受け止めていたらいろいろ違ったのかな、という後悔のような感情が消えなかったのだ。
「…………帰ろ」
 三度目の溜息を吐き、よろよろと立ち上がる。
 マジでブラザー失格って感じだし、さっきの態度も含めて本当にゴミくずだと思うけど、なんとかちょっとはまともになろう。
 自分に言い聞かせ、俺は談話室をあとにした。