翌朝。
図書室のドアを開けると、机を拭いている湊がいた。
「あ、おはよ……」
声をかけるより先に、湊がこちらを振り向いた。
「名前呼んでいいって、昨日のは本気ですか?」
「ぶっ…………!」
開口一番のそのセリフに、俺は盛大に噎せた。
「なんで……なんでまだ覚えてんの!?」
「“忘れろ”は忘れませんって言いましたよね」
「いやいや、あれは……!」
湊は、布巾を握ったまま、真面目な顔で続けた。
「先輩がああ言うの、珍しいから。……すごく、嬉しかったんです」
「う……」
朝一番から、この破壊力。
昨日のあれは、本当に気まぐれの一言だったはずなのに。
「昨日のは、冗談だって」
「冗談だったら、あんな顔しませんよ」
「っ……!」
まじまじと顔を見られ、思わず視線を逸らす。
湊の言葉は、刺さる。
真っ直ぐすぎて、冗談で流せない。
「……ごめん、変なこと言った」
「変じゃないです。……じゃあ、今日からは苗字で呼びます」
「いや、別にそこまで……」
「じゃあいつか名前で呼んでいいんですよね?」
「だから昨日のは――」
「冗談じゃないって、俺は思ってます」
そう言い切った湊の横顔は、妙に大人びて見えた。
……年下なのに、なんでこんなに真っ直ぐなんだろう。
◇
文化祭シーズンが近づき、図書委員は展示企画の準備に追われていた。
今年は「おすすめ本のブックカフェ風展示」に決定。
その準備のペアに、なぜか俺と湊が組まれることになった。
「二人でやった方が会話のテンポ良さそうだよねー」
という委員長の言葉に、周りも納得した顔。
……俺は複雑だったが。
「志摩先輩、これ掲示用の紙、三枚でいいですか?」
「うん、それで――」
渡された紙を受け取ろうとした瞬間、小指が触れた。
湊は一瞬ぴくっと動いて、すぐに引っ込める。
そして、何事もなかったように淡々と作業に戻った。
――なにその反応。
気にさせたいのか、気にさせたくないのか、どっちなんだよ。
「湊、それ……貼り方すごい綺麗だね」
「え、そうですか?」
「うん。丁寧」
「……志摩先輩が褒めてくれるの、嬉しいです」
ぽそっと言われて、胸の奥がざわついた。
「……なぁ湊」
「はい?」
「最近、敬語、揺れてない?」
「揺れて……ますか?」
「なんか、“ゆ”って言いかけて止まるし」
「…………」
「ほら、今も」
「っ……! ま、間違えました!」
「間違い……?」
「間違いです!」
そう言ってノートを勢いよく閉じた湊の耳は、真っ赤だった。
その赤みが、頭から離れなかった。
……まさか、本当に“名前呼び”を練習してるのか?
そんなこと、あるのか。
いや、湊なら……あるのかもしれない。
◇
放課後、展示の準備が続く日々。
作業の最中、湊はときどき俺をじっと見つめている。
「……なに?」
「いえ。先輩って、本当に優しいから」
「……?」
「俺、いつも助けられてばっかりで。もっとちゃんと、先輩の力になりたいです」
「十分なってるよ」
「……ほんとですか?」
「ほんと。湊は頼りになるよ」
湊は、照れたように笑う。
胸が、すごく温かくなった。
でも――その温かさは、
ある出来事をきっかけに、すれ違いへと変わっていく。
図書室のドアを開けると、机を拭いている湊がいた。
「あ、おはよ……」
声をかけるより先に、湊がこちらを振り向いた。
「名前呼んでいいって、昨日のは本気ですか?」
「ぶっ…………!」
開口一番のそのセリフに、俺は盛大に噎せた。
「なんで……なんでまだ覚えてんの!?」
「“忘れろ”は忘れませんって言いましたよね」
「いやいや、あれは……!」
湊は、布巾を握ったまま、真面目な顔で続けた。
「先輩がああ言うの、珍しいから。……すごく、嬉しかったんです」
「う……」
朝一番から、この破壊力。
昨日のあれは、本当に気まぐれの一言だったはずなのに。
「昨日のは、冗談だって」
「冗談だったら、あんな顔しませんよ」
「っ……!」
まじまじと顔を見られ、思わず視線を逸らす。
湊の言葉は、刺さる。
真っ直ぐすぎて、冗談で流せない。
「……ごめん、変なこと言った」
「変じゃないです。……じゃあ、今日からは苗字で呼びます」
「いや、別にそこまで……」
「じゃあいつか名前で呼んでいいんですよね?」
「だから昨日のは――」
「冗談じゃないって、俺は思ってます」
そう言い切った湊の横顔は、妙に大人びて見えた。
……年下なのに、なんでこんなに真っ直ぐなんだろう。
◇
文化祭シーズンが近づき、図書委員は展示企画の準備に追われていた。
今年は「おすすめ本のブックカフェ風展示」に決定。
その準備のペアに、なぜか俺と湊が組まれることになった。
「二人でやった方が会話のテンポ良さそうだよねー」
という委員長の言葉に、周りも納得した顔。
……俺は複雑だったが。
「志摩先輩、これ掲示用の紙、三枚でいいですか?」
「うん、それで――」
渡された紙を受け取ろうとした瞬間、小指が触れた。
湊は一瞬ぴくっと動いて、すぐに引っ込める。
そして、何事もなかったように淡々と作業に戻った。
――なにその反応。
気にさせたいのか、気にさせたくないのか、どっちなんだよ。
「湊、それ……貼り方すごい綺麗だね」
「え、そうですか?」
「うん。丁寧」
「……志摩先輩が褒めてくれるの、嬉しいです」
ぽそっと言われて、胸の奥がざわついた。
「……なぁ湊」
「はい?」
「最近、敬語、揺れてない?」
「揺れて……ますか?」
「なんか、“ゆ”って言いかけて止まるし」
「…………」
「ほら、今も」
「っ……! ま、間違えました!」
「間違い……?」
「間違いです!」
そう言ってノートを勢いよく閉じた湊の耳は、真っ赤だった。
その赤みが、頭から離れなかった。
……まさか、本当に“名前呼び”を練習してるのか?
そんなこと、あるのか。
いや、湊なら……あるのかもしれない。
◇
放課後、展示の準備が続く日々。
作業の最中、湊はときどき俺をじっと見つめている。
「……なに?」
「いえ。先輩って、本当に優しいから」
「……?」
「俺、いつも助けられてばっかりで。もっとちゃんと、先輩の力になりたいです」
「十分なってるよ」
「……ほんとですか?」
「ほんと。湊は頼りになるよ」
湊は、照れたように笑う。
胸が、すごく温かくなった。
でも――その温かさは、
ある出来事をきっかけに、すれ違いへと変わっていく。



