新学期が始まった四月は、生徒会長になって半年が過ぎ、ようやく「慣れ」というものが自分の身についてきた頃だった。

 僕はいつものように資料の束を抱えて生徒会室に向かい、心の中で今日の段取りを整理していた。
委員会との調整、各部活の体験入部の準備の進捗確認、教務への申請書の提出。それに、生徒からの問い合わせ対応。
生徒会長というのは、人より少しだけ責任が重いだけの立場……そう考えるようにしていたが、それでも胸の奥には常に不安がつきまとう。
 だからこそ、大河大和という前代未聞な一年生が現れたとき、僕は正直どう扱っていいかわからなかった。

「この学校の長は誰だ!!」

 あの日の衝撃は今でも思い返すと胸がざわめく。

 大声を出しながら、僕の心の扉を勢いよく開けた彼。
恐れを知らない堂々とした姿は、正反対の僕からすれば、まぶしいというより、危なっかしいと感じた。
 なぜ、あんなに自信満々でいられるのだろう。それが素直な感想だった。
 その後、色々あって大河くんは“新生徒会長”(仮)として仕事を手伝う流れになったわけで。
 四月早々、生徒会が一年生に乗っ取られた、と周囲が騒いでいたのは言うまでもない。
 もちろん、正式に乗っ取られたわけではないが、勢いでは完全に押し切られていたと思う。

 大河くんは、保守的な僕とは違い、とにかく前に出る人だった。
話す、動く、決める。そのどれもが迷いなく、時には危なっかしいほど真っ直ぐで、見ているこちらが心配になる。
 けれども、始めのうちは上手くやっていって、意見箱を設置して、生徒のお悩みを解決するように動いたり、生徒や市がポスターを貼れる掲示板そのものを増やしたり。他の生徒にも好印象を与えていたと僕は感じた。

 そして案の定、無理をしすぎていたのだ。

 大河くんが新生徒会長に就任してから初めての生徒会会議。彼が主導するはずの議題が、開始五分で混乱しかけていた。

「えっと、この資料の順番……あれ?」
「三ページのデータ、どこに書いてありますか?」
「さっきの話と食い違ってるみたいですけど……」

 委員たちが口々にざわつき始め、大河くんは焦りを隠せずにいる。
いつも強気で堂々としている彼の額に汗がにじみ、目線が迷子になっていく。
 思った通り、資料は予め確認する時間をとるべきだった。
 そう思ったけれど、彼の勢いに押され、僕は任せすぎてしまっていたのかもしれない。
大河くんなら大丈夫だ、と。責任は僕の方にある。
 彼の手が小刻みに震え始めたの目にしたことから、僕は深呼吸をして立ち上がった。

「三ページの表は、こちらの修正版を使ってください。さきほど大河くんからもらったデータを、僕の方でまとめておきました」

 委員たちが安堵し、大河くんがこちらを見た。
驚いたような、それでいてどこか悔しそうな表情。
 その後の会議は無事に進行し、問題なく終了した。が、ほとんどが僕の仲裁によって、成り立っていたと思う。
 委員たちが去った後、生徒会室には僕と大河くんだけが残った。
大河くんは資料を握りしめたまま、しばらく黙っている。

「……悪い。助かった」

 珍しく静かな声だった。
いつもの威勢や強気が消えていて、僕は少しばかり戸惑ってしまう。

「大河くんのせいじゃありません。僕がもっと確認しておくべきでした」

 そう言うと、彼は顔をしかめる。

「いや、おれが……全部ちゃんとやりたかったんだよ。今、生徒会長をやっている以上、みんなの期待に応えたかった」

 初めて、大河くんが“期待”という言葉をきちんと気にしていることを知った。
意外だ。彼は周りの目なんて気にしないタイプだと勝手に思い込んでいたのに。
 ああ、彼も僕と同じ人間なのだ、と。彼の姿を見ると、僕が塞ぎ込んだことで、狭まっていた価値観がより広く、アップデートしていくような感覚を感じる。

「大河くん、僕は最近まで生徒会長という立場でしたから、周りのことを気にしているぶん、余計に周りが鮮明に見えてしまって……」

 僕はゆっくり言葉を選ぶ。どうにかして彼を立て直す言葉を紡ぎたい、と思ったのだ。彼が自信いっぱいなところは、決して短所ではない。他の人にはないれっきとした長所だといえる。
 そんな彼の良さを今日の一件で、殺してしまうことはしたくない。

「みんなが聡明で、才能にあふれているように感じるんです。毎分、毎秒、君たちのいいところばかりが目についてます。大丈夫、一度の失敗で期待することを辞めてしまうなんてことはありません」

 その言葉に、大河くんはぽかんと口を開けた。 

「……小野先輩。そう思えるのに、なんで自己評価低いんだよ?」
「えっ?」

 予想打にしていない返事に狼狽えてしまう。その目はあまりにも純粋で、自分には理解できないと拒絶を突きつけられているようだった。

「それに、小野先輩はできるだろ? 今日だってすぐフォローしてくれたし、頭もいいし……落ち着いてるし……」

 その言い方が、どこか悔しそうで、ほんの少しだけ優しく聞こえた。大河くんって……こんな表情もするのか。
 そう思った瞬間、胸がひどくざわつく。
 理由はわからない。
ただ、彼が“自分のせいじゃない”と言い訳をせずに、純粋に悔しがっていることが、どうしようもなく胸に残った。
 僕の胸に、言葉がまっすぐ突き刺さる。

「自分がだめだって思って生きるより、自分がスゴすぎるって己を過信して生きるほうが、未来に希望も持てるし、もっと明るく考えられるんじゃねぇの?」
「……」

 彼は今までに出会ったことがないタイプだ、と自分の中で結論をつけた。
 猪突猛進で、何も考えずに突っ走っているような見た目をして、実際はよく考えているし、周りのことを見ている。
 自分に圧倒的な自信を持っているからこそ、失敗したときに他人に頼るのが不器用なだけで、みんなに愛される力も持っていた。何度考えても、僕とは……違う。
 
「おれなんてさ、失敗してもそんなの気にしてる時間もったいねぇってなるし。クヨクヨしてて何になるんだって思うし」

 彼の紡ぐ言葉には、嘘も飾りもない。
ただ経験から出た、無垢な強さがある。

「自分はダメだと思ったときは、一度だけ、自分はダメだったと受け入れる。でもこれからはそうじゃねぇ、って前向いて走り続ける。……それが人生だろ」

 僕は胸の内側が熱くなるのを感じた。どうして……こんな言葉がすぐ出てくるんだろう。
 僕より年下なのに、僕よりうんと正しくて、幸せになれる生き方をしていて。
 自信なんて持てない僕には、思いつきもしない発想だった。かっこいいな、大河くん。

「もちろん、ダメなところが一つもない人生なんてない。人は“ダメ”から学んで成長すんだから、ダメなところ無かったら成長できないだろ。それをそのまま糧にすればいいのにな」

 彼の声を聞きながら、僕は小さく息をのむ。気づけば笑っていた。

「……大河くんは、まっすぐですね。本当に」
「は? なんだよ急に」
「いえ。羨ましいと思っただけです。そんなふうに……自分を信じられることが」

 僕が言うと、バツの悪そうに顔をそむける。

「……別に。信じるってか、考える前に走ってるだけだし」

 そこが、すごいんだよ。喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
 不思議な気持ちになる。尊敬とも、憧れとも違うけれど、胸にひっかかるような感情。
 これが何なのか、今の僕はまだ分からないけれど。彼は何か放っておけない。
 ただ──大河くんという存在が、僕の中で確かに色を持ち始めたのは、この日だったと思う。