至って普通で平凡──いや、平凡なんて言葉は僕のような劣等生が使っていい言葉ではない。
 平凡というのは「平均」や「普通」にちゃんと届いている人が名乗っていい称号だ。僕のように常に自信が地面より浅く沈んでいるタイプは、せいぜい「人並み未満」とか「下方乖離型低スペック」のほうが正しいと思う。 
 ……それでも一応、人間として生まれ、十月から縁あって生徒会長になってしまった僕、小野光(おのひかる)は今日も肩身を狭くして生きている。
 基本的には目立つことが苦手な僕だけれど、前生徒会長と縁があったことから生徒会長に推薦されてしまい、最終的には選挙にも当選したのだ。

 四月六日、新学期初日。昨日から初々しい新入生も本校の仲間に加わっている。対して、僕はつつがなく二年生に進級し、例年通り、ひっそりとゴミ虫のように生活していく。
 いや、そう言うのは、むしろゴミ虫に失礼かもしれない。少なくとも彼らは他者に迷惑かけず生きているから。

「し、しつれいしまーす……」

 生徒会室に入る瞬間は、今でも心臓が変な拍動をする。
入室音が大きすぎないか、声が裏返っていないか、誰かに見られて変な顔をされないか……そんな細かいことばかり気にしてしまう。

 扉をそっと開けると、生徒会のメンバーが僕が来たことにも気付かずに談笑していた。
 羨ましい。僕には縁がないような人間らしいコミュニケーションをしていて、心から羨ましい。

「会長、お疲れさまです」
「わっ」

 背後から声が落ちてきた瞬間、僕は反射的に身体を跳ねさせて尻餅をついた。床の冷たさが制服越しに尻に染みる。

瀬戸(せと)くん……後ろから話しかけるの、ほんと心臓に悪いからやめてください……」

 生徒会、書記の瀬戸くん。彼は生徒会で唯一の二年生の生徒だ。
 いつも影が薄いのは僕だけだと思っていた。
 でも、瀬戸くんはたいていこうやって突然背後から姿を現す。
 ただ意図的に気配を消しているような気がしてならないのは、気のせいだろうか。ある意味、これは彼の才能なのかもしれない。

「会長が察知してくれると助かります」
「善処します……」

 善処するにも限界はある。僕のレーダーは基本的に作動していない。目の前の情報を頭に入れるので、精一杯だからだ。

「あっ、小野会長に瀬戸〜、今日も時間ぴったりの到着だっ」
横田(よこた)先輩、集合時間丁度ではなく、普段と同じ五分前です」
「細か〜い、瀬戸」

 明るくて賑やかな横田さんは、生徒会で会計をつとめている。
 ギャルっぽい見た目と喋り方でありながら、こうしていつも気さくに声をかけてくれるのが、本当にありがたい。僕みたいな陰アリの生徒と普通に会話してくれているだけで泣けてきてしまう。

 この高校の生徒会は、会計、書記は選挙前のテストで各学年で学年一位を取った生徒が任意でつとめ、会長、副会長は無条件で立候補した者が役員選挙で選ばれる仕組みとなっている。
 役員の任意期間は翌年の十月までで、当時、一年生で成績トップだった瀬戸くんが書記、二年生でトップだった横田さんが会計なのだ。

「会長、今日はなんだかいつもに増して不幸オーラが……何かあったの?」

 その隣で、お嬢さまのようにふわりとした佇まいの副会長、西野(にしの)さんは、今日も柔らかい笑みを浮かべていた。
 優しさが胸に刺さる。こんな優しい人に心配されるような器じゃないのに。

「いや……一年生を見てたら、憧れて入った学校の生徒会長が僕なんかで、がっかりするだろうなって思ってしまって……」

 自分で口にして、さらに落ち込んだ。
不安は声にすると重くなる。空気よりもずっと重く。

「相変わらず、自己肯定感が低いですね。会長は」

 こんなときでも瀬戸くんは僕のどんよりとしたオーラにのみ込まれない。必要な資料をまとめながら平然と言う。
 他の二人は慣れた様子で、苦笑いしていた。

「まあ、そういう意味なら、入学式に目立ってる一年生いたよね〜」

 重い空気を変えるように、横田さんがソファに腰掛ける。ただ、彼女の言うことには全く持って心当たりがない。
 入学式早々にやらかした生徒でもいたとでもいうのか。

「そうなんですか? 僕、途中で離席したので……」

 入学式は例年、在校生を代表して生徒会メンバーも同席することになっていた。しかし、昨日の腹痛は、きっと僕史上最大の羞恥といえる。
 在校生代表の言葉を述べるために、壇上にあがった瞬間、頭が真っ白になった。なんとか、覚えていた言葉を全て口にし終えて、その後は冷や汗とともに保健室へと退散しまったこと。思い出すだけで胃がキリキリし始める。

「新入生代表の挨拶で、“おれはこの学校のトップになる!”みたいなことを言ってた子がいたのっ!」
「横田先輩、盛りすぎです。会長の精神が崩壊します」

 トップって……何の?
 何が?
 僕の、ポジション……? 生徒のトップならば、つまり、生徒会長になりたいということなのかもしれない。
 心臓が、嫌な予感を立てて早鐘を打つ。
 一旦落ち着こう。次の生徒会役員選挙は三年生は立候補できないからバトルになることもないし、何も問題は起こらないはずだ。

「髪色が明るくて背が高くてニコニコしていて、すっごい元気な男の子よね。覚えてる」

 西野さんまでもが、話を深堀し始めている。話の内容が入ってこなくて、頭がパンクしそうだった。
 新入生代表の挨拶なら、入試の成績が首席というわけで。もっと聡明な生徒を想像することはやむを得ないのだから。

「そうそう、いかにも“彼”って感じで──」
「え?」

 “彼”という代名詞が発された途端、室内の空気が張り詰めた。この生徒会室には、生徒会役員である僕たちしかいないはずなのである。ひとまず、冷静になって室内の人数を確認してみようと試みた。
 いち、に、さん、し…………ご?
 生徒会は全四人で構成されているのにも関わらず、生徒会室にいる人数は何度数えても五人になる。

「──この学校の(おさ)は誰だ!!」

 突如として、雷みたいな声が室内に響き渡った。同時に、僕の平穏な日々が完全に終わった音もしていたと思う。
 いつの間にか、僕と瀬戸くんの間には、容姿の整った見知らぬ男の子が立ちはだかっていた。

「長……? 生徒会長のこと?」
「ああ、正しくその生徒会長という奴だ!」

 恐らく、彼は先程の話題でいう入学式で目立っていた人、張本人なのであろう。一年生とは思えない迫力で堂々と振る舞っている。
 染められた色の薄い髪の毛が光を弾いていて、僕より身体は大きく、眼力は強く、笑顔が普通の人の三倍はキラキラとしてる。第一印象は
場の空気を、一人で塗り替えていくタイプの人間。
 逆に僕は空気に同化するタイプの人間である。はなからスペックが違う。

「君の隣にいる彼です」
「即売った」
「売ったね……」

 売られた、まさかの瀬戸くんに。ものの一秒だった。
 面倒事に巻き込まれたくないのはわかるけども。

「おい、お前。おれに生徒会長の座を譲るんだ」

 彼は今なんと言ったのか。生徒会長という立場を譲ってくれと聞こえた気がするが、きっと気のせいだ。
 念の為、もう一度聞いてみよう。

「え……い、今なんて?」
「生徒会長の座を譲れと言っている!」

 いや、やはり一言一句しっかり頭の中で咀嚼しても、そう言っている。どうしてそんな直球を投げられるのか理解ができなかった。僕なら、そんな大それたことは心の中の隅っこでだけ妄想して、一生言葉にしない。
 そんなことを口にする自信を持っていないからだ。

 でも、彼は違う。
まっすぐで、臆病さの欠片もない。
まるで自分の素晴らしさを信じ切っているような立ち姿。
 僕は気付いていた。
 羨ましい。怖い。そんな感情が脳裏に過るが、今一番割合を占めている感情は、確実に、『眩しい』だということを。

「会長、血迷わないでください。相手はcrazyです。会長には及びません」

 目を見開いたまま、うんともすんとも言わない僕を前後に揺さぶって、瀬戸くんは僕の意識を回復させようとした。
 申し訳ないが、今は正気を取り戻せそうにない。

「即売ったのに庇うのね……瀬戸くん……」
「おれがcrazyだと!? この学校に首席で入学した期待のルーキーだぞ!」
「小野会長も首席だよん〜」

 横田さんが、さらっと僕の唯一の長所を暴露する。やめて。そんなの……そんなの僕には過ぎた話なんだから。
 首席だったのは入試だけで、今の成績トップは紛れもなく横田さんだし。

 辺りが混沌に包まれている中、空気を変えるように、西野さんが手を一度叩く。

「まず、なぜ生徒会長になりたいのか教えてくれないかしら? 理由もなく突っ走ってるようにしか見えないの」

 彼女の言うことは正論であるが、新入生の彼はハッとした様子。
 教室の雰囲気をまとめられないダメダメな僕に代わり、副会長として、こうやってサポートしてくれるところは、とても助かっていた。

「そうですね。会長も混乱して固まっていますし……」
「一応、生徒会長は選挙を経て正式に任されてるんだから、簡単に譲るわけにはいかないよ〜」

 彼女たちの言葉に、少し救われた。必死になって、こんな僕の立場を守ろうとしてくれるなんて。
 でも、当の彼は胸を張って宣言していく。

「生徒会長の座を欲しい理由は──おれがすごいからだ!」

 僕たちは刹那にして、静まり返る。自信がある……ってこういうことを言うのか?
 僕が生まれてこのかた一度も抱いたことのない発想だ。
 他の三人は、表情からしてドン引きしているのかもしれないが、僕は思わず関心してしまう。

「おれがすごい以外に理由はいらないだろ? すごい人が生徒会長になれば学校もその生徒もすごくなる」

 迷いがない。
自分の価値を、疑っていなかった。彼の言葉はあまりに純粋で、少しだけ胸が痛んだ。
 僕も、こんなふうに自分を心から「すごい」なんて思えたら──何か、変われたんだろうか。

「……名前は?」

 思いがけず、そんなことを問いかける。

大河大和(たいがやまと)だ!」

 彼は名前まで力強い。よく似合っているとも感じた。僕の名前は『光』で、本人とは打って変わっていて名前負けしているというのに。

「大河くん……君は堂々としてて素晴らしいので、生徒会長の座を──」
「早まらないで! 会長!」

 生徒会長だけが着けることの許される腕章を脱ぎ捨て、大河くんの手にそっと握らせる。
 静止の声が聞こえた気がしたが、僕は止まれない。

「いいんじゃないですか?」
「瀬戸くんまで!?」

 瀬戸くんはまとめ終えた書類を更に整頓する余裕があるほどに平然としていた。
 一方で、女子二人は焦った様子で僕らを見つめる。

「もちろん完全に任せるわけではありません。期間限定の“代行”です。やらせてみれば、会長がなぜ会長になったのか理解できますよ」
「ほんとうか! あざっす」

 ……頭が追いつかない。

 いや、追いつかなくても勝手に物事は進む。
僕の意志なんて、最初から大した効力はない。

「大丈夫なのかしら……」

 西野さんのつぶやきが、妙に現実感をもって胸に落ちる。
 こうして、大河大和という一年生に、本校の生徒会は“乗っ取られた”。
 いや、乗っ取られたというより、自ら扉を開けて差し出してしまったのかもしれない。
彼の勢いに押され、眩しさに呑まれ、心の奥の小さな何かが揺らいだから。
 大河くんが笑った。
満面の笑み。

 太陽みたいにまぶしくて、まっすぐで、恐ろしくて、でもなぜだか……ほんの少し、素敵だと思ってしまった。
 これが、すべての始まりだった。
僕の、小さな世界の殻が壊れていく音を聞いた気がした。