校門の外に出てからも、黒田はずっとおれの腕から手を離さなかった。脇目もふらず、ただ前を向いて黙ったままおれを引っ張って歩いている。時折すれ違う人がおれ達に物珍しそうな視線を向けても黒田はそれを気にするような様子など少しも見せず、自分の歩幅ですたすたと進んでいく。
いつもと違う黒田の様子に気圧されて、おれは何も言うことができずただ黒田に引っ張られるままだった。
駅にだいぶ近づいてきたところで、黒田の足は駅とは違う方向へと進み出した。こっちはあのショッピングモールがある方角だ。
あの短い橋の下を流れる川は今日も相変わらず濁っている。橋の真ん中あたりまで来たところでようやく周りに人の姿が見えなくなっていることに気付いて、おれは足を止めると黒田の手を強引に振り解いた。それまで黒田に引っ張られるまま歩いてたから、おれがいきなり抵抗するとは思っていなかったのだろう。やっと黒田は立ち止まってこっちを向いた。
「何なんだよ! いきなり引っ張って、勝手なことばっか……」
周りに誰もいなくなってからでないと抵抗できないってのが自分でも情けないけど、このまま黙ってるわけにもいかない。でも、おれを見る黒田は表情ひとつ変えず静かに答えた。
「最初に一緒に帰ろうと言ってきたのは鈴原の方だろう」
「そ、そうだけど……黒田は今日、塾だって」
「そんなのどうでもいい。それより、俺に何か話があるから声をかけてきたんだろ?」
「……」
「学校じゃ言いにくいだろうから、今ここで聞く。何が言いたい」
何が言いたいって、なんだよそれ。おれに言いたいことがあるのは、黒田の方じゃないのかよ?
黒田がおれに何か話したいことがあるんだと思ったから、吉野もそう言ってたから、だから思い切って一緒に帰ろうって誘ったのに。一度は断ったくせに、後になって勝手に約束があるとか言い出して強引に引っ張ってきて、もうやってることが無茶苦茶だろ。
なんでいつもそうなんだよ。自分のことばっかりで、おれの気持ちなんかちっとも見ようとしてくれないくせに。自分の気持ちだけ一方的に押しつけておいて、おれの気持ちは無視かよ。
「……じゃあ、聞くけど」
カバンの持ち手をぎゅっと握りしめる。どのみち、いつかはちゃんと聞かなきゃいけなかったことだ。そう分かっていても、指先が小さく震えている。
「この前、駅で……言ったこと、覚えてる?」
「忘れるわけがないだろ」
さっきからこいつは動揺しているような素振りを全く見せない。いつもの仏頂面で、抑揚のない声で淡々と答えてくる。
橋の向こうで傾き始めた日の光が、黒田の眼鏡の縁に当たって淡い山吹色に光っている。それをまともに見ていると目が眩みそうで、おれはわずかに下を向いた。
「黒田が言った『好きな奴』ってのは……おれのことだって、そう思っていいの? この解釈で合ってる?」
「あの状況で、他に誰がいるんだ」
黒田は少しあきれたように、ため息交じりにそう返した。何だか自分がとんでもなく間抜けなことを聞いてしまったような気がしてきて、頬が熱くなるのを感じる。いや、確かに黒田からすれば間抜けな質問だったかもしれないけど、おれの勘違いって可能性もあるから先にそれを確認したかっただけなのに、何もそんなバカにしたような言い方しなくたっていいだろ。
「だって……あんなふうに怒りながら、好きとか……言われても、信じらんないし」
「……それは、悪かった。ごめん」
やっと黒田は少しばつが悪そうな顔をした。無神経だけど、こいつなりにあの言い方は良くなかったってあれからずっと気にしてたのかな。だったら少しは気にしてるような態度を見せてくれたら、おれだってもっと早く黒田に話しかけられたかもしれないのに。
黒田の言う『好き』が、おれの思う好きって気持ちと同じとは限らない。今だって黒田は、おれの知ってる『好き』とは全く別の意味でそう言ってるのかもしれない。
髪の色が好き。顔が好き。見た目が好き。
それだって全部好きであることに違いはないのかもしれない。でも、おれの思う好きって気持ちはそういうものじゃない。それだけじゃなくて。
「黒田は、なんでおれが好きなの?」
どう聞いたらいいのか分からない。この聞き方で、おれの求めてる答えが返ってくるのかも分からない。
だけど、おれはそれが知りたい。おれが黒田にずっと聞きたかったことは、きっとそれだけだったから。
「なんで、って……」
黒田は戸惑ったように口をつぐんでしまった。面倒くさい奴だと思われてるんだろうしおれだってそう思うけど、これは今ちゃんと聞かないといけないことだ。
「おれの髪が赤いから? おれの地毛が珍しい色してるから?」
「違う」
おれの予想に反して黒田は即答した。どうせまた黙り込むだろうと思ってたから、聞いたおれの方が面食らってしまう。
すると、黒田はおれから目を逸らして自分の頭に手をやった。
「あ、いや……それもあるから、まるっきり違うってわけではないけど」
黒田にしては珍しく、奥歯に物が挟まったような何ともはっきりしない言い方だ。
「……」
もしかして黒田、緊張してんのかな。顔がいつもよりうっすら赤く見えるのは、夕日が当たってるせいだけじゃないのかもしれない。
そう思うと何だかこっちまで変に緊張してきて、意味もなく橋の向こうに視線を逸らした。
しばらくの間、おれも黒田も黙っていた。おれの方から何か言った方がいいのか、それとも黒田が何か言うのを待つべきなのか、いくら考えても分からない。
どのくらいそうしていただろうか、ようやく先に口を開いたのは黒田の方だった。
「最初は髪が綺麗だから気になるんだと思ってた。鈴原の髪は珍しい色だし、どこにいても自然と目が留まるから。気が付いたら目で追うようになってた」
そろそろと視線を黒田に戻す。黒田はおれの方を向いているけど、少しまつ毛を伏せて自分の足元に視線を落としている。
「でも鈴原は、見た目と中身が全然違う。丈夫そうに見えるのにボールがぶつかったくらいで失神するし、いつも無駄に明るくてうるさいのに昔はいじめられてたとか言うし、意外と鈍臭いから簡単に橋から落ちそうになったりする」
「ど、鈍臭いって……」
こいつ、黙って聞いてりゃ好き勝手なことばっか言いやがって。確かにあの時、ここで橋の欄干から落ちそうになったのは自分でもダサすぎると思うけど、なんでよりによって今そんなことを蒸し返すんだ。おれの心の傷口に塩を塗り込む気か。
「危なっかしくてしょうがないんだよ。どこにいても、何をしてても、目が離せない」
黒田は顔を上げて、おれを真っ直ぐに見た。夕日のせいなんかじゃない、黒田の頬は上気したように赤く染まっている。
「……気になって、仕方ないんだ」
それじゃ答えになってないだろ。そう思ったけど、言えなかった。黒田の真剣な目が冗談や嘘を言っているようには見えなかったから。
黒田の言葉はあまりにも真っ直ぐで飾り気がなくて、だからこそ黒田の気持ちがはっきりと伝わってくる。おれがずっと欲しかった言葉を全部飛び越えて、それよりもっとありのままの黒田の気持ちをおれに伝えてくる。
どうしたら黒田の本心を聞き出せるのか、そんなことばっかり考えて黒田に話しかけることさえできずにいた自分が恥ずかしくて、おれはまた下を向いた。路面にふたつの影が長く伸びている。夕日を受けてできた、おれと黒田の影だ。おれと黒田の身長差はそんなに大きくないはずなのに、影で見ると黒田の方がおれよりもやけに大きく見えた。
「じゃあ、なんでずっとおれのこと見てないんだよ」
「え……」
長く伸びた黒田の影は、おれの影を見ている。おれは顔を上げられなかった。
「ジョゼットだけじゃなくて、綺麗な髪の子がいたらよそ見ばっかしてさ。おれから目が離せないなんて嘘じゃん。黒田って明るい髪色の子なら誰だっていいんだろ」
おれ、なに言ってんだろ。こんなこと言うつもりじゃなかったのに。
「よそ見すんのやめろよ。なんでおれのことだけ見てられないんだよ?」
「……」
黒田の影はぴくりとも動かない。ただそこに突っ立ったまま黙っている。
何か言えよ。おれ一人でこんなべらべら喋ってて、バカみたいじゃんか。
おれが黙ると、黒田は小さくため息をついた。
「それは、やきもちか」
「なっ……ば、バッカじゃねーの!? お前な、思い上がるのも大概にしろよ」
思わず顔を上げてしまったけど、黒田はやっぱりムスッとした不機嫌そうな表情でおれをじっと見ている。
「自分で言ってて分からないのか? そういうのをやきもちって言うんだ」
「黒田が悪いんだろ!? おれと一緒にいても他の髪が綺麗な子ばっかり見てるから! そんなんでおれのこと好きなんて言われたって信じられるわけねーだろ!」
「俺がいつよそ見した?」
「うわ、無自覚で見てたのかよ。このムッツリスケベ」
「ムッツリって……お前なあ、いい加減にしろよ。俺は」
「本っ当に髪さえ綺麗なら誰だっていいんだな、お前。相手が男でもそういう目で見るって、見境なさ過ぎて引くわ」
不意に腕を掴まれて、ぐいと強く引き寄せられた。黒田との距離が瞬きするより短い間に消えてしまう。目を逸らすことさえ許されないほどすぐ近くで、黒田は眼鏡の奥の目を細めておれを睨んでいる。
「もういい。これ以上話しても時間の無駄だ」
「え……あっ」
肩を、背中を、力強い腕で抱きしめられた。
一瞬だけ視界が暗くなって、電車の中で黒田に抱きしめられたあの時のことを全身が思い出す。身体の奥で熱が疼き出す、忘れもしないあの感覚を。
「はっ……な、せよ! 勝手に触んな! このムッツリスケベ!」
「いてっ、暴れるなバカ!」
咄嗟に黒田の腕を叩いたり脚を蹴ったりして力の限り抵抗したけど、黒田の腕はびくともしなかった。がっしりとおれの身体を抱え込んで絶対に逃がそうとしない。こいつ、どう見たっておれの腕より細いのに、どこからこんな力が出せるんだ?
「こういう時くらい、少しは大人しくできないのか」
「なんだよ、こういう時って」
「だから……」
黒田の手がおれの髪を撫でた。抱きしめる腕は力強いのに、髪に触れるその手つきはまるで生まれたての子猫を撫でるみたいに優しい。
「……卑怯者」
「やっと大人しくなった」
すぐ耳元で黒田がため息をついて、その吐息が耳たぶに触れる。くすぐったいようなじっとしていられないような変な感じがして、おれはぎゅっと唇を噛んだ。
「鈴原は単純だから、口で説明するより行動で示した方が分かりやすいのかもな」
「ケンカ売ってんのか」
ふふっと喉の奥で小さく笑う声がした。
黒田が、笑ってる。顔は見えないけど、そう分かっただけで今までずっと強張っていた胸の奥がゆっくりと解けていく。
黒田に触られるのが怖かった。触られるとそこだけ熱くなっていつまで経ってもそのままだし、身体の奥が変に疼いてじっとしていられなくなる。心臓が勝手にバクバク鳴ってうるさい。こんなのおれじゃない、おれの知らない自分になるのが怖くて、ずっと黒田を避けていた。
触られないように。触られたらきっと、黒田に気付かれてしまうから。おれがこんなにドキドキしていることを、黒田に知られてしまうのがたまらなく怖かったから。
本当はずっと、こんなに触ってほしいと思っていたのに。
「鈴原、前に言ったよな。普通は男同士でベタベタ触らないって。あんなふうに男にくっつかれたら普通は気持ち悪いって」
「……だから何だよ」
「俺は鈴原に触っても、気持ち悪いなんて思ったことは今まで一度もない。だから俺は、普通じゃないんだと思ってた。俺は気持ち悪いと思ってなくても、鈴原の方はそうじゃないのかと思ったら、怖かった」
「……」
「俺と鈴原は違うんだと知ったら、すごく怖くなった。口では嫌な思いをさせたくないって言ってても、心のどこかで大丈夫だと勝手に思い込んでたんだ。一緒に映画を観に行ったくらいで、仲良くなれたつもりでいたから。鈴原も俺と同じだと思ってた」
それまでおれの髪を撫でていた手がふと止まった。その代わりに頭を後ろから押さえられて、背中に回された腕にもぎゅっと力が込められるのを感じる。
「……今まで、悪かったな。嫌な思いさせて」
耳元でもほとんど聞き取れないくらい小さな声でそう呟くと、黒田はおれの両腕をそっと押して離れた。
嫌な思いってなんだよ。嫌なんて、おれは今まで一度も言った覚えはないのに。
なんでお前っていつもそうなんだよ。自分一人で勝手に考えて勝手に結論出して、自分の言いたいことだけ押しつけて、おれの気持ちは無視して。おれが本当はどう思ってるかなんて、見ようともしてくれないくせに。
分かったような顔するなよ。分かったようなこと言うなよ。
本当はおれのことなんて、何も知らないくせに。
「おれは、嫌な思いなんかしてない」
「え……」
おれの腕から離れようとしていた黒田の両手を掴み、逃がさないようにぎゅっと握りしめた。黒田の手は少しだけひんやりと冷たい。
「黒田に触られて、嫌だとかキモいなんて思ったことは一回もない」
ここまではっきり言わないと分からないなんて、おれはこいつの鈍さを甘く見ていたのかもしれない。頭は良いくせに無神経だし鈍感だし、おれのことなんて何も分かってない。なのに何もかも分かったような顔して、おれの本当に聞きたいことは何も教えてくれない。
何だかだんだん腹が立ってきて、黒田の目を正面から見据えた。黒田は少し戸惑ったようにおれを見ている。
「おれが何を嫌だと思うかなんて、黒田に分かるわけないだろ。勝手に決めんな、バカ」
橋の向こうで、今にも沈みそうな夕日が燃えるようなオレンジ色の光を放っている。その光に照らされた黒田の頬は、まだほのかに赤く染まって見えた。おれの目にそう見えるだけなのかもしれない。そうだったらいいなって思うおれの気持ちがそう見せているだけで、実際の黒田の顔は赤くなんてなっていないのかもしれない。
「……じゃあ、俺の都合のいいように解釈するからな」
「な、なにが」
一瞬、心の声を読まれたのかと思って心臓がドクンと跳ねた。黒田は少し怒ったような顔でおれをじっと見ている。
「さっき言ってたことは、やっぱりやきもちだって。鈴原は俺のことが好きだから、俺によそ見されるのが嫌なんだって」
「……」
「答えないってことは、肯定だと受け取っていいんだな」
きっと黒田の目にも、今のおれは真っ赤な顔をしているように見えてるんだろう。そう思うと今更隠したって何の意味もない気がして、もうほとんどヤケクソみたいな勢いで開き直ることにした。
「……そうだよ! そのくらい空気読んで察しろ、この鈍感!」
また黒田の腕の中に閉じ込められた瞬間、橋の向こうで夕日が完全に沈んだ。わずかに残っていたオレンジ色の光がふっと消えて、夜の暗さがあたりをゆっくりと包んでいく。
「ごめん。今後は気を付ける」
そう言いながら、黒田はおれを抱きしめる腕にぎゅっと力を込めた。
いつもと違う黒田の様子に気圧されて、おれは何も言うことができずただ黒田に引っ張られるままだった。
駅にだいぶ近づいてきたところで、黒田の足は駅とは違う方向へと進み出した。こっちはあのショッピングモールがある方角だ。
あの短い橋の下を流れる川は今日も相変わらず濁っている。橋の真ん中あたりまで来たところでようやく周りに人の姿が見えなくなっていることに気付いて、おれは足を止めると黒田の手を強引に振り解いた。それまで黒田に引っ張られるまま歩いてたから、おれがいきなり抵抗するとは思っていなかったのだろう。やっと黒田は立ち止まってこっちを向いた。
「何なんだよ! いきなり引っ張って、勝手なことばっか……」
周りに誰もいなくなってからでないと抵抗できないってのが自分でも情けないけど、このまま黙ってるわけにもいかない。でも、おれを見る黒田は表情ひとつ変えず静かに答えた。
「最初に一緒に帰ろうと言ってきたのは鈴原の方だろう」
「そ、そうだけど……黒田は今日、塾だって」
「そんなのどうでもいい。それより、俺に何か話があるから声をかけてきたんだろ?」
「……」
「学校じゃ言いにくいだろうから、今ここで聞く。何が言いたい」
何が言いたいって、なんだよそれ。おれに言いたいことがあるのは、黒田の方じゃないのかよ?
黒田がおれに何か話したいことがあるんだと思ったから、吉野もそう言ってたから、だから思い切って一緒に帰ろうって誘ったのに。一度は断ったくせに、後になって勝手に約束があるとか言い出して強引に引っ張ってきて、もうやってることが無茶苦茶だろ。
なんでいつもそうなんだよ。自分のことばっかりで、おれの気持ちなんかちっとも見ようとしてくれないくせに。自分の気持ちだけ一方的に押しつけておいて、おれの気持ちは無視かよ。
「……じゃあ、聞くけど」
カバンの持ち手をぎゅっと握りしめる。どのみち、いつかはちゃんと聞かなきゃいけなかったことだ。そう分かっていても、指先が小さく震えている。
「この前、駅で……言ったこと、覚えてる?」
「忘れるわけがないだろ」
さっきからこいつは動揺しているような素振りを全く見せない。いつもの仏頂面で、抑揚のない声で淡々と答えてくる。
橋の向こうで傾き始めた日の光が、黒田の眼鏡の縁に当たって淡い山吹色に光っている。それをまともに見ていると目が眩みそうで、おれはわずかに下を向いた。
「黒田が言った『好きな奴』ってのは……おれのことだって、そう思っていいの? この解釈で合ってる?」
「あの状況で、他に誰がいるんだ」
黒田は少しあきれたように、ため息交じりにそう返した。何だか自分がとんでもなく間抜けなことを聞いてしまったような気がしてきて、頬が熱くなるのを感じる。いや、確かに黒田からすれば間抜けな質問だったかもしれないけど、おれの勘違いって可能性もあるから先にそれを確認したかっただけなのに、何もそんなバカにしたような言い方しなくたっていいだろ。
「だって……あんなふうに怒りながら、好きとか……言われても、信じらんないし」
「……それは、悪かった。ごめん」
やっと黒田は少しばつが悪そうな顔をした。無神経だけど、こいつなりにあの言い方は良くなかったってあれからずっと気にしてたのかな。だったら少しは気にしてるような態度を見せてくれたら、おれだってもっと早く黒田に話しかけられたかもしれないのに。
黒田の言う『好き』が、おれの思う好きって気持ちと同じとは限らない。今だって黒田は、おれの知ってる『好き』とは全く別の意味でそう言ってるのかもしれない。
髪の色が好き。顔が好き。見た目が好き。
それだって全部好きであることに違いはないのかもしれない。でも、おれの思う好きって気持ちはそういうものじゃない。それだけじゃなくて。
「黒田は、なんでおれが好きなの?」
どう聞いたらいいのか分からない。この聞き方で、おれの求めてる答えが返ってくるのかも分からない。
だけど、おれはそれが知りたい。おれが黒田にずっと聞きたかったことは、きっとそれだけだったから。
「なんで、って……」
黒田は戸惑ったように口をつぐんでしまった。面倒くさい奴だと思われてるんだろうしおれだってそう思うけど、これは今ちゃんと聞かないといけないことだ。
「おれの髪が赤いから? おれの地毛が珍しい色してるから?」
「違う」
おれの予想に反して黒田は即答した。どうせまた黙り込むだろうと思ってたから、聞いたおれの方が面食らってしまう。
すると、黒田はおれから目を逸らして自分の頭に手をやった。
「あ、いや……それもあるから、まるっきり違うってわけではないけど」
黒田にしては珍しく、奥歯に物が挟まったような何ともはっきりしない言い方だ。
「……」
もしかして黒田、緊張してんのかな。顔がいつもよりうっすら赤く見えるのは、夕日が当たってるせいだけじゃないのかもしれない。
そう思うと何だかこっちまで変に緊張してきて、意味もなく橋の向こうに視線を逸らした。
しばらくの間、おれも黒田も黙っていた。おれの方から何か言った方がいいのか、それとも黒田が何か言うのを待つべきなのか、いくら考えても分からない。
どのくらいそうしていただろうか、ようやく先に口を開いたのは黒田の方だった。
「最初は髪が綺麗だから気になるんだと思ってた。鈴原の髪は珍しい色だし、どこにいても自然と目が留まるから。気が付いたら目で追うようになってた」
そろそろと視線を黒田に戻す。黒田はおれの方を向いているけど、少しまつ毛を伏せて自分の足元に視線を落としている。
「でも鈴原は、見た目と中身が全然違う。丈夫そうに見えるのにボールがぶつかったくらいで失神するし、いつも無駄に明るくてうるさいのに昔はいじめられてたとか言うし、意外と鈍臭いから簡単に橋から落ちそうになったりする」
「ど、鈍臭いって……」
こいつ、黙って聞いてりゃ好き勝手なことばっか言いやがって。確かにあの時、ここで橋の欄干から落ちそうになったのは自分でもダサすぎると思うけど、なんでよりによって今そんなことを蒸し返すんだ。おれの心の傷口に塩を塗り込む気か。
「危なっかしくてしょうがないんだよ。どこにいても、何をしてても、目が離せない」
黒田は顔を上げて、おれを真っ直ぐに見た。夕日のせいなんかじゃない、黒田の頬は上気したように赤く染まっている。
「……気になって、仕方ないんだ」
それじゃ答えになってないだろ。そう思ったけど、言えなかった。黒田の真剣な目が冗談や嘘を言っているようには見えなかったから。
黒田の言葉はあまりにも真っ直ぐで飾り気がなくて、だからこそ黒田の気持ちがはっきりと伝わってくる。おれがずっと欲しかった言葉を全部飛び越えて、それよりもっとありのままの黒田の気持ちをおれに伝えてくる。
どうしたら黒田の本心を聞き出せるのか、そんなことばっかり考えて黒田に話しかけることさえできずにいた自分が恥ずかしくて、おれはまた下を向いた。路面にふたつの影が長く伸びている。夕日を受けてできた、おれと黒田の影だ。おれと黒田の身長差はそんなに大きくないはずなのに、影で見ると黒田の方がおれよりもやけに大きく見えた。
「じゃあ、なんでずっとおれのこと見てないんだよ」
「え……」
長く伸びた黒田の影は、おれの影を見ている。おれは顔を上げられなかった。
「ジョゼットだけじゃなくて、綺麗な髪の子がいたらよそ見ばっかしてさ。おれから目が離せないなんて嘘じゃん。黒田って明るい髪色の子なら誰だっていいんだろ」
おれ、なに言ってんだろ。こんなこと言うつもりじゃなかったのに。
「よそ見すんのやめろよ。なんでおれのことだけ見てられないんだよ?」
「……」
黒田の影はぴくりとも動かない。ただそこに突っ立ったまま黙っている。
何か言えよ。おれ一人でこんなべらべら喋ってて、バカみたいじゃんか。
おれが黙ると、黒田は小さくため息をついた。
「それは、やきもちか」
「なっ……ば、バッカじゃねーの!? お前な、思い上がるのも大概にしろよ」
思わず顔を上げてしまったけど、黒田はやっぱりムスッとした不機嫌そうな表情でおれをじっと見ている。
「自分で言ってて分からないのか? そういうのをやきもちって言うんだ」
「黒田が悪いんだろ!? おれと一緒にいても他の髪が綺麗な子ばっかり見てるから! そんなんでおれのこと好きなんて言われたって信じられるわけねーだろ!」
「俺がいつよそ見した?」
「うわ、無自覚で見てたのかよ。このムッツリスケベ」
「ムッツリって……お前なあ、いい加減にしろよ。俺は」
「本っ当に髪さえ綺麗なら誰だっていいんだな、お前。相手が男でもそういう目で見るって、見境なさ過ぎて引くわ」
不意に腕を掴まれて、ぐいと強く引き寄せられた。黒田との距離が瞬きするより短い間に消えてしまう。目を逸らすことさえ許されないほどすぐ近くで、黒田は眼鏡の奥の目を細めておれを睨んでいる。
「もういい。これ以上話しても時間の無駄だ」
「え……あっ」
肩を、背中を、力強い腕で抱きしめられた。
一瞬だけ視界が暗くなって、電車の中で黒田に抱きしめられたあの時のことを全身が思い出す。身体の奥で熱が疼き出す、忘れもしないあの感覚を。
「はっ……な、せよ! 勝手に触んな! このムッツリスケベ!」
「いてっ、暴れるなバカ!」
咄嗟に黒田の腕を叩いたり脚を蹴ったりして力の限り抵抗したけど、黒田の腕はびくともしなかった。がっしりとおれの身体を抱え込んで絶対に逃がそうとしない。こいつ、どう見たっておれの腕より細いのに、どこからこんな力が出せるんだ?
「こういう時くらい、少しは大人しくできないのか」
「なんだよ、こういう時って」
「だから……」
黒田の手がおれの髪を撫でた。抱きしめる腕は力強いのに、髪に触れるその手つきはまるで生まれたての子猫を撫でるみたいに優しい。
「……卑怯者」
「やっと大人しくなった」
すぐ耳元で黒田がため息をついて、その吐息が耳たぶに触れる。くすぐったいようなじっとしていられないような変な感じがして、おれはぎゅっと唇を噛んだ。
「鈴原は単純だから、口で説明するより行動で示した方が分かりやすいのかもな」
「ケンカ売ってんのか」
ふふっと喉の奥で小さく笑う声がした。
黒田が、笑ってる。顔は見えないけど、そう分かっただけで今までずっと強張っていた胸の奥がゆっくりと解けていく。
黒田に触られるのが怖かった。触られるとそこだけ熱くなっていつまで経ってもそのままだし、身体の奥が変に疼いてじっとしていられなくなる。心臓が勝手にバクバク鳴ってうるさい。こんなのおれじゃない、おれの知らない自分になるのが怖くて、ずっと黒田を避けていた。
触られないように。触られたらきっと、黒田に気付かれてしまうから。おれがこんなにドキドキしていることを、黒田に知られてしまうのがたまらなく怖かったから。
本当はずっと、こんなに触ってほしいと思っていたのに。
「鈴原、前に言ったよな。普通は男同士でベタベタ触らないって。あんなふうに男にくっつかれたら普通は気持ち悪いって」
「……だから何だよ」
「俺は鈴原に触っても、気持ち悪いなんて思ったことは今まで一度もない。だから俺は、普通じゃないんだと思ってた。俺は気持ち悪いと思ってなくても、鈴原の方はそうじゃないのかと思ったら、怖かった」
「……」
「俺と鈴原は違うんだと知ったら、すごく怖くなった。口では嫌な思いをさせたくないって言ってても、心のどこかで大丈夫だと勝手に思い込んでたんだ。一緒に映画を観に行ったくらいで、仲良くなれたつもりでいたから。鈴原も俺と同じだと思ってた」
それまでおれの髪を撫でていた手がふと止まった。その代わりに頭を後ろから押さえられて、背中に回された腕にもぎゅっと力が込められるのを感じる。
「……今まで、悪かったな。嫌な思いさせて」
耳元でもほとんど聞き取れないくらい小さな声でそう呟くと、黒田はおれの両腕をそっと押して離れた。
嫌な思いってなんだよ。嫌なんて、おれは今まで一度も言った覚えはないのに。
なんでお前っていつもそうなんだよ。自分一人で勝手に考えて勝手に結論出して、自分の言いたいことだけ押しつけて、おれの気持ちは無視して。おれが本当はどう思ってるかなんて、見ようともしてくれないくせに。
分かったような顔するなよ。分かったようなこと言うなよ。
本当はおれのことなんて、何も知らないくせに。
「おれは、嫌な思いなんかしてない」
「え……」
おれの腕から離れようとしていた黒田の両手を掴み、逃がさないようにぎゅっと握りしめた。黒田の手は少しだけひんやりと冷たい。
「黒田に触られて、嫌だとかキモいなんて思ったことは一回もない」
ここまではっきり言わないと分からないなんて、おれはこいつの鈍さを甘く見ていたのかもしれない。頭は良いくせに無神経だし鈍感だし、おれのことなんて何も分かってない。なのに何もかも分かったような顔して、おれの本当に聞きたいことは何も教えてくれない。
何だかだんだん腹が立ってきて、黒田の目を正面から見据えた。黒田は少し戸惑ったようにおれを見ている。
「おれが何を嫌だと思うかなんて、黒田に分かるわけないだろ。勝手に決めんな、バカ」
橋の向こうで、今にも沈みそうな夕日が燃えるようなオレンジ色の光を放っている。その光に照らされた黒田の頬は、まだほのかに赤く染まって見えた。おれの目にそう見えるだけなのかもしれない。そうだったらいいなって思うおれの気持ちがそう見せているだけで、実際の黒田の顔は赤くなんてなっていないのかもしれない。
「……じゃあ、俺の都合のいいように解釈するからな」
「な、なにが」
一瞬、心の声を読まれたのかと思って心臓がドクンと跳ねた。黒田は少し怒ったような顔でおれをじっと見ている。
「さっき言ってたことは、やっぱりやきもちだって。鈴原は俺のことが好きだから、俺によそ見されるのが嫌なんだって」
「……」
「答えないってことは、肯定だと受け取っていいんだな」
きっと黒田の目にも、今のおれは真っ赤な顔をしているように見えてるんだろう。そう思うと今更隠したって何の意味もない気がして、もうほとんどヤケクソみたいな勢いで開き直ることにした。
「……そうだよ! そのくらい空気読んで察しろ、この鈍感!」
また黒田の腕の中に閉じ込められた瞬間、橋の向こうで夕日が完全に沈んだ。わずかに残っていたオレンジ色の光がふっと消えて、夜の暗さがあたりをゆっくりと包んでいく。
「ごめん。今後は気を付ける」
そう言いながら、黒田はおれを抱きしめる腕にぎゅっと力を込めた。


