春に同じクラスになってから半年もの間、一日中同じ教室にいるのに会話らしい会話なんてしたことがなかった。時折、視界にその姿が入ることはあっても、特に注意を向けたり意識して目で追ったりすることなんてない。おれにとって黒田は見慣れた風景の一部でしかなくて、この先もずっとそれが変わることなんてないと思ってた。
話なんかしない。目も合わせない。
そう、この状態こそが今までのおれ達の『普通』だったのだ。同じ教室にいても全く別の世界で生きてるような、おれと黒田の間にはそのくらい大きな隔たりがあった。目に見えていてもそこにはいない、声は聞こえるけど触れることはできない。それは古い映画を見ている時の感覚とよく似ていた。
黒田もこんな感じでジョゼットに恋をしていたんだろうか。
もうこの世に生きていないのに、見た目しか知らないのに。本当はどんな性格で、どんな匂いがして、どのくらいの体温で、抱きしめたらどのくらい柔らかいのか、知ることは絶対できないのに。それでもあんな夢中になれる黒田の気持ちが、おれには今もまだよく分からない。
黒田の言う『好き』って、おれが思う好きって気持ちとは違うんじゃないか。黒田が分からない。
「はよー、鈴原」
「おはよ……」
あれから一週間。ようやくマラソン大会が終わって、学校内の空気はどこかほっとしたように緩んでいるような気がする。あと何日も経たないうちにすぐ期末テストがやって来るから、この空気は今だけのものなんだろうけど。
自分の席に着くと吉野が近づいてきて、目の前に一枚のプリント用紙を差し出してきた。
「これ、選択授業のアンケートだって。今週中に書いて委員長に提出しろってさ」
「え……あ、ああ、うん。ありがと」
用紙を受け取りながら、ちらと斜め前の席に視線を向ける。そこに黒田の姿はなかった。
できればあいつと顔を合わせたくないんだけど、どうしようかな。
「吉野はこれ、もう提出したの?」
「え? いや、まだ。ついさっき委員長に渡されたし」
「じゃあさ、吉野の分と一緒におれのも黒田に提出しといてもらえるかな。すぐ書くから」
カバンの底からごそごそとペンケースを取り出していると、不意に吉野が腰をかがめておれの顔を覗き込んできた。
「あのさ、鈴原」
「なに」
「もしかしてお前、委員長と何かあった?」
やっと引っ張り出したペンケースが手から滑り落ちて、中に入っていたシャーペンや消しゴムがばらっと床に散らばる。
「なっ……なんで?」
あわてて椅子から下りて、散乱した文房具を拾い集める。吉野もしゃがんでそれを手伝ってくれたけど、その間もおれの顔を探るような目つきでじっと見ている。
「いや、何となくそんな感じがしたから。さっき委員長からこれ渡された時になんか変だなって思ったんだよ。俺より鈴原の方が席近いんだから、後で鈴原が来たら直接渡せばいいのにって」
くそ、あいつ露骨におれのこと避けやがって。そんな不自然な真似したら吉野が怪しむのは当然だろうに、自分から疑いの視線を集めに行ってどうすんだよ。
「それは……吉野がおれとよくつるんでるからだろ」
「へえ。じゃあそれ、自分で委員長に提出すれば? わざわざ俺を経由する必要がないだろ」
「……」
拾った文房具を全てペンケースに収める。いつまでもしゃがんだまま立ち上がろうとしないおれの頭に、吉野の手がぽんと置かれた。
「嘘だよ。俺から委員長に渡しとくって」
「……ごめん。頼んでいいかな」
吉野はため息をひとつつくと、膝に手を当てながらゆっくりと立ち上がった。
「何があったかは聞かないけど、そんな切羽詰まった顔されてちゃ委員長も話しかけにくいんでないの」
「え……」
「委員長ってここんとこずっと、いっつも鈴原の方ばっかりちらちら見てるんだよな。多分お前は全然気が付いてないだろうけど」
そんなはずない。だってあいつ、あれからずっとおれの方なんて見ようともしないのに。
「きっと鈴原に話したいことがあるんだろ。話くらい聞いてやれよ」
「……うん」
分かってる。いつまでもこのまま、黒田から逃げ続けていることなんてできないって。どんなに怖くてもいずれは黒田と顔を合わせて、黒田の話をちゃんと聞かなきゃいけない。きっと黒田もそうすることを望んでる。
『好きな奴のことをきれいだって思うのも、触りたいって思うのも、普通じゃないって言うのかよ!』
だけど、怖い。
黒田の言う『好き』って、おれが思う好きって気持ちとは違うんじゃないか。
あの時の黒田がどういう意味であんなことを言ったのか、おれは今もまだ分からない。おれの考えてることと黒田の言いたかったことが、もし違っていたら? おれが一人で自分に都合のいい解釈をしてるだけだったら?
もうこれ以上、惨めな思いをしたくない。今まで幾度となく、黒田の気持ちを知ろうとすればするほど、黒田はおれの方なんて見てないって思い知らされてきた。黒田にあの時の言葉の意味を問いただしたところで、また同じようなことになるのは目に見えている。
おれに優しくするのも、おれを見ていたのも、おれに触ったのも、別におれのことが好きなんじゃなくて、おれの髪が赤いからだったの? 珍しい色の髪だから見てただけだったの?
そう聞いて、そうだって返されるのが怖い。
*
昼休みになると、川島と吉野はいつも購買にある自販機へ飲み物を買いに行く。二人が戻るのを自分の席でぼんやりと待っていると、教室前方の出入り口から黒田が入ってくるのを見つけた。
(……あ)
おそらくまた先生に何か頼まれていたのか、手に持っていたファイルケースを教卓に置くと自分の席に着いて弁当を取り出している。
どうしようかな。今なら川島と吉野に見られずに話しかけられるチャンスだ。吉野はともかく、川島はきっとおれが黒田に話しかけてるところなんて見たら後でしつこく何を話してたのか聞いてくるはずだ。できればあいつらが見ていないところで黒田と話したいんだけど、教室だとそんな機会はそうそうやってこない。
早くしないと、二人が戻ってきてしまう。おれは意を決して席を立ち、後ろから黒田に近づいた。
「……あ、あの、黒田」
小さなトートバッグから弁当箱を取り出していた黒田は、ふとおれを見上げた。少し驚いたような顔をしている。こんなに黒田と近い距離で話すのは、何だかずいぶんと久しぶりのことのように思えた。
「今日、一緒に帰んない? ほら、あの映画館で今週末から新しいやつ公開されるし、上映スケジュール見に行きたいなって思って」
思っていたよりも言葉は滑らかに出てくる。だけど口の中がカラカラに渇いていて、心臓の音がうるさい。いつも通り、普通に。そう意識すればするほどそうではなくなってしまうと分かっていても、黒田に話しかけるだけでこんなにドキドキしてるなんて、黒田には知られたくない。
黒田はすぐには答えなかった。ただ、やっぱり驚いたような、困ったような顔でおれをじっと見てる。
祈るような気持ちで黒田の返事を待っていると、その目がそっと下を向いた。
「悪い。今日は、塾があって」
「あ……そ、そっか」
教室の中の喧噪が遠くから聞こえてくるように感じる。
おれ、何を期待してたんだろ。バカみたいだ。
「じゃあ、また今度な。急にごめん」
くるりと黒田に背を向けて、自分の席に戻る。
心のどこかでまだ自惚れてたんだ。黒田がおれからの誘いを断るはずがないって、そう思ってた。
だってお前、おれのこと好きなんじゃなかったのかよ。
好きな奴から一緒に帰ろうって誘われたら、普通はいいよって答えるだろ。断るか、普通。
やっぱり黒田の言う『好き』って、そういう意味じゃなかったのかな。おれ一人で舞い上がって勘違いして、その気になってただけだったのかな。
黒田の考えてることが分からない。人の気持ちなんて分からないのが当たり前なのに、今はそれが何よりも怖い。おれ一人でどんなに考えたところで黒田の本当の気持ちなんて分かるわけがない。だから教えてほしくて思い切って話しかけたのに、当の黒田がそれを拒んでいるのならおれにはどうすることもできない。
どうしたらいいのか分からない。おれ、どこで間違えたんだろう。
*
「鈴原ー、今日この後たこ焼き行かね?」
帰りのホームルームが終わり、荷物をまとめていると川島がこっちに来た。その背後から吉野もついてくる。
「たこ焼き?」
「前にオレの補習で流れちゃったっしょ。今日は吉野も部活なくて暇してるっていうからさ、三人で行こうよ」
「あ……うん」
「どした? もしかして今日は都合悪いか」
「そ、そんなことないって」
そう言えば、黒田があの映画館でジョゼットのポスターに釘付けになっていたのを見つけたのは、川島とたこ焼きを食べに行く約束が中止になった日だったっけ。あれからそんなに経っていないのに、何だかずいぶんと前のことみたいだ。
どうせ黒田には一緒に帰るのを断られているし、三人で美味いものでも食べたら少しは気が紛れるかな。一人でいるとどうしても気分が塞ぎ込むようなことばっかり考えてしまうから、今は無理やりにでも誰かといた方がいいのかもしれない。
「そうだな、行こっか」
「よーし、んじゃ早く行こーぜ! 今日はオレちゃんとクーポン持ってるし」
「川島、鈴原との約束一回ダメにしたんだろ? なら今日は川島が奢れよ、俺の分もな」
「ええ!? いや、なんで吉野の分までオレが払うんだよ」
カバンを持って席を立とうとしたその時、後ろからぐいと肩を掴まれた。
「悪い、二人とも。鈴原はこの後、俺と約束があるんだ」
後ろを見上げると、そこにいたのは黒田だった。おれの肩を掴んだまま、川島と吉野をじっと見ている。
「え……」
開いた口が塞がらない。
な、なに言ってんだこいつ。おれが昼休みに一緒に帰ろうって誘ったのに、断ったのはお前の方だろ。
川島と吉野は顔を見合わせてしばし黙っていたが、少しの間の後、何か察したようにぱっと笑顔になった。
「あー、そうなんだ? じゃあ、たこ焼きはまた今度だな」
「よ、吉野。おれ黒田と約束なんかしてな……」
「気にすんなって。委員長とどっか行くんだろ、それじゃ仕方ないよ」
そう言いながら、吉野は意味ありげな視線をおれに向ける。今朝の吉野から言われたことを思い出して、顔がかあっと熱くなった。
「次はちゃんと空けとけよー、オレの補習やっと終わったんだからさ」
何も気付いていないはずの川島も、おれの頭をくしゃくしゃと撫でながら歯を見せて笑っている。この空気じゃ黒田と一緒に帰る以外の選択肢はない。
「う、うん……ごめん。また今度」
「行くぞ」
後ろから腕を掴んで立たされる。半ば強引に引っ張られるように、おれは黒田と教室を後にした。
話なんかしない。目も合わせない。
そう、この状態こそが今までのおれ達の『普通』だったのだ。同じ教室にいても全く別の世界で生きてるような、おれと黒田の間にはそのくらい大きな隔たりがあった。目に見えていてもそこにはいない、声は聞こえるけど触れることはできない。それは古い映画を見ている時の感覚とよく似ていた。
黒田もこんな感じでジョゼットに恋をしていたんだろうか。
もうこの世に生きていないのに、見た目しか知らないのに。本当はどんな性格で、どんな匂いがして、どのくらいの体温で、抱きしめたらどのくらい柔らかいのか、知ることは絶対できないのに。それでもあんな夢中になれる黒田の気持ちが、おれには今もまだよく分からない。
黒田の言う『好き』って、おれが思う好きって気持ちとは違うんじゃないか。黒田が分からない。
「はよー、鈴原」
「おはよ……」
あれから一週間。ようやくマラソン大会が終わって、学校内の空気はどこかほっとしたように緩んでいるような気がする。あと何日も経たないうちにすぐ期末テストがやって来るから、この空気は今だけのものなんだろうけど。
自分の席に着くと吉野が近づいてきて、目の前に一枚のプリント用紙を差し出してきた。
「これ、選択授業のアンケートだって。今週中に書いて委員長に提出しろってさ」
「え……あ、ああ、うん。ありがと」
用紙を受け取りながら、ちらと斜め前の席に視線を向ける。そこに黒田の姿はなかった。
できればあいつと顔を合わせたくないんだけど、どうしようかな。
「吉野はこれ、もう提出したの?」
「え? いや、まだ。ついさっき委員長に渡されたし」
「じゃあさ、吉野の分と一緒におれのも黒田に提出しといてもらえるかな。すぐ書くから」
カバンの底からごそごそとペンケースを取り出していると、不意に吉野が腰をかがめておれの顔を覗き込んできた。
「あのさ、鈴原」
「なに」
「もしかしてお前、委員長と何かあった?」
やっと引っ張り出したペンケースが手から滑り落ちて、中に入っていたシャーペンや消しゴムがばらっと床に散らばる。
「なっ……なんで?」
あわてて椅子から下りて、散乱した文房具を拾い集める。吉野もしゃがんでそれを手伝ってくれたけど、その間もおれの顔を探るような目つきでじっと見ている。
「いや、何となくそんな感じがしたから。さっき委員長からこれ渡された時になんか変だなって思ったんだよ。俺より鈴原の方が席近いんだから、後で鈴原が来たら直接渡せばいいのにって」
くそ、あいつ露骨におれのこと避けやがって。そんな不自然な真似したら吉野が怪しむのは当然だろうに、自分から疑いの視線を集めに行ってどうすんだよ。
「それは……吉野がおれとよくつるんでるからだろ」
「へえ。じゃあそれ、自分で委員長に提出すれば? わざわざ俺を経由する必要がないだろ」
「……」
拾った文房具を全てペンケースに収める。いつまでもしゃがんだまま立ち上がろうとしないおれの頭に、吉野の手がぽんと置かれた。
「嘘だよ。俺から委員長に渡しとくって」
「……ごめん。頼んでいいかな」
吉野はため息をひとつつくと、膝に手を当てながらゆっくりと立ち上がった。
「何があったかは聞かないけど、そんな切羽詰まった顔されてちゃ委員長も話しかけにくいんでないの」
「え……」
「委員長ってここんとこずっと、いっつも鈴原の方ばっかりちらちら見てるんだよな。多分お前は全然気が付いてないだろうけど」
そんなはずない。だってあいつ、あれからずっとおれの方なんて見ようともしないのに。
「きっと鈴原に話したいことがあるんだろ。話くらい聞いてやれよ」
「……うん」
分かってる。いつまでもこのまま、黒田から逃げ続けていることなんてできないって。どんなに怖くてもいずれは黒田と顔を合わせて、黒田の話をちゃんと聞かなきゃいけない。きっと黒田もそうすることを望んでる。
『好きな奴のことをきれいだって思うのも、触りたいって思うのも、普通じゃないって言うのかよ!』
だけど、怖い。
黒田の言う『好き』って、おれが思う好きって気持ちとは違うんじゃないか。
あの時の黒田がどういう意味であんなことを言ったのか、おれは今もまだ分からない。おれの考えてることと黒田の言いたかったことが、もし違っていたら? おれが一人で自分に都合のいい解釈をしてるだけだったら?
もうこれ以上、惨めな思いをしたくない。今まで幾度となく、黒田の気持ちを知ろうとすればするほど、黒田はおれの方なんて見てないって思い知らされてきた。黒田にあの時の言葉の意味を問いただしたところで、また同じようなことになるのは目に見えている。
おれに優しくするのも、おれを見ていたのも、おれに触ったのも、別におれのことが好きなんじゃなくて、おれの髪が赤いからだったの? 珍しい色の髪だから見てただけだったの?
そう聞いて、そうだって返されるのが怖い。
*
昼休みになると、川島と吉野はいつも購買にある自販機へ飲み物を買いに行く。二人が戻るのを自分の席でぼんやりと待っていると、教室前方の出入り口から黒田が入ってくるのを見つけた。
(……あ)
おそらくまた先生に何か頼まれていたのか、手に持っていたファイルケースを教卓に置くと自分の席に着いて弁当を取り出している。
どうしようかな。今なら川島と吉野に見られずに話しかけられるチャンスだ。吉野はともかく、川島はきっとおれが黒田に話しかけてるところなんて見たら後でしつこく何を話してたのか聞いてくるはずだ。できればあいつらが見ていないところで黒田と話したいんだけど、教室だとそんな機会はそうそうやってこない。
早くしないと、二人が戻ってきてしまう。おれは意を決して席を立ち、後ろから黒田に近づいた。
「……あ、あの、黒田」
小さなトートバッグから弁当箱を取り出していた黒田は、ふとおれを見上げた。少し驚いたような顔をしている。こんなに黒田と近い距離で話すのは、何だかずいぶんと久しぶりのことのように思えた。
「今日、一緒に帰んない? ほら、あの映画館で今週末から新しいやつ公開されるし、上映スケジュール見に行きたいなって思って」
思っていたよりも言葉は滑らかに出てくる。だけど口の中がカラカラに渇いていて、心臓の音がうるさい。いつも通り、普通に。そう意識すればするほどそうではなくなってしまうと分かっていても、黒田に話しかけるだけでこんなにドキドキしてるなんて、黒田には知られたくない。
黒田はすぐには答えなかった。ただ、やっぱり驚いたような、困ったような顔でおれをじっと見てる。
祈るような気持ちで黒田の返事を待っていると、その目がそっと下を向いた。
「悪い。今日は、塾があって」
「あ……そ、そっか」
教室の中の喧噪が遠くから聞こえてくるように感じる。
おれ、何を期待してたんだろ。バカみたいだ。
「じゃあ、また今度な。急にごめん」
くるりと黒田に背を向けて、自分の席に戻る。
心のどこかでまだ自惚れてたんだ。黒田がおれからの誘いを断るはずがないって、そう思ってた。
だってお前、おれのこと好きなんじゃなかったのかよ。
好きな奴から一緒に帰ろうって誘われたら、普通はいいよって答えるだろ。断るか、普通。
やっぱり黒田の言う『好き』って、そういう意味じゃなかったのかな。おれ一人で舞い上がって勘違いして、その気になってただけだったのかな。
黒田の考えてることが分からない。人の気持ちなんて分からないのが当たり前なのに、今はそれが何よりも怖い。おれ一人でどんなに考えたところで黒田の本当の気持ちなんて分かるわけがない。だから教えてほしくて思い切って話しかけたのに、当の黒田がそれを拒んでいるのならおれにはどうすることもできない。
どうしたらいいのか分からない。おれ、どこで間違えたんだろう。
*
「鈴原ー、今日この後たこ焼き行かね?」
帰りのホームルームが終わり、荷物をまとめていると川島がこっちに来た。その背後から吉野もついてくる。
「たこ焼き?」
「前にオレの補習で流れちゃったっしょ。今日は吉野も部活なくて暇してるっていうからさ、三人で行こうよ」
「あ……うん」
「どした? もしかして今日は都合悪いか」
「そ、そんなことないって」
そう言えば、黒田があの映画館でジョゼットのポスターに釘付けになっていたのを見つけたのは、川島とたこ焼きを食べに行く約束が中止になった日だったっけ。あれからそんなに経っていないのに、何だかずいぶんと前のことみたいだ。
どうせ黒田には一緒に帰るのを断られているし、三人で美味いものでも食べたら少しは気が紛れるかな。一人でいるとどうしても気分が塞ぎ込むようなことばっかり考えてしまうから、今は無理やりにでも誰かといた方がいいのかもしれない。
「そうだな、行こっか」
「よーし、んじゃ早く行こーぜ! 今日はオレちゃんとクーポン持ってるし」
「川島、鈴原との約束一回ダメにしたんだろ? なら今日は川島が奢れよ、俺の分もな」
「ええ!? いや、なんで吉野の分までオレが払うんだよ」
カバンを持って席を立とうとしたその時、後ろからぐいと肩を掴まれた。
「悪い、二人とも。鈴原はこの後、俺と約束があるんだ」
後ろを見上げると、そこにいたのは黒田だった。おれの肩を掴んだまま、川島と吉野をじっと見ている。
「え……」
開いた口が塞がらない。
な、なに言ってんだこいつ。おれが昼休みに一緒に帰ろうって誘ったのに、断ったのはお前の方だろ。
川島と吉野は顔を見合わせてしばし黙っていたが、少しの間の後、何か察したようにぱっと笑顔になった。
「あー、そうなんだ? じゃあ、たこ焼きはまた今度だな」
「よ、吉野。おれ黒田と約束なんかしてな……」
「気にすんなって。委員長とどっか行くんだろ、それじゃ仕方ないよ」
そう言いながら、吉野は意味ありげな視線をおれに向ける。今朝の吉野から言われたことを思い出して、顔がかあっと熱くなった。
「次はちゃんと空けとけよー、オレの補習やっと終わったんだからさ」
何も気付いていないはずの川島も、おれの頭をくしゃくしゃと撫でながら歯を見せて笑っている。この空気じゃ黒田と一緒に帰る以外の選択肢はない。
「う、うん……ごめん。また今度」
「行くぞ」
後ろから腕を掴んで立たされる。半ば強引に引っ張られるように、おれは黒田と教室を後にした。


