泥とフリル 〜学校一の不良の先輩が恋したのは、ロリィタ姿の俺でした〜

 日曜日、先輩と約束したデートの朝。
 俺は姿見の前に立ち、そっとスカートの裾を整えた。
 淡いクリーム色にパールのボタン、ふわりと広がるシルエット。鏡に映る自分は、やっと“自分の好き”を堂々と着ている顔をしていた。

「……今日のリップ、どれにしよっかな」

 机の上に並んだお気に入りのコスメたち。その中から、深めの赤に少しだけベリーを混ぜた色を選ぶ。唇に乗せて、軽くティッシュオフする。

 鏡の向こうの自分が、ちょっとだけ大人びて見えた。先輩に、追いつきたいと思っている自分がいる。
 駅のトイレじゃなくて、ちゃんと自分の部屋で好きなだけ時間をかけて準備できる朝が、こんなに幸せだなんて思ってなかった。
 最後に髪のリボンを結んで、姿見の前でくるりと回る。ふんわり広がったスカートが空気を含んで揺れた。

「よし……」

 小さく呟いた瞬間、胸の奥がぽっと温かくなる。

 ピンポーンとインターホンが鳴った。もちろん、迎えに来るのは先輩だ。
 鏡に映る自分に、もう一度だけ微笑んでから、部屋の灯りを消した。

「瑚珀、いってらっしゃい」
「行ってきまーす」

 玄関のドアを開けた瞬間、冷たい空気と一緒に見慣れた姿が目に飛び込んでくる。
 先輩がポケットに手を突っ込んで立っていた。気怠そうに斜め上を見ていたのに、俺を見つけた瞬間、その目がふっと緩む。
 それだけで、今日がいい日になる気がした。

「あら、絆くん。今日も瑚珀を宜しくね」

「任しといてください、無事に家まで送り届けるんで」

 玄関先に入ってきた先輩に、母さんが微笑む。

「瑠璃さん、今日の門限何時ですか?」

「んー、六時かしら」

「え、九時は流石にダメ?」

「ダメよぉ、そんな危ない時間。」

「じゃあ八時」

「……もー、仕方ないわね、八時きっかりよ!」

 母さんは“まったく、もう”と言いながらも、口元はちゃんと笑っていた。
 ああ、この感じ。なんだかんだ言いながら、俺たちの時間を尊重してくれている優しさ。
 先輩と顔を見合わせて、恋人繋ぎをする。それを母さんも優しく見つめていた。

「イェーイ、二時間延長成功したわ」

「最初から八時のつもりでした?」

「当たり前じゃん。押して引けば瑠璃さん余裕だわ」

「そんなことまで読んでるんですか……」

「お前の親だぞ? 攻略済に決まってんじゃん」

 母さんと父さんには、俺と先輩が恋人同士であることを、先輩が真正面からきっぱりと伝えた。

 “瑚珀さんを恋愛的な意味で好きで、付き合ってます”

 照れ隠しもしないで、ただ真っ直ぐに。

 両親はびっくりはしていたけど、すぐに「瑚珀を大事にしてくれるなら」と言ってくれた。

 その言葉通りに、先輩はいつだって俺を大切にしてくれる。過保護すぎるくらい、でも窮屈じゃない優しさで。
 手を繋いで歩きながら、そのぬくもりをぎゅっと握り返した。

「行くぞ。いつも通り、最初に i my (アイマイ)♡でいい?」

「はいっ」

 手を繋いで歩く。先輩と俺は、ほぼいつも通りのルーティンでデートをした。
 i my ♡で俺の服を見て、古着屋さんで九藤先輩がヴィンテージのレザージャケットを買うかどうかで悩んで。
 カフェでシフォンケーキを半分こして、ゲーセンでUFOキャッチャーに本気出して。
 本当にささやかな、高校生らしい休日の過ごし方。
 けど、いつもと違うことが一つだけ起きた。

「……あれ?」

「ん? どうした?」

 繫華街の角を曲がった瞬間、ふと視界の端で揺れるフリルに、思わず足が止まった。光を受けて、柔らかな布地がふわりと揺れる。その色も、レースの幅も、裾の縫い方も、間違いようがない。

「あれ、俺の作ったスカート……」

 小さく呟いた声は、風にかき消されそうなほどだったけれど、先輩はすぐに立ち止まり、俺の視線の先を追った。
 女の子はスマホを覗き込みながら、楽しそうに笑って歩いている。そのスカートが、誰かの日常に自然に溶け込み、当たり前のように“使われている”。その光景を見て、胸の奥がじわりと温かくなる。嬉しさと誇らしさ、信じられなさが、同時に押し寄せてくる。

「お前の作ったもんをさ、誰かが自然に使ってんだ。……すげぇことだよ、それ」

 その声は、いつも通りの軽い調子なのに、俺の胸をぎゅっと抱きしめるような力があった。言葉のひとつひとつが、まるで光の粒になって胸の中で弾ける。

「……絆先輩」

 小さく呼ぶと、先輩は柔らかく微笑んで振り返る。

「なんか、実感わいて……嬉しいです。すごく」

 ぽかぽかとした幸福が胸いっぱいに広がり、思わず先輩の袖を掴む。心臓が早鐘のように鳴り、目の奥が熱くなる。

「俺、もっと服を作りたい。自分の服が、誰かの日常で、とびきりの“おめかし”になるような……」

「瑚珀なら大丈夫だろ。……恋人の俺が保証してやるよ」

 先輩はあっさりと言う。平然とした顔の奥に、確かな信頼と安心感がある。その言葉が、これまでの努力や迷い、怖さを一瞬で包み込んでくれる。
 人混みのざわめきの中で、深く息を吸う。手に握る温かさ、肩にかかる体温、足元から伝わる地面の感触。今日という一日が、ゆっくり、でも確かに幸せの色で満ちていく。

「このあと、スタジオ行くだろ?
 投稿する用のオリジナル曲、やっと形になったから一番に瑚珀に聴かせたい」

「……はい!」

 繋ぎ直した手は、まるで布端をそっと合わせるみたいにぴたりと馴染んで、さっきよりもずっと温かく、柔らかかった。
 触れ合った指先から胸の奥へ、細い糸がすっと通っていく。

 いつもの街、いつものデート。
 だけど今日の景色は、広げたばかりの新しい布のように、どこか特別に煌めいて見える。
 俺の仕立てた服が、誰かの“好き”になったこと。
 そして何より、隣で先輩と指を絡めて歩いていること。
 その全部が、手触りの良い糸で一目一目すくい縫いしたみたいに、胸の奥に優しく重なっていく。

 笑い声、人々のざわめき。その上にそっと自分の呼吸を重ねながら思う。

 ――俺の世界は、こうやってひと針ひと針、確かに広がっていくんだ。
 好きなものを大切にして、胸を張って未来を縫い上げていけるんだ。

 先輩と並んで歩く一歩一歩が、これからの人生という布に、明るいステッチを描いていく。

 今日も、明日も、この先のどんな日も。
 もし糸が絡まったり、ほつれそうになったりしても――そのたびに、互いの手でそっとほどき、優しく結び直せばいい。

 そうしてきっと俺たちは、同じ一枚の布を寄り添って仕立て続ける。
 笑って、手を重ねて、未来の模様を二人で描きながら。


 end.