泥とフリル 〜学校一の不良の先輩が恋したのは、ロリィタ姿の俺でした〜

 週明けの昼休み。
 俺は紙袋の中に、來那ちゃんのために仕立てたスカートを大事に抱えながら、渡り廊下を渡って旧校舎へ向かっていた。

 今日の受け渡し場所は、中庭。
「昼休み、いつも通り集まってるから」と先輩は何でもないことのように言っていたけれど、正直、あの人たちの“いつも通り”は、だいたい予測不能だ。

 階段を下り、外廊下に出た瞬間――
 中庭の中央あたりから、もくもくと不自然な白い煙が立ちのぼっているのが見えた。

 一瞬、技師さんか誰かが落ち葉でも燃やしているのかと思った。
 でも、近づくにつれて、煙に混じって、明らかに“肉が焼ける匂い”がしてくる。

 嫌な予感しかしない。

 中庭の隅に目をやると、そこには――

 七輪の周りに、ヤンキー座りで円陣を組むように集まる、見慣れた先輩たちの姿。
 傍らには、トレーに入ったホルモンと、ボトルのままの醤油。

 ……完全に“屋外焼肉”だった。

 俺は思わず、その場で何度か瞬きをしてしまった。
 現実かどうかを確認するみたいに。

 全員が、ほぼ同時に顔を上げる。
 そして、揃ってこちらを見る。
 その中心から、仁先輩がにやっと笑って言った。

「おー、瑚珀じゃん。タイミング良すぎ。ホルモン食う?」

 続けて、茜先輩が鉄板をひっくり返しながら、やたら爽やかな声で言う。

「今、焼き立てだから。絶対うまいよ?」

 ……いや、
 その姿勢で下から覗き込まれたら、どう見ても“勧誘”じゃなくて“脅迫”なんですが。

 俺は紙袋をぎゅっと抱えたまま、そろそろと後ずさった。

「こ、これ……見つかったら、さすがにまずいんじゃ……?」

 だってどう見ても、校内。
 しかも火、めちゃくちゃ使ってる。
 というか――七輪、どこから調達したんだろう。
 誰が持ってきたんだろう。
 お昼ご飯、ってこと?
 ツッコミたいことが多すぎて、処理が追い付かない。

 そんな俺の動揺をよそに、七輪の前にしゃがみ込んでいた九藤先輩が、ホルモンをひっくり返しながら顔を上げた。

「いいの。ここ、まず見つかんねーし」

 あまりにも即答だった。

 康先輩が肉をひっくり返しながら、急に真面目な顔で言った。

「バレたらバレたで、その時はその時だな」

「開き直りすぎじゃないですか……!?」

「大丈夫だって。火、弱めときゃ煙も目立たねーし」

「煙、めちゃくちゃ出てますけど!」

 茜先輩が笑いながら、醤油を肉に回しかける。

「ほら、匂い薄まるって」

「薄まる要素どこですか!?」

 完全に、俺ひとりだけが常識担当になっていた。

 そんな掛け合いの最中、九藤先輩が鉄板から離れて、まっすぐに俺の前まで来る。
 そして、俺の手元の紙袋に目を落として、少しだけ眉を上げた。

「……それ、例のやつ?」

「あ、は、はい。來那ちゃんのスカートです」

 そう答えると、先輩は一瞬だけ表情をやわらげた。

「悪いな、こんな場所で」

 そして何事もないような顔で付け足す。

「……間に合って、良かったです。
 來那ちゃんも、喜んでくれるといいんですけど……」

 そう言いながら紙袋を差し出すと、先輩は何の迷いもなく中を覗こうとした。
 その動きを見て、俺は反射的に、ぱっとその手を掴んで止めてしまう。

「だ、だめですよ!
 匂いついちゃうじゃないですか。焼肉の……!」

 一瞬、指先越しに伝わる先輩の体温に、心臓が小さく跳ねた。
 自分から触っておきながら、その事実にあとから気づいて、慌てて手を離す。

「……あ、そっか。悪い」

 先輩は少しだけ目を瞬き、それから苦笑いして、素直に紙袋から手を引いた。

 そのやり取りを見ていた康先輩が、面白がるみたいに大げさに眉を上げた。

「うわ、聞いた? キズ、完全にコハくんに手綱握られてんじゃん
 どんだけ惚れ込んでんの~?」

 わざと周りに聞こえるような声量で言うもんだから、七輪の上の肉がじゅうっと鳴る音も掻き消される。
 仁先輩と茜先輩も、ちらっとこっちを見てクスクス笑っていて、顔が一瞬で熱くなった。

 どう言い返せばいいかわからず口ごもっていると、その隣で茜先輩まで、はぁ〜っとため息をついて肩をすくめた。

「まだ付き合ってないんでしょ?……ていうかもう、これ公認でいいんじゃね?」

「ちょっ……!」

 思わず変な声が出た。ほんとやめてください。

 しかし、問題は康と茜先輩じゃない。
 もっと重大な“爆弾”がすぐ横にいた。

 ホルモンを噛みながら、九藤先輩は完全に開き直った顔で言った。

「いーの。俺、瑚珀なら怒られんの大歓迎だし。
 尻に敷かれるのも、別に全然平気」

 その瞬間。

 茜先輩は「はい出た〜!」と膝を叩き、康先輩は「お前それ自覚あんのやばっ!」と爆笑している。
 先輩は確かに、ちょっと照れて、でも誇らしげで、なんかもう……反則みたいな顔していた。

 俺の心臓はもう限界ゲージMAX。
 このままここにいたら、からかわれ死ぬ。

 だからもう、反射的に頭を下げて叫んでしまった。

「そ、それじゃあ失礼します!!」

 紙袋を抱えて逃げ出そうとした、その瞬間。
 肩がぐっと掴まれた。

「瑚珀」

 振り向いたら、さっきまでからかわれていた本人とは思えないほど、落ち着いた澄んだ瞳。
 ああもう、このギャップが俺を殺しにきてる。

「後で來那に着せて写真送るから。……そのあと電話。いい?」

 電話。今日もしてくれるんだ。
 その一言だけで、心臓の奥がきゅっと縮む。

「……はい」

 俺が答えると、先輩はふっと優しく笑って、手を離した。

 その様子をずっと見ていた二人が、すかさず飛ばす。

「うわー、あっちぃ!」
「キズ、そんなんでまだ告ってないの? だっせぇ!」

「うるせぇよ!」

 先輩は康先輩の足を蹴ってから、焼き上がったホルモンを白ご飯の上に豪快に乗せ始めた。

「絆、食いすぎ! 俺のだったのにー!」

 ぎゃいぎゃいと騒ぐ先輩たちの輪から、小声で「お邪魔しました」と俺は抜けて教室に戻った。

 午後の授業が始まってからも、さっきの言葉が気になって集中出来ない。
 黒板に文字が増えていくのをただ目で追っているだけで、頭には何一つ入ってこない。

 “告白”

 その単語が、胸の真ん中にずっと引っかかっている。
 九藤先輩が告白してないって、あの二人にからかわれて、耳まで赤くしてたのを思い出す。

 ああいうとこ、本当にずるい。
 普段は余裕そうなのに、肝心なとこで不器用で、照れて、俺のことになると急に弱くなる。

 ……どんどん、好きになっていく。

 俺も先輩を好きだし、先輩も俺を好きなのは分かってる。
 だって、あの目。
 さっき肩を掴まれたとき、呼吸が止まった。

 名前を呼ばれるだけで心臓が跳ね上がって、触れられると全部持っていかれそうで。
 自分でもちょっと情けないくらい、先輩の一挙一動に振り回されてばっかりだ。

 でも――。

 この関係に名前を付けなくても、今のままでも十分幸せなはずなんだ。
 先輩と話して、笑って、時々甘やかされて、たまに困らされて……。
 その全部が俺の毎日の色になってて、なくなるなんて考えられない。

 だけど。

 “告白”っていう言葉を聞いた瞬間、胸がきゅって痛くなったのは何でだろう。
 怖い。変わるのが怖い。
 でも……変わらないままでいるのも、ちょっと怖い。

 先輩は、俺とのことを、どんなふうに考えてくれているんだろう。